第十一話:ギカ公爵家襲来
第十話と第十一話を一緒に投稿しました。
大帝国の歴史の重みを感じさせる貴賓の間には、卓越した職人の手による豪奢な調度品が整然と並べられていた。
その中央に置かれたソファには、ギカ公爵ミルチャ、公爵夫人レオノーラ、そして二人の娘であるソリナが腰を下ろし、ウラドたちの到着を今か今かと待っていた。
「遅いですわ。仮にもこのギカ公爵家を待たせるなんて、一体どういうつもりかしら」
レオノーラが不快感を隠そうともせず憤慨したように言うと、隣のミルチャは苦々しい表情のまま小さくため息をついた。
「レオノーラ、落ち着くのだ。今回はこちらも先触れもなく押しかけたのだから、多少の遅れは仕方あるまい。……とはいえ、あの傲慢な振る舞いは、亡き兄上にそっくりだな」
すると、二人の間に座るソリナが、嬉しそうに白い頬を染めてくすりと笑った。
「お父様、そこもウラドお兄様の魅力のひとつですわ」
その健気な娘の姿に、レオノーラは感激したように目を細めた。
「まあ、なんて健気で可愛い娘なのかしら。これほど愛らしい娘に慕われているのですもの、陛下も無下にはできないはずよ」
「まったく……。回復したかと思えば、私たちに顔を合わせることもなくフィオル王国へ向かい、勝手に婚約者まで連れ帰ってくるとは」
ミルチャの声には、不満と苛立ちが隠しきれずに滲んでいた。
その時、重厚な扉が開き、従者の張り詰めた声が室内に響き渡る。
「皇帝陛下、並びに婚約者イリンカ様のご入室です」
扉から、ウラドとイリンカが姿を現した。
公爵一家は立ち上がり、大帝国の皇帝へと恭しく一礼を取る。
ウラドは軽く頷くだけで応じると、イリンカを伴って、向かい側のソファへと腰を下ろした。
その瞬間、出迎えたミルチャとレオノーラは、思わず目を見開くこととなった。
本日もイリンカは、見事なまでのモッサリ令嬢仕様だったのである。
ウラドは長い脚を組み、苛立ちを隠そうともせず冷ややかに口を開いた。
「叔父上。朝早くから先触れもなく訪ねてきたのだ。よほど重要な用件があるのだろうな」
その棘のある言葉に対しても、ミルチャは張り付いたような笑みを崩さない。
「久しぶりに再会した叔父に対して、ずいぶんとつれないお言葉ですな。陛下が遥々連れておいでになったという婚約者を、この目で一目拝見したく参っただけですよ」
そう言って、ミルチャはゆっくりと視線をイリンカへと向けた。
まるで品定めをするような不躾な眼差しに、イリンカは居心地の悪さを覚えて内心で眉をひそめる。
「……フィオル王国より参りました。イリンカ・バサラブと申します」
見た目とは裏腹の、凛とした挨拶。
その堂々とした落ち着き払った振る舞いは予想外だったのか、公爵夫妻は「ほう」とでも言いたげな表情を浮かべた。
「私はギカ公爵ミルチャ。こちらが妻のレオノーラ、娘のソリナだ」
「イリンカ様……以前、植物魔術医としてこの宮殿に滞在されていましたわよね。まさか、陛下の婚約者になられるなんて、本当に驚きましたわ」
ソリナは柔らかく微笑みながらも、その燃えるような赤い瞳だけは、鋭く突き刺すようにイリンカを射抜いている。
イリンカの背筋を、ゾワリと冷たいものが走り抜ける。
「はい。お久しぶりにございます、ソリナ様」
(狐というよりは、毒蛇みたいな人たちだわ……)
イリンカは内心で激しくげんなりしていた。
挨拶もそこそこに、最初から臨戦態勢全開でこちらを潰しにかかってきているのが丸分かりだった。
それまで表面上は穏やかを装っていたミルチャが、急にその表情を引き締めた。
「ですが陛下。いくら陛下といえども、臣下たちを無視して婚約者を決められたことは、後々問題になります」
夫の言葉に、すかさずレオノーラも厳しい口調で言葉を挟む。
「その通りです。そもそも陛下には、議会より推薦された婚約者であるソリナがおりましたでしょう。このようなやり方では、貴族たちを敵に回します」
(ええ……。そんな面倒くさい状況の中で、私、婚約者として連れてこられちゃったわけ?)
