第八話:好戦的なモッサリ令嬢と愛が重い覇王様
「イリンカ様は、我が国の人材登用制度をご存じでしょうか」
クリスティアンは穏やかな口調で切り出した。
「ええ、ウラドから伺っています。身分を問わずに優秀な人材を募るという、とても優れた制度だと思います」
イリンカは素直に深くうなずいた。
平民であっても、能力さえあれば等しく登用する。貴族社会では考えられないほど革新的な制度である。実際に運用までこぎ着けたことを思えば、ダキア大帝国の政治力の高さと合理性には、感嘆せずにはいられない。
もっとも、その大改革の中心にいる人物が、自分の隣でふんぞり返っている恋愛ポンコツ皇帝とは、結びつかないのだが。
そう思ったイリンカが、呆れ半分、感心半分の眼差しでじっと見つめていると、ウラドが不機嫌そうに整った眉をひそめた。
「お前、今、何か失礼なことを考えていなかったか」
鋭い指摘だったが、イリンカは何食わぬ顔をしてしれっと視線をそらした。そんな二人のやり取りを見ながら、クリスティアンは軽く咳払いをして話を続ける。
「このたび、平民出身の侍女見習いを数名登用いたしました。しかし、貴族の方々からは『平民に身の回りの世話など任せられない』との反発が多く上がっておりまして、現場での運用が難航しております」
「なるほど。つまり、その子たちを私付きにして、宮廷内に実績を作りたいのね」
イリンカはすぐに意図を察した。
皇后候補である自分が率先して平民出身の侍女を傍に置けば、他の貴族たちもあからさまに拒絶したり、制度を批判したりすることはできなくなる。前例さえ作ってしまえば制度は一気に浸透しやすくなるはずだ。
「その通りでございます」
クリスティアンが、願うように深く頭を下げる。その隣で、じっと控えていたアデラも一歩前へ進み出た。
「イリンカ様の傍付きにしたいと推薦する侍女見習いは、とても勤勉で真面目な少女です。どうかご一考いただけませんでしょうか」
真摯な声だった。侍女長としての並々ならぬ責任感と、その少女への確かな信頼が、そのひと言から痛いほど伝わってくる。
アデラの裏表のない誠実な態度に、イリンカは思わず微笑んだ。
「ふふ、もちろん構いませんわ。何だかその子とは、すぐに仲良くなれそうですし」
快く承諾したあとに、イリンカはふっと思いついたように口元をわずかに吊り上げた。
その笑みを見た瞬間、クリスティアンは嫌な予感を覚えた。
「その代わりと言っては何ですが、貴族出身で、少しプライドの高そうな侍女見習いも一緒に私付きにしてくださいな」
その言葉を聞いた瞬間、クリスティアンは思わず天を仰いだ。
平民の侍女見習いと、選民意識の強い貴族令嬢を同じ職場に放り込むなど、どう考えても揉め事が起こる未来しか見えない。
彼女は先ほど宣言した「評価システム」を試す気満々なのだ。
「……イリンカ様は、恐れ知らずにもほどがあります」
「ははっ、俺の皇后として相応しいだろう?」
ウラドが思わずといった風に笑う、その顔はどこか誇らしげで、美しい金色の瞳は自慢気に輝いていた。
その、その惚気とも言える言葉を聞きながら、クリスティアンは遠い目をしてしまう。
「本当にお似合いのお二人ですね……」
好戦的な婚約者と、それを全力で肯定し溺愛する皇帝。この二人に常識や理屈を説くのは時間の無駄だろうと、彼は早々に説得を諦めた。
一方、ラゴスは肩をすくめながら苦笑する。
「まあ、決まっちまったんならしょうがねぇか。何かあれば俺の名にかけて全力で守るから、姉ちゃんもあんまり無理はしすぎないでくれよ」
荒っぽい口調ではあるが、その言葉に嘘はなかった。護衛の最高責任者として、彼は本気で、自らの命を賭してでもイリンカを守るつもりなのだ。
そこで会話を打ち切るように、ウラドが口を開いた。その声は、先ほどまで部下たちに向けていたものとは違い、驚くほど甘く優しい。
「イリンカ。長旅で疲れただろう。続きは後で話すとして、まずは休め。晩餐でまた会おう」
