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第一話:皇帝陛下の包囲網

二章を始めました。気に入って貰えましたら、評価やリアクションを頂けると励みになります。どうかよろしくお願いします。

バサラブ侯爵家が誇る巨大温室は、今日も瑞々しい緑に満ちていた。

陽光を受けて輝く葉。甘く香る花々。規則正しく並ぶ薬草の畝。

その中央で、イリンカは黙々と作業を続けていた。

余計なことは考えず、植物の世話に没頭する。この時間だけが心を落ち着かせてくれる。


そんな中。


「なぁ、そろそろ機嫌なおせよ」


聞き慣れた声がした瞬間、イリンカは無言で花の手入れを続行した。

聞こえなかったことにする。

徹底的に無視である。


「俺のお陰で厄介ごともなくなっただろ?」


背後から聞こえる声には、どこか褒めてほしそうな響きが混じっていた。

イリンカはゆっくりと振り返る。

そこには、当然のように温室へ入り込んでいるダキア大帝国皇帝ウラドの姿があった。

そして次の瞬間。


「新たな厄介ごとが口を開くなーーっ!」


温室いっぱいに怒声が響いた。


そもそも、イリンカの運命はあの日の舞踏会で終わるはずだったのである。

原作通りならば、王子とヒロインが結ばれ、自分は悪役令嬢として断罪される。

しかしイリンカは、前世の記憶を頼りに早々と舞台から降りた。

婚約候補からも外れ、断罪も回避し、平穏な隠居生活への道を着実に歩んでいたはずだった。

それなのに、なぜか大帝国の皇帝から婚約者宣言をされてしまった。

求婚ではない。


「俺の妃だ」


という一方的な決定事項である。

しかも本人の同意は一切なし。さらには長年隠し続けてきた美貌まで公にされてしまった。

このままでは夢だった隠居生活どころか、大帝国の皇后一直線である。

いったい人生のどこで道を間違えたのだろうか、頭を抱えたくなる。


「よし。お前に喜んでもらえるよう、何か贈り物を――」


「これ以上いらないわよっ!」


即座に却下した。


この数日、ウラドは毎日のように侯爵家を訪れていた。

しかも大量の贈り物付きで。

珍しい花。高価な宝石。貴重な書物。美術品。高級菓子。

気づけば侯爵家の応接室は帝国から届いた品々で埋まりつつある。


おかげで侯爵家におけるウラドの評価は爆上がりだ。

父も母も好印象、使用人たちも好印象。

弟のルシアンに至っては警戒しながらも少しづつウラドを認め始めている。

あのシスコンの弟は、姉に近づく男は「即殺」のハズなのに……。

そう、恐ろしいほど順調に外堀を埋められていた。


さらに言えば。

フィオル国王など、「どうか早く帝国へ嫁いでくれ」と涙ながらに頼んできた。

あの時は本当に土下座する寸前だった。

きっと国王陛下も苦労しているのだろう。

少しだけ同情した。


「だったら、早く帝国に行こうぜ」


ウラドは温室のベンチに腰掛けながら口を尖らせる。

世界最大の大帝国を治める皇帝とは思えない態度である。


「ねぇ、暇なの? 国政は?」


イリンカは呆れたように眉をひそめる。


「一応あなた、大帝国の皇帝よね?」


ラドだった頃と変わらない口調である。ここまでされて、敬語など今さら使うものかとヤケになっているイリンカ。

ウラドも特に気にしていなかった。


「我が国の部下たちは優秀だからな」


どこか誇らしげに胸を張る。


「少しばかり留守にした程度では、俺の国は揺るがん」


その言葉には絶対的な信頼があった。


ふとイリンカは以前から気になっていたことを思い出す。


「そういえば帝国って、身分を問わないって本当?」


この世界には厳然たる身分制度が存在している。貴族は貴族。平民は平民。それが当たり前だ。

だからこそ、その仕組みを崩そうとしているという話が信じられなかった。


「まあ、貴族どもからの反発はあるがな」


ウラドは肩を竦めた。


「だが元老院を凍結できたのは大きい。少しずつ実力主義へ変わってきている」


