第四話:侍女見習いヨアナ
侍女見習いのヨアナは、厳しい筆記試験と幾度にも及ぶ選抜を奇跡的に勝ち抜き、ようやくこの憧れの皇宮で働き始めることが許された、生粋の平民だ。
本来であれば、侍女や官僚といった皇宮の格式高い役職は、そのほとんどが貴族の血筋によって独占されている。
彼女たちのような平民が運良く皇宮に雇われたとしても、それは洗濯や掃除、あるいは熱気の籠もる厨房の手伝いといった、日の当たらない裏方の雑用に就くのがこれまでの当たり前であった。
けれど、今のダキア大帝国は、過去の古い体制とは確実に違っていた。
能力と意欲さえあれば身分を問わず等しく登用する――そんな画期的な新制度を、偉大なる皇帝陛下が自らの権威によって作り上げてくださったのだ。
平民という身分の私に、こうして誇りある道が開かれたのも、ひとえにその恩恵のおかげであった。
合格の知らせを受け取った日のことは、今でも鮮明に覚えている。
家族はまるで自分のことのように涙を流して喜び、貧しい近所の人たちまでが我がことのように祝福してくれたものだ。
まだ右も左もわからない見習いの身でしかないけれど、背中を押してくれた皆の期待に何としても応えたい。
その一途な熱意だけは、どんな名門の令嬢にも絶対に負けないつもりだった。
そして、記念すべき今日。皇帝陛下が、未来の皇后陛下となる大切な女性をフィオル王国から連れて戻られるという。
皇宮の中は朝からどこか浮足立っており、普段は眉間に皺を寄せている厳しい先輩侍女たちでさえ、
どことなく落ち着かない様子でそわそわと歩き回っているように見えた。
(いったい、どのようなお方なのだろう……)
きっと、私のような平民がこれまで見たこともないほど美しく、息を呑むような気品に満ち溢れた女性に違いない。
そう考えるだけで、自分のことのように胸が高鳴ってしまう。
不慣れな仕事に緊張しているはずなのに、まだ見ぬ主にお会いできることが楽しみで、思わず頬が緩んでしまった。
そんな風に胸を躍らせていた時、生垣の向こう側から、同じ見習い組の少女たちの声が密やかに聞こえてきた。
「ねえ、新しくいらっしゃる皇后様って、どんなお方だと思う?」
最初にそう口火を切ったのは、同期の侍女見習いであるラルカ・ルジだった。
彼女は下級とはいえ子爵家の令嬢であり、座学の成績も非常に優秀な人物だ。
けれど、根底で平民を激しく見下しているところがあり、ヨアナたち平民出身のグループとはあからさまに距離を置いて壁を作っていた。
「フィオル王国の侯爵令嬢だと聞いたわ。格式ある古い家柄なんですって」
取り巻きの令嬢の一人が、顔を寄せて知っている限りの情報を口にする。
するとラルカは、唇を不快そうに歪め、露骨に鼻を鳴らしてみせた。
「ふん。侯爵令嬢といっても、あんな小国での話でしょう? 大国であるこのダキア大帝国の皇帝陛下に並び立つ皇后になるなんて、どう考えても分不相応だわ」
物陰で聞き耳を立てていたヨアナは、あまりの言葉に思わず大きく目を瞬かせた。
なんと恐ろしい不敬を口にするのだろう、と背筋が凍るような思いがする。
未来の皇后陛下となられるお方への侮辱など、本来なら口にすることさえ許されない。
ましてや現在の皇宮において、皇族に対する不敬は一発で首が飛びかねない重罪なのだ。
聞いているこちらの方が、冷や汗をかいてしまう。
しかし、当のラルカは周囲に遮る者がいないのをいいことに、まったく悪びれる様子もなく言葉を続けた。
「そもそも陛下には、長年、正妃の有力な候補として公爵家のソリナ様がいらっしゃったのよ。
突然降って湧いたような外国の女にその座を奪われて、ソリナ様はどれほどお嘆きになっているか……。
私、先日ソリナ様にお会いしたの、あまりに痛ましくて一緒に泣いてしまいましたもの」
ラルカは本当に心を痛めているかのような、悲劇のヒロインの代弁者を気取った顔を作って語った。
その巧みな話し振りに影響されたのか、周囲の令嬢たちも「まぁ、なんて可哀想な……」と同情的な空気を漂わせ始める。
まるで悲劇の被害者はソリナであり、まだ異国から到着してもいない未来の皇后こそが、全ての幸福を奪い去った悪者であるかのような歪んだ構図が、またたく間にその場に作り上げられていく。
「だからこそ――」
ラルカはゆっくりと、計算高い笑みをその口元に浮かべた。
「ソリナ様のためにも、新参者の彼女が本当に皇帝陛下に相応しいお方なのかどうか、私たちが侍女として内側からしっかり『見極めて』差し上げないといけないわね」
そう言ってわざとらしく肩をすくめる彼女の瞳には、格下の獲物をじわじわと追い詰めるのを楽しむような、特有の暗い色が不気味に灯っていた。
ヨアナは胸の奥が冷たくざわつくのを感じずにはいられなかった。
まだ顔も、そのお名前さえも知らない未来の皇后陛下。そのお方が皇宮へ一歩を踏み出す前から、すでに心から歓迎していない、それどころか敵意を剥き出しにする人々が確実に存在している。
華やかなお迎えの裏に隠された醜い現実に、ヨアナは言いようのない不穏な不安を覚えながら、小さく身震いするのだった。




