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「洗濯石鹸じゃなくて、オリブ石鹸使うとか」


「石鹸草を使ってみたら」


「だったら卵の黄身は? 臭いが気になるか。あとは、扁豆とか五月芋の煮汁。皿洗いに使ったりするし」


「万年香の化粧水を加えるのはどう?」


 思いつくまま洗濯女中五人で口々に言う。


 オリブ油を水に馴染ませることだけを考えると、石鹸を水に溶かすのが最善だ。

 とは言え、石鹸の原料は灰。生地を傷める可能性がある。

 洗濯石鹸のような獣脂ではなく、オリブ油が使われているオリブ石鹸であっても同じだ。

 その点、石鹸草を使えば、生地を傷めることはない。そもそも石鹸草の煮汁は、傷みやすい生地の洗濯に使われているのだ。

 だが、オリブ油を馴染ませる作用は、ほぼ無いと言ってもいい。


 それから、卵の黄身。ソフィの言う通り、油馴染みは良いが腐敗臭が残る。何より固着作用が強いので、肌に用いるならまだしも装飾品に用いるのは避けたほうが良いだろう。

 扁豆や五月芋の煮汁は、油馴染みも良く、調理場では皿洗いに使われる事もある。洗浄力は期待できないが、オリブ油を馴染ませることが目的と考えると試してみる価値はありそうだ。


