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Underground   作者: マン太
第2章 転機

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8.邸

 使用人が控える玄関ピロティ―から中へと入る。

 彫り物が施された分厚い扉の向こうには、華美すぎない程度に飾られた空間が広がっていた。それでも、天井や床板、壁にも凝った意匠が施されている。さりげなく飾られた絵画や調度品も、皆、高価そうなものだ。

 初老の執事が進み出て、カイルの側に付く。カイルはこちらに視線を流し、


「私の書斎で話そう」


「はい…」


 執事が僅かにこちらに目を止め、少しだけ見つめたあと、こちらへと促した。

 僅かな間を不審に思ったが、気に留めず共に先に行くカイルに続く。きっと、こんな子どもの来客が珍しいのだろう。

 ぼんやりと、気力の失せた目で、先を歩くカイルの背を見つめる。なぜ、カイルはここまで親切にしてくれるのだろう。


 ──自らの邸に招いて、わざわざ話を聞くなんて。


 確かに帰る先を失った、かわいそうな少年ではある。不憫に思うのは頷けた。けれど、見ず知らずの者に、ここまで丁寧に対応するだろうか。


 ──普通じゃありえない。


 せいぜい、良くてユージンのしたような扱いだ。あれでもここでは、十分な世話をしたことになるのだろう。

 だいたい、ユージンの場合はヒロを助けることで、報酬を得ようとしていたから面倒を見たにすぎない。けれど、カイルは違う。

 奥貫が珍しいと言ったくらいだ。何かしら理由があるのだろうが、今のヒロには知る術はなかった。 


 ──僕は、どうなるんだろう?


 不安は増すばかりだ。ユージンのところにいた時とは違った不安だ。カイルからは、底知れぬ恐怖を感じる。ユージンは思っていることが、全て表に出ていたが、カイルはそれがない。得体の知れなさがあった。


 ──ユージンはどうしているのかな。


 さすがにヒロの不在に気が付いているはずだ。捜しているだろうか。それとも、多少痛い目を見たものの、厄介払いできたと喜んでいるのか。


 ──きっと、喜んでいるんだろう。


 元々、ヒロから得られる報酬は期待できないと落胆していた。いなくなったからといって、躍起になって捜すことはしないだろう。そう思うと、なぜか胸が痛んだ。

 

 そうして、カイルに連れられ、二階にある書斎へと向かう途中、突然、廊下に面した扉が開いた。驚いて足を止めると、中からひとりの青年が転がるように飛び出してくる。


「あ─…」


 青年は自分より少し上くらい。殴られでもしたのか、パッと見でもかなりの美貌と分かる顔の右半分が腫れ、口の端が切れ血が滲んでいた。服も随分乱れている。


 ──ひどい…。


 手を差し伸べようとすれば、


「おら、逃げんなっ!」


 すぐに中から人が出てきて、飛び出した青年の胸ぐらを掴むと、ふたたび部屋の中へと引きずっていった。声をかける間もない。別の男がカイルに一礼し、それでドアは閉まる。

 カイルは何事もなかったように微笑を浮かべると、


「すまない。驚かせてしまったようだね?」


「い、いえ…。──その、今のは?」


「ああ、彼はつい先日まで私の従者だった者だが、手癖が悪くてね。多少なら見逃していたんだが、一線を越えてしまった。──一番、触れてはいけないものに手を出したんだよ。それで、今は懲罰中だ」


「…触れては、いけないもの?」


「そう。あろうことか、私がなにより大切にしている指輪を盗み、売ろうとしたんだ。──なに、物としてはそこまで高価じゃない。売ったところでたいした額にはならないだろう。──けれど、そこが問題じゃない。これは、とても尊敬していた人からもらったものでね…」


