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 ノルデン公爵オスワルド・モンドシュタイン。

 代々、大聖堂から白い魔法遣いの称号を得るノルデン公爵。中でも、オズワルドは、歴代最強ともいわれる北方の雄である。


 彼の元には二人の女性が嫁ぎ、それぞれ一人ずつ子を成した。


 一人目の妻、リーゼロッテ・ローゼンクヴァルツは、南方に交易路を持つズューデンマルク候爵レオンハルト・ローゼンクヴァルツの娘である。

 ローゼンクヴァルツの輝石とも称される美貌と、大聖堂の賢者が認めた才能の持ち主だった。

 夫オズワルドが、リーゼロッテは自分の半身だと周囲に言う程、仲睦まじい夫婦だった。

 やがて、リーゼロッテが身籠り、生まれた子が、モンドシュタイン家長女パトリツィアである。父の才能と母の美貌を受け継いだ、完全無欠の公爵令嬢。

 パトリツィアの誕生にサニス中が喜び、そして同時に深い悲しみに包まれた。

 リーゼロッテが産褥熱により亡くなったのだ。


 二人目の妻、アンネマリー・ローゼンクヴァルツは、リーゼロッテの妹にあたる。

 リーゼロッテに似た容姿の、美貌の持ち主だ。

 誰もが思った。アンネマリーは、リーゼロッテの代替なのだと。もちろん、アンネマリー本人もそう思った。それでも妻となったからには、妻の務めを全うし、夫を愛する努力をした。

 アンネマリーは身籠り、そしてエリアスを産んだ。

 男児の誕生に、サニスの街は再度湧いた。


 アルテリアの貴族は、原則、男系継承である。よって、継嗣はエリアスとなる。

 ただ問題もあった。

 エリアスは、病弱で、父の才は受け継いでいなかった。更には、魔法遣いでもなかった。


 一時、オズワルドは、エリアスは自身の子ではないと言い出した事もあった。

 アンネマリーの実家ローゼンクヴァルツ家の取り成しによって、大聖堂の大賢者からオズワルド・モンドシュタインの子であると証言を貰うことで解決したが、未だにエリアスとパトリツィア、どちらが公爵家を継ぐのか意見が別れている。




