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 洗濯女中は、城内の洗濯を担っているのだが、洗濯しないものが一つある。

 公爵閣下とその家族の衣服、及び身に付ける装飾品である。

 洗濯女中が洗濯しない一番の理由は、盗難の防止である。つまるところ洗濯女中が信用できないということでもある。


 では、誰が洗濯しているのかというと、洗濯婦長その人である。物によっては、近侍や侍女が洗っていたりもするらしい。


 このシルクのスカーフ。

「誰の物」とマリア嬢は言わないが、持ち主の見当はつく。

 金糸の刺繍。灰で煮込んでも変色していない。つまりは、純金が使用されているということだ。

 そして、薔薇のモチーフだ。

 末端の洗濯女中である私ですら知っている。公爵夫人の実家ローゼンクヴァルツ家の象徴である。


 何らかの理由で葡萄酒の染みを作ってしまったために、あのリーリエと呼ばれていた侍女が洗濯したのだろう。

 そして盛大に失敗した。


 マリア嬢曰く、ネッサが手を付ける前は、もっと酷い状態だったらしい。

 刺繍もほつれがあり、生地ももっと引き攣れていて、見るも無惨な物だったようだ。

 ネッサが何をどう施したのかは分からないが、少なくとも刺繍と生地のほつれは、見違える程、綺麗になったらしい。


 初めからネッサが洗濯していれば。

 スカーフを汚した事を洗濯婦長に知られたくなかったとか、色々と侍女は侍女で事情があるのかもしれないが、ここまで取り返しのつかない事態にはならなかったはずだ。


 それは今、誰しもが思っていることだろう。


「それで、ローテヒューゲル夫人は、どこが納得できていないんでしょうか?」


 スカーフの置かれたテーブルを、洗濯女中とマリア嬢の六人で取り囲み、頭をつき合わせている。


「それを私に問われましてもお答えできません。ローテヒューゲル夫人ではありませんので」


「…………教えてもらえなかったんですね」


「でしたら、元のスカーフと大きく異なっているところはどこです?」


 ちなみに、マリア嬢は、初め五人の輪から少し離れたところで質問に答えていたのだが、その度に振り返るのが面倒になったマーサとソフィに両脇を固められ、今にいたる。


「細部は分かりませんが、まず形です。正方形でした。

 あとは、光沢です。遠目で見ても分かるくらい、生地に輝いているような光沢がありました。

 それから、私は触れたことはないので分からないのですが、公爵夫人は………あ、いえ、持ち主の方は………あ! えっと……」


 はっと顔を上げ、あわわとマリア嬢が口元を押さえる。


「そこ取り繕わなくて大丈夫です。スカーフの持ち主が公爵夫人だと、分かってますから」


「…………公爵夫人は、こちらの肌触りを大変気に入ってらっしゃるようでした……」


 眉間にしわを寄せてマリア嬢が消えそうな声で言う。


「形、光沢、肌触りの改善ってところか……」


 五人で「うーん」と唸る。

 シルクが、シルクたる所以のところである。


「形は、どうにかなりそうだけど。問題は、光沢と肌触りかしら」


「いやいや、形も相当難しいよ。婦長が手を加えて、この形でしょう? あの超絶アイロン遣いの婦長が諦めたんだよ」


「確かに」


「だったら尚更、考えても仕方ないんじゃない? まずは光沢と肌触りを戻す方法を考えよ?」


「それは、一つ案があって。………婦長が既に試してるかもだけど」


 五人の視線を一身に受ける中、私はマリア嬢を見た。


「公爵夫人の、お肌か御髪の手入れに使う物を、お借りすることはできませんか?」


「それは………」とマリア嬢が口ごもる。


「公爵夫人がお使いの物を、許可なく持ち出すことはできかねます。

それに、許可は頂けないかと。………公爵夫人は、ご存知ではありませんので」


「ああ」と五人が相槌を打った。

 スカーフの惨状については、まだ公爵夫人に報告してない。ローテヒューゲル夫人が預かっている案件と言うことか。


「ローテヒューゲル夫人が持ち出すこともできません」


 最善案が崩れて項垂れる私の肩を、ポンとソフィが叩いた。


「肌や髪みたいに、スカーフを手入れするんだね。だったら、公爵夫人の物である必要はないんじゃないの?」


「上等な物を使ってるだろうと思ったんだけど………」


「だったら、侍女様の私物でもいいんじゃないかしら。お借りできますか?」


「林檎酢と、オリブ油でしたらお貸しできます。オリブ油は、ローテヒューゲル夫人も使われてます」


 マリア嬢が少し得意気に言う。

 髪の手入れに酢を使うのは定番である。しかも穀物酢に比べて香りが良いと言われる林檎酢。

 そして何より、オリブ油。サニスを含め北部地域では滅多にお目にかかれない品である。


 顔を上げた私を含め五人が「おお」と感嘆する。

 侍女がオリブ油なら、公爵夫人はどんな品を使っているのか、気になるところでもあるが、それは尋ねても答えてくれないだろう。


 洗濯女中五人で盛り上がっているところに、水を差すように「あ」とマリア嬢が低い声を零した。