 そう言って、左手を掲げて見せた。

 ほっそりとした白い人差し指に翡翠の指輪が嵌っている。透き通った緑の石は小さいが光を反射して光って見えた。先ほども目にしていたものだ。


「こうして普段は身に着けているんだが、公的な場で人と会う約束があって、暫く外していたんだ。その隙に彼は盗んだ。売り飛ばす前に分かってよかったよ…」


「あの、さっきの人は──どうなるんですか?」


「盗みを働いたんだ。当然従者は解雇だが──このまま無罪放免というわけにはいかない。が、ほかで使うにしても安心できない。普通の職には就かせられないな…。臓器を売ってもいいが、容姿はそれなりにいいほうだ。贖罪が済んだのち、傘下の店で働いてもらおうと思っている。──が、どんな店かは聞かない方がいい。私も君には聞かせたくない」


 押し黙ってカイルを見やる。今までと同じように微笑むカイルが怖いと思った。冷酷な笑みだ。


「……」


 ふと、いつかのユージンの言葉が頭に浮かんだ。ボスに刃向かえばどうなるか。確かに今の所業を見ると、ユージンは寛大な方なのかもしれない。ユージンはここまでひどい目には遭わせなかった。


 ──僕は、とんでもない人物の所に来てしまったのかもしれない…。


 背筋に冷たいものが走った。


◆


「さあ、ここが私の書斎だ。──入ってくれ」


 言われて、開けられたドアの向こうの部屋を見渡す。磨き抜かれた床を、細やかな模様の入った濃いブルーの絨毯が覆っている。壁にはガラス扉つきの本棚が並び、そこに囲まれるように書斎机が置かれていた。邸の内装同様、華美すぎない、落ち着いた雰囲気の部屋だった。

 書斎机の手前にある応接用のソファへ座るように促され、戸口に近い方へおずおずと座る。

 途端に身体が半分以上沈み込み、思わず目を瞠ってしまった。今まで生きてきて、こんなソファに座ったことはない。

 すると、向かいに座ったカイルが微笑を浮かべつつ、


「──話の続きの前に、君に幾つか質問をしても?」


 帰れないと分かって、すっかり意気消沈していたヒロは素直に頷く。


「はい…」


「年齢や名前は奥貫から聞いたが。──君は今までどこに住んでいた?」


「…壁の──すぐ向こうにある、十七番地のアパートです。僕が五才の時に、母とそこへ引っ越してきて、それからはずっとそこで暮らしてました」


 住んでいた地区は、番地で区切られている。ヒロがいたのは中心街からかなり離れていて、その分、家賃も安く済んでいた。


「以前はどこに住んでいたかは?」


「わかりません…。小さかったし、母も言わなかったので…」


「ご家族は? お母さまだけかな?」


「…母は、僕が七才の頃、亡くなって。父親とはその前に別れたみたいです。母も詳しくは話してくれなくて...。顔は覚えていません」


「それから、ずっとひとりで?」


「…いいえ。──隣に住むケイに、面倒を見てもらってました…」


 ──ケイ。


 そこにキッチンでタルトを焼くケイの姿を見た気がした。いい香りと、こちらに振り返って、向けられた優しい笑みを。


「ケイ?」


 問いかけに我に返る。


「あっ…と、母と住んでいたアパートに後から引っ越してきた人なんです…。ケイ・ルグラン。とても親切で優しい男の人で…。母が亡くなった後、まだ若かったんですけど、僕の後見人になってくれて…。おかげで孤児院にいかずに済んだんです」


「──なるほど。恩人と言うわけか…。それは、彼も心配しているだろうね」


「…はい。あの…届け出がないと、どうやっても向こうには帰れないんですか?」


「ない限りは対応しない。これはあちらとの取り決めだ。例外はない。ここに住むものは、存在していない人間だからね…」


 いつかユージンが言ったのと同じだ。


「──じゃあ、やっぱりケイが届けないと…」


「帰ることはできないな」


 きっぱりと言い切る。


 ──もう、ケイとの生活には戻れないのか…?


