11.行き先
バラック小屋は、トタンと木材の破片でできていた。拾ってきたもので急場しのぎで建てたようだ。ユージンは遠慮なくその開けっ放しの入口から顔を突っ込み、中へと声をかける。
「ハル、いるか?」
するとしばらくして奥から、
「いる! 今、準備中! 買うなら後、二時間後に来て」
子どもの声だった。
「わかってる。パンは後で取りに来る。それより、作っているところを、人に見せたくてさ」
「いいよ!」
飛び跳ねるような声に、ユージンは見たこともない、柔らかい笑みを浮かべた。そうして、こちらを振り返り。
「中、入れ」
「…うん」
ヒロにはまったくの無愛想でそう言うと、先に中へと入っていく。
まあ、仕方ない。ろくにお互いのことも知らないのだ。突然、あんな笑顔など見せるわけもない。分かってはいても、差を見せつけられたようで気分のいいものではなかった。
部屋の中は薄暗く、窓もろくにない。裸電球が一つ、天井からぶら下がっていたが、それは点いていなかった。夜になったら点けるのだろう。
その部屋を通り抜け、さらに奥へ向かうと突然、視界が開けた。降り注ぐ光が目に眩しい。どうやら外に出たようだ。
一番先に目に入ったのは、レンガで作られた竈。その傍にあるテーブルで、七、八才くらいの一人の少女が粉まみれになりながら、ボウルの中で何か捏ねている。
耳の下で切りそろえられた髪は真っ黒で、鳶色の瞳は隣のユージンを見上げている。
「お友達?」
その問いかけに、ユージンはヒロの方をちらと見たあと。
「──いや。知り合いだ」
それはそうだ。
「で、今はなにしてる?」
「発酵中。あと次のをこねてるとこ」
テーブルの上には、ボウルに濡れ布きんがかぶせられたものがいくつか置かれていた。ヒロはそのボウルを見つめながら、ユージンに尋ねる。
「これ…?」
「パンを焼いている。俺たちが食べているのはここで焼いたものを買ってる」
少女は弾けんばかりの笑顔をこちらにむけ、
「ね、美味しかった?」
ユージンがこちらにじとりと視線を向けてきた。ヒロがしょっちゅう残していたのを覚えているからだ。
「あ、ああ。うん…」
「お祖母ちゃんに習って、早起きして頑張って焼いてるんだ。天然酵母だから、ちょっと固いけど、食べなれると美味しいよ!」
「そう、だね…」
「粉にも、トウモロコシとか雑穀の粉が入ってるの。だからあんまり膨らまないけど。でも栄養はたっぷり。焼きなおすともっと美味しくなるよ!」
「ふーん。そうなんだ…」
ヒロの引きつった笑顔を横目に、ユージンは少女の背中をポンと叩くと、
「また、焼けた頃、買いに来る」
「うん! 待ってる!」
少女の笑顔に見送られ、ヒロとユージンはそこを後にした。再び車に乗り込み、今度はまた別の道を走りだした。
「あの子、あそこで一人で住んでるの?」
「いいや。母親はちょっと前に亡くなった。今は父親と祖母がいる。ふたりとも働きに出てる。父親は近くの部品工場で、祖母は畑の手伝いだ。──で、あいつハルは父親の稼いだ金で買った小麦粉とトウモロコシの粉でパンを作って、売ってる」
「みんな、働いているんだ…。って、学校は?」
「ここにあるわけねぇだろ? 近所に勉強を教えてくれる奴がいて、週に何回かそこに行ってるな。生きてくのに必要な言葉や、計算や字を教わってる」
「そうなんだ…」
すると、ユージンは声を低くして。
「次からはパン、残すなよ?」
「うん…」
粉まみれになって、懸命にこねている姿。あれを見て、残すことなどできるはずもない。カイルの邸で落としてきたことを、今さらながら、申し訳なく思った。
◆
次に向かった先は農園だった。緑の海原が広がる。畝は大小様々で、それぞれ異なった野菜を育てているようだった。
物置小屋の前で車を停めると、すぐに作業服に身を包んだ一人の老婆が声をかけてきた。
「あれ、ユージン。野菜は昨日、取りに来たばっかりだろ?」
「ああ、今日は違う。見学」
「見学?」
車を降りたユージンに、老婆は驚いた顔をして見せる。
「こいつに農園を見せにきた。興味があるんだってさ。な?」
ユージンはそう言って、同じく車を降りたヒロを振り返った。
「え? って、僕は──」
ここの事を知りたいと思ったけれど、農園に興味があった訳じゃない。けれど、老婆はニコニコ顔で、
「そりゃ、いいことだ。よく見て行ってくれ。見た目はまちまちだけれど皆、よく育ってるんだよ」
笑って先導する。ユージンの方を見たが、ニヤリと笑うだけで何も言わない。仕方なく、老婆の後について行った。
