21.交渉
ユージンはその足で、カイルのもとへひとり向かった。
ハンドルを切る先の景色は闇に包まれている。訪れることは伝えてあった。許可を得ているから、いつもは固く閉ざされている門扉は、到着すると同時に内側に開いた。車を奥の車寄せまで走らせる。
カイルに拾われてしばらく過ごしたのは、孤児院のような施設だった。そこである程度過ごしたのち、テストが行われる。知能や運動能力を調べる簡単なものだ。
そこで、いい成績を残したものが、また別の施設へ送られる。そこでさらに知能や運動能力に磨きをかけ、残ったものをカイルが選別した。
八才で拾われ、五年ほどを施設で過ごし、カイルの傍におかれるようになったのは、十三才頃。そこで初めてカイルの側におかれると言う事が、どういうことか知ることになる。
ユージンの他にも、同じような待遇のものが数名いたが、皆年長者ばかり。ユージンは一番年下だった。
「皆の中で、ユージンが一番、かわいいよ…」
カイルはそう言って、二人の時は甘やかした。上等な服を着せ、いいものを食べさせ。部屋も豪華だった。待遇ばかりでなく、知力や戦闘技術を磨くために、教師も皆最高のものをつけられた。
それらを吸収するのは楽しくて、路上で暮らしていた頃とは比べものにならないくらい、幸福で充実していた。カイルに手を出されるまでは。
初めての夜。淡い間接照明に漆喰の天井が照らし出される。そこに彫られた蔦や花、鳥。それをただ眺めてやり過ごした。
これは幸福の代償なのだと思った。それに、慣れれば我慢はできた。ユージンはまだ年若いためか、酷いこともされない。加えて、その行為はごくたまにで、頻繁になかったため耐えることができたのだ。
──俺は幸せなんだ。
そう言い聞かせていた。けれど、ある日。
「!」
カイルと共に廊下を歩いていると、途中、ドアが半開きになっている部屋があった。
ふと覗くと、スーツ姿の男らに取り囲まれて横たわった青年がいる。わずかに見えた横顔は、腫れて唇の端に血が滲んでいた。顔に見覚えがある。
──確か、カイルのお気に入りのひとりの──。
「ああ、見てはいけないよ。あっちに行こう」
あとから追いついたカイルに促され、その場から離れる。その後、青年は二度と姿を現すことはなかった。
後日、彼はカイルに歯向かったため、処分されたと知る。それを耳にしたとき、やはりこれは間違っているのだと気が付いた。
全てカイルの手の平の上。そこで生かされているのに過ぎないのだ。ここでは本当の幸せを得ることはできない。それが十四才の時。
「どうしても、出ていくと?」
「そうだ」
「ここまで育てた私を捨てて? 私は君を養子に迎えたいと思うほど、慈しんでいるのに…」
「あんたの愛は自己愛だ。俺を見ちゃいない。俺の幸せはここにない。出て行かせてもらう」
「…自由にするとでも?」
「あんたは、今言ったように、俺を手塩にかけて育ててきた。その作品を短気を起こして壊すようなバカな真似はしない。できないはずだ」
「確かに…。君は今まで私が創り上げてきた者のなかで、数本の指に入るだろう。──壊すには確かに惜しいな」
「壊したくなったらいつでもくるといい。相手をしてやる…」
「ふふ。いいよ、そうさせてもらう。──行きたまえ」
二年前のことだ。今年で十六才になった。
十四才とはいえ、ここでは年齢など関係ない。目星をつけていた土地のボスと交渉し、下についた。徐々に頭角を現し、二年経つ頃には、前ボスの引退に伴い、今の地区を任されるようになっていた。
その間、カイルは手出ししてこなかった。自分の元を出て行ったとは言え、カイルに反抗しているわけではないのだ。歯向かわない限り、手をだすつもりはないのだろう。監視役まで送り込み、その力がどこまで伸びるのか見ていた。
けれど、どんなに監視されようと、そこには自由があった。結局、上にはカイルが座っているのだが、カイルの指示で動くわけではない。好きな様に采配ができた。そして、自分の意思に反して侵されることもない。
カイルのことは好きにはなれなかった。どうしてなのか。考えても分からなかった。そこへヒロが現れ、彼と過ごすうち、ふとした瞬間に理由がわかった。
──奴には心がないからだ。
カイルは自分のことしか見ていない。相手が自分に何を与えるか、そればかりを追っていたのだ。
逆に、ヒロは違った。周囲のものに愛を与える。もちろん、意識しているわけではない。
些細なことだ。出かけるときに、「いってらっしゃい」そういって送り出し、帰ってきた時に「お帰りなさい」そういって出迎える。
朝、目覚めれば温かいスープを、温かいパンと共にふるまう。いつも清潔なシーツに取り換え、部屋も居心地よく保つ。家を出る前には、皆のリクエストにできるだけ応えて夕食を振る舞い、シャワー室には洗濯して天日干しされたタオルが重ねてある。
みな、些細なことだ。けれど、愛がなければできない事だ。
──誰かのために。
それがヒロにはあった。カイルにはないものだった。
──だから、ヒロの側では安心して眠れたんだ。
中庭で洗濯ものを干すヒロの傍らが、一番よく眠れた。ヒロの鼻歌。洗濯ものを伸ばす音。洗濯ばさみでパチン、パチンとはさむ音。虫に驚いた時の小さな悲鳴。
それが耳に心地よかった。ヒロにずっとここにいて欲しかった。存在そのものが、自分を癒してくれた。
──大切なヒロ。
