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建国からの貴族社会と神々の寵愛たる魔法が残るアルテリア。この国では、人は生を享けた時点で、明確な身分の格付けが行われる。
貴族の血筋か否か。魔法遣いの血筋か否か。
私は、どちらも否として生を受けた。
加えて、財もなければ、優れた容姿もない。
父親は戦死、母親は行方知れず。
物心ついた時には、賤業と言われている炭焼きで生計を立てる祖父と二人で暮らしていた。
私が持っていたのは、オレンジ色の赤毛とミアという名前、それと、この世界では役に立たない前世の記憶。
転生モノとやらで喩えるならば、モブ以下。
存在すら語られない人間である。
年老いて働けなくなった祖父とともに、どこぞで野垂れ死んでいてもおかしく無い私が、貴族の居城で洗濯女中を務めている。
偏に僥倖としか言いようがない。
しかも、ここは、北部最大の都市サニスの象徴にしてノルデン公爵モンドシュタイン家の居城、モンドシュタイン城である。
洗濯場は、城壁の内側にあるとは言え、裏手の屋敷林との境にある。
居館から遠く離れたところに造られているのは、ズラリとはためく洗濯物を、城主や貴人の目に触れないためらしい。
洗濯女中の寝食も、洗濯場の石造り小屋である。
キツイ汚い危険と所謂3Kの洗濯場は、居館から離れた環境も相まって、各所で問題を起こした女中が懲罰的に回されることが多い。はっきり言って、同僚たちはかなり個性的、と言うより曲者揃いである。
ちなみに私は、初めから洗濯女中だ。
そんな洗濯女中を束ねるのが、クルミ割りの洗濯婦長である。
仕事をきっちりしていれば、おしゃべりしようが仕着せを着崩そうが叱られない。まあ、仕事を怠ければ、容赦なく制裁が加えられるのだが。
フィシュの形から靴下の色まで指定されている私語厳禁の居館の女中とは大違いなのだ。
「灰、ないわね」
かまどの焚口の前に膝をついて、なけなしの灰を灰掻き棒で集めていると、鍋を抱えたライラが、のぞき込む様に顔を寄せてきた。
「うん。全然足りない」
前掛の洗濯のためである。
血液汚れを落とすには、灰から灰汁を作る必要があるのだが、洗濯場のかまどは昨日灰を集めたばかりのため、見事に何もない。
ちなみに、虫を払い落とした前掛たちは、今タライの中で、水に晒されている。
「別の部署から貰ってくるしかないわね」
「調理場に行っ………かない、よね」
ライラの目尻がキリキリと吊り上がったので、提案を打ち消す。
最も火を使っているのが調理場なので、大量の灰がすぐに手に入るのだが。
調理場以外となると、園庭か居館か。
「ね。居館の掃除担当から、暖炉から出た灰を分けて貰わない?」
ライラは、少し、いや、かなり嬉しそうな表情である。声が弾んでいる。
私は園庭がいいと思うのだが。移動距離も近いし、ライラが頼めば、園丁なら気前よく肥料用の灰を分けてくれるだろう。
なんて私が言ったところで、ライラは是とは言わないだろう。
居館は、モンドシュタイン城の顔であり、サニスの顔と言っていい。外装は優美で内装は豪華。
城とは名ばかりの洗濯場と違って、所謂、花形職場である。そこで働くのは女中たちの憧れであり、ある種の地位を得るようなものらしい。
洗濯女中は、洗濯場で寝起きを含めて全てが完結するため、滅多な事がなければ、居館なんぞ行くことはないのである。
で、今がその滅多というわけだ。
出自の低い私からしたら、居館は色々と面倒くさい。正直言って、近付かない方がよい場所である。
「………私はここの灰を先に煮ておく」
「何言ってるのよ、ここの灰なんて雀の涙もないわよ。ミアも一緒に行くのよ」
「…………少しでも灰汁を作っておいた方が。ほら、冷まさなきゃだし」
「ミア。あんた、居館に行くの面倒って思ってるでしょ」
「いや、全く。そんなこと、思ってない」
「あんた、考えてる事が顔に出るのよ」
そんなはずはない。
ライラに両頬をぷにぷにと摘まれながら、私は口を尖らせた。
モンドシュタイン城は、サニスの街を見下ろすように、丘の上に聳えている。
よくある貴族の邸宅だと、屋根裏など上階が家事使用人など裏の区画となっていることが多いらしいが、この城では、地階などの下層階がそれを担っている。
地階と言っても、丘の斜面に張り付いている階層である。窓はあるし陽の光も届く造りになっている。
飾り気のない、それでもしっかりとした造りの使用人階。おろしたてのシワ一つない仕着せに身を包んだ使用人たちが、僅かな衣擦れの音を零しながら、足早に行き交っている。
そんな廊下の隅を、洗い晒しの仕着せに鍋を抱えて、水染みの残る靴で歩くライラと私。
完全に浮いている。
掃除女中の何人かにすれ違いざまに横目で睨まれ、何人かに二度振り返られ、何人かに柱の陰から指差されながら嗤われる。
言いたい事があれば面と向かって言えばいいのに。はっきり言って、不愉快だ。
その点、洗濯女中たちは文句があるとすぐに声を上げる。罵詈雑言を浴びせる。手が出やすいのは玉に瑕だが。
さっさと用事を済ませて、洗濯場に戻りたい。
洗濯場から居館へは、屋敷林を抜け、内側の城壁を越え、裏庭を抜ければ辿り着く。
灰を貰うには、裏口のごみ捨て用の小さな扉から入り、隣の灰集積部屋へ向かう。
なので本来は、使用人が行き交う居館の廊下を歩くことなんてないのだが。
ライラはごみ捨て用の扉を素通りし、ぐるりと居館の壁に沿って、外庭を抜けたところにある通用口から入った。
遠回りして、居館の滞在時間を延ばしたいのだろうか。
前を歩くライラの表情は見えないが、いつも通りの澄ましたような笑顔を浮かべているところだろう。
後ろから見ていても、ほっそりとした体躯に長い手足、小さな頭、艶のある金髪。ライラは、かなり見栄えがいい。
はっきり言って、陰口を叩く清掃女中たちより、品がいい。さすがモンドシュタイン城の女中と言われてもおかしくない。
時折、上級使用人がいたのか、膝を折ってお辞儀をする。私も同じように膝を折るが、ライラのように綺麗にはできない。
いずれライラは、家政婦長のマダム・ハウライトのお気に入りになって上級使用人になるのだろう。
なんて考えながら、廊下を曲がったところで、ライラが突然振り返った。
「ミア。使用人は駄目よ。
プライドばっかり高くて、大して金は持ってないから」
「………………何の話?」
「業者にしなさい。食べ物関係がいいと思う。食うに困らないから」
「…………だから、何の話?」
私の肩を掴み、子どもに言い含めるように目線を合わせて真剣に話すライラ。
「決まってるでしょ。将来の旦那を見つけるのよ。
そんな仏頂面してないで、笑ってなさいよ。
お高く止まった女中と違って、話しやすさ重視で行くの。
だからって誰にでも声かけてる男は駄目よ。真面目に仕事してる男がいいわ」
返す言葉が無い。
「通用口に製パンギルデとレーデライ商会の馬車がいたから………精肉ギルデはこの時間は………」とライラがぶつぶつ独り言を言い出す。
「帰りも通用口通るから。しっかりやるのよ」
ライラの緑色の瞳が、鋭く私を捉える。私は、たまらず視線をそらした。




