5.現実
次の日、外の喧騒で目が覚めた。誰かが窓の外で大声で怒鳴っているのだ。声からすると、成人男性の様だった。
──なんだろう?
窓にはガラスが入っていない。代わりに鎧戸が取り付けられていた。風はよく通るが、音は筒抜けだった。
薄い毛布をはぐり、ベッドに手を付くと身体をゆっくりと起こす。痛み止めが効いているのか、鈍い痛みがあるだけで、昨日のような脈打つ痛みは消えていた。
──よいしょっと。
ベッドに腰かけてから、足をそっと床に下ろす。部屋の中は、朝の陽にさらされたことで、昨晩よりも更に古さが際立って見えた。
床は板張りだったが、かなり日に焼け、磨いていないせいか、けば立っている。素足でその床を歩くと、鎧戸を押し開き、窓枠に手を付いて下を見下ろした。
見れば家の玄関付近にユージンがいた。その周囲に数人の男がいて──黒髪の巻き毛の男と、かなり大柄な男が目立って見えた──騒いでいる男を囲んでいる。騒いでいるのは囲まれた中心、ユージンの前に土下座するように座りこんでいる男だった。
「──だから、言っているじゃないか! 途中で嵐にあって、荷物が届かなかったんだ! 頼む! 明日には届くからそれまで──」
「昨日は今日、届くと言っていたな? ──嘘はつくな。規定の物が出せないなら、それなりの対応をさせてもらう。──娘を差し出せ」
「や、やめてくれ! それだけは──」
「分かっていることだろう? おまえの荷物は永遠に届かない。なぜなら、その嵐の影響で、おまえの取引先の農場はすでに潰れているからだ。──情報は入ってる。おまえはなんとか引き延ばす間、夜逃げの算段をしていたようだが、全て筒抜けだ。約束通り、娘をだせ。そうすれば、その収入でおまえは生きていける。──もちろん、娘もな」
「だめだ! 娘はやらない! ──まだ、十三歳になったばかりだ。こどもなんだ…。そんなことはさせられない!」
「おいおい。店だって子どもは使わないさ。きちんと大人になるまでまって、それから店に出す。衣食住揃って、給料ももらえる──。これほど安定した職はないだろう? 生きていくのに、手段は選べないはずだ。──特におまえはな?」
「……っ、ちくしょう…っ」
「文句を言うなら、おまえの取引先の農場にいえ。それと、おまえの商才のなさにもな? 面倒を嫌って一か所ばかりと取引するからそうなるんだ。これでも俺は寛大なほうだ。ほかなら、殴り殺されてもおかしくない。そのうえで娘を取り上げられる。──冷静になってよく考えろ」
「……」
男は恨めしそうにユージンを睨みつけると、突然、懐に手を差し込み、隠し持っていたナイフを取り出した。それを手に、そのままユージンに向かって突っ込んでいく。
「あっ!」
思わず声が漏れた。周囲にいた部下が止める間もない。──が、ユージンは突っ込んできた男を横に受け流すと、その背中に手刀を入れた。
「ぐうっ…!」
男はナイフを取り落とし地面に転がる。ユージンはそのナイフを拾い上げると、転がる男の右腕に、有無を言わさず突き立てた。男が潰れた悲鳴を上げる。
「っ…!」
息を呑む。ユージンは男を見下ろしたまま。
「──俺は寛大だ。ボスに刃向かってこの程度で許すんだからな。ほかなら五体満足でいられない。耳も鼻もそがれて、下手すれば指も持っていかれるぞ。──連れてけ。ついでに娘も連れてこい」
命令を受けた部下たちが、地面に転がった男を引きずるようにして連れ出す。
「……」
──なんてこと…。
冷や汗が背中を伝う。窓枠を握る手が震えた。と、ユージンの視線がこちらに向けられた。鋭い一瞥はヒロを認めたあと、すぐに逸らされる。
──とんでもない所へ来てしまった…。
こんなところにはいられない、そう思った。
◆
その日のうちに、逃げ出すことを決めた。
ただ、逃げ出そうにも、行き先も先立つものもない。この場所がどこかもわからないのだ。それに、肩の傷が癒えない内は、動き回るのにも不便だった。なにより、一番必要な靴がない。
「ユージン…。その、履いていた靴はどこ?」
ベッドに横になっていれば、ユージンが朝食の乗ったトレーを運んできた。
トレーには、アルミの皿に乗せられた丸く平べったいパンと、チーズ、野菜切れの浮いたスープが乗せられている。スープは温められているが、それだけで、特筆して美味そうとは思えない代物だった。昨晩もそれで、今朝も同じ。もしかしたら、ずっとそれなのかもしれない。
