第七話:モッサリ令嬢の評価システム
ウラドにエスコートされるまま歩みを進めていたイリンカは、当然のように自分が案内されるのは、皇后宮であると思い込んでいた。
だが、案内が進むにつれ、宮殿の格式の高さに違和感を覚える。とても見覚えのある景色。
「……ここは、皇帝陛下の宮ではありませんか?」
皇帝の居室の続き部屋に案内されたイリンカは、思わず声に出して尋ねると、宰相クリスティアンがどこか疲れ切ったような表情で深く頷いた。
「はい。陛下が少しでもイリンカ様のお傍にいたい……と、わがま――失礼、強く、非常に強くご要望されまして」
一瞬だけ本音が漏れかけた宰相は、わざとらしく咳払いをして言葉を続ける。
「その結果、宮廷の伝統やしきたりを定めた『宮典』を書き換えることになりました」
その説明を聞いた瞬間、イリンカは勢いよくウラドを見上げた。
(あんた、何やってんの!?)
声にならない絶叫が飛ぶ。
だが当の本人は涼しい顔だった。
「俺が法だ。何か問題でも?」
片眉を上げ楽しげに笑い、傲慢そのものの口調で言い放つ。
さすがは覇王である。
しかしイリンカの内心では、盛大なツッコミの嵐が吹き荒れていた。
(この男、完璧な覇王のくせに、恋愛に関してポンコツ過ぎる……!)
モッサリ令嬢作戦だけでも十分に目立つというのに、さらに前例のない特例まで作ってどうするのか。
これでは間違いなく、
『皇帝陛下を骨抜きにした生意気な女』
として、必要以上に宮廷中の侍女や貴族たちから反感を買ってしまう。
もっとも――。
(膿を炙り出すっていう目的には、これ以上ないくらい最高の餌なんだけど……!)
そう考えると、完全には否定できない自分もいる。
ぐぬぬ、と複雑な気持ちで唸っていると、不意に柔らかな声が響いた。
「ふふっ。陛下は本当にイリンカ様を大切にされておられるのですね」
イリンカが振り返ると、そこには上品な佇まいの女性が立っていた。
「初めまして、イリンカ様。私はこの皇宮にて侍女長を務めております、アデラ・ベスクと申します」
年齢は四十代ほどだろうか、落ち着いた物腰と柔らかな笑みを浮かべ、イリンカに深く礼をした。
その一方で、背筋は真っ直ぐに伸びており、長年皇宮を統率してた者だけが持つ凛とした風格も強く感じられた。
そして何より、その瞳にはイリンカを見下す色が欠片もなかった。
そのことにほっとしながら、イリンカも軽い会釈をする。
「初めまして。フィオル王国から参りました、イリンカ・バサラブと申します。こちらこそ、よろしくお願いいたします、侍女長様」
すると、挨拶を交わしたアデラは、どこか楽しそうに、それでいて興味深そうに首を傾げた。
「……やはり、そのお姿には何か理由がおありなのでしょうか。以前滞在されていた植物魔術医様とお見受けいたしましたが……」
上品な仕草の中にも好奇心を隠しきれない様子に、イリンカは意外そうに目を瞬かせた。
「私のことを覚えていらっしゃるのですか?」
「はい。宮殿の奥で、確かにそのお姿をお見かけしたことがございます」
アデラは当時を懐かしむように、嬉しそうに目元を和ませて微笑む。
「陛下を病から救ってくださった方ですもの。心より感謝しております。いつか直接お礼を申し上げたいと思っておりましたので、願いが叶いましたわ」
裏表のない感謝の言葉をうけ、イリンカは少しだけ照れくさそうに視線を泳がせた。
すると、二人のやり取りを見守っていたクリスティアンが穏やかに口を開く。
「アデラ侍女長は、皇宮の中でも数少ない信頼に足る優秀な女性です。今後、もし何か不自由なことや困ったことがあれば、彼女に相談なさると良いでしょう」
紹介されたアデラは小さく一礼した後、ふっと少しだけ真剣な表情になる。
「イリンカ様、大変恐れながら一つだけ率直に申し上げてもよろしいでしょうか」
「ええ、構いません。何でしょう?」
イリンカが小さく頷くと、アデラはまっすぐにその視線を向けてきた。
「なぜ、そのようなお姿に?」
そして少しだけ苦しそうにその言葉を続ける。
「正直に申し上げますと今のそのお姿は、プライドの高い一部の侍女たちから反感を買う可能性がございます。全員に十分な教育が行き届いていないのは、侍女長である私の力不足でもありますが……」
悔しそうに端正な眉を伏せるアデラ。
「イリンカ様に心安らかに過ごしていただくことが私どもの務めです。だからこそ、あえて申し上げました」
その様子から、保身ではなく本気でイリンカの身を案じていることが伝わってくる。
イリンカは、満面の笑みを浮かべ大きな声で叫んだ。
「星五!」
突然放たれた謎の言葉に、その場の全員がぽかんと固まる。
奇妙な沈黙の後、様子を見ていたラゴスが、あまりの脈絡のなさに吹き出しそうになりながら尋ねた。
「なあ姉ちゃん、その星ってのは一体何なんだ? 俺たちにもわかるように意味を教えてくれ」
「決まっているじゃない、アデラ侍女長は満点評価ってことよ!」
誇らしげに胸を張るイリンカは、驚く面々を見渡しながら、得意げに独自の解説を始めた。
「今回の皇宮入りにあたってね、モッサリ令嬢姿の私に関わる人たちを評価することにしたの」
「星五は、私を案じて提言してくれる人」
「星四は、外見に囚われず普通に接してくれる人」
「星三は、私の姿を疑問に思いながらも接してくれる人」
「星二は、私を馬鹿にしたり、嫌がらせしてくる人」
「そして星一は――」
そこでにっこり笑う。
「私の命を狙ってくる人!」
「……」
「……」
「……」
部屋の中に、何とも言えない重苦しい沈黙が流れた。
その不穏すぎる評価基準を聞いて、真っ先に頭を抱えたのはやはり宰相クリスティアンだった。
「……近いうちに、私の管轄で前代未聞の大規模な人事異動が起こりそうですね……」
これから確実に待ち受けているであろう恐ろしい激務の未来を予見したらしく、青い顔で胃の辺りをきつく押さえている。
一方、軍人であるラゴスは、がしがしと頭を掻きながら苦い顔をした。
「おいおい姉ちゃん、冗談でも星一は洒落になってねぇだろ」
彼はこれから、ただの将軍としてだけでなく、イリンカの護衛も部分的に担う立場なのだ。警備の責任者として当然の反応であった。
だが、当のイリンカは咎められてもどこ吹く風で、けろりとした表情を崩さない。
「ラゴス将軍、私の強さを知っているでしょう?」
「そりゃ知ってるがよ」
ラゴスは複雑な顔をしている。
「だけどな、相手は正面から挑んでくる破落戸じゃねぇんだ。もしも食事に毒なんかを盛られたり、寝込みを襲われたりしたらどうするんだ?」
その現実的な指摘に、イリンカも少しだけ真面目に考え込む。
「その辺も何とかできそうな気はするんだけど……。でも、やっぱり身の回りの世話を頼むなら、信頼できる侍女は欲しいわよね」
すると、二人の会話をそれまで静かに聞いていたクリスティアンが、ピクリと反応した。
「信頼できる侍女、ですか。それなら――」
宰相は、意味ありげに微笑む。
「ちょうどイリンカ様にお願いしたいことがございまして……」




