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「私も行くわ」


 翌朝、朝食後。

 洗濯場の小屋を出て、居館へ向かう私の前に、ライラが立ち塞がった。


「エリアス様のお召し物でしょ。知ってるわよ。

 婦長にも許可もらったわ」


 笑顔の消えたライラ。両口角が下がった、真面目な表情。

 こういう余裕のないライラの表情を、最近よく見ている気がする。

 私のせいか。


 正直、他の洗濯女中に、あまり近づいて欲しい洗濯物ではない。とは言え、ネッサが許可した事に、私が異を唱えるわけにはいかない。

「わかった」とだけ言って、二人で屋敷林の道を歩いた。


「居館に行った四人……マーサとソフィとエマと私の四人が、公爵夫人のお召し物を洗う事になったのよ」


 歩きながら、ライラが前を向いたまま話す。


「スカーフを綺麗にしたのを、公爵夫人が気に入ったって。

 だけど、ミア。肝心のあんたがいないじゃない。婦長とマダムのところに行ったきり戻らないし、罰を受けるにしても、公爵夫人がスカーフの出来を認めてるから、罰らしい罰ではないと思ったの。

 そしたら、めっちゃ臭くなって戻って来た。これはエリアス様のお召し物押し付けられたなって思うでしょ」


 ライラの声が途切れると、私とライラの足音だけになる。

 相変わらずライラとは目が合わない。

 獣道に毛が生えたような、砂利ですら舗装されていない、腐葉土になった落ち葉が敷き詰められた道。シャリッシャリッと乾いた音しかしない。


「………ライラは、エリアス様の体調のこと、知ってた?」


 なぜか沈黙は良くない気がして、私は思い付いた事を口にする。


「よろしくないのは知ってたわよ。部屋の外で見たって話聞いたことないわ。

 寝具をたまに婦長が洗ってるのも知ってた。誰にも言うなって言われたけど。

 あと、お召し物を誰も洗っていないとか、看護女中がサボってるとか、そう言う話は聞いたことあるわ」


 看護女中たちの職務怠慢は、女中たちの間では有名な話なのか。


「婦長、昨日はずっと、あんたのこと心配してた。昼食は食べられているのか、体調悪くなったらどうしようって。

 それで、私なら、リチネとか薬局にツテがあるからいいだろうって許可されたのよ」


 ライラが入手したリチネの存在を、ネッサも知っているのか。

 洗濯場の風紀は散々だと、今更ながら思った。 


「そう言えば」と、今更繋がりで思い出した事を、ライラに尋ねる。


「魔術師とか呪いとかの話って聞いたことある?