「ここは、主に根菜を育てているんだよ。ここまでなるのに結構、年月がかかってね。このあたりの土はかなり痩せてたから」
「そう、なんですか…」
困惑しながらも相槌を打つ。
アパートのテラスで、ハーブを育ててはいたが、畑で作物を作ったことはなかった。
老婆はしゃがんで土を少しだけ手に取って、それをこちらに見せてきた。握って見せた土は、少しだけ固まって形を崩した。適度に水分があって、粘度もあるようだった。
「ほら、随分、いい土になってるだろ? 前は砂みたいだったからねぇ。あの時は、こんな風になってくれるとは想像もしてなかったよ。今じゃ、食べるのに困らないくらいは育ってくれるからね」
「なるほど…」
「果菜類や葉菜類もぼちぼち試しているけど、こっちはもうちょっと努力が必要でね。まあ、苦労も楽しんでいるところさ」
老婆は顔をくしゃくしゃにして笑った。深く刻まれたしわが、長い月日を感じさせる。日に焼けた顔、力仕事に節くれだった手。ここで苦労して野菜を育ててきたのが窺えた。
「…けど最近、自然発生の山火事が起こってね。その火が畑まで回って来るんじゃないかって、みんな心配してさ。結局、雨が降って鎮火したんだけど…。どんなに手塩にかけたって、災害にはどうにもならんのさ」
そういってからからと笑った。諦めの入った言葉なのに、あっけらかんとしている。そこに芯の強さを感じた。
「このばあさんは、さっきのハルのばあちゃんだ。ミト。この農園を手伝ってる」
ようやくユージンが声をかけてきた。
「手伝ってると言っても、オーナーはろくに見にこんから、ここは半ばわしのもんだな?」
「悪かったって…。色々あるんだ。でも、忙しい時は手伝ってるだろ?」
「ははぁ。あれを手伝いって言うか? ちょろっと来て、さもやった顔して大騒ぎして、晩飯だけはたらふく食って」
「ミト…。ひどい言いようだなぁ。人が聞いたら最悪の人間て思うだろ?」
ミトは大口を開けて笑うと、
「まあ、こんな私でも、こき使ってくれるからの? いいオーナーさ」
ミトはユージンの尻を叩き、また大笑いすると、まだ仕事があるからと、作業に戻って行った。
◆
ヒロは広がる畑を見渡しながら、
「ここ。ユージンの?」
「そうだ。他にも何カ所かある。農園の他に部品工場や整備工場、製糸工場や染物、織物工場もある。技術を持ってる奴を集めて、生計をたててる。彼らがいなきゃ何も始まらない。ここじゃ人は財産だ」
「へぇ…」
ただのごろつきのボスかと思っていた。まともなこともしているのだと、感心の声をもらせば、
「売ろうとすれば、臓器も売れるしな?」
悪びれもせずそう口にした。感心して損した。
「…ユージンはそういうこと、してるの?」
「してない。他の地域や──ここらじゃ奥貫だな──カイルはやってる。人身売買は当たり前だ。娼館で働かせてもいる。おまえだって危なかったんだぞ? あのままいれば、そっちコースだってあり得た」
「カイルの従者を断れば?」
「あり得たな」
その答えにゾッとした。ユージンに連れ出されて正解だったのだ。
「──けど、奴に気に入られたってことは、その前に手を出されただろうな。奴が飽きれば──終わりだ」
「僕みたいな、子どもでも?」
「おまえくらい許容範囲だろ。ガキの俺にだって手ぇ出してんだから」
ユージンとの会話で分かっていたが、聞かずにはいられなかった。
「…ユージンにも?」
「そうだ。──けど、手当たり次第ってわけじゃない。気に入った奴を手懐ける為にそうする」
「手懐ける…?」
「自分の思うように操るためだ。けど、拾われた方も、大抵上にのし上がりたい奴ばっかだから、分かって側にいる。──俺だって、孤児で最低の生活してたから、あいつに拾われた時は、何されたって、絶対上にのし上がってやるって思ってた」
「…でも、まだ子どもなのに…」
するとユージンは肩をすくめてみせ。
「ここじゃ別に大したことじゃない。路上で暮らしてる連中なんてもっと悲惨だ。客をとっても殴られて、金も貰えないなんて、日常茶飯事だ。その点、カイルは大人で無茶はしないし、弁えてる。きちんと相手を尊重して扱ってくれてた。怪我なんてさせない。綺麗な服に、温かい食事に柔らかいベッド。──俺にしたら、天国だった」
「でも、逃げだしたんだ?」
「気付いたからな…。ここは天国じゃないって。あそこはあいつにとっての天国だってな」
「そうなんだ…」
「そんな、かわいそうって顔すんなよ。こっちが惨めになる」
「ご、ごめん! つい…」