ウラドはそう言いながら、愛おしそうに彼女の白い頬にそっと触れた。伝わってくる大きな手の温もりに、イリンカは気恥ずかしさを覚え、少しだけ頬を染めた。
「……そうさせてもらうわ。アデラさん、手伝ってもらえますか」
「はい、もちろんでございます」
アデラは嬉しそうに微笑む。
「私のことは、どうぞアデラとお呼びくださいませ」
その柔らかな笑顔と温かい言葉に、イリンカも自然と表情を和らげるのだった。
*
その後、ウラドたちはイリンカの部屋を後にし、皇帝執務室へと移動した。
重厚な意匠が施された扉が、静かに閉まる。
ウラドは皇帝専用の椅子に深く腰を下ろし、静かに長い足を組んだ。
その瞬間だった。
先ほどまでの、甘やかな空気が完全に消え去る。
そこにいたのは、恋する男ではない。大帝国を己の力で統べる、冷酷無比の覇王の姿だった。
主の気配が変化したことを察し、クリスティアンとラゴスは自然と表情を引き締め、主君の前に深く跪く。
「わかっているとは思うが……」
低く、腹の底に響くような声。その金色の瞳には、触れる者すべてを切り裂くような冷たい殺気が宿っていた。
「イリンカの身に、傷一つ付けることは決して許さぬ」
室内の空気が破裂しそうなほどに張り詰める。ウラドは、凍てつくような眼差しを部下たちへ向けながら言葉を続けた。
「もしもイリンカに害をなそうとする者が現れたなら、誰であろうと一切の容赦はするな」
「御意」
主君の凄まじい覇気に圧されながらも、二人は即座に頭を垂れた。
しばしの重苦しい沈黙の後、クリスティアンが意を決したように静かに口を開く。
「陛下、畏れながら一つだけ申し上げます」
クリスティアンが居住まいを正し、主に尋ねる。
「許す。申せ」
短い返答。それを受け、クリスティアンは先ほどから抱いていた純粋な疑問を口にした。
「そこまで深くイリンカ様のお身を想っておられるのに、なぜ、あえて敵を炙り出すようなあのような危険な真似をあっさりとお許しになったのですか。陛下自らの手で、最初からすべての火種を摘み取ることも容易だったはずですが」
隣に座るラゴスも、僅かに顎を引いてクリスティアンの疑問に同意を示す。警備を預かる身としては、当然の疑問だった。
しかし、問いかけられた瞬間。
ウラドの鋭かった金色の瞳が、驚くほど柔らかく、ドロリと底知れない熱を持ったように蕩けた。
「そんなもの、決まっているだろう」
至極当然のことを聞かれたとばかりに、愛おしそうに目を細める。
「彼女がこの俺のために、自ら進んで行動してくれているのだ。なぜ、それをこの俺が止める必要がある?」
心底不思議そうに首を傾げ、そして満足げに口元を緩めた。
言葉では強がってはいても、彼女がこのダキア大帝国で皇后となる覚悟を決めたのは、他でもない。その胸の奥に、自分への愛があるからだ。
イリンカ自身はまだウラドへはっきりと想いを伝えてはいないが、勘の鋭いこの皇帝が、愛しい婚約者の本心に気づかないはずがなかった。
彼女は、未来の妃としてウラドの隣に堂々と立ち並ぶために。これから二人で生きていく場所の風通しを、自らの手で良くしようとしてくれているのだ。
ほんの僅かでも、自分のことを想って懸命に動いてくれている。ウラドにとってその事実は、狂おしいほどに可愛く、愛おしくて堪らないものだった。
くつくつと喉の奥を鳴らして、至福の喜びに浸るように笑う。
「妃として、俺の隣に立つために。そんな彼女の健気で愛らしい姿を、特等席で見逃せるわけがないだろう?」
そう語るウラドの顔は、実に満ち足りた、この世の幸福をすべて集めたかのような甘やかな表情だった。
そこには、彼女を手のひらの上で転がしながら極上の愛を注いでいる、底抜けに幸せそうな覇王の姿があった。
「…………」
重い。
底なしに重すぎる愛情である。
目の前にいる不遜な主の、あまりにも深い愛情と執着を見せつけられ、クリスティアンとラゴスは言葉を失う。
そして二人は、本心がとっくにウラドに筒抜けになっている、可哀想なほど愛されているイリンカに、心の底から同情するのだった。




