22.脱出
ヒロは不安げに窓の外に目を向けた。あれから、なんの音沙汰もない。
──許可が下りないのかな?
窓の向こうの景色は、すっかり夕闇に包まれている。もう、ユージンは帰ってきている頃だ。ロブから話も聞いただろう。
──きっと、驚いただろうな…。
出掛けに走り書きしたメモを思い出す。必ず帰るとは伝えたけれど、この分だと無理かもしれない。ユージンに嘘をつきたくなかった。
そこでふと気付く。向こうに帰れるかもしれないというのに、さっきからユージンのことばかり考えていた。この気持ちがどこから来るものなのか分からない。けれど、それくらい大切な存在になっているのは確かだ。
まんじりともせず、ソファに浅く腰かけて声がかかるのを待っていれば、部屋の奥で物音が聞こえた気がした。重い石を引きずる様な音。ベッドのある方だ。
──なんだろう?
そちらに顔を向ければ、ゆらりとひとつの影がベッドの向こう側、壁際に立った。
「──!」
思わず声をあげそうになる。けれど、すぐに声を飲み込んだ。
すらりとした上背のある姿。肩にかかる長い黒髪、ほっそりとした白い顔。今はそこにホッとした笑みを浮かべている。
肩の力を抜いたと同時に目を見開いた。
「──ケイ…?」
──どうしてここに?
幻かと思った。
「ヒロ…」
漏らした息と同時に名前を呼ばれた。すぐに駆け寄るとケイに飛びつく。
「──ケイ!」
抱き締めると、前と変わらないケイの香りがした。ケイもまた強く抱き返してくる。懐かしい温もり。
「良かった…。無事で──」
頭を撫でる手が懐かしい。ようやく、この温もりを感じることができた。
しかし、疑問が生まれる。ここは厳重に見張られていたはず。簡単に入ってこられる場所ではない。顔を起こすとケイを見上げた。
「──ケイ。どうやってここに?」
「積もる話はあるけれど、今はここを出ることが先だ。ここにいてはいけない。一緒に逃げよう」
「逃げようって、許可は下りなかったの?」
「…それも後で話そう。ただ、カイルのもとにいてはいけないことは確かだ。すぐにでもここを出る」
「どうやって? 外も見張りで一杯なのに…」
「大丈夫。外に通じている隠し通路があるんだ。ここへもそこを通って来た。かなり古い通路だけれど使える。──出口が塞がれていなければ、だけどな…」
ケイは素早く室内を見回すと、
「昔と同じ配置なら、ここは監視カメラから死角になっているはずだ。──ヒロ」
ケイはヒロの肩に手を置くと、
「この先、ここを出るまで俺を信じて、何も聞かずについてきてくれるか?」
聞きたいことは山のようにあった。
けれど、ケイのただならぬ様子は有無を言わせない。それに、カイルと違って、ケイの言葉は信じられた。
「──うん」
「よし、じゃあ行こう」
にこりと笑ったケイは、ヒロの手を取ると、ベッド脇の壁へと導いた。そこには四角に切り取られた穴が口を開いている。大人なら、屈めば入れる程度。中は真っ暗だ。
──こんな所に穴が。
パッと見は綺麗な壁紙が続くだけ。驚くしかない。
「大丈夫だ。ライトを持ってきているから。先に入って」
「うん…」
腰を屈め穴に潜ると、壁と壁の間に人ひとりが立てる程の隙間があることに気付く。そっと足を伸ばすと、しっかりと床を踏みしめた。
ヒロがすっかり中へ入ると、今度はケイも潜り込んで、中から脇に避けてあった壁の一部をまたはめ込む。かなり重いらしく、石を引きずる様な音がする。先ほど耳にした音だ。
辺りは闇に包まれたが、ケイはすぐに手にしていたライトで辺りを照らした。
「これは、もしもの時の為にいつも携帯しているんだ。まさか使う日が来るとは思っていなかったけど…」
半ば独り言のようにそう口にした。どうしてそんなものを常備しているのか。聞きかけてそれを飲みこんだ。今さっき、何も聞かないと誓ったばかり。
「狭いから、途中、屈まないと通れない場所もある。けれど、造りはしっかりしているから。それに、こうして手を握っているから大丈夫。──ついてきて」
「うん…」
ぎゅっと握る手に力を入れると、ケイが笑った。
「この通路はよく知っている。小さい頃、ここを遊び場にしていたんだ。──それでよく祖父に怒られたけれどね」
ケイが手にしたライトは僅かに足元を照らすばかりで、周囲は殆ど見渡すことができない。けれど、確かに手を繋いでいれば安心できた。
──祖父…。ケイも、蓬生の人間なのか?