それをカイルの餌食にするつもりはなかった。
◆
「やあ、君がくるとは。──ああそうか。ロブが話したか?」
ユージンが玄関に到着すると、すぐに執事が出迎え、一階、応接間へと案内した。
「しらじらしい…。分かって話したんだろう? ロブの奴が黙っていられないって。俺をおびき寄せるための罠だ」
「どうだろうな。──それで、君は何を望む?」
カイルは余裕の笑みを浮かべる。
なにもかも、計算ずくだ。ここ最近で、こいつの鼻を あかしてやったのは、ヒロに印を入れたことくらいか。
カイルはいつも笑みを浮かべているが、それは貼り付いたもので、本心からの笑みではない。目の奥はいつも冷たい色をたたえていた。
「ヒロを向こうに帰せ」
すると、珍しくその目に驚きの色を浮かべた。
「おや、そう来るとは思わなかった。──てっきり、自分のもとに返せと言ってくると思っていたよ」
「届けを受理させて向こうへ帰せ。それと、ロブの親族にも手を出すな。──そうすれば、俺はここに戻る…」
カイルは眉を上げ驚いた表情を作る。
「その申し出は──魅力的だな。けれど、彼はどうしても私の手もとに置いておきたいんだ。彼は私の叔父の息子でね。できれば私が引き取って成長を見守りたいと思っている…」
今度はユージンが驚く番だった。思いもよらなかった話だ。
「…叔父の息子? ヒロが?」
「そうだ。壁の向こうで亡くなった叔父ジャンのね。叔父は本来なら蓬生を継ぐべき人間だった。それが壁の向こうへ逃げて、そこでヒロの母親と出会い彼が生まれた。──そして、叔父は死亡する。まあ、これは私の父の指示でだが。──そして、彼らを捕らえるため、私の異母弟であるケイが派遣され、結局、彼はそれができずに監視するに留まって今に至る」
「──なんだよ…。それ…」
カイルは面白がる様な表情を浮かべると、
「私も驚いたよ。なんせ、ヒロは叔父に似すぎていてね。調べれば案の定、そんな内幕があったわけだ。──面白いものだ。結局、みな蓬生に帰ってくる…」
微笑む。気を取り直すと、
「ケイはヒロを引き取ると言っているんだろう?」
「そうだ。けれど、彼も残してきた友人たちを盾に取られては、否とは言えないだろうな。そろそろ、回答をもらう時間だ」
「…最低だな」
こいつはそう言う奴だった。ユージンは唇を噛む。カイルは意に介せず続ける。
「私はヒロが欲しいだけだ」
「なんでそこまでヒロに執着する? いくら似ているからって、ヒロはヒロだ。死んだ奴の代わりにはなれない」
すると、足を組み直したカイルは、イスを少し回転させ背にもたれると、過去を思い出すように視線を遠くへと向けた。
「私は──幼いながら叔父を心酔していたのさ。強く頭脳明晰。しかし、しなやかで、繊細で。そして、私をいつも大切に扱ってくれた。いつか、叔父に必要とされる人間になりたかった。彼を愛していた。私のものにしたかったんだ。──けれど、彼は行ってしまった…」
「それで、そいつにそっくりなだけの息子を拘束するのか?」
「──彼は戻ってきたんだよ。二度と手放さない」
それまで遠く夢見るようだった視線が、鋭い眼差しに変わってこちらに向けられる。本気の目だ。けれど、だからと言って、引き下がるつもりはなかった。
「──もし、あんたが俺の条件を飲まないなら、蓬生がつぶれるぞ」
「大仰なセリフだな?」
カイルは薄く笑うが、
「──ここで使っているすべてのシステムがダウンする。これは、俺がまだここにいた頃、組んだプログラムだ。俺を解放しなかった場合に備えて、担保に潜ませておいた。既に発動済みだ。俺が停止させるまで破壊をやめない。復旧のためのシステムは俺の頭の中だ。じきに部下から緊急の連絡が入るだろう。止めたいなら今すぐ許可を出して、ヒロをあちらに返せ。そうすれば止めてやる」
「──はったりか?」
「俺を舐めるなよ。じきに監視カメラも防犯センサーも役に立たないようになる。厳重なロックをかけた資金についても、外部からの侵入が可能になる。それが何を意味するかわかるか? もちろん、意図的に外部にその情報を漏らす準備も整っている。──どうする?」
するとタイミングよく、机の上のインターフォンが鳴った。ユージンに視線を向けたまま、それに応じる。
「私だ。──そうか、わかった。しばらく待て。あとでまた連絡する…」
そうして受話器を下ろすと、ため息をつき顎の下で手を組む。
「…まったく。流石に私の見込んだだけはある。──わかった。呑もう。直ぐに手配する」
「頼んだ」
「しかし、自分の自由と引き換えにするほどのことか? おまえこそ、ヒロは赤の他人だろう」
「まあ、そう思うだろうな。あんたは。──けど、ヒロは、俺が欲しいものを与えてくれた。あいつといると、いつも安心できたんだ。居場所を見つけた気がした…」
ヒロがそこで笑っていてくれると、それだけで安心できた。ホッと息がつけたのだ。いままで感じたことのない幸福感を得た。
「あんたには、一生わからないだろうな」
カイルは鼻白んだ様子で、
「…ふん。言ってくれるな。だがこの先、今のような甘ったるい感情は必要ない。私の指示通りに動いてもらう。二度とおまえに自由を与えない。私を怒らせたのだからな。──覚悟しておけ」
「…わかってるさ」
──ヒロが自由になれるなら、俺は構わない。
それほど、ヒロとの時間は代えがたいものだったんだ。
──ヒロ、どうか幸せに。