 ケイが多額の報酬を用意できるとは思えない。

 あの小さなアパートの一室で、楽しく笑いあいながら過ごした日々は、二度と戻ってこないのか。

 涙が込み上げそうになって、唇を引き結んで堪えた。ここで泣くわけにはいかない。


「──しかし、別の手がないわけではない」


 思わず身を乗り出すようにして問い返す。


「本当ですか?」


 すると、カイルは笑みを浮かべ、


「君が私に仕える、という方法だ」


「…仕える?」


「そうだ。ちょうど、従者の席が空いたばかりだ。私のもとにいれば、あちらへ行く機会がないとは言えない。私は、仕事の用向きであちらへ行く機会も多いからな。そのどこかで、君を伴う機会も作れるかもしれない。──どうだろう?」


「……」


 それは、ありがたい提案だった。


 ──もしかすれば、ケイと会えるかも知れない。


 けれど、このカイルのもとに残るのは不安もあった。カイルはそんなヒロを見つめながら、


「──とりあえず、今はその傷を治すことが先だろう。私のもとで働くかは別にして、しばらくここで休養するといい。──彼を案内しろ。医者も呼んで手当をさせるように」


 カイルは執事に指示を出す。控えていた部下も直ぐに進み出て、ヒロを別室へ案内しようとするが、


「でも──待って下さい…っ! …そこまでしてもらう理由が──」


 すると、カイルは微笑を湛えたまま。


「私は慈善事業が好きでね。孤児院も幾つか営んでいる。こういったことも特別なことではないんだ」


「でも──」


「大怪我を負った君を放り出すことはできない。せめて、もう少し怪我が癒えるまで滞在してもらえないだろうか。でなければ、気になって寝るに寝れない。私のためと思って。──どうだろう?」


 ここまで言われて、否とは言えなかった。それに、未だ休養が必要なのは確かで。


「──わかりました。じゃあ、お言葉に甘えて…」


「よかった」


 微笑むカイルに、甘えついでにもうひとつ、願い出る。


「あのっ、その前に連絡したい所があるんですが──」


「連絡? どこへ?」


「…その、ここへ来る前、面倒を見てくれた人がいるんです…。彼に黙って抜け出してきたので、ここにいることだけでも、伝えておきたくて…」


 やはり、黙っているのは気が引けた。ユージンがどう思っているかは別にして、看病もしてくれた。命の恩人であることには変わりない。このまま何も知らせないのは、恩知らずというものだろう。

 しかし、カイルはああと嘆息したあと、


「ユージンだろう? それも奥貫から聞いている。連絡する必要はない。彼のことはよく知っている…。私から君の事は心配ないと報告しておこう。──部屋へ案内しろ」


 カイルの指示に部下が動くが、


「え…、って、ちょっと待ってくだ──」


「安心したまえ。悪いようにはしない」


 部下の男らに半ば強制的に連れ出され、書斎を後にした。配下の者たちは、みな屈強な身体つきで、抵抗などできそうにない。仕方なく大人しく男たちに付き従う。


 ──ユージンを知ってるって。どうしてだろう?


 単純に考えれば、カイルはユージンたちのボスだ。ユージンも知っていて当然なのだろう。でも。


 ──よく知っている、か。


 なんとなく、含みのある言葉に聞こえた。


◆


 言われて案内されたのは、さらに上階の廊下を暫く行った先の一室だった。


「──こちらへ。すぐに医者を呼びます」


 分厚い扉が開くと、そこは日の差し込む明るい部屋だった。

 中にはベッドと机、ローテーブルにソファーセットが置かれている。奥には浴室に続くドアがあった。淡いブルーと白で統一された室内は、居心地もよさそうで清潔だった。


「あの…、部屋から出たら──」


「ここでお待ちを。──では」


 念を押すように部下の男はそう言うと、外側から扉に鍵をかけ、出て行ってしまった。

 部下が去ったあと、一応、ドアノブに手をかけてみたが、それは半分まで回って止まってしまう。鍵がしっかりとかけられていた。部屋から出す気はないらしい。どうしてここまで厳重なのか。