「お家騒動の真っ只中ってことですね」


「そういうこと」


 私の結論に、ネッサは深く頷いた。


 居館の使用人階。

 家政婦長マダム・ハウライトの事務室である。


 懲罰部屋に連れて行かれるのかと思ったが、違った。

 事務室の椅子に座っている。目の前の大きなテーブルには、茶まで用意されている。


 茶器を差し出された時、遠慮なく口を付けた。

 それを見てマダム・ハウライトが片方の口角を上げて嗤った。


「よくまあ、この部屋で、呑気に茶を飲めること。

 ほとんどの女中は手を付けないのよ。毒が入っていると思われてるのかしらね」


 白髪の混じったブルネットに、冷たい雰囲気の細面。若かりし頃は凛とした雰囲気の美人と持て囃されたであろうマダム。冷酷無比な視線は未だ健在である。


 せっかく淹れてくれた茶を冷めないうちに飲んで何が悪い。

 そう思ったが顔には出さなかった。

 いや、出ていたかもしれない。

 ネッサが横で、頬を引きつらせていたから。


「まったく。あなたは主家のことを知らな過ぎるのよ」


 ノルデン公爵モンドシュタイン家の状況をざっと早口で話し終わったネッサは、口が疲れたと言わんばかりに溜息をついていた。


「モンドシュタイン家のお家騒動と、私がエリアス様のお召し物を洗濯することと、何か関係があるのですか?」


 そう。

 ここに呼ばれた理由は、私がエリアス様のお召し物を洗うことになったためだ。


「だから……」


「仕方ないでしょう、ネッサ」


 再度盛大なため息をついたネッサの言葉を、マダムが遮る。


「忌まわしい炭焼きのもとに生まれ、村からも疎まれて育った子です。人の言葉が理解できなくて当然よ。

 本音を言えば、おまえのような穢れた者が、公爵家に連なるお方のお召し物に触れるなど、許可したくはないのよ。しかし、かの御方の希望で、仕方なく許可するのです。

 くれぐれも、言動には気を付けなさい」


 散々な言い様だが、マダムの態度は通常運転だ。


「要するに、黙って話を聴けと言うことよ」


「………はい、申し訳ありません」


 マダムは、私の顔を見たら、盛大に嫌味を言わないと気が済まない性質なのだ。


「ここまでは、下級女中も、城に出入りする業者も、噂好きの人間なら知っていることよ。

 ここから先は、一部の使用人しか知らない、モンドシュタイン家の内情よ。

 分かっているわね」


 ネッサが、前置きをする。

 公爵閣下やそのご家族の生活に関する事柄は、下級使用人には、あえて知らせない。

 理由は簡単だ。誰かに喋るから。

 とりわけ、身体や健康状態に関する事は、絶対に話してはならない。


「エリアス様は病床に臥せておられる。ここ数年は、寝室から出られたことはないわ」


「………まあ、そうでしょうね」


 病弱って言っていたのだから、そうでしょう。

 相槌を打ったら、マダムに睨まれた。


「公爵夫人は、エリアス様を大変可愛がっておられて………ずっと自分の側にいて欲しいと言うか……溺愛されているのよ」


 ネッサの口から恋愛劇の台詞のような単語が出てくることに驚いた。

 おそらくは、ネッサでなくとも溺愛としか表現できないのだろう。


 公爵夫人などと言う高貴な方の心情を私が推し量るなんておこがましいと言われるだろうが、それはさておき、その行動原理は理解できる。

 夫は前妻を未だ愛していて、自分はその代替品。前妻の忘れ形見は誰もが認める完璧な娘で、跡継ぎのはずの自分の息子は夫に認められず突き放されて。

 息子の味方は自分しかいない。自分の味方は息子しかいない。

 溺愛というか執着というか。


「公爵夫人は少し過敏になっておられて、……パトリツィア様がエリアス様を害そうとしていると思われているのよ。

 乳母や看護女中でさえ、エリアス様から遠ざけて、世話すらさせない」


「え?」と声が出てしまい、またマダムに睨まれた。

 お家騒動の最中の病床の我が子の周囲を、母親が疑心暗鬼になるのは当然だが。

 なら、誰がエリアス様の世話をしているのだろうか。


「エリアス様の御学友ノア様は知っているわね。

 エリアス様の身の回りの世話は、公爵夫人自らなさっているわ。公爵夫人の手の回らないことは、ノア様が手伝っているわ。実際は、ほとんどだろうけど。

 エリアス様のお部屋に入れるのは、公爵夫人と、ノア様、それと家庭教師のグライフ様の三人だけ。

 洗面桶の用意ですら、公爵夫人が信頼している限られた女中しかしないわ」


 貴族の女性は、自分の身の回りのこと一切を、侍女にさせる。自身の着替えはおろか、髪の毛すら梳かしたことはないだろう。そんな人が、子供の身の回りの世話など出来る訳もなく。

 しかし、病児の世話を、子供にさせているとは。


 あの日、城から出たことがないと言っていた坊ちゃまの、寂しそうな笑みを思い出して、胸が痛くなった。

 私はあの時、坊ちゃまになんと言ったか。

 無神経なことを言ってしまったかもしれない。


「公爵夫人のスカーフを洗ったそうね」


 片方の口角を上げて、マダムが言った。

 坊ちゃまに想いを馳せていた私の意識は、マダムのその嘘っぽい笑みのせいで現実に引き戻され、そして、全てを悟った。


「汚れてしまった時は悲しまれていたけれど、昨夜は、とても綺麗になったと喜ばれていたわ。

 それで、おまえに、エリアス様のお召し物を洗わせることを、公爵夫人が望まれたのよ。

 病床にあるとはいえ、いずれ公爵となられる方のお召し物です。

 心して洗いなさい」


 洗濯婦が、危険な労働と言われる理由は、水仕事で手が荒れるからではない。

 他人の糞尿や吐物で汚れた服を洗うため、洗濯婦は病気になりやすい。糞口感染の病気であれば、必ず感染ると言っても過言ではない。


 マダムは、スカーフが認められたことを褒めたわけではない。


 病人の服を洗うよう言ったのだ。


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