13.仕事
肩の怪我もすっかり癒えてきたある日。
午前中の家事が一段落し、リビングのソファでひと息ついていると、ユージンが声をかけてきた。
「今からいいか?」
「うん?」
曖昧に返事をすると、有無を言わさず車に乗せられ、そのまま農園へと連れて行かれた。のんびりお茶を飲んでいる暇もない。
到着後、作業用エプロンを渡された。
「これ」
「うん…?」
濃い青のデニム生地だ。使い込まれたそれは、丁寧に補修され、ものを大事にしているのが窺える。
「とりあえず午前中、うちの家事が済んだあとでいいから、ここを手伝ってもらえないか? 給料は時間給で支給する」
驚いてユージンに聞き返す。
「──お給料、もらえるの?」
「もちろんだ。家事の方は家賃と食費、治療代があるからチャラだけど、こっちはちゃんと払う。ヒロだって、自由に使える金が必要だろ?」
確かにそうだ。今の所、必要なものはユージンに用意してもらっている。すべて、家事代に含まれていると言われていたけれど、ここは物価が高い。個人的なものを頼むときは気が引けていたのだ。──それに。
「必要かも…」
ケイが届けを出してきた際、報酬額が足りなかったら、その足しにもできる。
ヒロをみつけたのはユージンだから、額がどうなるかは彼次第だ。余分な金は吹っ掛けないと思いたいが、それでも、相応の額は要求するだろう。とにかく貯めておくことに損はない。
「よし。じゃ決まりだ。あとはミトに聞いてくれ。──ミト!」
呼ばれて、畑の中ほどで作業していたミトが顔をあげた。ついでに腰を伸ばして軽く叩くと、思ったより早い足取りでこちらに向かってきた。
「はいはい。ヒロ、よろしくね。手は多いほど助かるんだよ。他にも作業員は何人かいるから後で紹介するね」
ヒロを認めると、満面の笑みを浮かべる。
「はい。よろしくお願いします」
「じゃ、さっそくだけど、脇芽を摘んでもらおうか。いま、トマトの苗を育ててる所でね。こっちに来てくれるかい?」
「はい──」
言われて、ミトの後について行く。それを見送ったユージンは、
「頑張れよ! 昼過ぎに見回りがてら迎えに来る」
「わかった! ユージンも頑張ってね」
ユージンは軽く手を上げて応えると、車に乗って去っていった。
その日から、ミトについて農園の手伝いが始まった。
作業はほぼ毎日あったけれど、週に一日はかならず休養日をいれてくれた。あとは不定休になる。
傷が完治すると、午後も手伝いが入った。けれど、家事もあるため、午後四時ころには上がらせてくれる。どうしても作業が延びる時は、ミトが夕食を用意してくれた。それはユージンらの分もあって、これには随分助けられた。
ミトは料理上手で、炒め物も煮込みものも、揚げ物もお手のもので、全て文句なく美味しい。そして、それはヒロの素人同然の料理の腕前を、少しずつだけれど、上達させる手助けにもなって。
初めこそ戸惑ったここでの生活も、徐々に慣れていった。
そうして、月日は流れる。
◆
「あー、ヒロがいてくれて助かったぁ」
キッチンで皆の夕食準備をしていると、今日の夜番であるロブが、リビングのソファで、大きく伸びをしながらそう口にした。
この根城には日替わりでユージンの部下が待機して、この近辺の夜回りをしている。ロブは一階の別室で起きたばかりだ。ほかの連中もじきに起きてくるはず。
「どうして?」
「いやー…。その、ユージンの作ったスープってのは、どうも…。な?」
あとは言葉を濁し、こちらに同意を求めてくる。言わんとすることは分かるけれど、当人がいる手前、同意はし辛い。ユージンはテーブルに肘をつき、小瓶のビールを煽っていた。
ヒロがよく話すのは、このロブともう一人、巨漢のヤートだ。彼らはこれから夕食を食べて、一休みした後、二人一組で出ていくことになる。
今日の夕食は、スパイスの効いた特製カレーだ。いつもケイが作っていたのを、なんとか思い出しながら作ったもので。いくつか足りないスパイスは削ったり代用したりして、何度か作り直しながら今のレシピに辿り着いた。
ケイの作ってくれたものにはほど遠いけれど、食べられる代物にはなっているはず。
「なんだよ。食えてただけましだろ?」
ユージンが口をへの字に曲げて応じた。ユージンは皆と一緒に行かず、大抵ここにいて、何かあればすぐに出ていける様、待機している。