 ──まるで、逃がしたくないみたいだ。


 それが不安をあおる。

 ケイに会いたいなら、カイルのもとで働くのが一番だろう。が、もし、彼の機嫌を損ねれば、先ほどの青年のようになりかねないのだ。思わず二の腕を抱えるようにして支えた。


 ──怖いな…。


 奥貫もひとの良さそうな笑みを浮かべていたが、このカイルと親しい繋がりがあると言う事は、普通の市民ではないのかもしれない。

 そういえば、こちらの地域には彼らの上に立つ者がいると言われていた。それはマフィアのボスと同じなのだと。


 ──カイルが、そうなのか。


 だとしたら、ここにいていいものか悩む。

 窓辺に寄って、眼下に広がる景色に目を向ける。広い敷地は高い塀に囲まれ、その向こうに土色の街が広がって見えた。

 さらに先に見えるのは、自分の住んでいた街とこちらを隔てる壁だ。それは高くどこまでも続いている。


 ──僕は、もう戻れないのか?


 あの向こうには、ずっと続くはずだった日常がある。それを高い壁が阻んでいた。


◆


 暫くして、部屋のドアをノックする者がいた。続いて年配の男性の声がする。


「失礼します。カイル様の指示で診察に参りました」


「…どうぞ」


 鍵が開けられドアが開き、護衛と共に頭髪の真っ白な初老の男が入ってくる。白衣を着ているところを見ると医者らしい。

 医者はローテーブルにカバンを置くとソファに座り、ヒロにも座るように勧めてきた。


「こちらに上を脱いで背中を向けて座っていただけますかな? 怪我の具合を診ましょう」

 

「はい…」


 言われた通り上に着ていたトレーナーを脱ぐと、大人しくソファへ腰かけ背中を向ける。

 手慣れた様子で医者は巻かれていた包帯を外していく。そうして、傷口辺りに当てられたガーゼを外した所で、


「──これは…」


 医者は言葉を失う。何事だろうと僅かに振り返り声をかけた。


「どうしたんですか?」


「…いや。──君、カイル様を」


 幾分緊張した声音の医者は、カイルの部下に声をかける。部下の男もヒロの傷口を見て何かを察した様で、すぐに踵を返し部屋を出ていった。


 ──なんだろう? 傷口になにかあったんだろうか?


「あの、どうかしたんですか?」


「いや…。傷は──綺麗なものだよ」


 それきり、なにも言おうとはしない。とりあえず、傷口を綺麗に洗浄しガーゼを貼り直すと、縫合は上手くいっていると教えてくれた。けれど、包帯までは巻かない。

 そうこうしていると、廊下の方が騒がしくなり、唐突にドアが開いた。カイルだ。


「あの…、何かあったんですか?」


 カイルはヒロの問いに答えず、真っ先にこちらへ歩み寄ると、ソファに座るヒロの背中に視線を落とし、そのまま、


「…この背中の印は──いつ?」


 そう尋ねてきた。尋ねられた意味がわからない。


「印? なんですか? それ…」


「君の傷の横に、六芒星の印──タトゥーが施されている…。君は知らなかったのか?」


「タトゥーって、刺青ですよね? し、知らないですっ! そんなの、入れた覚えないです!」


 驚いて背中を見ようとしたが、見えるはずもなく。ただ、引き攣れた痛みを感じて、背中を丸めただけだった。カイルはため息をつくと、


「これは──ユージンの印だ…」


「ユージン? 印って?」


 やや考え込む様にした後、カイルは話してくれた。


「ここで地域の管理者になった者は、自分の所有するものに印をつけることがある…。それがついていれば、ものであれ、人であれ、当人から譲られない限り、手は出せない。そういう決まりだ。…これは、面倒だな」


「は…?」


 ──なんでそんなものが僕の背中に? 


 いつつけられたのか、覚えもなかった。


「ボス、いましがた来客が──」


「ユージンか?」


「はい…」


「わかった。すぐに行く。客間に通せ。君も手当が済んだら来るように…」


 ヒロに向かってそれだけ言い残し、カイルは足早に退出していった。

 医者が手早く包帯を巻いていく。それが終わると、ヒロも部下に連れられ客間へと向かわされた。


 

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