思わず遠い目になるイリンカ。
しかし、当のウラドはそんな言葉など、まるで意に介した様子はなかった。
「議会で勢力を誇っていた元老院はすでに凍結した。現在の議会は正しく機能しているはずだが?」
どこまでも不敵な笑みを浮かべたまま、ウラドはさらに容赦のない言葉を続ける。
「そもそも、その件はすでに棄却済みだ。何故今さら蒸し返す? 貴族どもの利権に塗れた婚約など、良き治世の妨げでしかない」
推薦された当の本人が目の前にいるというのに、それはあまりにも痛烈で冷酷な否定だった。
ミルチャとレオノーラは、屈辱でみるみる顔色を変えていく。
しかし、当のソリナだけは、まるで何も聞こえなかったかのように、微笑みを浮かべ続けていた。
「……陛下、いつかその傲慢さが、ご自身の身を滅ぼす日を迎えるかもしれませんよ。どうか気を付けられよ」
ミルチャは瞳の奥に、ねっとりとした仄暗い色を宿しながら低く忠告する。
ウラドはそれを聞いて、鼻で冷たく笑い飛ばした。
「ふむ。余としては、不満を抱く者どもが早々に攻めてきてくれた方が都合がいい。まとめて返り討ちにできるからな」
片眉を上げ、喉を鳴らして笑うその覇王の姿に、公爵夫妻は完全に言葉を失って鼻白むしかなかった。
沈黙が部屋を満たした、その時だった。これまで黙っていたソリナが、静かに口を開く。
「陛下……いいえ、ウラドお兄様」
彼女が呼びかけた瞬間、その場の空気が、わずかに変わる。
「私は、ずっとお兄様をお慕いしておりますの」
(えっ、ちょっと待って……!? この場でまさかの公開告白!?)
イリンカは思わず心の中で叫んだ。
だが、ウラドは冷え切った瞳のまま、一切の言葉を返さない。
そのあまりにも残酷な沈黙にも怯むことなく、ソリナは熱を宿した赤い瞳で、狂信的な言葉を紡いでいく。
「いつか、この想いを理解していただける日が来ると信じています。ウラドお兄様には、私こそがふさわしいのだと……」
そして、ソリナはゆっくりと視線を巡らせ、イリンカへと向けた。
「今はまだ、ひと時の戯れと思い、大人しく見守って差し上げますわ」
「くだらぬ」
ウラドはその言葉を一蹴した。
「これ以上、お前たちの妄言に付き合う時間は持ち合わせていない。行くぞ、イリンカ」
そう告げるや否や、ウラドは立ち上がり、ごく自然な動作でイリンカを伴って部屋を後にする。
重々しく閉じられた扉を見つめながら、ミルチャはついに抑えきれない怒りを爆発させた。
「何なのだ、あの態度は!? 仮にも身内だぞ! ……ウラドの目を曇らせている、あの娘が邪魔だな」
レオノーラもまた、屈辱に激しく唇を噛む。
「ええ。すぐにでも公爵派の貴族たちと話を進めなければなりませんね」
夫婦が怒りを募らせる中、ソリナだけは静かに微笑んでいた。
ただひたすらに、愛しいウラドが去っていった扉の一点だけを見つめながら。
その美しい赤い瞳の奥には、情念と狂おしいほどの執着が、静かに揺らめき続けていた。




