16.仲間
「いやー、怪我がなくて良かった。ほんと」
夕食前、ロブがリビングのソファで胡坐をかきながら、ビールの小瓶片手に口にする。
あの騒ぎの次の日、なんとか落ち着きを取り戻したヒロは、今度はリビングの掃除に追われた。
なんたって、血は落ちづらい。必死でブラシでこすっているうちに、すっかり銃口に怯えたことも忘れてしまった。それでも、農園の仕事は休ませてもらった。ユージンのすすめだ。
「僕が怪我すると、食事担当はユージンになるもんね?」
台所で夕食準備に取り掛かりながら、そう返せば、ロブはきまり悪げに、くるくると巻く黒い髪をかき上げる。
「あ? あははは。そう、そうなんだよー。さすがにもう、あれ、食いたくなくってさ。──けど、それだけじゃないって。もうヒロは俺たちの仲間だからさ。無事で良かったってこと」
「仲間…」
それは、さっきまでここにいたユージンにも言われたことだ。ロブが来る前に、仕事で出て行った。
あの襲撃は、よその地区であぶれた連中が起こしたもので、この地区を奪ってやろうと計画を立て、実行に移した結果だった。
オルガは農場で帰り支度を整えていた所を捕えられ、根城に向かうよう脅されたのだと言う。脅されはしたが、なんとか事態を伝えようと、必死に視線だけでヤートに伝えたのだ。
ユージンは最近動きの怪しい連中に目星をつけていて、近いうちに襲撃にくると睨んでいたのだという。彼らの裏で糸を引いていたのが、奥貫だということも掴んでいた。
夜、遅くまでロブ達と話し合っていたのはそのせいだ。それで、駆けつけるのが早かった。
捕まえた男らに吐かせると、ユージンの恋人を連れ去り、それと引き換えにここの権利を要求しようとしていたのだという。
ユージン達は、首謀した男を捕えようとしたが、奥貫のいる地区へ逃げたため、それ以上追うことができなかった。他の地区への手出しはできない。けれど、きっと生きてはいられないだろうと言った。
「どうして?」
「このままだと、俺と争うことになる。奥貫は臆病者だ。俺との争いを避けるため、自分は関わりないと証明しようと、逃げ込んだ奴らを生かしてはおかないだろうな…。近いうちに、俺の目のつく所で遺体が見つかるはずだ」
相変わらず物騒な環境だ。
「そうなんだ…。──でも、ユージンの恋人なんて、ここにいたっけ?」
するとユージンは今さらという顔つきになって、
「おまえだ。ヒロ」
「──は? 僕?」
「そうだ。奥貫はどっからか、おまえの背中に俺の印があるのを知ったんだろ。──それで、ヒロが俺の恋人だと思い込んで、ちょうどあぶれた連中をそそのかして、吹き込んだんだ。おまえを捕まえて人質にして、要求を呑ませろってな」
「あの──特別っていう?」
「そうだ」
ユージンの返答に、口が開いたままになる。
「だから、その印はここじゃ重要なんだ。前もそう言ったろ? ──ったく、どうせカイルの所から漏れたんだ。あいつ、わざとやってんだろ…」
「どうしてそんなこと…?」
「あいつは、未だに自分の所を出ていった俺を許してないんだ。それで、たまに嫌がらせをする…。すりよってくる奥貫を利用して、俺を試して遊んでるんだ。…嫌な奴」
「そんな──」
「俺がそれくらいでやられる奴じゃないって分かってるんだろ。──それで俺が負けたら、きっと自分を足蹴にしたくせに、様がないって笑うんだ。──だから、俺はかならず勝つし、あいつの好きにさせない。あいつの企みなんて、全部、蹴散らしてやる。あいつから自由になれたんだ。これくらい想定内だ」
「…すごいね」
「あいつは世の中、金と権力があれば、全て思い通りになると思ってる。確かにそうなってる事の方が多い。──けど、俺はそう言う傲慢な所が気に食わないのさ。なにもかも、それで自由になると思うなっての」