 そして、万年香の化粧水。

 万年香と呼ばれる薬用灌木の葉を、蒸留酒に漬け込んだ所謂チンキである。

 巷で手に入るのはチンキだが、高級な化粧水はこのチンキをさらに蒸留した酒精が使われる。

 確かに酒精は油を溶かすと言われるが、オリブ油を馴染ませるまでではない。

 とは言え、補助的に混ぜて使うことはできるだろう。


「オリブ石鹸は洗濯婦長が使われていたと思いますが、化粧水は使われていないかと」とマリア嬢も身を乗り出して言う。


「なら、化粧水をオリブ石鹸に混ぜる、あるいは、五月芋の煮汁に混ぜる。それで、まずやってみようよ」


「お持ちするものを確認いたします。

 オリブ油、オリブ石鹸、………林檎酢も必要でしょうか」


 マリア嬢は、自身のポケットから小振りの蝋板を出し、洗濯女中たちを見ながら、必要な物を書き込んでいく。


「ご用意頂けると助かります。

 既に婦長が林檎酢を試していたとしても、石鹸使うなら、ゴワつき防止に使った方がいいと思う」


 ソフィの言葉に、洗濯女中たちは確かにと頷く。

 酢を髪の手入れに使うのは、石鹸で洗った後のきしみを改善させるのが目的だ。なので洗濯でも、洗髪の時と同じく、石鹸水を使用した後の濯ぎの際に使う想定である。

 そもそも、石鹸を中和させる作用であれば、酢でなくとも柑橘類の果汁でもいいだろう。


「柑橘類ーーー甘橙あまだいだいの皮!」


 思い至った結論に、声を張り上げる。

 自分の頬が紅潮するのがわかった。それは、体の奥底から、気泡が湧いて出たような感覚だった。

 思わず、マリア嬢の両肩を勢いよく掴んでいた。


「温室に植わっているんですよね、甘橙!」


 私の奇声と圧力に圧倒されて、尖筆と蝋板を持ったままマリア嬢が固まっている。


「まだ青くても良いので、甘橙の実を使わせてください!」


 ガクガクと肩を揺さぶられて、マリア嬢が「甘橙、ですね……」と狼狽えつつも正気を取り戻した。


「甘橙の果実は公爵夫人の好物でもありますので、温室では、常に熟れた果実が収穫できるよう手入れされております。

 ですが、こちらにお持ちすることは………」


「果皮だけでいいので! 果汁を搾ったあとの皮だけで構わないんです。果肉もなくてもいいので、果皮をください」


 私の勢いに流されつつも、「わかりました。確認します」とマリア嬢が気丈に答えた。


 何とかなるかもしれない。

 私は口角を上げて四人を見た。

 不気味な笑顔だったのは認める。

 だからって、そんな目で見ないでほしい。


 私の握力から解放されたマリア嬢は、這々の体で必要な物を再度確認すると、ベルを鳴らして小間使を呼んだ。



 我ながら、甘橙は良く思い付いたと感心してしまう。

 酢の代わりに柑橘の果汁を使うことも然ることながら、柑橘の皮には油を溶かす成分が含まれている。これは石鹸水の代わりに使える。


「だから、あんた、女中の常識を知らないのに、何でそういうこと知ってるのよ」


「まあ、ミアだからね。仕方ないよ」


 ライラとソフィに言われた。

 仕方ないって何だ。

 マーサもエマも頷かないでほしい。


 五月芋の煮汁と甘橙の皮の用意には少し時間がかかるとマリア嬢に言われ、休憩がてら、部屋の隅に屯って、洗濯女中五人で焼き菓子を齧っている。


 ちなみに、この焼き菓子は、マリア嬢からの差し入れだ。

 私たちが朝から何も食べていないことを知って、自分の部屋に置いてある菓子をこっそり持ってきてくれた。


 マリア嬢が不在の隙に、五人で逃亡しようかなんて話し合っていたことは、彼女には内緒である。

 焼き菓子なんて下級女中には貴重な物である。

 最早、マリア嬢に砂をかけることなどできやしない。


「だけど、よく知ってたね。温室に甘橙があるって」


 マーサが、食べきった焼き菓子を惜しむように、指についた屑のような破片を口に入れながら言う。


「昨日、家庭教師が言っていたのを思い出して」


「………家庭教師?」


「私の髪色、甘橙の色だって言っていたでしょう。その時、温室に甘橙があるって」


「昨日………」と四人が記憶をたどるように上を見ながら頷く。

 と、そのまま固まった。


「………………家庭教師、なの? あの人」


 ネッサから彼の正体を聞いていなかったのだろうか。

 驚愕と絶望、焦りと不安。四人一様に顔面蒼白だ。


「あー、でも、魔法遣いではないって婦長が言っていた」


「………そう言う問題じゃないわよ」


「魔法遣いではない家庭教師って。………まさか」


 安心材料をあげてみたが、効果は薄かった。

 ライラとエマに至っては、その先に思い至ったようで、ますます顔色が悪くなった。


「そう。………エリアス様の家庭教師」


 マーサとソフィも口元が引き攣っている。

 話が聞こえたのか、背後で、マリア嬢が息を呑んでいる。


「ごめん、めちゃくちゃ偉い人に喧嘩売ったみたい。って、謝って済む話でもないんだけど。

だけどさ、洗濯場にまでカチこんでくるなんて、大概だと思うんだよね。家庭教師って暇なのかなって……」


 罪悪感に押し潰されて、堪らず軽口を叩いてしまう。

 気まずくなって自ら笑ってみたが、誰も反応してくれない。それどころか、目も合わせてくれない。

 なぜか四人とも項垂れている。


「何か、御用でしょうか? グライフ様」


 背後で、マリア嬢の強張った声がして、振り返った。

 小間使から受け取った甘橙の皮の入った桶を抱えながら、マリア嬢が引き攣った笑みを向ける先。