そして、真っ直ぐに前を見据えたその瞳には確かな決意が宿っている。


「俺の国はこれからもっと良くなる。活気が満ち溢れ、誰もが上を目指せる国になる」


そして、ウラドはイリンカを見つめる。その瞳には、迷いも揺らぎもない。


「お前と作りたいんだ」


静かに告げた。


「俺の国の未来を」


その言葉に、イリンカの胸がわずかに揺れる。

世界を征服した覇王。誰よりも傲慢で、自信家で、強引な男。

それなのに今だけは、まるで未来を夢見る少年のような顔をしていた。


「……うっ」


思わず視線を逸らす。


「そ、その言い方はズルいわ」


するとウラドの口元がゆっくりと吊り上がる、勝機を見つけた肉食獣の笑みだった。


「今、お前のために巨大な温室を作らせている」


「え?」


イリンカの肩がぴくりと反応する。


「大陸中の花を植える予定だ」


「……大陸中?」


そんなことが可能なのだろうか。


「さらに、ありとあらゆる植物の種も集めさせている」


「あ、ありとあらゆる……?」


「もちろんだ」


ウラドは自信満々だった。


「それだけじゃない。お前専用の書斎も用意している」


「書斎……」


「蔵書も凄いぞ。王国の図書館とは比べものにならん」


そして楽しそうに続ける。


「想像してみろ」


イリンカの脳裏にその景色を描くように。


「自分だけの巨大温室で植物を育てる」


「……」


「好きな本を好きなだけ読む」


「……」


「上等な茶菓子を食べながら、誰にも邪魔されず研究する」


数秒の沈黙。


「サイコーじゃない!?」


イリンカは、思わず叫んでしまい、はっと口を押さえるが遅かった。

ウラドは満面の笑みである。


「だろう?」


完全にウラドの術中にハマってしまった。


「俺の妃として好きなことをすればいい、誰にも文句は言わせない」


傲慢そのものの言葉だが、不思議と嫌味には聞こえない。なぜなら、この男は本当に実現できるからだ。

十年で大陸を征服した覇王。不可能を可能にしてきた男なのだから。


「そもそも」


そこでウラドは意地悪そうに笑った。


「このままフィオルに残っても、周囲がお前を放っておくと思うか?」


「うぐっ」


痛いところを突かれた。

美貌が知られてからというもの、周囲の視線は明らかに変わった。

特に男性陣が酷い。あのダリアン王子ですら、未練がましい視線を向けてくる始末である。

思い出しただけで鳥肌が立った。

肩を落とし、そして長い溜息を吐く、どう考えても反論できない。


「決まりだな」


ウラドは、心底嬉しそうに微笑んだ。

ベンチから立ち上がると、ゆっくりとイリンカの前へ歩み寄る。そして、そっとその身体を抱き寄せた。

強引な男のくせに、その腕は驚くほど優しい。

逃げられないように閉じ込めるためではなく、離れていかないよう願うような抱擁だった。

普段は傲慢で不遜な皇帝が見せる不器用な優しさに、イリンカは思わず目を瞬かせる。


「大切にする」


低く穏やかな声、そして切なげに告げる。


「俺のイリンカ」


そのまま甘えるように頬をすり寄せてくる。

まるで大型犬みたい……思わず苦笑が漏れる。


困ったことに、こんなことをされても嫌な気持ちにはならず、むしろ心地よいとさえ感じてしまう。

それがきっと、自分の答えなのだろう。


本来なら地味に生きて誰にも注目されず、老後は悠々自適な隠居生活を送る予定だった。

それなのに、気づけば大陸で最も有名な男の隣に立とうとしている。

人生とは本当に分からない。


「その言葉」


顔を赤くしながら呟く。


「嘘ついたら針千本飲ますからねっ」


イリンカの精一杯の照れ隠し。

そんな彼女を見つめるウラドの眼差しは、どこまでも優しく熱を帯びている。

愛おしいものを見るように、逃がすつもりなど最初からないというように。


こうしてイリンカは。

ウラドの婚約者として、大帝国へ向かうことを決めたのだった。

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