第十二話:モッサリ令嬢と侍女見習い
公爵家との対面を終えたウラドとイリンカは、皇帝宮にあるウラドの私室へと戻ってきた。
侍女長アデラが淹れた温かな紅茶をひと口飲み、ようやく張り詰めていた気持ちを緩める。
「……ずいぶん分かりやすい人たちだったわね」
予想していたとはいえ、あからさまな敵意を向けられたことを思い返し、イリンカはぽつりと本音を漏らした。
ウラドは苦々しい顔で頷く。
「ミルチャ叔父上は父の弟だ。優秀だった父の影に隠れ続け、劣等感を拗らせたと聞いている」
どこか他人事のように淡々と語るその口調に、イリンカは叔父と甥の関係性を何となく察してしまう。
「……その優秀なお父様の息子であるウラドも、また優秀だったから出る幕がなかったのね」
思わず同情にも似たため息が漏れる。
「それに、レオノーラ叔母上は父の元婚約者でな。父との婚約が解消された後、叔父上の妻となったそうだ。幼い頃から皇后になるために育てられたらしい」
「皇帝一家が憎まれる要素しかないじゃない!」
思わず頭を抱えるイリンカ。
次から次へと因縁が飛び出してきて、聞いているだけで胃が痛くなりそうだった。
「ソリナ様がウラドに執着するのも、その辺りが関係しているのかもしれないわね……」
その名が出た瞬間、ウラドは露骨に顔をしかめた。
「あいつは幼い頃から、俺の妃になると言い続けていた。俺は何度も興味はないと断ってきたのだが……」
心底うんざりしたような声音だった。
少し考え込むように顎へ手を添え、それから静かに口を開く。
「やはり、最大の障害はギカ公爵家だな。あの一族は、俺が対処する」
そう言うと、ウラドはゆっくりと立ち上がった。
「クリスティアンたちと今後について話してくる。イリンカ、お前はこの後どうする?」
「えぇ。アデラが侍女見習いを連れて来る予定だから、自室に戻るわ」
「そうか。くれぐれも気をつけろ」
そう告げると、ウラドは自然な仕草でイリンカの前へ歩み寄った。
軽く身を屈め、その額へ優しく口づけを落とす。
それは今では、彼にとって別れ際の挨拶のようなものになっていた。
「……いちいちキスをしないと別れられないのかしら」
ウラドが去った後、額を押さえ顔を赤らめながら、小さく呟いてしまう。
照れくささはあるものの、不思議と嫌な気持ちにはならない自分が少し悔しかった。
やがて小さく息を吐くと、気持ちを切り替えるように立ち上がる。
「さぁ、私も私の戦いに行こうかしら」
そう言って、にやりと笑みを浮かべる。
「侍女見習い。どんな子たちなのか楽しみね」
イリンカは軽やかな足取りで部屋を後にした。
これから新たな戦いの舞台となる、自室へ向かうために。
*
――時は少し遡る。
「ラルカ、ヨアナ。あなたたちは今後、イリンカ様の側仕えとなります。侍女見習いとして、多くのことを学びなさい」
侍女長アデラの言葉を聞いた瞬間、ヨアナは自分の耳を疑った。
平民である自分が、貴族に仕えることがどれほど難しいかは、この皇宮で働き始めてから嫌というほど思い知らされている。
正式な侍女になるのは、まだ遠い夢かもしれない。
それでも、自分にできることを一つひとつ積み重ねていこう――そう決意したばかりだった。
それなのに、大帝国の女性の頂点に立つ未来の皇后。
その側仕えに選ばれるなど、夢にも思っていなかったのである。
唖然と立ち尽くすヨアナの隣で、一緒に選ばれたラルカは当然と言わんばかりに鼻を鳴らした。
「私が選ばれるのは分かりますが、なぜヨアナが?」
その言葉には、「なぜ身分の低い者が選ばれたのか」という露骨な侮りが込められていた。
アデラはわずかに眉を寄せ、ラルカを諭すように口を開く。
「ヨアナならば、イリンカ様にお仕えするに足ると私が判断しました。これは、この国が進める施策でもあります」
そして二人を真っ直ぐ見据え、静かに続けた。
「もちろん、イリンカ様にもご了承いただいております。快く受け入れてくださいました」
「二人とも、心してお仕えするように」
「かしこまりました。身命を賭して力を尽くします」
ヨアナは深く頭を下げ、迷いなく膝を折る。
「……かしこまりました」
ラルカも形式どおり膝を折ったものの、その返事にはまだ納得しきれていない響きが残っていた。
そんな二人の様子を見つめながら、アデラは誰にも気づかれぬよう胸の内でそっとため息をつくのだった。
※
皇后宮。
それは、大帝国を率いる皇帝陛下の隣に並び立つ者だけが住まうことを許される、至高の宮殿である。
――のだが。
未来の皇后となるイリンカの居室は、なぜか皇帝宮の中にあった。
ウラドが愛するイリンカを常に傍へ置きたい一心で、その絶対的な権力を行使し、宮廷典範の運用そのものを書き換えてしまったからである。
もちろん、その部屋はウラドの寵愛で満ちあふれていた。
柔らかなベージュを基調とした室内には、新緑を思わせるモスグリーンのカーテンが揺れている。
華美ではないものの、上質な白い家具は陶磁器のような美しさを湛え、あちこちには色とりどりの花や植物が飾られ、部屋全体を優しく彩っていた。
さらに窓の外へ目を向ければ、巨大な温室が凄まじい勢いで建設されている。
聞けば、本来イリンカが住むはずだった皇后宮は、植物研究もできる書斎を兼ねた宮へ改装するため、大規模な工事が進められているという。
(……ウラド、私のこと好きすぎじゃない?)
思わず心の中で突っ込んでしまう。
自分好みど真ん中の部屋。
自分のためだけに建設される巨大温室。
さらには宮殿そのものの改装工事まで。
ここまでされると、素直に喜ぶよりも先に困惑してしまう。
これでは、モッサリ令嬢でなくとも相当なヘイトを集めていたのではないだろうか。
おそらく今頃、帝国中の令嬢たちから盛大な嫉妬を買っているな……と少し遠い目になった、その時だった。
部屋の扉が控えめにノックされる。
「どうぞ」
「失礼いたします。お話ししていた侍女見習い二名をお連れしました」
侍女長アデラが、二人の少女を伴って部屋へ入ってきた。
「ラルカとヨアナです。二人とも、ご挨拶を」
先に一歩前へ進み出たのはラルカだった。
整った顔立ちの愛らしい少女ではあるが、その立ち居振る舞いには貴族らしい気位の高さが滲み出ている。
猫のように吊り上がった瞳でイリンカを値踏みするように見つめると、勝ち誇ったような笑みを浮かべ、優雅に一礼した。
「初めてお目にかかります。ラルカと申します」
(なるほど……確かに、貴族らしい子ね)
(さて、どんな評価になるのかしら)
イリンカは内心で、さっそく観察を始める。
続いて前へ出たヨアナは、素朴で親しみやすい雰囲気の少女だった。
明るく真っ直ぐな瞳は期待に輝き、未来の皇后に仕えられることを心から喜んでいるのが伝わってくる。
「侍女見習いのヨアナと申します。精一杯お仕えいたしますので、どうぞよろしくお願いいたします」
(こっちは真面目で誠実そうね)
(第一印象は、悪くないわ)
これから起こるであろう様々な騒動を思い浮かべながら、イリンカは思わず口元を緩めるのだった。