ユージンは、吐き捨てるように口にした。
「…もう、あんなこと、ないかな?」
「どうだろうな…。すぐにはないだろうけど、奴がこのまま大人しくなるとは思えない。奥貫には幾ら違うと言ったところで、その印がある以上、信じないだろうしな。…ここの監視も増やした方がいいな」
「僕…どこか遠くに行った方がいい? それとも隠れるか──」
「なにしたって、すぐに足がつく。俺の目の届く範囲にいてくれた方が守りやすい」
守る、そこでふっと笑みを浮かべた。ユージンがムッとした顔を見せる。
「なんだよ。こっちが真剣に話してんのに…」
「違うよ。ユージンが当然みたいに守ろうとしてくれるのが嬉しかったんだ。──だって、僕なんてただの雇われ人だし、代わりなんて幾らでもいる。しかも沢山、迷惑かけてるやっかいものだ。──なのに、守ってくれるんだって、嬉しかったんだ」
笑顔でユージンを見れば、
「代わりなんて、いない…」
ぼそりと口にする。
「ユージン?」
すると、ユージンは急に声を大きくして、
「俺だって、自分の作ったまずいスープを食べたくないんだ。やっとまともな腕の料理人に育ったんだ。──ヒロの代わりは、すぐには見つからないからな?」
「なんだよ、それ。料理の腕を買っているだけ? もう…。わかったよ。せいぜい、ユージン達に飽きられないよう、料理の腕を磨くとするよ」
すると、ユージンは真面目な顔つきになって、
「ヒロはもう俺たちの仲間だ。何かがあってほしくないってことだ」
「仲間…」
「だろ?」
ユージンはそう言って、屈託なく笑った。
──仲間。
きっと初めの頃、そう言われてもピンと来なかっただろうが、今は違う。改めて言われると、認められた事に、くすぐったさと共にじわりと嬉しさも広がる。
ロブはこちらに身を乗り出すと、
「──けどさ。ユージンの場合、俺たちとはちょっと違うかもな?」
「違うって?」
「あの撃たれた奴、見事に手首と両肩撃ち抜かれてた。いつもなら眉間に一発なんだけどさ。あれはあれで凄い。けど、話を聞きたいってのもあったんだろうが、別に捕まえた奴もいたから、あいつじゃなくてもよかったんだ。──思うにヒロの前でやりたくなかったんだって思うぜ?」
「僕の前で? どうして?」
「おまえ、そんなの目の前で見たら、きっと卒倒するだろ? それに、そんなユージンを見て、怖いと思うかもしれない。ヒロに嫌われたくなかったんだと思うな。俺は」
「まさか──」
「見た目は小柄で子どもみたいだけど、ユージンはかなり大人だし、幾つも修羅場を乗り越えて来てる。頭もよくて腕もいい。だから、この地区のボスになってる。──けど、上に行くほど孤独にもなる。俺たちは、いくら戯言を言い合っていても、ユージンと並ぶことはないしな」
「そうなの?」
「そうさ。──けど、ヒロは向こうから来た人間で、ユージンを色眼鏡で見ない。俺たちにとっては怖いボスでも、ヒロにしたら、年下のくせに男気のある頼りがいがある奴って程度だろ? 普通に接してる」
確かに、ヒロを特別な目で見たことはない。
「うん…」
「それが、嬉しいんだ。だから、ユージンはそんなおまえに嫌われたくないんだろ」
「そうなのかな…?」
「そうだって。俺たちとはちょっと違う。傍から見てれば分かる。ユージンは認めないだろうけどな」
ロブは意味深な笑みを浮かべて見せた。
◆
その後、皆が夜回りに出る頃、入れ違いにユージンが帰ってきた。今晩もここで待機するらしい。
ユージンはいつもと変わりない。けれど、さっきのロブの言葉が頭をよぎって、それを思い出すと、こそばゆくなって視線を合わせられなかった。
──僕に嫌われたくないって、それって好かれたいって事、だよな?