 昨日の薄灰色の髪の男性使用人、つまりは御継嗣様の家庭教師がいた。


「相当疲れてるみたい。幻覚が見える」


「……幻覚じゃないわよ、ミア。そうであって欲しいのは同感だけど」


 小声でそう言うライラを見て、ただ項垂れているだけじゃないことに気付いた。

 四人とも片足を引いてお辞儀をしている。

 私も、皆に習って、家庭教師に向けてお辞儀をした。


「甘橙の果皮を何に使うか、気になったもので。

 畏まらなくていい。ただの、暇潰しだ」


 厭味ったらしく言う。

 噂をすれば影がさすとは言うが、こうもあからさまだと、どこかで機会を伺っていたのではないかと勘ぐってしまう。


「灰で煮込まれた布についても、全て承知している。

 私が、ローテヒューゲル夫人に、洗濯女中に炭焼きの娘がいることを伝えたのだから」


 机に広がっているスカーフに目をやり慌てるマリア嬢を、手で牽制する。

 冷たい琥珀色の眼が私を捉え、嗤っている。

 機会を伺っていた説は濃厚である。この部屋で私たちがボロボロのスカーフ相手に四苦八苦しているのを、この家庭教師は知っていたのだ。

 そして、私に失態の責任を負わせて、首を刎ねようとしている。


 未だに間諜だと本気で思っているのか。勘違いも甚だしい。

 とは言え、本気で間諜だと思っているのなら、マダム・ハウライトにタレこめば済む話だ。

 そもそもマダムは私の生まれも育ちも既知なので、間諜などとホラを鵜呑みにすることはないのだが、懲罰部屋経由で解雇されることは確実である。

 それをしないということは、解雇ではなく、よっぽど首を刎ねたいのだろう。

 最早、私が間諜であるかどうかは関係なく、賤しい出自の下級女中が、地位ある己に歯向かったことに対する処罰感情か、あるいは報復か。


 そうだった。この男が、弱い者イジメをして愉しむクソ野郎だったことを思い出した。


「昨日は、大変失礼いたしました。謹んでお詫び申し上げます。

 差し出がましいようですが、一点、訂正させていただきたく存じます。

 洗濯女中に炭焼きの娘はおりません。いるのは、炭焼きの孫でございます」


 私は顔を上げ、家庭教師を見た。

 ハハッと家庭教師が嘲笑うが、構わず続けた。


「私の祖父は、炭焼きを生業としておりました。老いた身でありながら、その技で幼い私を育ててくれたこと、私は祖父とその技とその生業に誇りを持っております。

 そしてまた、私にも父と母がおります。炭焼きの技を継ぐことなく祖父の元を去りましたが、二人なくして私はこの世にはおりません。

炭焼きの祖父と、父と母がいたからこそ、私がいるのです。


 ですので、炭焼きの娘ではございません。炭焼きの孫と、恐縮ではございますが、正確にお伝えしたく存じます」


 炭焼きは賤業だと人は言う。だから何だ。

 炭焼きを馬鹿にするな。暗闇に立ち上る炎の美しさを知りもせず、何故に忌み嫌うのか。

 込み上げる怒りをぶつけた。

 祖父の生業を軽んじる、この男への、ひいては彼ら支配階層への怒りを。


 要するに、ムカついて、意地になって、捲し立てたわけだ。

 また余計な事を言ってしまった自覚は、一応はある。


 家庭教師の琥珀色の眼は、相変わらず冷たい。

 激情に駆られた私と違い、怒気もなければどちらかと言えば、寒々しいほどに空虚な眼差し。

 価値のない物を見るような、そこに価値を見いだせないと言わんばかりの眼。


「訂正を受け入れよう」


 それだけ言って、家庭教師は私から顔を背けた。

 それは、決まり切ったことしか言わない仕掛け人形に飽きた子どもか、或いは、興味が失せたと道化を路端に打ち捨てる不届き者のようであり、家庭教師自身の発言とは裏腹、訂正など毛頭ないと言わんばかりの態度だった。


 それはそれで構わないし、むしろ、偉い人からこれ以上の関心と言うか不評を買わずに済むことは甚だ嬉しいのだが、何故か無性に腹が立つ。

 自分だけが腹立つことが馬鹿らしくなって、また腹が立つ。


 ふんすふんすと鼻息荒くしていると、後ろから四人に引っ張られた。

「とりあえず、こっち来なさい」とライラに言われながら、部屋の壁際に追いやられ四人に囲まれ、カッと見開いた目で詰め寄られる。


「よく言ったと言ってあげたいところだけど。時と場所と場合を考えようか」


「ミア、あんた今、首の皮一枚なの、わかってる?」


「ああいうのは、吠えれば吠えるほど付け上がるよ」


「どうしても口が開いてしまうなら、さるぐつわを嵌めるといいわよ」


 最後のはエマだ。フフフと笑いながら、ポケットから手巾を取り出して、優雅な指使いで結び目を作り始めたので、私は丁重に断った。


「あの家庭教師が元凶でクソなのは十分理解したよ。気に食わないから首を刎ねろなんて、おとぎ話の悪役のやることだよ。

 目にもの見せてやる」


 ソフィがギリギリと奥歯を噛み締めながら腕組みをし、威嚇する猟犬のような目で家庭教師を睨む。


「コテンパンに染み抜きするしかないね」


「命乞いしたって許してやらない」


「ローテヒューゲル夫人が感涙にむせぶくらいに、仕上げてやるわよ」


 マーサとエマ、ライラが、それぞれ自分の世界に入りつつ冷たく嗤う。


「洗濯女中をナメるなよ」と四人が四人、殺気とも呼べるであろう冷気を発しながら、家庭教師を凝視していた。


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