ちなみに、ここの連中はやたらアルコールに強い。ユージンに至っては底なしのようで、いくら飲んでも酔うこともなく、態度も変わらない。あっても少し絡むくらいだ。
アルコールの類は買うと高いが、ユージンが持っている工場から余剰分を引き上げてくるため、気にせず飲むことができる。
作っているのは主にビールで、ホップから作っていた。ブドウも育てていて、果実酒にもそのうち手を伸ばす予定らしい。
「いや、それはそうだけど──」
「はい、どうぞ」
ソファで待つロブの前へ、カレーの盛られた皿を置く。ロブは香りを目いっぱい吸い込んだ後、スプーンで大盛りひとさじ掬い、口へ運んでいった。そうして、旨い! とひと声上げる。嬉しい言葉だ。
あとは例の平たいパンを、軽くあぶって添える。あのパンも、今のように少しあぶったり、軽く油を引いたフライパンで焼きなおすと香ばしくなって、食べやすくなった。更に塩やハーブを振って焼くと、かなりいける。
「──腹を満たせばなんでもいいって、口では言ってもさ。やっぱり旨い方がいいだろ? やっと人の食うもんらしくなったよ。ヒロも食べてただろ? ユージンの作った奴。なんであんな味加減になるのか不思議でさ。うっすい塩味か、とんでもなく塩っ辛いかでさ」
「ロブ…。それ以上言うと、ここで食わせねぇぞ」
「まった! 冗談でしょ? 冗談。──な、ヒロ。飯屋でもやったらいいんじゃねぇか? 昼だけでも繁盛するんじゃないの?」
話題を変えるため、ロブは話を振る。ヒロはお玉を鍋の中に置いた。
「飯屋…」
考え込むと、ユージンがすかさず待ったをかけた。
「だめだ。ヒロはここの家事で手いっぱいなんだからな。農園も手伝っているし。そんなこと始めたら、こっちが適当になるだろ?」
「でも…。確かに昼は暇だよな。農園も日中は暑いからって、最近は午前中と日が陰った午後から手伝うし。──ここでの生活が長くなるなら、いつか、やってみてもいいかもしれない…」
「ヒロ」
ユージンが睨んでくる。
「だって…。僕だって、もっと稼ぎたいよ。いつかここを出ていくときの為にも。ケイが報酬を払えなかった場合を考えてさ…」
諦めていないのだ。あれから半年近く経つ。けれど、かならずケイは届けを出してくれると信じている。
その後、幾度かユージンを通じてカイルに連絡を取り、ケイの届けについて確認した。けれど、一向にリストに載ってこないと言う。
カイルの所をあんな風に飛び出してきたのに、きちんと対応してくれたのは意外だった。ユージンが言うには、それとこれとは別だからという。
きちんと手順を踏めば、否とは言わない。けれど、確認を取る際は手数料を取られた。それなりの金銭か、または相応の貴金属などを差し出さねばならないのだ。
金銭の場合、そこまで驚くような額ではないが、普通なら役所の手続きにそこまでかからないだろう、と思うほどは取られる。ここでは、ただで、などあり得ない。
その手数料は、ユージンが支払っていた。
農園の手伝いで給金がもらえている。その中から天引きして欲しいと言ったが、ユージンは首を横に振った。
届け出の確認は、月末に一回。家事の分を金銭に換算すれば、治療費や薬代を差し引いても足りるというのだ。ユージンの申し出を、ありがたく受け入れた。
ユージンは残ったビールを飲み干すと、音を立ててテーブルに置いた。どこか機嫌が悪そうだ。
「──まだ、帰る気なのか?」
負けじとユージンを睨み返す。
「それはそうだろ? 大事な家族と離れ離れなんだ。帰りたいと思うのは当然だろ?」
「家族、ねぇ…。血のつながりはないんだろ? それに、届けがでないってのも、どうなんだ? 大事に思ってんなら、無理したって出すだろ?」
ユージンにはケイとの関係を話してある。
「──きっと、事情があるんだ…。この話はお終い。──てか、ユージン、酔ってる? 絡むなよ」
ユージンはソファから身を乗り出すと、
「酔ってねぇって。お前の『ケイ』はお前ほど、思ってねえって言いてぇの──」
「違う!」
語気を強めてユージンを睨みつけた。でも、すぐに視線を鍋に移すと、
「……ケイは、そんなことない……」
──僕は、捨てられたわけじゃない…。
届けが出されない日々が続く中、どこかでそんな考えが頭をよぎるようになったが、打ち消してきた。
──あのケイが、僕を見捨てるなんて、あり得ない。いつか必ず、届け出てくれるんだ。いつか……。
思いが揺らぐ。ぐっと唇を噛みしめ、鍋の蓋を閉じると、足早に部屋を出た。鼻の奥がツンとして涙が出そうになったからだ。
