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 マリア嬢から話を聞くだけで午後になった。

 居館の使用人食堂で昼食を摂っても構わないと言われたが、そんなところに行く気はしない。

 先程の立派な朝食のおかげで、そこまで空腹ではないので、昼食は抜く。


 マリア嬢と少し話をして、分かった。

 公爵夫人の心は、かなり不安定だ。


 あのスカーフは出産祝いだとノア坊ちゃまが漏らしていた。あのボロボロの状態を、公爵夫人に報告できなかったのも理解できる。

 

 一介の洗濯女中たる私がそんなことを知り得て良いのだろうかとも思うが、それを含めてのエリアス様のお召し物の洗濯なのだろう。



 エリアス様の肌着は、総じてリネンだった。

 臭い山の、あっちから、こっちからと服を引っ張り出してみたが、その全てがリネンの肌着だった。

 リネンであれば、そこまで洗濯に神経を使う必要はない。湯も灰も使える。


 マダムからは、お召し物の洗濯と言われたが、ここにあるのは肌着だけだ。ほかのお召し物はどうなっているのだろうか。

 また別の部屋に積み重なっているのだろうか。


 タライに入るだけ真っ黒な肌着を放り込み、頭上運搬で螺旋階段を下りながら、一人考える。


 身に着けていたものが呪いに使われると言うのなら、ここ数年は寝室で過ごされているとの話だし、寝間着として肌着以外は身につけていないとか。

 それとも、肌に直接触れていたものとして、肌着だけ隠そうとしているのだろうか。

 どちらにせよ、魔法遣いと魔術師の違いすら知らない私が、呪いなんてものについて考えても無駄だと思い至った。

 無駄なことは考えず、今目の前にある洗濯物に集中する。そう頭の中を切り替えた。


 看護女中の部屋に戻ると、マリア嬢の小間使いがいた。

 肌着の洗濯には洗濯石鹸と香油を使うよう言付けを預かっていると、それらを持ってきてくれていた。

 さすが、公爵閣下のご家族のお召し物の洗濯である。普段の洗濯では使わない高級品を使わせてくれる。


 肌着の入ったタライを床に放置し、灰汁を作るために、かまどの灰を掻く。

 まあまあ灰が溜まっていることから推測するに、たまには使われているのだろう。

 この部屋の物は何を使っても構わないとマリア嬢には言われたが、一抹の不安は過ぎる。

 突然現れた洗濯女中が、勝手に部屋の物をいじくり回して、気分を害すに決まっている。


 灰の入った鍋に水を張り、かまどに置く。

 沸騰するのを待っていた時、廊下と部屋をつなぐ扉が開いた。


 ノックはない。

 突然、勢いよく開いたのだ。


 振り返ると、四人の女中が話しながら入ってくる。

 そして、私を見て立ち止まった。


「何あんた。ここで何してるのよ」


 咎めるような声。

 おそらく彼女たちが、エリアス様の看護女中なのだろう。


「お初にお目にかかります。洗濯女中のミアと申します。

 本日から、エリアス様のお召し物を洗うよう仰せつかりました。

 皆様のご不在のところ、勝手に使用しており申し訳ありません」


 前もって決めておいた言葉を、お辞儀をしながら言う。


「なんか臭いと思ったら、それ、肌着じゃない!」


「はい。お召し物を洗うよう仰せつかりまして……」


「そんなことはどうでもいいのよ! この部屋に、そんなモノ置かないでよ」


「ひっどい臭い。吐きそうになるわ」


 顔を顰めながら、看護女中たちは口々にそう言うと、すぐに部屋を出て行った。

 かまどの火を入れたままの方が良いのか尋ねようかと思っていたが、そんな間もなかった。


 彼女たちは、用事があって、この部屋に来たのではないのだろうか。

 まあ、エリアス様の世話は、公爵夫人に取り上げられて、やることがないのだろう。

 看護女中という上級使用人でありながら、エリアス様の部屋すら入れてもらえず、小間使いのような仕事をさせられている彼女たち。

 腐りたくなるのも理解できる。


 看護女中たちに、臭いと言われたエリアス様の肌着を見やる。

 こんなモノって言われたが、御継嗣のお召し物である。きっと上等なリネンだ。


「高級肌着に戻って、彼女らにギャフンと言わせてやろう」と肌着に向かって独りごちた。


 灰汁が冷めるまで、肌着で水洗いをすることにした。部屋に臭いがこもりそうなので、勝手口の外の裏庭でやる。

 肌着が入ったタライに、水場で水を張る。それだけで、タライの水は真っ黒になった。さすがの私も、手を入れるのを躊躇うほど汚い。

 水を替え、それでもまだ水は黒いが、意を決して手で押し洗いする。すると、またすぐに水が真っ黒に、最初の水よりももっと邪悪なオーラを纏った黒になった。



 水洗いをかなりの時間続け、水の濁りがマシになってきたところで、タライに灰汁を入れる。

