表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/61

第十六話:狙われたモッサリ令嬢

事件は、私が庭に出た時に起こった。


その日私は、巨大温室の施工具合を確認するため、庭を歩いていた。暖かな陽射しが庭園を照らし、花々は色鮮やかに咲き誇っている。

穏やかな昼下がり――のはずだった。


「危ないっ!」


パァンッ――。


鋭い叫び声と同時に、頭上で何かが激しく弾ける音が響いた。


あまりにも突然の出来事に、私はその場で固まる。気が付けば、目の前にはラゴス将軍の大きな背中があった。私を庇うように立ちはだかるその向こうには、砕け散った植木鉢の破片が庭石の上に散乱している。


ようやく何が起きたのか理解し、背筋がゾクリとした。


「姉ちゃん、大丈夫か?」


将軍が振り返り、心配そうに声を掛けてくれる。


「……はい。ありがとうございます」


どうやら植木鉢が窓から落ちてきたらしい。将軍が咄嗟に弾き飛ばしてくれたのだろう。


もし、あれがそのまま頭に直撃していたら――。


そう思っただけで、身体が小さく震えた。


「……私を狙ったのかしら」


「おそらくな」


将軍は苦々しく眉を寄せる。


「最近、おかしな噂が妙に広まってる。陛下からも姉ちゃんの警護を強化するよう言われてな。俺が付いた途端にこれだ」


深いため息をひとつ吐き、真剣な眼差しで私を見据える。


「さすがに見過ごせねぇ。陛下のところへ行くぞ」


「えぇ、わかったわ」


私は素直に頷いた。



皇帝の執務室は、覇王の怒気に満ちていた。


ラゴス将軍に加え、宰相クリスティアン、侍女長アデラが揃っているが、誰もが一様に渋い表情を浮かべている。その中心には、腕を組み、眉間に深い皺を刻んだウラドがいた。


不満そうな顔で、ジィッと私を見つめている。


……覇王様、完全にオコである。


さすがに心配を掛けすぎたかな……と、私は少しだけ反省した。とはいえ、これからさらに追い打ちを掛けてしまう。申し訳ないなと思いながらも、私はおずおずと、自作の評価表を差し出した。


ウラドは無言で受け取り、静かに紙をめくり始める。


一枚。


また一枚。


読み進めるたびに眉間の皺は深くなり、それに比例するように部屋を満たす殺気も濃くなっていった。


……これはまずい。


私は気配を消すように、スススと後ろへ下がる。


次の瞬間――。


ドォォンッ!!


ウラドの蹴りが重厚な執務机を捉えた。


机は信じられない勢いで宙を舞い、壁へ激突して凄まじい音を響かせる。


クリスティアンたちは、ウラドのあまりの怒りに固まっている。


「おぉ。さすがは陛下だな! 見事な蹴りだっ」


ラゴス将軍だけは楽しそうだけど。


……一応、私たちには当たらない方向へ飛ばしてくれたらしい。怒っていても、そのあたりはちゃんと配慮してくれるようだ。


優しい。


いや、優しいの基準がおかしくなってきた気がする。


「……なんだ、これは」


凍り付いた空気の中、低く押し殺した声が響く。静かな一言なのに、それだけで背筋が震えるほど恐ろしい。


「このリストにいる奴らを、全員八つ裂きにしてやる」


覇王様、自ら粛清宣言である。


うん。シャレにならないな。


「……ここ最近、イリンカ様についての悪い噂が異常な勢いで広まっております」


クリスティアンが眉をひそめながら説明する。


「恐らく、裏で意図的に先導している者がおります」


その言葉に、アデラも静かに頷いた。


「侍女たちからも、イリンカ様のお身を案じる声が数多く上がっております。そろそろ静観するのは難しいかと」


意外なことに、思っていた以上に、忠義に尽くす侍女は多かった。嫌がらせをしている侍女たちを注意したり、アデラへ報告したり、中には止めさせてほしいと進言してくれた者までいたらしい。