そう言えば、ケイの過去については聞いたことがなかった。いつの間にか隣に住んでいて、家族のように同じ時を過ごして。母親とケイと。まるで家族みたいだった。それは、母を亡くしてからも続いた。
──カイルと繋がりがあるのか。──それなら…?
途中まで考えて頭を振った。今はそんなことを考えている時ではないのだ。
「ヒロ?」
「大丈夫…。行こう」
「わかった」
通路は壁と壁の間に通っている様で、人ひとりが通れるほどの幅が続いた。しばらく行くと狭い階段が現れた。それは螺旋状になっていて、闇の底に落ちるように延々と続いている。
ライトではほんの数メートルしか見渡せないから、底がない様に見えた。途中、壁の横にぽっかり穴があいているのは、他の部屋へと通じる道らしい。
ひとりでこんな通路を行けと言われても到底無理だったが、今はケイがいる。安心して、その後に続いた。
◆
どれほど下ったのか、果てが無いように思われた螺旋階段がようやく終わりを見せ、平坦な道へと変わった。土の香りを久しぶりに嗅いだ気がする。ケイの繋いだ手も緩んだ。
「ここを通り抜けると、邸の塀の外だ。売り飛ばしていなければ、昔使っていた古い倉庫跡にでるはず…」
期待の籠った声音。心なしか声も弾んでいる気がする。
途中、水が滴るなか、身体をかがめて先へと進む。カビの匂いが鼻先を掠め、虫が跳ねた。ライトがすべてを照らさないお陰で、悲鳴を上げずにいられる。もし、見えていたら大騒ぎだ。
しばらく歩くとケイが立ち止まった。ライトに照らし出された先に、赤茶けて錆びた鉄の扉がぼんやり浮かぶ。どうやら出口に着いたらしい。
「かなり錆びついてはいるけど、押せば開くはずだ…」
ケイが扉に肩を押し当て、体重をかける。すると、鈍い音を立て、ゆっくりと外側へ向かって開いた。
ケイは押し出した鉄板の扉を、脇へ避けると外へ出る。ケイの肩越しに見えたそこは、真っ暗で先が見えない。
「さあ、出て」
ケイが手を差し出してくる。
「うん…」
それに掴まって外に出ると、一気に新鮮な空気が肺に流れ込んできた。天井は高く、太い大きな梁がかけられ、広い空間なのがうかがえた。床はコンクリートの打ちっぱなしだ。言った通り、倉庫なのだろう。
「はぁ…。凄い道だったね」
ケイは抜け道へと続く鉄扉をまたもとへと戻しながら。
「あの邸が建てられた時に作られたものだと聞いている。年代ものの代物だからね」
「そうなんだ…」
引っ掛かるキーワードに尋ねたい気持ちを抑え頷く。
「さて。この先は少し歩くことになるよ。こっちに住む知り合いを訪ねるつもりだ。きっと同じ場所に住んでいるはずだ。ここの地図が昔と同じだといいんだけど──」
そこで、ハッとした。
──それなら。
「ねぇ、もし良ければ、行きたい場所があるんだ。ここにいる間、世話になった人の家で──」
けれど、すぐにケイが反対する。
「いや。そこには行かない方がいい。きっと追手がかかる。そうすれば、一番にそこが調べられる。そこに行けば、捕まえてくれと言っているようなものだ。それに、俺たちがいれば、迷惑がかかるだろう? だから行かない方がいい」
確かにそうだった。カイルなら一番にそこを捜すだろう。そこにヒロ達がいれば、ユージン達を巻き込むことになる。
「──そっか。そうだよね…」
少し考えれば分かることだ。もしかしたらユージンに会えるかと期待したが、会いたい気持ちばかりが勝って、冷静さを失っていた。
──ユージンとは、やっぱり会えないんだな…。
肩を落としたヒロをなだめるように、ケイは続ける。
