第十八話:モッサリ令嬢の断罪(後編)
第十八話と第十九話を一緒に投稿しました。
そこにいたのは、息を呑むほどに美しい少女――ソリナだった。
混乱に包まれた大広間の中にあっても、彼女だけは少しも動じることなく、優雅に佇んでいた。
「皇宮にたまたま立ち寄りましたら、こちらで何やら騒ぎが起きていると耳にいたしましたの。それで、少し様子を見に参りましたのですけれど……」
澄み渡るような声が、張り詰めた空気の中へ静かに響いた。
「ソリナ様……っ!」
その姿を認めた瞬間、ラルカの瞳に歓喜の光が宿った。
(ソリナ様が来てくださった……!)
(あのお方なら、きっと私を助けてくださる……!)
絶望に沈みかけていた心へ、一筋の希望が差し込む。
だが――。
ガゼボで優しく微笑み、「お友達」と呼んでくれたその女性は、床へ這いつくばるラルカを、まるで名も知らぬ他人を見るように冷ややかに一瞥しただけだった。その瞳には、情けも、戸惑いも、一片たりとも宿っていない。
やがてソリナは、胸を痛めたように眉を寄せ、悲しげな声音で口を開く。
「ラルカ……まさか、あなたが私のために、ここまで大それたことをしてしまうなんて」
「……え?」
あまりにも予想外の言葉に、ラルカの呼吸が止まった。
「私を皇后の座へ就けるために、あろうことかイリンカ様をここまで追い詰めるなんて……。このような悍ましい事態になってしまったこと、本当に残念でなりませんわ。お友達として、とても悲しく思います」
穏やかな口調で紡がれる言葉は、慈悲を装いながらも容赦なくラルカを切り捨てていく。ラルカの思考は真っ白になった。何一つ理解できない。
そんな彼女を置き去りにするように、ソリナは優雅な所作でウラドへ向き直る。
「ウラドお兄様。ラルカが勝手に暴走してしまったとはいえ、どうか私に免じて、少しでも情状酌量をお願いできませんでしょうか」
そう言って伏し目がちに息をつき、憂いを帯びた表情を浮かべる。
「……準王族であるイリンカ様へ牙を剥くなど、一族郎党すべてが死罪となってもおかしくない重罪ですわ。それでも……仮にも一度はお友達だった方が処刑されてしまうのは、あまりにもお可哀想ですもの」
その一言一言が、ラルカの胸へ鋭い刃となって突き刺さる。
(どういうこと……?)
(だってソリナ様は、私を側妃に迎えたいって……そう仰ってくださったじゃない……!)
彼女を信じて、疑いもしなかった。だからこそ、その現実はあまりにも残酷だった。
「そ、ソリナ様……っ!」
藁にもすがる思いでラルカは叫ぶ。
「あなたが皇后になられた暁には、私が側妃として陛下をお支えするのだと……そう仰ってくださったではありませんか!」
必死に縋るラルカを見つめ、ソリナは心底不思議そうに小首を傾げた。
「まぁ……。それは、あなたが勝手に抱いた夢想ではなくて?」
穏やかな微笑み。
だからこそ、その言葉はどこまでも冷酷だった。
「私は確かにウラドお兄様をお慕いしております。けれど、そのためにイリンカ様をご不幸にしてほしいなどと、一度たりとも申し上げた覚えはございませんわ」
「そ、そんな……。そんなはず……」
完全なる拒絶だった。情けも、温情も、一片たりとも残されていない。
その瞬間、ラルカはようやく悟る。
甘い言葉で期待を抱かされ、都合よく利用され、役目を終えればすべての罪を背負わされて切り捨てられる。自分は最初から、そのための駒でしかなかったのだと。
圧倒的な絶望がラルカを呑み込み、もはや声を上げることすらできない。彼女は力なく、その場へ崩れ落ちた。
「その侍女たちを、今すぐ連行しろ」