「林檎酢とオリブ油は、既に洗濯婦長が試されているかと思います。

 作業される前に、肌や髪の手入れに何を使っているか、尋ねられていましたので」


「………………それは、婦長試してるだろうね」


 林檎酢とオリブ油を使って、この状態なのか。

 五人同時に「うーん」と唸ってしまった。

 先ほどよりトーンが低く、表情も厳しい。


「…………リチネ」


 下を向いたまま、私は小さく言う。

 洗濯女中四人が小さく息を呑む。


 夜な夜な使用している、規格外な価格の青の小瓶。保湿効果は抜群だ。

 霊薬とも呼ばれるリチネ。手荒れに使うことすら絶句されたのだから、洗濯に使うなんて言い出したら、失神されるかもしれない。

 とは言え、命懸けなのだ。

 恐る恐る四人を見た。


「あれを使えば」


「ミア………無理だよ。ここには持ってこれない」


 ソフィが、厳しい顔で首を振った。ライラも同調するように厳しい顔だ。

 そんな高価なものを使うなんてと言う理由ではなさそうだ。

 私が頭上に疑問符を浮かべていると、残り二人も、眉間にシワを寄せて渋い顔をしている。


「だったら……ローテヒューゲル夫人は、リチネを常備していたりしませんか?」


「常備しておりません。……………薬のリチネのことですよね」


 マリア嬢が、内緒話をするように私に顔を近づけ、声をひそめる。


「屋敷内の薬品は、全て、家政婦長の管理下にあります。

 公爵夫人の侍女であろうと、家政婦長以外の使用人が薬を保管することは禁止されています。………洗濯女中も、例外ではありません」


「洗濯場の屋根裏部屋にありますよ」なんて野暮な発言はしない。

 心の中では、大いに叫んだが。

 洗濯女中四人にぐるりと目を向ければ、一様に視線を外された。


 安全を確保するために危険物を持ち込まない。

 言われてみれば当然の決まりである。

 薬と毒は表裏一体。異物混入の可能性を考えれば、故意だろうが過失だろうが関係なく、所持しているだけで処罰される。

 洗濯場の倫理観が甚だ欠如しているということがマリア嬢に知られてしまった。

 マリア嬢の表情を見るに、分かり切ったことと言わんばかりであるが。


「ミアは、ずっと洗濯場だから知らないかもしれないけど、居館には、薬を持ち込んだら分かる魔法がかかってるのよ」


 ライラが厳しい顔で言う。


 魔法か。

 神々に選ばれた者のみに与えられた特別な力。私は実際に魔法を見たことがないから、言葉でしか知らない。

 魔法がかかっていると言われても、実感は全くない。


「本当よ。

 掃除女中の頃だけど、同室の子が媚薬を持ち込んだけど、すぐマダムに見つかったもの。

 懲罰部屋に連れて行かれて、そのまま戻ってこなかったわ。仕事の出来る子だったのに……」


 エマが遠い目をしながら言う。


「媚薬って、緑甲虫の粉末だったら暗殺で使うくらいの劇毒だよ」


 ギョッとエマが私を見た。


「エマも気を付けて」


「………あんた、女中の常識を知らないのに、何でそういうこと知ってるのよ」


 エマが、媚薬を持っていないとも言い切れない顔をする。

 洗濯場は、居館から離れているから、目溢しされているのだろう。


「とにかく、居館内には、リチネを持ち込むことはできません。

 また、こちらを洗濯場に持ち出すことも、できないとお考えください。魔法がかかっております」


 またしても魔法。

 私のような出自の低い者には無縁であり、絶対に太刀打ちできない。決して歯向かってはいけない存在。

 それが魔法であり魔法遣いである。


 ネッサは、洗濯婦長として打てる限りの手を打った。私が思いつくことくらい、ネッサだって思いついていた。

 自分は、特別ではないと思い知らされた。


 多少は頭と口が回るからと、ここまで生き残れただけなのだ。所詮は、賤しい炭焼きの生まれなのである。


 頭を抱えている私に、マーサが「ねえ」と首を傾げて尋ねる。


「布にオリブ油塗ったら、シミになるよ?」


 突然話が変わった。


 とは言え、マーサの言う通り。

 肌や髪のように、油をそのまま布に塗ったらシミになる。

 シルクなら尚更。油シミは厄介な汚れだ。


「ああ、それは」と私は、頭を抱えた注意散漫な状態のまま、マーサに解説した。


「石鹸を溶かした水を使うんだよ。

 石鹸があれば、油は水に馴染む。その馴染んだ物をさらに水で薄めて、漬け置きする。

 婦長もそうやってオリブ油で生地を手入れしたんだと思う」


「だったら。そこを考えよ?」


 そこ。

 顔を上げた私に、「大丈夫。まだ道はあるよ」とマーサが微笑んだ。

 石鹸以外でオリブ油を馴染ませるなら。

 何を使ったら―――と、記憶の底に両手を突っ込み上へ下へと引っ掻き回す。

 再び頭を抱えそうになったが、すぐに我に返って、一旦思考を静止させた。


 ネッサは五人で行けと言った。

 自分一人は特別ではないけれど、五人集まれば打開策もあるはず。


「…………うん。そうだね」


 私はマーサに笑い返した。


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