23.告白
「お早う…。ケイ…」
寝ぼけまなこを擦りながら、キッチンへ顔を出せば、朝日に照らされたケイが振り返った。
「お早う。ヒロ」
光を受け、白いシャツを身につけたケイは、けぶるように光って見える。眩しさに目を細めた。
一年前と変わらない日常だ。
高校は卒業までの半年近く休んでしまったけれど、事情が事情なだけに、退学扱いにはならず、足りない分は大目に見てくれ、無事に卒業扱いとしてくれた。
あれからケイは、こちらに移って来て、ヒロの隣の部屋で眠るようになった。心配なのだろう。
別れた時の話しぶりだと、カイルがなにかするとは考えられないが、不測の事態がないとも限らない。それに備えているのだろう。
なぜ、カイルはそこまで自分に執着したのか。
その理由を知ったのは、こちらに帰ってきて、数日経った頃。ジョシュ含め、心配してくれていた近所に住む知人友人らがようやく訪れなくなった頃のことだ。
夕食後、リビングのソファに座り、クッションを抱きケイの話を聞いた。
「僕が──蓬生の…?」
ケイはヒロの向かいに座って、俯くように膝の上で手を組んでいた。
「そうだ…。俺の従弟にあたる。俺とカイルは異母兄弟で、カイルは二歳上だ。俺たちの父親はヒロの父親、ジャンの弟だったんだ。父は数年前に病で他界している」
「…僕、ケイと血が繋がっていたんだね?」
「ああ。黙っていてすまなかった…」
ヒロは首を振る。
「いいよ。だって事情があったんでしょ? 僕は嬉しいよ。ケイと繋がりがあったなんて。母さんが亡くなって、ひとりきりだと思っていたから…。もちろん、ケイがいてくれたから、寂しくなかったけどね」
「…そうか」
ケイは微笑むと、先を続けた。
「本来、本妻の子どもだった俺が継ぐはずだったんだが、それが嫌でね。十七の年に逃げたんだ…。ジャンと同じだ」
「父さんも、継ぐのが嫌で?」
「そうだ。けれど、逃げる直前まで、祖父の後継ぎとして腕を奮っていたから、誰もそんな行動をとるとは思っていなくてね。ジャンがあちらとの境界の門を通っても、誰も逃亡したとは思わなかったんだ。後から失踪と分かって当時は大騒ぎになったよ」
「そうなんだ…」
知らなかった父親の当時の様子が、目に浮かぶよう。
「カイルはジャンをとても慕っていた。…もしかしたら、好意を抱いていたのかもしれない。ジャンが逃げたと知ってかなりショックを受けていたよ。だから、ヒロが息子だと知って、どうしても手元に置きたくなったんだろう」
「父さんのこと、好きだったんだね…」
だから、あれほど自分の元へ置こうとしたのか。執着の理由はわかった。けれど、他にも疑問はある。
「でも、どうして父さんは死んだの? やっぱり逃げたから…?」
「いや。祖父はいつか戻って来ると、追うのを諦めた。ジャンはその間に、ヒロの母親のアナイスと知り合って恋に落ち、子どもを儲けた。それがヒロだ。そのまま穏やかに過ごせるはずだった──。けれど、父は兄であるジャンを疎ましく思っていたんだ…。祖父はジャンが継ぐことを諦めてはいなかったからね。父は自身の地位を確実にするため、兄を消そうと刺客を送った」
「…それで?」
ケイは苦い表情を浮かべると、
「程なくして、ジャンは物言わぬ姿となって帰ってきた…。アナイスは幼い君を連れて姿を隠したんだ。──今更だが、済まないことをした。それにずっと黙って傍にいた。ヒロの父親を殺した人間の息子なのに…」
「そんなの! だって、ケイは何も悪くない。まだ子どもだったろ? 知ってたって何もできなかったよ。それに、ケイがいたから、僕はここまで生きてこられたんだ。僕を見捨てたって良かったのに…」
しかし、ケイは悲しげに首をふると。
「もう一つ、告白しておかないといけないことがある」
「ケイ?」