さすがはウラドの皇宮だ。


多くの侍女たちは陰口に流されることなく、きちんと物事を見て、私の身を案じてくれている。


アデラは少し困ったように息をつき、さらに言葉を続けた。


「それに……そろそろ侍女見習いのヨアナが倒れそうです」


その視線が、そっと私へ向く。ほんの少しだけ、責めるような眼差しだった。


皆の視線が痛い。


「うぐっ……」


思わず言葉が詰まる。


私への嫌がらせを、ずっと傍で見続けてきたヨアナ。なぜか当事者である私よりも、彼女のほうがすっかり憔悴しきってしまっていた。


今朝、挨拶に来た時など、今にも倒れそうで、死にそうな顔色をしていた。


……被害者は私のはずなのに、なぜか私が悪い空気になっている。


解せぬ。


「イリンカ、どうする?」


ウラドが苛立ちを押し殺した声で問いかける。


「俺としては、今すぐ全員叩き潰したいところだが」


……すぐにでも殴り込みに行きそうな雰囲気だな。

それでも最後の判断は、私に委ねてくれる。その姿勢が素直に嬉しかった。


ちょっぴり好きだな、なんて思う。もちろん、本人には言わないけれど。


けれど、ウラドもそろそろ我慢の限界なのだろう。金色の瞳には怒りだけではなく、私を案じる色が滲んでいた。


「そうね」


私はゆっくり頷く。


「確かに、潮時かもしれないわ」


口元に不敵な笑みを浮かべ、アデラへ視線を向ける。


「アデラ。場を作ってちょうだい」


静かなその一言を合図に、部屋の空気がゆっくりと張り詰めていった。



皇宮の大広間。


普段は式典や謁見に用いられるその場所へ、侍女と侍女見習いたちが一堂に集められていた。突然の招集に、広間はざわめきに包まれている。


「何があったのかしら」


「こんなこと、今まで一度もなかったわよね」


不安げな囁きがあちこちから聞こえ、落ち着かない空気が広がっていた。


ヨアナもまた、その中で胸の鼓動を早めていた。


(何が起こるの……?)


こんな形で全員が集められるなど、これまで一度もなかった。胸の奥に、不安がじわじわと広がっていく。


そんな中、少し離れた場所から聞き覚えのある声が耳に届いた。


ラルカを中心とした侍女見習いたちが、小声で囁き合っている。


「とうとう、あの女が出ていくのかもね」


「やっとね。最初からここには相応しくなかったのよ」


その言葉に、ヨアナは思わず眉をひそめた。


イリンカ様が追い出される――。


まるで、それを期待しているような口ぶりだった。


その時だった。


「ヨアナ、落ち着いて」


隣から穏やかな声が掛かる。


振り向くと、侍女長補佐のエマが困ったように微笑んでいた。


「……もう少しだけ待っていて」


優しく言い聞かせるような口調だった。


「……エマ様」


ヨアナは胸が熱くなるのを感じた。


エマもまた、この状況を憂いていたのだ。それだけで、張り詰めていた心が少しだけ軽くなる。


ふと、その視線がエマの胸元へ向いた。襟元には、鈍く美しい光を放つ銀のバッジが留められている。


大帝国の紋章が精巧に刻まれた、気品あふれる意匠の品だった。


「それ……陛下に認められた方々だけが拝領できるというバッジですよね」


ヨアナが羨望を滲ませながら尋ねると、エマはどこか誇らしげにはにかんだ。


「えぇ。陛下から直接賜る、とても栄誉あるお品よ」


そっとバッジへ指先を添え、そのまま懐かしむように目を細める。


「私は陛下が即位されて間もない頃からお仕えしてきたの。気が付けば、もう十年になるわ」


その声音には、長い年月を共に歩んできた者だけが持つ温かさが滲んでいた。


「陛下は昔から努力家で、とても勤勉なお方だったわ。それでいて身分に関係なく臣下へ接してくださる、本当に素敵なお方なの」


当時のことを思い出したのか、エマはふっと頬を染める。その優しい微笑みからは、心から皇帝を敬愛していることが伝わってきた。


(やっぱり、陛下は昔からすごいお方だったんだ……)


ヨアナは静かに頷く。


今の臣下たちがあれほど忠誠を誓っている理由も、少しだけ分かった気がした。


エマは再びバッジへそっと触れ、まるで誓いをするように小さく呟いた。


「私は、このバッジに恥じない行動をしなければいけないの。全ては陛下のために……」


その声はあまりにも小さく、ヨアナには最後まで聞き取ることができなかった。


その時――。


重厚な大広間の扉が、ゆっくりと開かれる。


ざわめいていた空気が一瞬で静まり返り、全員の視線が一斉に入口へ向いた。


そこへ、イリンカが静かに姿を現した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