 一晩は漬け置きにしなきゃだなと思ったところで、自分の失敗に気が付いた。

 エリアス様の肌着の入ったこのタライを、看護女中の部屋に一晩放置するのはまずい。肌着は塔の部屋に戻さなければならないのだった。


 エリアス様の肌着と、なみなみと灰汁の入ったタライ。

 両手で抱えるように持ち上げてみたが、すぐに下ろす。この重さは、頭上に乗せる前に上腕二頭筋が確実に千切れる。


 結局、タライの中身を桶に移し替えながら、ちまちまと運ぶことにした。

 螺旋階段を往復しているうちに日が暮れる。

 あと一回往復すればタライごと運べると思っていたところで、マリア嬢が来た。


 無言で状況を察したマリア嬢が、眉間にしわを寄せて、タライの中身を移し替え終えた桶を手に取った。


「鍵の返却が遅くなると、私も困りますので」


 力仕事など無縁そうなマリア嬢だが、桶を持つ姿勢は安定している。


「ありがとうございます。とても助かります」そう礼を言ってから、そっと水が溢れないよう水平にしたまま、私は頭上にタライを乗せた。


「………居館で頭上運搬する人を、初めて見ました」


 マリア嬢が、眉間のしわを一層深くして言った。

 城内で頭上運搬は、駄目らしい。

 とは言え、タライを抱えるのは、かなりの筋力が必要になるのだが。

 やはりネッサの言う通り、体を鍛えるしかないのか。


 

「帰ってきた!!」


 私が洗濯場の小屋に戻った途端、中にいた洗濯女中たちがワッと声を上げた。


「ミア生きてた!」


 マーサが駆け寄って来て、私の首に抱きついた。

「本物のミアよね? 幽霊じゃないよね?」と涙目で確認される。

 本物だし、勝手に殺さないで欲しい。

 マーサが首に強く抱きつくと、本当に私は幽霊になる可能性がある。


「朝連れて行かれて、もう戻らないのかと思った」


 エマもソフィも、サラも目が赤い。


「居館で仕事してた」


「………居館で?」


「そう」


 私の返事に、三人は少し沈黙し、それ以降は何も尋ねなかった。

 ただ。


「ミア、くさい!!」


 私にしがみついたまま、マーサが絶叫した。

「そんなに臭う?」と返しながら、マーサの腕越しに自分の両肩回りなどを嗅いでみる。

 首を傾げる私に近付いて、仕着せに顔を寄せて鼻呼吸をするソフィ。


「…………くっさぁ!」


 仰け反るほど臭いらしい。


「ミア着替えてきなよ。てか、仕着せ今ここで洗ったげる」


「洗い替え持ってない」


「私の貸すよ」


「ソフィのは丈が足りない」


「……私のは?」


「マーサのは尻が大きすぎる。エマのは胸が……」


 ジトッと私を見ながら沈黙した三人。マーサは腕を私の首に回したまま、羽交い締めの態勢に入った。

「だったらシュミーズ一枚でいなさい!」と、ソフィとエマに仕着せを力ずくで脱がされた。


 本当にシュミーズ一枚にされて放り出されたところで、上からバサっと黒いスカートを被せられた。

 私を、スカートから頭だけ出した間抜けな格好にさせたのは、ライラだ。


「………ライラのは、丈も違うし、腰回りなんて無理なんだけど」


「それ、サラのよ」


「貸してあげるから、この臭いの洗うよ」


 いつの間にか私の着ていた仕着せを抱えていたサラが、そう言った。


「いや、でも……」と私が口籠る。

 明日もエリアス様の肌着を洗うのだ。今仕着せを洗っても明日の朝には乾かない。

 まさかサラの服を着て行くわけにもいかない。


「じゃあ、上着と一緒にその服買い取って」


言いながら、サラは私の仕着せをタライに放り込み、水をぶっ掛ける。


「エプロンは洗い替えあるでしょ。その服にエプロンすれば、仕着せと同じでしょ。

 支払いは、その居館の仕事が終わった後でいいから。着古してるから、安くしとく」


 そして、ニコッとサラが笑った。


「あと、前金代わりに、次、夕食に腸詰が入ってたら、私にちょうだいね」


「ちょっと、サラ! あんたは昨日の夕食いたでしょ! わたしたち腸詰なんて見てもいないのよ」


「そうよ! ミアなんて朝食も抜いてるのよ」


「あ、いや。朝食は……」


「あんたたちこそ、昨日の惨状を知らないから言えるのよ。私だって、昨日は腸詰にありつけなかったんだよ。

 昨日の夕食用意したの誰だか知らないけど、量があるからって見栄え良く大ぶりに切るから戦闘激化して、ほんっと酷い争いだった。

 てことで、腸詰よろしく」


「ずるい! そんな着古しでいいなら、私のを着てって」


「だから、ソフィのは丈が……」


 ………相変わらず、洗濯場は賑やかだ。


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