ユージンたちの視線を感じたけれど無視する。泣く所を見られたくなかった。
裏にある勝手口を出ると、すぐ脇に置いてある木箱に座った。どこかへ逃げ出す様なバカな真似はもうしない。
涙を流したくなくて、空を見上げてそれをやり過ごす。見慣れた星座が夜空に輝いていた。
『あれは、オリオン。三つの星が綺麗に並んでいるだろ? そこから、いち、にい、さん、よん…って、星が四隅にある。一度覚えれば、すぐに見つけられるだろ?』
ケイが夜空を指し示しながら、教えてくれた星座だ。忘れたことなど、一度もない。
「…見える」
──見えるよ、ケイ。
こちらを振り返って微笑むケイがそこにいた。見上げた星座は滲んで、最後には見えなくなってしまった。
◆
ロブが、あーあとボヤいたあと、
「泣かせちゃった」
そう口にした。
「べつに…。本当のことだろ?」
あいつが会いたいと願うケイが、届けを出していないのは事実だ。
カイルが裏で手を回しているのかと疑ったこともあったが、それはなかった。届けが出ていないか確認しに行った際、直接本人に問えば、それはないと言い切ったのだ。
「──簡単には動けないのだよ」
そう含みのある言葉を残した。どうやら、何かあるようだが、邪魔をしているわけではないらしい。それなら、やはりケイは自身の意思で、届け出ていないことになる。
──報酬額に躊躇っているのか。
ユージンはそこまで非道ではない。相手の手持ちを聞いて、それで応じようと思っていた。けれど、肝心の届けがなければ、動きようがない。
ロブはソファに胡座をかき直す。ローテーブルには、すっかり空になった皿があった。
「そうだろうけどさ。それを言っちゃお終いって、やつ?」
「かまうもんか。いい加減、自覚したほうがいいんだ。いつまでも、メソメソしたって始まらない。諦めてここで生きて行けばいい」
ヒロは捨てられたのだ。後見人から見放された。それを理解して、ここで生きていくことを覚悟すべきだ。幾ら現実から目を逸らしても、事実は変わらないのだから。
すると、ロブは、ふうんと顎に手をあて、
「ヒロに、ここにいて欲しい、とか?」
ロブを睨み付ける。
「なに言ってんだよ。あいつはまだ報酬分、働いてねぇんだ。どれだけかかったと思ってんだよ? 薬代だけで、お前らの給料三ヶ月分の金がかかってんだぜ?」
部下にはそれなりの額を払っている。安ければ他所へ流れていく可能性もあるからだ。
もちろん、金だけでは縛れない。信頼関係も築かなければ、幾ら金を積んでも、いざというとき、裏切られる可能性があるからだ。それでも、無いよりは多い方がいいに決まっている。
ロブは特に幹部クラスとして、かなりの額を受け取っている。それでも、有能な人材は財産だ。無駄な投資ではない。
「まあ、それもあるだろうけど…。──それだけか?」
「それだけだ」
ぶっきらぼうに言い返すと、ユージンもまた表玄関から外へ出た。
夜空には星がこぼれんばかりに広がっている。街頭もろくになく、遅くまで開いている店舗は限られている。余計な光がない分、良く見えた。
ビールひと瓶くらいで酔うことはない。けれどヒロの言う通り、少し絡んだ。
──いつまでも、ケイ、ケイと口にするからだ。
ユージンにはそれが気に障る。もう、半年近く経つのに、一向に諦めない。ここでの生活にも慣れてきたはず。なんの音沙汰も寄越さない男のことなど、忘れてしまえばいいのに。
けれど、未だヒロはケイを忘れない。口にするときはいつも、嬉しそうに、愛おしそうに話す。
──それだけ、大切な存在なんだ。
その後、親代わりでもあったと聞いた。忘れられる訳がない。
──帰りたがって、当たり前だ。それを俺は──。
さっき、裏口のドアが開いたのを耳にしていた。きっと、出たすぐの所にヒロはいるはず。
その裏口へと回りかけて足を止めた。謝ろうかと思ったが、今はまだ気持ちが落ち着いていない。顔を合わせれば、またきついことを言ってしまうに違いない。けれど、気にはなる。角の手前で立ち止まると壁に背を預けて、ヒロの気配に意識を向けた。
鼻をすする音がする。泣いているのだ。
しばらくして、落ち着いたのか、大きく息を吐いた後、裏口からまた中へと入って行った。もちろん、角を曲がった向こうにいるユージンには気付かない。
謝りたい気持ちと、イラつく気持ちと。ふたつがせめぎあって、そこを動くことができなかった。




