14.洗濯
次の日、午前中の農園作業が終わる頃、ユージンが迎えに来た。すっかり育ったトマトの収穫を終えて、着替えようと物置小屋に戻って来ると、どこかきまり悪げにしたユージンがいたのだ。
朝起きたとき、ユージンはまだ帰ってきていなかった。他の根城付近で小さな揉め事があったらしい。そのため、行きはロブが送ってくれていた。
昨日の今日だ。まさか迎えに来てくれるとは思わなかった。顔を合わせるのは昨日の夜ぶりだ。
ユージンは言葉を選ぶようにしながら、
「お疲れ。──それと、昨日は言い過ぎた。…ごめん」
すっかり項垂れている。それを見て、責める気は起きなかった。それに元々、そのつもりもない。ユージンが意地悪を言うような人間ではないと分かっているからだ。
「いいよ、もう。ユージンは事実を言っただけなんだし…。──けど、ユージンがなんと言おうと、僕は信じてるんだ。いつか絶対、ケイと会えるって」
「うん…。分かってる」
「これは僕の思いだから、誰になんて言われても変わらない。心の中でずっと思ってる…」
──ケイは僕を見捨てたりしない。
一緒に過ごした十一年近くの日々が、それを保証している。見捨てたいなら、もっと早く──いや、母が亡くなった時点で、そうしたはずだ。
けれど、それをしなかったケイが、今更、ヒロを見捨てるはずがない。
──だって、僕にとってケイはたった一人の家族なんだから。
同じようにケイにとってもそうだったはず。
──僕は、ケイを信じる。
「…わかった。もう言わない。俺も──そう思うことにする」
「あはは。いいよ、ユージンはユージンで。──でも、そう言ってくれると嬉しいな。もし、ケイが迎えにきたら、ちゃんとした額の報酬を請求してよ? 僕、頑張って貯めるからさ」
ユージンには、世話になりっぱなしだ。拾ってくれたのがユージンだからこうして無事に暮らせている。
もし、あの奥貫だったなら、こうはいかなかっただろう。今頃、売り飛ばされた先で、悲惨な生活を強いられていたか、夜の店で働かされて、金だけ搾り取られていたに違いない。悪くすれば、あのまま臓器だけ取られて終わりだったかもしれない。そう思うと、ゾッとする。
その後、ここで過ごす時間が長くなるに従って、奥貫の悪評を、度々耳にするようになった。
たいていは、見回りの時のいざこざ絡みだけれど、地区に住む住人には、奥貫の管理する地区から逃げだしてきた者もいて、世間話のついでにぽつりぽつりと語ってくれることがあったのだ。
ある者は工場で、ある者は娼館で。
生きるのもやっとの極貧の生活を強いられたと言う。仕事が終われば、見張り付きの窓もない部屋に押し込まれ、逃げられないように監視が付き、時間が来れば仕事に向かわされる、
男女かまわず、そんな日々が延々と続いた。ただの道具としての扱いだ。人として見ていない。
もし、奥貫に拾われていたら、ヒロもそんな生活を送って、二度と陽の光を見ることは叶わなかったかもしれない。ケイに会うなど、夢のまた夢。
「わかった。たんまり取ってやるから、覚悟しとけ」
ユージンはそう言って笑った。
◆
今日は天気もよく、風も強くない。絶好の洗濯日和だ。
洗濯ものは、中庭に干す。今まであった支柱を更に増やして──ロブとヤートが立てるのを手伝ってくれた──ロープを張り巡らせ、そこに洗った洗濯物を端からかけていくのだ。
あまりに張り巡らされているから、まるで迷路かトラップのようだとユージンがぼやいた。いちどシーツの群れの中に入り込んで、本気で出られなくなったらしい。
「さて、干すか──」
籠いっぱいの洗濯ものを、庭の緑の上に置き、片っ端から干していく。
すでに部屋の中の掃除は終えていた。窓を開け放ち、埃を払い、床にモップを掛け、掃き掃除をする。
根城にしている建物の一階は、リビングとキッチン、二人部屋が四つ、別室にシャワールームに洗面台とトイレがある。
二階にはヒロの部屋と、ユージンの部屋、ほかに客間が二つ。別室にシャワールームと洗面台とトイレだ。