そう思うと、なんとも嬉しく照れ臭くもなるのだ。そのいつもと違う気配に気が付いたユージンは。
「なんだ? どうかしたのか?」
ヒロがやらなくてもいい作業──すでに片付けた皿をさらに並べ替える──をキッチンでしていれば、声をかけてきた。
「ううん、なんでも…。──それより何か飲む? ビール?」
「今日はやめとく。──てか、当分」
木箱に積まれたビールの小瓶にかけた手が止まる。
「どうして?」
「それくらいじゃ酔いもしないけど、やっぱり何かあった時のことを考えると、そうした方がいいかと思ってさ」
「また、襲撃があるかもって?」
「そ。当分無いとは思うけど、何事も準備は万全にしとかないとな。──もう寝るのか?」
「ううん。もうちょっと起きてる。ユージンも来たし…。じゃ、紅茶でいい? 牛乳があるから、ミルクティーでどう?」
「ん。それでいい」
ユージンが嬉しそうに口角を上げて微笑む。
そう言えばいつの間にか、ユージンはヒロにも笑みを見せてくれるようになっていた。初めの頃など、ひとかけらも見せなかったのに。素直に嬉しいなと思う。
──僕だって、ユージンには嫌われたくない。
そう思えるくらいにはなっていた。
温めたミルクを淹れたての紅茶にそそぐ。逆に温めたミルクへ紅茶をそそぐバージョンもあるらしいが、特に味に変わりはないと思っている。
大ぶりのカップに入れたそれを持って、リビングのソファに座るユージンの前へ置いた。そのまま、ユージンの傍らに腰を下ろす。スプリングの効きはあまりよくないが、少し硬いのが結構気に入っていた。
座ってから、ユージンがヒロの方を見つめているのに気づいた。
「どうしたの?」
「なんでもない。──いや、違うな。聞きそびれたけど、昨日の晩のはもう大丈夫か? ショックだったんじゃないのか?」
「大丈夫だよ。まあ、怖かったは怖かったんだけど…。でも、こうしてユージン達もいてくれるし、ここじゃ、ああいう事も日常茶飯事なんだろ? 慣れることはないと思うけど、理解はしてる。──それに、あれくらいでショック受けたら情けないよ。ユージンたちはもっと大変な場面に出くわしてるんだし…」
「ヒロはそうじゃないから、いいんだ。情けないなんてことはない」
「そう? でも誰もなんともないだろ? 僕だけびくびくしてても…」
「それが本当は普通なんだ。俺たちが普通じゃないってだけ。あっちでは銃撃戦なんて早々ないだろ?」
「うん…。見たのは、あの壁が壊れた時くらいだよ。あの時、本当にびっくりしたな…。初めて銃を向けられて、何がなんだか分からないうちに撃たれて気を失って。そんなことが自分の身の上に起こるなんて、思ってもみなかったもの。──でも、これはこれで、現実なんだよな」
同じ時間軸で起こっていることだ。ヒロが知らなかっただけ、知ろうとしなかっただけで、こちらでは普通に起こっていたこと。
でも、アルバイトしていた書店でも、こちらの地域についての本は、殆どなかったように思う。たしか、自費出版で数冊、あったくらいだ。
──存在していないはずの場所、だからだろうな。
「まあな。どっちも現実だ。ガキの頃、ヒロの住む世界の事を知って、行ってみたいって思ったな。まだカイルに拾われる前の事だ。路上生活は厳しくてさ。毎日食うものにも困る。たまたま、よくつるむ連中の中に字が読める奴がいてさ、そいつが新聞を拾って、あっちの世界の出来事を話してくれたんだ」
「どんな話?」
「些細なニュースだ。動物園に新しい動物が来ただの、小学校で運動会が開かれただの。争いのない平和な世界──。ヒロの所じゃ、俺たちの住むこの地域の話は殆ど漏れないようだけど、こっちはそうじゃない。行くことはできないけれど、情報だけは溢れてた。──ガキの頃はちょっと憧れてた」
ユージンは照れ臭そうに笑う。
「…ねぇ。こっちの住人は、本当に壁の向こうには行けないの?」