静まり返った大広間に、ラゴス将軍の低く鋭い声が響き渡る。
「特にラルカには、イリンカ様へ植木鉢を落下させた『殺人未遂』の容疑もかかっている。即刻、地下の取調室へ移し、厳しく取り調べを行え」
「はっ!」
ラゴスの命令を受け、控えていた近衛兵たちが一斉に動き出した。
「まぁ……!」
ソリナは小さく息を呑み、美しい扇子をそっと口元へ添えた。
「嫌がらせだけではなく、殺人未遂だなんて……。ラルカ、本当に悲しいわ」
その声は今にも涙が零れそうなほど震え、誰が見ても友を案じる令嬢そのものだった。
――だが、その扇子の奥では。
歓喜に歪みそうになる口元を、必死に隠している。
誰にも悟られぬよう。
誰よりも悲しむ被害者を演じながら。
「ち、違います!」
近衛兵に腕を押さえられたラルカが、必死にもがく。
「私はやっておりません! ただ、あの女を皇宮から追い出せば、陛下の側妃になれると信じて……!」
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら叫び続ける。しかし、その醜い弁明に耳を貸す者は、大広間には誰一人としていなかった。
「なんて恐ろしいことを……」
「同じ侍女として信じられないわ」
侍女たちは嫌悪と恐怖の入り混じった眼差しを向けるばかりで、彼女を庇おうとする者はいない。
こうしてラルカをはじめ、主犯格となった侍女たちは次々と拘束され、大広間から連行されていった。悲鳴だけが、しばらく廊下の奥まで虚しく響き続ける。
その光景を見届けたヨアナは、張り詰めていた肩からようやく力を抜いた。
(よかった……)
(これで、イリンカ様に迫っていた危険は去ったんだわ)
もう、あの方が傷付く姿を見なくて済む。そう思うだけで、胸の奥から安堵が込み上げ、自然と涙が滲みそうになった。
その隣では、侍女長補佐のエマもまた、安堵したように微笑んでいる。救われたように胸を撫で下ろし、穏やかな笑みを浮かべた彼女は、嬉しそうにウラドを見つめていた。
歓声こそ上がらないものの、大広間を覆っていた重苦しい空気は確かに和らいでいた。侍女たちも近衛兵たちも、これで一件落着だと信じている。
――けれど、私はそう思わない。
(……やっぱり、彼女が裏で糸を引いていたのね)
悲劇の令嬢を完璧に演じ切るソリナ様を見つめながら、静かに確信する。
間違いない。
今回の騒動、その真の黒幕はソリナ様だ。ラルカは、都合よく利用されただけの捨て駒に過ぎない。
だが、証拠がない。明確な物証も証言もない以上、この場で追及したところで、しらを切られて終わるだけだろう。
相手は皇族。
それも、私が想像していた以上に狡猾な女だった。
自らの手は決して汚さず、利用できる者だけを巧みに操り、役目を終えれば何の躊躇もなく切り捨てる。今回もまた、痕跡ひとつ残さず暗躍していたに違いない。
悔しい。本当に悔しい。
それでも、この場で無理に動くのは悪手だ。ここから先は、ウラドやクリスティアンたちによる政治の領分。私が感情だけで踏み込めば、かえって相手の思う壺になる。
(でも……)
ふと、微笑みを浮かべるソリナ様と目が合った。
穏やかで美しい笑顔。けれど、その瞳の奥に宿る執着は、蛇が獲物を見据えるように冷たく、肌にまとわりつくような不気味さを帯びていた。
思わず背筋がぞくりと震える。
それでも私は目を逸らさなかった。
静かに微笑み返すと、ソリナ様は満足そうに嫣然と笑みを深め、優雅に踵を返して大広間を後にしていく。
(遅かれ早かれ……彼女とは決着をつけることになりそうね)
私は胸の奥で静かに覚悟を固め、小さく息を吐いた。