「…蓬生を出る時、父から条件を出されたんだ。後を継がない代わりに、アナイスと君を連れ戻すこと。もし、それができないなら、息子だけでも連れ戻せと。──けれど、どちらも出来なかった…。連れ戻せば、ふたりとも命はないと分かっていたからね」
「……そんな」
「そうして迷ううち、あっけなくアナイスは病で亡くなった。それで、ヒロがひとり残された…」
「でも、連れ戻さなかったんだね?」
「──そうだ。父には監視すると伝え、傍にいることを選択した。もし、君が自身の出自を知って、後を継ぎたいと言い出したなら、その時は命を奪うと誓って」
「命を…?」
ケイは頷く。
「自分がそう言わなければ、確実に父は刺客を送っただろうし、なにより、アナイスが命がけで守った子を、失いたくはなかったんだ…。けれど、ひどい約束をした」
吐き捨てる様に口にしたケイに、ヒロは首を振る。
「さっきも言ったよ? 僕はケイがいたから、無事にここまで生きてこられた。ケイのお陰だ。全部、僕を守るためだって分かってる…。だから、そんな風に思わないでよ」
「ヒロ…」
「ケイは…母さんを好きだった?」
すると、悲しげな表情のまま笑みを浮かべてみせた。それが答えなのだろう。
──やっぱり、好きだったんだ。
以前ならショックを受けただろう。けれど、今はそうはならない。ケイの様に、ヒロにも大切に思える相手がいるからだ。
好きな人の残した者を、守りたいと思うのは当然のことだ。それは、真剣に母を思っていたからできたことで。
──ケイのその行動が、僕を生かしたんだ。
ケイの隣に座ると、徐に首に腕を回し抱きしめた。
「…ヒロ?」
「今まで側にいてくれてありがとう。僕を守ってくれて…。僕はケイといられて幸せだ。僕も、母さんも、きっと父さんだって、感謝してる…」
「──ありがとう…。ヒロ…」
ケイも抱き返してくる。その声が掠れていたのを、気付かないふりをした。
「僕は…壁の向こうで、ユージンと出会ったんだ」
「ユージン?」
ヒロは身体を起こすとケイを見上げた。
「僕の一つ下。向こうで僕が住んでいた地域のボスをしてる…。撃たれて倒れていた僕を助けてくれたんだ」
ケイが顔を青くする。
「撃たれた?」
「左肩、背中の方だよ。今はちょっと引きつれるくらいで何ともない」
「そうか…」
ホッと安堵した表情になった。
「初めはとんでもなく嫌な奴だって思ってた。──でも、一緒に過ごすうち、いい奴なんだって…。一年経ったら、とても大事な存在になってた」
「──そうか」
「だから、ケイの気持ちが少しは分かるよ? 大事な相手には、無事でいて欲しいもの…」
「そうだな…」
ケイはどこか複雑そうな表情を見せた。
「カイルは僕がこっちに戻ってこられたのは、ユージンのお陰だって言ったけど…。あれって、どういう意味なんだろう」
「…カイルは、ヒロを俺から脅し取ろうとした。そこまでしたのに手放したのは、そうしなければならない相当の理由があったはずだ。でなければ、あのカイルが諦めるはずがない。そこに彼が絡んでいるのかも知れないな。──なにがあったかはわからないけれど…」
「ケイは壁の向こうと連絡が取れるの? カイルが言ってた…」
「そうだね…。いままで取ったことはなかったけれど。連絡することは出来る」
「なら──」
──あちらに行きたい。会って話がしたい。
期待を込めて、ケイを見やるが、
「ヒロ。あっちとは二度と関わらない方がいい。このまま穏便に済ませられるなら、今のままがいい」
きっぱりと言い切る。
「でも…っ」
「ユージンは向こうで世話になった人なんだろう? その人が手を尽くしてヒロをこちらに逃がしてくれた──。どんな手かは分からないけれど、それはあのカイルを黙らせるほどの手だ。相当、無理をしただろう。そこまでして逃がしてくれたのに、また向こうに戻ろうとするのは、彼の善意を無駄にすることになる。──だから、ヒロ。向こうに行くのは許可できない」