ユージンはトレーをベッド横のサイドボードに置くと、
「──預かってる。それを履いてあちこち動き回られても困るからな。あんたは、金ずるだ。逃げられたらこれまでかかった金がチャラになる。ここでの治療費や薬代は保険が利かないからかなりの高額になる…。下での様子をみただろう? 俺が慈善事業であんたを助けたと思ってるのか?」
金ずる、という言葉に気分が悪くなる。
「…逃げないよ…。ただ、ここがどんな場所か知りたくて…」
嘘だ。靴さえあれば、今すぐにでも逃げ出したい気分だ。ユージンは知ってか知らずか。
「そんな弱った身体でうろついたら、直ぐに人買いに捕まって、どこかに売り飛ばされるのがオチだ。生きて働かされるならまだいいが、そのまま臓器だけ取られて終わりって道もある。ここはあっちとは違うんだ。弱いものは生き残れない。強いものだけが生き残る。──そういう場所だ」
「…そんな…」
「信じられないなら、ひとりでひとつ先の大通りへ出てみろ。あっちは俺の管轄外だからな。──今、聞いたことを身をもって知ることになるさ。あっちを仕切ってる奴は俺みたいに寛大じゃない」
「あれで寛大? ──だって、ナイフで刺したじゃないか! 待ってくれって言っているのに…。それに娘さんをどうするんだ? どこかに売り飛ばすつもりなのか?」
思わず非難の声を上げていた。すると、ユージンはきつい視線を向けたあと、
「──何も知らないくせに…」
吐き捨てる様にそう口にすると、乱暴にドアを開け部屋を出て行った。
それを目で追ってから、小さく息をもらす。興奮した自分を落ち着かせるためだ。
──そうだ。僕は何も知らない。
けれど、さっきのやり取りが正しくないことは確かだ。幾らなんでも、切りつけたり、まだ年端も行かない娘を差し出させるなんて、どうかしている。
すると、しばらくしてまた戻って来たユージンが、手にしたものをベッドの足元へ放ってきた。軽くバウンドしたそれは、履いてきたスニーカーだった。白地に赤と青のボーダーが入っている。
「これ…」
「──ここを出たかったら勝手に出ていけ。治療費も薬代もいらない。好きにするといい。けど、俺の管轄外へ出たなら、もう二度と助けはしない。──よく覚えておけ」
「……」
ヒロは黙ってスニーカーを見つめた。
◆
その後、ユージンが運んできてくれた食事を口にしたが、あまりにまずくて、半分も口にできなかった。昨晩はまだましな方だったのだろう。
パンはぱさぱさとして固く、手でちぎるのも難しい。チーズは嗅いだことのない匂いがして、端は固く干からびていた。スープは言わずもがな。
外にいけば、もう少しましな食事にありつけるんじゃないのかと思えた。トレーにそれらを残し、手にしたスニーカーに触れ、ため息をつく。
──やっぱり、ここにはいられない。
これを履いて外に出る。外に出たら、まず広い通りに出て、ユージンよりずっとましな話の出来そうな人間を探す。その人から、壁の向こうへ行ける手段を聞き出す。
きっと別の方法もあるはずだ。それに、ここにだって、ごく普通の人間はいるだろう。皆がユージンのような乱暴者のはずがない。それが思いついた方法だった。
今はお金もないし、知らないことばかりだ。とにかく、自分の力でここを抜け出すのは不可能だ。どうしても、誰かを頼らなければならない。それがユージンでなくともいいはずだ。
大通りは危険な場所だと言うが、ここの方こそ危険だった。あんな残酷な行為ができる人間がいる場所で、安心などできない。
──許しを請う相手を刺すなんて。
正当防衛だとしても、やりすぎだ。地面に倒れたところで終わっていいはず。
「…あんなの、まともな人間のやることじゃない…」
手当をしてくれた事には感謝するが、それ以外は受け入れがたかった。いつ、自分も同じ目に遭うか。あちらにだって、無事に帰してくれるか分かったものではない。
──ここを出よう。
治療費や薬代になるものは手元にない。それを踏み倒すのには気が引けたが、さっきの言い様なら、勝手に出て行っても問題はないだろう。
スニーカーを胸に抱いた。このスニーカーは、誕生日のお祝いにと、ケイに買ってもらったものだ。自分のものには殆どお金をかけないのに、ヒロのものとなると糸目をつけない。これも、安いものでいいと言ったのに、店頭に並ぶ一番いいものを買ってくれた。
──きっと心配している…。
その顔が目に浮かんだ。
──早く帰らないと。
ケイが待ってる。気ばかりが焦った。