 サナトリアの魔術師は、人の身に付けているもので呪い殺すんだって。ライラ知ってた?」


 突然、ライラの歩みが止まった。

 私もつられて止まった。

「ミア」と、ライラが厳しい顔と硬い声で私を見た。


「その話は、ほかでしては駄目よ。絶対。本当に絶対ダメ」


 ライラが辺りを見回し、「誰もいないわね」と屋敷林に私たち以外の人影がない事を確認し、大きな木の陰に身を隠すよう私を手招きする。


「魔術師の話は、この国では禁句よ。特にサナトリアの魔術師のことは、決して口にしてはいけない」


「魔法遣いと魔術師の違いは分かるわよね?」とライラに問われたので、私は首を横に振った。

 しばしライラが沈黙し、「まあ、ミアだものね」と独りごちながら深く頷く。


「……大聖堂と魔法遣いの関係は、分かるわよね?」


 その問いには、「分かる」と首を縦に振った。


 大聖堂。

 アルテエリテの国教の象徴である聖女のおわす場所。

 国中にある聖堂の大もとであり、その意思は全て、大賢者と呼ばれる八人の魔法遣いによって決定される。

 この国の魔法遣いが、魔法遣いたる所以は、この大聖堂、つまりは大賢者が認めたか否かである。


「魔法とは、天におわす神々が、一部の地上の人間に与えた特別な力よ。聖女は神々と人間とを繋ぐ存在。聖女がいるが故に、大聖堂はその力が神々の寵愛だと認知できる。

 魔術師が使う魔術とは、人間が神々の力を真似て作り出した術よ。大聖堂はそれを紛い物とみなしているわ。

 特に、サナトリアの魔術師は、神々の敵と呼ばれていて、存在自体を認められていないのよ」


 神々の敵。

 壮大な話だが、見方を変えれば理解できなくもない。

 宗教と科学、あるいは倫理と探究の対立。

 神の領域に手を出した人間が忌み嫌われるのは、いつの世も同じである。


「なるほど」と私は深く頷いた。


「で、なぜ突然そんな事を聞いてきたの?」


 ライラに訊かれたので、塔の部屋に隠されたエリアス様の肌着の話をした。

 ライラは、頬を引き攣らせながら固まっている。


「何それ。本当に呪いが理由?

 そんなデタラメな話、誰に吹き込まれたのかしら。

 サナトリアの魔術師にエリアス様が呪い殺されるなんて、誰も微塵も思ってないわよ。有り得ない。

 公爵家と言えども、こんな北部の辺境の地の、それも病弱で魔法遣いですらない子供でしょう? 魔術師からしたら、庶民と大差ないわよ。

 それとも、パトリツィア様が魔術師と繋がっていると思っているのかしら。だとしたら、公爵夫人は、相当心を病んでいるわね」


 言ってから、はっとライラが口元を押さえる。

 雇い主たる公爵家を誹る事なぞ、口にしてはいけない。


「今の発言はなし。この話はここまで」


 二人でそう頷きあって、居館に向かう道に戻った。




 マリア嬢から鍵を受け取る。

 マリア嬢は、ライラの姿を見て眉間にしわを寄せていた。

「大丈夫です。一緒に逃げますので」と、ライラが微笑んだので、結局何も言わなかった。


 塔の螺旋階段を登り、部屋の鍵を開け、扉を開ける。

 昨日、漬け置きしていた肌着を、小分けした桶とタライから出して軽く絞って、空の桶に放り込む。

 黒い山からは今日の手洗い分を引っ張り出した。

 扉を閉め、螺旋階段を下って看護女中の部屋に着いても、ライラは無言だった。


「………昨日はこれを一人でやったの?」


 勝手口から裏庭に出て、今日も邪悪な色合いになるタライの水を見たところで、ライラがやっと言葉を発した。


「そうだよ」


「流石ね」


「…………どういう意味で?」


「他意はないわよ。仕事ができるってこと」


 そう言いながら、ライラは何度も、意を決するように息を呑んでは、躊躇して息を吐くを繰り返す。

 肥溜めのようなタライに手を入れようとして、入れていない。

 かなり前から、意を決していると思うのだが。


「………ライラは、先に灰を煮てて」


 握ったり開いたりするライラの拳に手を添え、その繰り返し行動を引き止めた。


「ミアが灰を煮たら? 今日は私が洗うわよ」と涼しい顔で言われたが、私は無言でライラの手を引いて、勝手口の扉の奥へエスコートする。

 ライラがタライに手を入れる前に日が暮れる。なんてことは、本人には言わない。


 ある程度手洗いが済んだ肌着を、灰汁に浸ける。昨日と同じ工程だが、分担してやると随分と早い。

 日はまだまだ昇り途中だ。


 そうして、一晩漬け置きしていた肌着に取りかかる。

 部屋に戻ってから、水に晒しておいたのだが、先ほどの手洗いだけのものと比べると、随分と綺麗になっている。この肌着は白かったようだ。

 それをライラと手分けして石鹸で洗う。

 生地が傷まないよう、それでいて頑固な汚れを落としていく。


 肌着の小ささに、エリアス様がまだ年端もいかない子供であることに、改めて気付かされた。

 数年前の肌着という可能性もあるが、それでも、これまで洗濯してきた成人のものとは違う大きさである。


 この小さな体で病に臥せっているエリアス様。そんな我が子を、懸命に守ろうとする公爵夫人。

 心を病むほどに、有り得ないことを信じるほどに。

「誰に吹き込まれたのか」とライラは言ったが、あながち放言でもないのだろう。

 他人を惑わせ、他人を思い通りに操る。心の弱い部分に付け入るのは、何も異界の魔物だけではないのだ。

  

 低きに流れるのも、また人である。


 そんな事を考えていた。

 今し方、部屋に入ってきた看護女中四人の態度を見たせいである。


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