なかなかの広さだが、使わない客間は週に一度か二度ほど掃除するだけでいいし、汚れたシーツの類いは、各自洗濯場に持っていくように頼んであるから、二時間ちょっとあれば全て終わってしまう。
主であるユージンは、この家にいる日といない日がある。不定期だから、一階の部下達が使う部屋と違って、そこまで完璧に掃除をしていなくても、二日に一回くらいで良かった。
いないときは他の根城に滞在しているか、付き合いのある女性の所にいるらしい。これはしばらく経ってから、ロブが教えてくれた。
ロブが言うには相手は数人いて、その日の根城に近い女性に会いに行くらしい。相手は一般人ではなく、その道の女性ばかりなのだとか。
ユージンの立場には危険が伴うため、それを承知で付き合える相手となると、商売関係の方が楽らしい。ただ、一晩中いるわけではなく、用が済めば根城に帰ってくるのだという。
──ていうか、まだ十六なのに。
何度も言うが、ここでは全て自己責任なのだ。
そのユージンの色ごとの話が、昨晩話題にのぼった。ユージンはここで待機の日だ。他の連中は街中の見回りにでていて、残ったものはこの根城の周囲を警備している。
「ヒロは、あっちに彼女がいるのか?」
琥珀色のアルコールの入ったグラス片手に、ソファに陣取ったユージンが尋ねてくる。ちょうど、食器を片付け終えた所だ。
デリケートな話題だけれど、隠すことは何もない。だって、付き合ったことさえないのだ。
「…いないよ。──友達ならいるけど…。ユージンは?」
「本気なのは、いないな。皆、割り切った付き合いだ」
「前にロブに聞いたけど、やっぱり、相手を危険に巻き込むから?」
ユージンは短いプラチナブロンドの髪を、無造作にかきあげながら。
「…まあな。やってる最中、踏み込まれたこともある。咄嗟に自分の身を守れる奴じゃないと、付き合えない」
ユージンはグラスに揺れる琥珀色の液体を口にしながら、笑って見せる。
「…すごいね。なんか、ユージンの世界って」
ヒロは明日の朝食準備を始めながら、怖い怖いと肩をすくめてみせた。
「ヒロだって、その世界にいるんだって。ここを主な根城にしてるって分かってるから、突っ込んでくるバカはそうそういないけどな。安全ってわけでもない。…ヒロは身を守れないから、心配はしてる」
「うーん…。確かに。突然、銃とかナイフとか向けられたら──固まるな。でも、大人しくしてれば大丈夫じゃないの?」
「少しは理性のある奴ならな。──でも、たいていが、どっかネジがぶっ飛んでる奴ばっかりだ。俺に恨みでもあれば、手当たり次第だろ」
「そんな…。僕、何もしてないのに?」
「ここにいるってだけで、狙われる理由になる。だいたい、ヒロの背中には俺の印がある。それを知ってる奴がいたら、ヒロが俺の特別だって思うだろ?」
「ええ!? それって、勘違いだろ? だいたい、そう言う意味でつけられたんじゃないし…。いやだな。これ、そろそろ消してもいいんじゃない?」
刺青を消す方法があるらしいのは知っていた。
けれど、ユージンは首を振って。
「その墨、特殊なんだ。簡単には消せない。紫外線をあてれば光るしな。本当に消したいなら、皮膚移植しかない」
「ええっ! ──うそ…」
思わず手にしていたボウルを取り落としそうになった。中には千切りにされたレタスが入っている。最近、採れるようになった種類で、葉はまだ青く固いが、細かく刻めばサラダでいけた。明日の朝、食べる分だ。
「大袈裟だな…。あっちにだって、タトゥーくらい入れてる奴いるだろ?」
「それは…いるけど…」
ケイもジョシュも入れていた。が、ヒロの性格上あり得ない。入れたいと思ったことすらないのだ。
「まあ、安心していい。それを知ってる奴は限定的だ。俺の他はロブとヤート。あとはカイルの所だろ。皆口は固い。…カイルが意図的に漏らさない限りな」
「うん…」
