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Underground   作者: マン太
第3章 新たな生活

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19/21

18.タルト

 時は戻り、数ヶ月前のこと。

 その日、自室の机に肘をつき、カイルにしては珍しい、ため息を一つ吐いた。

 目の前には一つのファイルが広げられている。部下に調べさせた調査の結果が上がってきたのだ。

 書面と写真がある。目的は例の青年、ヒロ・ライネの身辺調査だ。今の状況は調べる必要がない。それはある者を通じて、逐一入ってくるからだ。それよりも、過去が気になった。


 ──彼は似すぎている。他人の空似ですまされない。


 カイルには心酔していた叔父がいた。自身の父の兄、ジャン・ハロルド・蓬生だ。

 彼は蓬生家を継ぐ者として定められていたが、後を継ぐのをよしとせず、ここを抜け出し壁の向こうへと渡り消息を絶った。

 その数年後、無残な姿となって、こちらへ帰ってきたのだ。それは、あまりにも悲しい帰還だった。

 暴漢に襲われ撃たれたとの話だったが、それを真に受けることはなかった。弟である父が、兄ジャンを疎んじていたのは知っている。


 ──父が殺ったのだ。


 程なくして、そのあとを父が継いだ。

 父には息子が二人。先に生まれたのは妾腹の子カイルだ。本妻の子ケイはその七年後に生まれた。

 本来ならカイルが継ぐことはなかったのだが、ケイが叔父ジャンと同じように、継ぐことを拒み姿を消した。そして、父親が病に倒れると、その後をカイルが継ぐことになった。


 ──その叔父ジャンに、ヒロは似ている。


 髪の色こそ違うが、瞳の色はジャンと同じモスグリーン。何にもまして、その顔つきが叔父そのものだった。

 普段、余計な事は一つも言わない執事でさえ、あれは──と、のちに問うてきたくらいだ。執事は父の代から家にいる。気付いて当然だった。

 母親も父親もいないというヒロ。まさかと思いながらも、確認させた。そして、その結果がここにある。


 ──さて、どうしたものか。


 カイルは手元の写真をこつり、と指先で叩いた。そこには、ヒロの後見人と言われる人物が写っていた。


◆


「なあ、この前のまた作ってくれねーの?」


 その日、軽い昼食──例の固いパンをオイルとハーブを振って焼きなおしたものと朝の残りのスープ──を、待機していたユージンと一緒に取った後、食器を洗っていれば、ユージンが声をかけてきた。ソファの背に身を乗り出し、そこへ肘をついてこちらを見ている。


「この前って?」


 ユージンは考えるようにしながら、


「──縁がクッキーみたいに固くて、上に果物が乗ってて、中に甘いクリームが入ってた奴」


 ユージンの説明を聞いた後、嘆息する。


「ああ、タルトか…。いいけど、あの時、あんまり上手くいかなかったんだよなぁ」


 確かあの時は、缶詰の桃を乗せたはず。


「あれで? 美味かったって。また作れよ。な?」


「うーん。じゃあ、作るか…。農園で試しにリンゴ作ってたっけ?」


「まだ試作だし、若くてすっぱいぞ? 前、食べただろ?」


「いいのいいの、そのほうが。じゃ、それ使って焼いてみよう。ケイが作ってたみたいになるか分からないけど…」


 ミトから借りた古い料理本がいくつかあって、それを参考にしている。お菓子については目分量では必ず失敗してしまうから、それは必要だった。

 ただ、ここには電子オーブンが置いていない為──たぶんカイルくらいの生活水準になるとあるらしい──ガスか薪の窯になる。お菓子は調節の効くガスでいつも焼くようにしていた。慣れるまでかなり失敗して、消し炭を何個も作り上げたけど。


「じゃ、今日、見回りのついでに採ってくる。今日はもう農園に行かないんだろ?」


「うん。午前中だけだったから。じゃあ、明日挑戦してみるか…。バターに牛乳、小麦粉、砂糖はあるし、卵もあったね。──うん、できるな」


「やった! 楽しみにしてる」


「あんまり期待しないでよ…。多分、炭にはならないはずだけどね」


「ならないって」


 ユージンは本当に嬉しそうに笑った。その顔は寝顔以外で一番、年相応に見えた。


◆


 夕方になって、小雨が降りだした。小窓の向こうに、霧雨が見える。


 ──ユージン、濡れて帰って来るかな?


