第三十話:水面下の陰謀
皇帝ウラドの執務室。
限られた人間のみ入室を許されるその部屋は、皇宮でも最も厳重に守られた場所の一つだった。重厚な扉の前には精鋭の近衛兵が警護に立ち、室内には防音魔術が幾重にも施されている。ここで交わされる会話が外へ漏れることは決してない。
イリンカはウラドの隣に腰を下ろし、向かいには宰相クリスティアンとラゴス将軍が座っていた。お茶を運んできた侍女長アデラはすでに退出しており、この場にいるのは四人だけである。
やがて、ラゴスが重々しく口を開いた。
「エマは取り調べを終え、牢へ収容しました」
「かなり取り乱していましたが、何とか事情は聞き出せました。姉ちゃんの拉致も、植木鉢を落とした件も本人が認めています。ただ……」
言葉を切ったラゴスの表情が険しくなる。
「姉ちゃんを拘束した禁制魔道具の入手先が妙なんだ」
「本人は『闇市で偶然安く買えた』と言っていましたが、そんな都合のいい話があるはずがない。先ほど部下を闇市へ向かわせましたが、案の定、その店はもぬけの殻でした」
そこまで一気に報告すると、ラゴスはウラドの判断を待つように口を閉ざした。
「偶然にしては出来すぎているな……」
ウラドは腕を組み、静かに目を細める。
「禁制魔道具は、上位貴族でもなければ容易には入手できない。例えば――ギカ公爵家のようにな」
低く呟くと、何かを思案するように視線を伏せた。
「クリスティアン。公爵派の貴族は、あとどれほど残っている?」
「はい。以前の半数ほどまで勢力を削ぐことができました。しかし、まだ侮れない家も残っております。完全に排除するには、もう少々お時間をいただきたく」
落ち着いた口調で答えるクリスティアン。
その会話を聞きながら、イリンカは思わず目を丸くした。あれからウラドたちは、水面下で着実にギカ公爵家を追い詰めていたのだ。
傘下の貴族を半数も切り崩したという事実は、並大抵の成果ではない。
「イリンカ。驚いた顔をしているな」
そんな彼女に気付いたウラドは、悪戯が成功したような笑みを浮かべた。
「以前から準備は進めていた。元老院を凍結したのも、最終的にギカ公爵家を追い詰めるためだったからな」
その言葉を受け、クリスティアンも静かに頷いた。
「彼らは今回の婚約式も中止へ追い込もうと動いていたようですが、最近は傘下の貴族たちを守るだけで手一杯だったようです」
そう言って、宰相は冷ややかに口元を緩める。
その笑みに、イリンカは思わず感心した。
(やっぱり、ウラドの右腕は伊達じゃないわね)
しかし、クリスティアンの表情はすぐに曇る。
「ただ……唯一読めないのがソリナ様の動向です。あのお方は非常に狡猾で、どうしても尻尾を掴ませません」
「あの公爵令嬢は独自の配下と情報網を持っている。一筋縄じゃいかねぇよ」
ラゴスも肩をすくめながら苦々しく呟く。
「騒ぎの際、咄嗟に支度部屋へ精鋭を配置した判断は正しかったな」
ウラドは静かに息をついた。判断が遅れていたら、被害はもっと大きなものになっただろう。
「残念ながら、ドレスには手を加えられてしまっていたが……」
その声音には、婚約者を危険へ晒したことへの悔しさが滲んでいる。
「それなら問題なかったから大丈夫よ!」
重くなった空気を吹き飛ばすように、イリンカが明るく笑った。
「むしろ豪華なドレスに変えて、犯人を見返してやったわ。ざまぁみろよ、って感じ!」
その言葉に、ウラドは婚約式での彼女の姿を思い出し、自然と頬を緩めた。
「あれは見事だった」
愛おしそうな金色の瞳がイリンカを見つめる。
「俺の色の花を身にまとったお前は、本当に美しかった」
甘やかな空気が流れ始める。
それを断ち切るように、クリスティアンが小さく咳払いをした。
「……ですが、一瞬の隙を突いてドレスへ切り込みを入れたということは、犯人は常にこちらの様子を窺っていたはずです」
宰相の瞳が鋭く細められる。
「支度部屋に一人、不審な侍女がいたという目撃情報がございました。おそらく近いうちに正体も判明するでしょう」
「大体のことはわかった」
ウラドは頷き、ゆっくりと立ち上がる。
「今日はここまでにしよう。イリンカも疲れただろう。部屋へ戻って休め」
「ん……」
拉致事件に婚約式、そして後始末。
慣れない出来事が立て続けに起こり、イリンカの疲労は限界に近かった。
「続きは明日だ」
「「かしこまりました」」
クリスティアンとラゴスが揃って頭を下げる。
その直後だった。
ウラドは当然のようにイリンカを両腕で抱き上げた。
「ちょっ……」
抗議しようと口を開くものの、疲れ切った身体は抵抗する気力すら残っていない。結局、そのまま素直に身を預けると、温かな腕の中で次第に意識がまどろんでいった。
執務室を出たウラドは、寝室へ向かって静かな回廊を歩く。その腕に抱かれているのは、安心しきって眠るイリンカ。
壊れやすい宝物を運ぶかのように、ウラドは一歩一歩を大切に踏みしめていた。
その時だった。
「あら、ウラドお兄様。こんな夜更けまでご公務ですの?」
澄んだ声が静かな回廊へ響く。
進行方向の先には、ソリナが優雅に佇んでいた。