「……」
「ヒロ。彼は君にとって、大事な人だったんだろう? もし、ヒロが彼と逆の立場だったら、彼の幸せを願うだろう? 違うか?」
「…違わない。ユージンには…幸せでいて欲しい」
「なら、彼の気持ちも分かるはずだ。彼もヒロを大事に思うから、守ろうとしてくれた。その思いを無下にしてはいけないよ」
「……」
「カイルはきっと次、ヒロを迎え入れれば、二度と手放さない。それが、ヒロの幸せに繋がるとは到底思えない。あいつは父よりもさらに狡猾で手段を選ばない。欲しいと思ったものは必ず手に入れようとする…。──悪いことは言わない。もう、あちらのことは忘れて、諦めるんだ」
そう言って、ケイはヒロの頭をそっと抱き寄せる。
慣れ親しんだケイの薫り。温かい腕。
今までだったらそれだけで安心できたのに、十分だと思えたのに。
『ヒロ』
そう言って、くったくなく笑うユージンが、目の前に現れた。その姿が涙でにじむ。
──ユージン…。
◆
「ヒロ。これはどうしたんだ?」
話を聞いた後日、傷の跡を確認したいとケイに言われた。どれほどの怪我を負ったのか知りたいのだと言う。それならと、上着を脱ぎ背中を見せれば、それを見たケイが声を上げたのだ。
そうもなるだろう。覚えのない刺青が入っているのだから。すっかり忘れていた。
「えっと、これは──」
どう説明しようか。言い淀むヒロが説明する前にケイが呟く。
「六芒星…。特殊な墨を使ってるな…。──誰かの印か?」
「ケイ、知ってるんだ?」
驚いて振り返る。ケイは肩をすくめて見せると、
「俺も蓬生の人間だったからな。──俺のこれも同じだ。文字はない。これだけで蓬生の印になる…」
そう言って、右腕を捲って見せた、手首の内側先にあるのは、クロスのタトゥーだ。同じものが左足首にもある。
「それ、単なるタトゥーだって思ってた…。でも、蓬生の印って? 息子なのに必要なの?」
「幼い頃、蓬生の人間だとすぐにわかるように皆つけられる。儀式のようなものだ。ただのクロスじゃない。先端が尖っているだろう? 特殊な墨を使っているから他ではマネできない仕組みだ。──けれど、なんだってヒロに…。誰の印だ? これは所有物の印だろう?」
「──その…ユージンの…」
「ユージン? あのユージンか?」
「僕を守るために彫ったって。僕が撃たれて意識のないときに…。なにかあっても、誰も手を出さないようにって…」
ケイは額に手をあてながら、考え込む。
「──そうか。だから、カイルはヒロを手元に置けなかったのか…。それで、俺から後見人を無理やり引き継ごうとしたんだな。──確かに、それはヒロを守ったんだな」
「一番最初、カイルに捕まった時も、そのおかげで助かったんだ。あの時は、まだ助けられたなんて、思っていなかったけど…」
訳のわからない刺青をいれられて、憤慨する気持ちの方が強かった。
けれど、あちらで過ごすうち、段々とカイルの悪い噂を耳にし、その人となりを知ることになって。やはり、助けられたのだと、後から気がついた。
「二度も助けられたんだ。…ううん。三度目だ」
もし、ユージンが何らかの手段を講じてくれなければ、今ごろカイルが後見人となり、あちらで監視のもと、暮らすことになっていただろう。
「ユージンは、恩人だな…」
「そうだね…」
けれど、もうお礼も言えない。
タルトも、野菜スープもカレーも。何もかも作ってあげることができない。
「──ヒロ?」
「…っ…」
ぽたぽたと、手の甲を落ちた涙が濡らす。
──もう、二度と会えない。
それが、悲しくて辛くて。
これが、胸を切り裂かれる思いなのだと知った。ケイは何も言わずに、そっと肩を抱くと寄り添ってくれた。