「ヒロは弱い。捕まって誰かにひん剥かれた時、それがあれば、大抵の奴は俺を恐れて手を出さない。…いい虫よけだろ? それでカイルも引いたんだからな?」
「…そうだけど」
すると、ユージンは得意気な顔になって、
「俺、人に印つけたの、初めてなんだぜ?」
「──そうなの?」
「そう。だから貴重なんだって。ありがたく思えよ」
「……うう。なんだろう。ちっとも嬉しい! ってならない…」
ユージンは笑った。
──確かに助かりはしたけれど。
そんなことを思いだしながら、ピンとシーツを張って、張り巡らされたロープにかけていく。人数がいるから、それなりに干す必要がある。
もちろん、天気の悪い日もあるから、そういった日を考えて、シーツは替えを少し多くしてもらっている。タオルも同様。
なんだか、そんな心配ばかりしているうちに、すっかり家事が板についてきたことに気が付いた。
使っていないタオルの枚数や、いつシーツを取り換えたか、今日は雨だからきっとみんな泥だらけで帰ってくるだろうから、明日はいつもより早めに洗濯機を回さないと──とか。
──このまま、ケイが届け出を出さなければ、ここでこうして生きていくんだろうか。
それも悪くはないのかもしれない、そう思い始めている自分がいた。
◆
そうして、籠からシーツを一枚取り上げた所で、風でめくりあがった先に、人の足先があるのに気づいた。見覚えのあるサンダル。
中庭にはいくつかベンチが置かれている。そのうちの一つ、木陰にあるそれは、ここの主の定位置となっていた。前に気付かずに座ったことがあって、その主にどけとどやされたことがある。
「…ユージン?」
遠慮がちに声をかけたが返事がない。
視界を遮るシーツをめくって確認すると、ベンチに深くもたれて眠るユージンがいた。
今日、帰ってきたのも早朝で。一晩中歩き回っていれば、疲れもするだろう。ベッドで休むのかと思ったが、やることがあると、さっきまでリビングのソファで部下と共に地図とにらめっこしていたのだ。
ベンチに眠る、その手にはやはり何かの地図らしきものが握られている。ここで一人思案するうち、眠ってしまったのだろう。
──眠くもなるよな?
吹く風は爽やかだが、少し肌寒かった。
一旦干す手を休め、一階のキッチン横にあるリネン室兼食糧庫から、タオルケットを一枚とってきた。
戻って、ユージンの肩口にそっとかける。見下ろすユージンはすっかり熟睡していた。
眠る顔はやはりというか、ありがちと言うか、年相応の十六才の青年の顔に見える。いわゆる、あどけないという奴だ。
──かわいいの。
普段のユージンとは別物だ。
小さく笑ってから、手に軽く握られていた地図を、傍らのテーブルに置いて、飛ばないよう拾い上げた小石を載せる。
タオルケットからはかすかに粉石鹸の香りが漂う。それは、庭の草花の青い香りと相まって、平和な時間を演出していた。
ユージンはいつもどこか緊張を緩めず、感覚を研ぎ澄ませている節がある。こんな風に休む時間も必要だ。
ヒロが洗濯ものをすべて干し終えた頃、ようやくユージンは目を覚ました。顔をわずかにあげて、辺りを見回す。
「…?」
「おはよう。部屋で休んだら?」
「いいや…。──いい、十分寝た」
身体を起こしたユージンは、自分にかけられていたタオルケットと、テーブルに置かれた地図を交互に見たあと。
「──これ、ヒロか?」
「そうだよ。今日は、風が少し冷たい気がしてさ。タオルケット、そこに置いといてくれれば、俺が片付けるから」
「…わかった」
そう言ったあと、なぜか大きくため息をついて、髪をワシャワシャと掻き回したあと、何事か考えている様子だったが、
「あ! ここにいたのか? ユージン、ちょっと相談に乗ってもらいたい事があって。いいか?」
ロブが顔をのぞかせた。
「──今行く」
そうして、タオルケットを背もたれにかけ、テーブルの地図を手に取ると、
「ヒロ」
「なに?」
「…ありがとな」
「うん? どういたしまして」
地図をひらりと振って見せると、ユージンは部屋の中へともどっていった。