「ま、そうなる気持ちはわかる。壁のあっち側の人間ならな。──けど、俺はこっちで生まれて生きてきた。どんな過去を背負ってたって、俺はいま満たされてる。ちっともかわいそうな人間じゃない」
同情など必要ないのだと、強い眼差しで口にした。
その横顔が力強く、眩しく見えて。思わず目を細める自分がいた。
◆
その後、ユージンの運転で、ようやくもとの根城へと戻った。車を降りながら尋ねる。
「──ねえ。そう言えば、ユージンて幾つなの?」
「十六」
「十六…。って、ここって運転もいいの?」
「向こうと違ってここは自由だ。すべては自己責任。向こうは年齢制限も、通う学校もあるんだってな? 向こうから来た奴に聞いたことがある」
「車の運転は、十八歳になってからだよ? ここって、なんでもありなんだね…」
呆れた様に口にすれば、
「そ。煙草も酒も薬も。全部自己責任だ。だから、自分が相当強くないと、すぐやられる。──ヒロは誘惑に弱そうだから、気をつけろよ?」
カッとしてユージンを睨みつけた。
「そんなこと、ないよ!」
「怒るってことは、図星って事だ。せいぜい、酒漬け薬漬けにならないよう、気をつけろよ?」
「──!」
言葉も返せず、ただ拳を握りしめ怒りをこらえた。
結局、根城へと戻ってきた。午前中にここを出て、夕方に戻ってきたことになる。
「お、長い散歩だったな?」
戸口に立っていた部下の男、口ひげを生やしたロブが声をかけてきた。
ニヤリと笑ったのは、ただの散歩じゃないと分かっているからだ。ユージンは首を回しながら、
「こいつ、カイルの所まで行ってた」
「マジ? なんでまた…。てっきり、人買いの連中の所かと」
ユージンは入ってすぐのリビングのソファにどっかと座ると、
「奥貫に尋ねてる最中に、奴から連絡があった。こいつを預かるって。まだ印に気づいてなかったんだろうな。で、迎えにいった。そしたら、すんなり返してきたよ。印に気づいたんだ。少しごねたけど…」
「やっぱ、それ正解だったな? 捜しに行く前、ヒロに印をつけてあるって聞いた時は驚いたけどさ。しっかし、珍しい。ユージンが助けるなんて…」
しかし、ユージンはあっさり言いきる。
「報酬のためだ。──けど、奴が噛んでるとなると、届けがあっても素直に応じるかどうか…。あいつ、ヒロを手元に置きたそうだったしな」
思案顔になるユージンに、ヒロは気まずそうに口を開いた。
「たぶん、届けは出ないかも…」
ユージンが戸口に立ったままのヒロを振り返る。
「どうしてそう思う?」
「…見せられたんだ。カイルに届け出のリスト。そこに名前がなかった…」
「──ない?」
問い返すユージンの言葉に、唇を噛んだあと続ける。
「ケイは…俺を養ってくれてた人は、絶対俺を見捨てる人間じゃない。カイルが言うには、金額を知って出せないでいるんじゃないかって…。ケイは普通の市民だ。そこまで稼いでるわけじゃない。僕もそこまで蓄えがないし…」
「──なんだよ、それ。助け損か?」
呆れたようにユージンが声を上げた。ヒロはムッとしながら、ユージンを睨みつける。
「損させて悪かったな! 僕だって、こんな風になるなんて、考えてもみなかったんだ。──巻き込まれさえしなければ、今頃…」
ケイと笑い合って、美味しい食事を取り、楽しく過ごしていた。ぐっと拳を握ればユージンが、
「また飛び出すなよ? もう、今日は疲れてんだ。どうしても飛び出すってんなら、その印、見せて歩けよ。だれも寄って来ねぇから」
「──!」
頭にきて、ユージンを睨みつける。けれど、怒りに任せて飛び出すことはできない。確かにここは物騒な場所なのだ。それを身をもって知ったばかり。
代わりに足を踏みならし二階の部屋へと戻った。そして、部屋のドアを大きな音を立てて閉める。
──頭にくる。
誰が好きでこんな所にきたと言うのか。
つかつか歩き、ベッドの上にあった、くたびれた枕を掴んで壁に向けて投げつけた。
「くそっ!」
それは力なく壁に当たって、ずるりと床に落ちる。
──ユージンは悪人じゃない。けれど、凄く嫌な奴だ。
怒りが収まると、深いため息をついてベッドサイドに座り込んだ。
──カイルは、ケイに知らせてはくれないかな?
あんな風に出てきてしまったのだ。雇うわけでもない。無償でそんな親切な行動を取るはずがない。
──せめて、ケイに無事だと知らせたいのに。
窓の外に広がる、陰ってきた空に目を向けた。
──この空を飛べたらいいのに。そうして、あの壁を越えて、ケイのもとに戻るんだ。
子供じみた願いに、苦笑を漏らしたと同時に、クシャリと泣き顔に崩れる。無性に悲しくて、嗚咽と共に涙がこぼれた。