「行けない。俺たちは存在していないはずの人間だからな? いちゃならないんだ。──だから、平気で銃口を向けてくる…。だいたい、存在していない人間があっちに行けるはずがない。よほど権力があるか、上に顔が効くかでないと無理だろうな。カイルは普通に行き来している。あれくらいにならないと無理だ」
「そうなんだ…」
「確かにあのまま、カイルの所にいれば、行ける可能性もあっただろう。ヒロもそう言われたんだろう? ──けど、俺はごめんなんだ。あっちに行くため、自由を手放すつもりはない」
「──そうだね。今なら分かるよ。カイルの傍にいたら、自由がないって。それに、カイルの隣にいるユージンなんて、想像つかないや。違和感ありすぎ」
いかにも高級なスーツを身にまとい、たたずまいも上流階級の者のような振る舞いのカイル。その隣にそうは言っても十代の、街のチンピラ風のユージンが侍るのは──想像がつかない。それに、カイルとは大きな違いがある。
「そうか? まあ、その方がいいけど。てか、俺がガキっぽいからとかいう理由だったら、納得いかねぇな…」
「ち、違うって。見た目ってのは確かにあるんだけど…。ユージンは嘘がない」
「嘘?」
「そう。カイルは──なんだろう、とても冷たいよ。一見すると、穏やかで優しそうなんだけど、何かが冷えてる気がする…。けど、ユージンは温かいって思う。表情に嘘がないんだ。だから信用できるし、安心する。だからカイルとは違って見えるんだ。──て、僕の勝手な思い込みだけど」
「ふーん…。嘘がないか。ヒロにはそう見えるんだ?」
「なんとなく、感覚的なものだよ。僕がそう思っただけ。──でも、ユージンは人をだますような所がないだろ? 表と裏で人が違う、とか…」
「どうだろうな。意識はしてない。けど、何に対しても、同じ行動を取る様にはしてるな」
「だろ? ユージンは信用のおける相手には、ちゃんと心を開くもん。見ててわかる。僕にだって笑ってくれるようになったし」
「笑う?」
「そうだよ。初めの頃なんて、いっつもむっとしてて、眉間にしわがひとつ余計に寄ってて。でも、ハルやミトには笑いかけてて。ちょっとあれ、羨ましかったんだ。今だから言うけど」
「そう、だったかもな…」
「そうだよ。でも、ようやくユージンに認められた。僕もユージンのこと好きだもん」
──僕だって、ユージンに嫌われたくはないのだ。
笑顔でそう口にすれば、ユージンが固まったようになって、
「…好き」
そう呟いた。ヒロは慌てて訂正を入れる。
「いや、その、もちろん友だちとしてってことでだよ?」
「──わかってる」
むすっとした顔でそう答えた。
どうして怒ったような顔をしているのか。友だち扱いが気に入らなかったのだろうか。なんせ、ユージンは皆のボスなのだ。そうなると、友だちと言うのは少し気安すぎたのかもしれない。
けれど、他に思い当たる関係が浮かばなかったのも事実だ。本当は、友だちと言う括りだと、少し浅い気もするのだけれど、適当な言い方がない。
こんな頼りない人間を、見捨てずに見守ってくれる。カイルや奥貫から守り、生活も支えてくれた。ひとつ年下だと忘れるくらい、本当に頼もしい人物で。感謝しかない。
そんなユージンを、嫌うことなんてあるはずもなく。ユージンに報いるため、できることを返していきたいと思っている。
──今のところ、家事と農園の手伝いくらいだけど。
それを精一杯やるつもりだ。
「──友だちって、嫌だった?」
「違う。…まあ、いいや。俺もよくわかんねぇし」
「わからない?」
「こっちの話。───さあ、そろそろ寝ろよ。ちゃんとここで待機してるから」
「分かってる。──ありがとう、ユージン」
あの事件のあと、ユージンが必ずここに残ってくれているのを知っている。もちろん、ヒロを守る為だけじゃないことは分かってる。
またここへ奥貫にそそのかされた連中が来る可能性があるからだ。当分、手は出してこないだろうとはユージンの話だけれど。
理由はどうあれ、いてくれることが嬉しかった。