「今から行くのは、昔、祖父の農園の管理をしていた人だ。小さい頃、よくしてくれてね。彼ならカイルも目をつけては──」
と、そこまで言いかけた所で、がらんとした室内に靴音が響いた。驚いたケイは、身を翻しヒロを背に庇うと、音の主と対峙した。靴音はさらに近づき、ある程度進んだところで止まる。
「──あそこに向かう必要はない。ケイ」
向けたライトに浮かび上がったのは、
「カイル…」
ケイが呟くようにもらした。
「どうして──ここが?」
ケイは警戒するように、カイルの行動を注意深く見つめる。
「私もぼんやりとあの邸に住んでいたわけじゃない。私は離れに住んでいたから、邸の内部には詳しくはなかったが、父から引き継いでからは自分の手で調べ上げた。秘密の通路の存在も知ったよ。出口がここに繋がることも──。あの邸ができた当時に作ったようだが、父は知らなかっただろうね。本来、継ぐべき人間じゃなかったからな」
「……っ」
ケイはカイルを睨みつけるが、カイルは意に介さず、ヒロに目を向けると、
「許可が下りた。いますぐ向こうへ帰るといい」
「──許可が? 本当に?」
このまま捕えられ、また邸に戻されると思っていた。カイルはひたとこちらを見つめると、
「ヒロ。君には話したいことが山ほどある。──が、今は時間がない。一つだけ、伝えておこう。君が帰れるのは、ユージンのお陰だ」
「…ユージンの?」
「意味が知りたければ、またこちらへ来い、ヒロ。ケイを通して連絡をくれれば、いつでも迎えに行く。私はいつでも君を待っているよ」
そう言って、カイルは嫣然と微笑んだ。
◆
そのまま、倉庫の外にあった車に乗せられた。車は暗い街中を走り抜ける。
ケイはその間中、一切口を開かなかった。けれど、その代わりずっとヒロの肩を抱きかかえるようにして座っていた。
「ケイ…」
カイルの言葉の意味を知りたかった。話をしたいけれど、ケイは静かに首を振って見せただけ。護衛の目もある。ここで話すつもりはないのだろう。仕方なく口を閉ざした。
郊外に出たところで、車は停車した。車のライトに照らされた検問所が見える。銃を肩にかけた軍の制服を着た男達が立っていた。こちらと向こうを繋ぐ門へ到着したのだ。
窓の外には、威圧するように鉄製の扉がそびえている。ずっと見上げていると、首を痛めそうだ。
──大きいな。
そうこうしていると、再び車が動き出した。同時に門が音もなく、向こう側へと開いていく。車は吸い込まれる様に、ゆっくりと進んでいった。
──これで、二度とここへは来られないのか?
ユージンの顔が思い浮かぶ。
切なさで胸が痛んだ。こんなふうに突然、別れがやってくるとは、思ってもみなかった。
最後だからと、必死に窓の外の景色を目に焼き付けようとしたが、闇に包まれた外壁が見えるだけで、記憶に残せるような景色は何一つみつけられなかった。
車は門を通り抜け、しばらく道に沿って走った後、街灯の立つ路肩に車は停車した。
停まると誰かがこちらに歩み寄ってくる。助手席にいた護衛が視線を送ってきたのを合図に、
「下りよう」
ケイが促した。
車外に出ると、待っていたのはスーツ姿の役人で、見るからに壁のあちら側の人間と分かった。
「こちらの車に乗り換えて下さい」
一台のワゴンが停まっていた。振り返ると、門が音もなく閉まるところ。
「…ヒロ」
ケイが軽く腕を引いた。それで仕方なく歩き出す。車に乗り込む前、分厚い壁をもう一度、見上げた。
──ユージン。
見えるはずもない姿を、そこに探した。