 夕食の支度は整っている。そろそろ皆が食べに起きてくる頃だ。外回りに出ているユージンも帰ってくるはず。エプロンで濡れた手を軽く拭きながら、時計に目を向けた。

 と、そこで誰かが玄関のドアをノックした。例の件以来、開けるのは慎重だ。ドアにはいつの間にかチェーンも取り付けられ、こちら側に鉄板が張られている。もしもに備えて、だ。

 いつもなら、リビングにいる誰かしらが対応する。用心のためだ。けれど、生憎リビングには誰もいなかった。再びノックの音がする。


「──どなたですか?」


 恐る恐る尋ねれば、


「私だ。カイルだ」


 瞬間、緊張が走る。


 ──カイルが? ──なんでここに。


 それでも用心のため、チェーンをかけてから薄くドアを開ける。すると確かにそこにカイルが立っていた。小雨に濡れるのも構わず、口元に僅かな笑みを湛えて。

 慌てて一度締めてチェーンを外すと、カイルの為に再びドアを開けた。

 あの時以降、カイルが手を出してくることはなかった。ユージンも奥貫は警戒していたが、カイルに対しては、そこまでは警戒していない。

 奥貫をそそのかした張本人らしいが、本気ならカイルの元を飛び出したあの時、ヒロ達を自由にはしなかったはずだと言う。

 だから、こうしてわざわざ出向いてくるとは、考えてもみなかった。開けた途端、普段ここでは薫ることのない高級な香水の香りが漂う。


「あの…なにか? ユージンはまだ帰ってきていなくて…」


「いや。今日は君に話があって来た。──実は君の後見人から届けが上がってきたんだ」


「届けが──」


 ──やっとだ。


 瞬間、安堵感が広がるが、


「部下に伝えさせても良かったが、信用されないと困ると思ってね。私が直接伝えに来た。詳しい審査はこれからだが、許可が下りればすぐにでもあちらへ帰ることになる。ついては、連絡が来るまで私の邸で待機して欲しい」


 ──すぐにでも。


 それは、急だ。ぐるぐると頭の中を、これからの予定が駆け巡る。


「──今から? 帰る前に一度、ここへ戻って来られますよね?」


「いいや。もし審査が通れば、その日のうちにここを出ることになる。君は向こうへ帰りたかったんだろう? なら、躊躇う理由はないと思うが…」


「そう…ですけど、あんまり急で…。──せめて、ユージンにひと声、かけておきたいんです。じきに帰ってくるんで──」


 流石に何も言わずに出ては行けない。しかし、カイルは微笑みを浮かべながら、


「許可が下りた時点で、本人が不在となれば、この件は取り下げられる。この機会を逃せば君は二度とあちらへ帰れなくなる。大切な人が待っているんだろう?」


 心配するケイの顔が思い浮かんだ。


「……っ」


 カイルは腕時計に目を落とした後、


「時間がない。とにかく必要なものだけ取ってきてくれ。──五分だ」


「五分?」


「この間にも許可が下りたと連絡がきているかもしれない」


 慌てて二階へと駆けあがり、自室へ飛び込んで見回した。


 ──ええと、必要なもの、必要なものって。


 さっき暑いからと脱いだパーカー。使い込んだシーツに枕カバー。机の鉛筆立てに挿された、レシピを記す為のボールペンに赤の鉛筆。クローゼットには、季節に合わせた普段着が吊るされている。

 ここにあるものは、全てここで必要だったものだ。あちらへ持っていく必要はない。そこではたと気が付く。


 ──ここで得たのは、ものじゃないんだ。


 ユージンや、他の皆と築いてきた関係こそが、大切なもので。持って帰れる様な、形あるものではなかった。


「……」


 ──このままだと、ユージンに会えない。


 仕方なく、いつもレシピを書き留めるのに使っていたノートの空白のページに走り書きでメモを残す。

 このレシピノートはここへ置いて行こうと思った。もしかして、帰って来られないときも、これを見て同じものを作ることができるだろう。

 そうしていると、車のクラクションが鳴った。

 時間だ。慌てて階下へ降りれば、ロブが丁度起きてきたところ。慌てているヒロをみて、怪訝な表情をみせる。


「──ヒロ?」


「ロブ! ごめん。急で申し訳ないんだけど、ケイが届けを出してくれて、今からどうしてもカイルの所に行かないといけないんだ。それで、許可が下りたらそのまま帰ることになるって──。カイルはそう言ったけど、一度は帰ってこようと思ってる」


 着けていたエプロンを外しながら、ロブを振り返る。ロブは驚いた様子を見せていたが、リビングで待つカイルに気がついて、すぐに状況を理解したらしい。


「──わかった。ユージンに伝えとく」


「ありがとう、ロブ。それと──」


 言ってから腕を伸ばし、ロブの首筋に絡めるとそのまま抱き締めた。驚いたロブが息を詰める。


「…ヒロ?」


「──今まで、ありがとう。もしかしたら、会えなくなるかもしれないだろ? ──もし、そうなったら、ユージンにもよろしくって…」


 言いかけて、言葉に詰まって、涙が込み上げそうになった。


「ヒロ、もう行く時間だ」


 カイルが声をかけてくる。慌ててロブから離れ、それに頷くと、もう一度ロブを振り返り、


「じゃあ、行くね。なんとか時間を作って戻ってくるから──」


「あ、ああ…」


 そのまま玄関で待つカイルに背を抱かれるようにして、根城を後にした。


◆


「よっと」


 植えて三年目のまだ若い木から、なっていた実を、くるりとひねるようにして枝からもぐ。手に取るとじんわりと温かい。日の光をいっぱい浴びていたからだ。

 科学的な農薬は使っていないから、虫に食われることも多いが、今、もいだそれは、虫食いも傷も見当たらなかった。

 順調な成長を見せている。これも全てミトらが、丁寧な作業をしてくれているからだ。

 農園で採れたリンゴは青リンゴだ。放っておいても赤くなる種類ではない。まだ改良が必要なそれは、味も酸っぱくて、料理にしか使えないと言われていた。それでも、できた時は嬉しくて、持って帰ってヒロと食べた。

 案の定、すっぱくて、それでもひーひー言いながら、二人して食べた。これが上手く成長すれば、違う種類を試すつもりでいる。今度は甘くて赤くなるのだ。きっとヒロも喜ぶだろう。

 そこまで考えて気が付く。ここのところ、ヒロが喜ぶかどうかが、作る作物の基準になっている気がした。


 ──どうかしてる。


 そう思うのだが、いつの間にかそうなってしまうのだから、止めようもなかった。


「ユージン、料理に使うならそれくらいでいいでしょ。全部、もいで行く気かい? なっている実がなくなってしまうよ」


 見かねたミトが声をかけてきた。


「わかったって。これでおしまいだ。ありがとう、ミト」


「いいって。試しに使って上手く行ったら教えてくれ。レシピに足しとくから」


「了解」


 麻の袋に入れたのは七、八個。これで十分だろう。それを助手席に乗せると、家路についた。


 根城に到着すると、その玄関先にロブが落ち着かない様子で立っていた。ユージンの車が停まると、待ち構えたように駆け寄ってくる。


「──どうした?」


「ユージン! ヒロが…!」


 リンゴの入った袋を抱え、車を降りたところでロブの報告を受けた。

 カイルが迎えに来て、邸へ連れて行ったというのだ。ヒロの後見人である、ケイからの届けが出たため、審査が終わるまでカイルの邸で待機する必要があるのだとか。許可が下りればそのまま帰ることになるという。


「──届けが、出たのか…」


 ロブが重々しく頷く。すでにヒロがここへ来て一年が経とうとしていた。


「よろしくって。戻れるなら一度戻って来るとは言ったけど、あの様子じゃきっと無理だ。審査が終われば、あっちに帰っちまう。──どうする? ユージン…」


 抱えていたリンゴを足元に置いた。袋の口から、リンゴが一つ、転がり落ちる。ロブの問いかけには答えず、リビングへと入る。

 ダイニングテーブルに置かれた椅子の背には、エプロンが乱雑にかけてあった。いつものヒロらしからない。よほど慌てていたのだろう。

 カウンターには仕込み終えた夕食のシチューや、タルト型が置かれていた。タルト型は、明日、使うつもりで出しておいたのだろう。

 まだヒロの気配の十分に残る台所を横目に、二階のヒロの部屋へと向かった。

 綺麗に整えられたベッド。置かれた椅子の背には、いつも着ているパーカーがかけられていた。出ていった時とかわりないヒロの部屋。


 ──もう、帰って来ないのか?


 出がけに見せた笑顔が脳裏に浮かぶ。あれが最後だとは思いたくない。

 ふと目をむけた机に手帳ほどのノートが開いて置かれていた。ヒロがレシピを書きつけているノートだ。明日作る予定だったタルトのレシピもそこに載っている。色々調べて失敗を繰り返し、ようやくたどり着いたレシピの数々。

 そこには、ユージンも深くかかわっていた。挑戦した料理の毒見役は、だいたいがユージンで。あれこれ言って、試行錯誤したのを思いだす。

 近づいてそれに触れようとした手が止まった。開いたままのノートには走り書きでなにか書き残されている。レシピではなかった。


『ユージン、お疲れ様。ちょっと出てくるけど、必ず戻って来るから。明日、絶対タルトを焼くよ! 約束する! ヒロ』


「……」


 言葉もなくそれを読み終え、苦笑する。ヒロは戻って来れると思っているのだ。


 ──どこまでも、能天気で生真面目で。


 どうするもなにも、自分ができることはなにもなかった。


 ──ずっと帰りたがっていたんだ。ヒロは。


 前のようにカイルのもとに出向いて、それを引き留めることはできない。彼の幸せを奪うことはできないのだ。


「…くそ…っ」


 レシピに書かれたメモを、くしゃりと握り締めた。





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