第二十七話:覇王の宣言
ウラドの登場によって、華やかな舞踏会の空気は一変した。
先ほどまでざわめきに満ちていた大広間は、水を打ったような静寂に包まれている。
誰もが息を呑み、ただ一人の男へ視線を向けていた。
肩まで流れるレッドブラウンの髪。黄金に輝く双眸。そして、長年にわたり大陸を震わせ続けてきた覇王だけが纏う圧倒的な存在感。
その美貌もまた人並み外れていたが、人々を黙らせているのはそれだけではない。
戦場を幾度も制し、巨大な帝国を築き上げた絶対強者の覇気が、この場にいる全員を呑み込んでいた。
恐れと憧れが入り混じった視線を浴びながらも、ウラドはまるで意に介した様子もなく歩みを進める。
真っ直ぐに。
ただ一人の少女へ向かって。
そして――当のイリンカは大混乱していた。
(え、何でウラド皇帝がいるの!?)
頭の中が真っ白になる。
(いやいやいや、ここ王国よね!? 帝国じゃないわよね!?)
しかも。
(すごい勢いでこっち来てるんですけど!?)
嫌な予感しかしない。
逃げたい。今すぐ逃げたい。
しかし周囲の視線が集まりすぎていて、一歩も動けなかった。
やがてウラドはイリンカの目の前まで辿り着く。
そして次の瞬間。
ぐい、と彼女の細い腰を引き寄せた。
「っ!?」
突然のことにイリンカの身体が傾く。そのまま彼の腕の中へ収められた。
ウラドは動揺する彼女など気にも留めず、堂々と周囲を見渡す。
「余は大帝国ダキアの皇帝、ウラド・ダキア」
低く響く声が大広間に広がった。
そして。
「彼女は余の妃となる女性だ」
その一言に、会場中が凍り付く。
貴族たちは目を見開き、言葉を失った。当然である。
突然現れた大帝国の皇帝が、王国の侯爵令嬢を自らの妃だと宣言したのだ。驚愕しない方がおかしい。
もっとも。何故か当のイリンカ本人が一番驚いた顔でウラドを見上げていたのだが、誰もそこへ突っ込める空気ではなかった。
ウラドは口元を僅かに歪める。それは物語に出てくる悪魔のような笑みだった。
「断罪だと?」
黄金の瞳が冷たく細められる。
「やれるものならやってみろ」
静かな声だった。だが、その一言だけで会場の温度が数度下がったように感じられる。
「その瞬間、この国を攻め滅ぼしてやる」
冗談ではない。誰もが理解した。この男は本当にやる。だからこそ恐ろしい。
その後ろから、慣れた様子で宰相クリスティアンと将軍ラゴスが前へ進み出る。
クリスティアンは抱えていた書類の束を広げ、冷静な口調で説明を始めた。
「こちらに、ソフィア・コドレア令嬢がイリンカ様への罪を捏造した証拠一式がございます」
会場がざわめく。ソフィアの顔色が一気に変わった。隣にいたダリアンも驚愕し、思わず彼女を振り返る。
「おい、連れてこい」
ラゴスが命じる。直後、大扉が再び開かれた。
現れたのは縄で拘束された数人の男たちだった。
それを見た瞬間。ソフィアの顔から血の気が引いた。
「だ、駄目……」
思わず漏れた声は震えていた。ダリアンが眉をひそめる。
「ソフィア?どうしたんだ?」
しかし彼女は答えられない。ラゴスは男たちを鋭く睨みつけた。
「さあ、言ってみろ」
その迫力に観念したのか、男たちは次々と口を開く。
「そこのピンク髪の女に金で雇われたんだ」
「自分を襲って、イリンカって女の仕業だって言えってな」
「少し牢に入るだけで後は出してやるって約束だった」
「被害者のお嬢様が無罪にしてくれって頼めば、あの王子は喜んで聞くからってよ」
「罪人にも優しい聖女だって評判になるし、王子からの好感度も上がるって高笑いしてたぜ」
「怖ぇ女だよなぁ」
好き放題暴露する男たち。その内容に会場中が絶句する。誰一人として言葉を発せなかった。
フィオル国王は深く息を吐いた。そして静かに衛兵へ命じる。
「その令嬢を拘束せよ」
冷たい声音だった。
「詳しく話を聞く必要がありそうだ」
「いやっ!やめて!」
ソフィアは必死に叫ぶ。
「私は王子妃になるの!ダリアン様、信じてください!これは陰謀です、誰かの罠なんです!」
だが、もはや無理があった。
大帝国が集めた証拠、実行犯本人たちの証言。ここまで揃えば言い逃れは不可能だった。
ダリアンもまた、信じていたものが崩れ去ったのだろう。蒼白な顔で立ち尽くしている。
衛兵に取り押さえられながらも、ソフィアはなお叫んだ。
「大体、ダキア皇帝の妃って何よ!」
悔しさに顔を歪める。
「そんなモッサリした女が皇后になれるなんておかしいじゃない!」
その言葉に、会場には微妙な空気が流れた。口には出さない。だが、確かに――という気配は存在していた。
(いいぞ!)
イリンカは、内心で力強く拳を握る。
(もっとだ!もっと言え!)
このままでは大帝国の皇后にされてしまう。そんなもの、夢の隠居生活から最も遠い未来ではないか。
そんな彼女の思考などお見通しと言わんばかりに、ウラドが顎へ手を添える。
「ふむ……」
何かを考えるように呟く。もちろん、片腕は依然としてイリンカの腰を逃がさぬよう抱いたままだ。
「モッサリでなければ良いのか」
その言葉に、イリンカの背筋を嫌な予感が駆け抜けた。
「ま、待って」
慌てて見上げる。
「ラド。私の夢、知ってるわよね!?平穏な隠居生活を――」
思わず昔の呼び名が口から飛び出した。
その瞬間。ウラドは心底楽しそうに笑う。
「奇遇だな」
黄金の瞳が彼女を射抜く。
「俺にも夢ができた」
その声は甘く、けれど有無を言わせぬ強さを含んでいた。
「惚れた女を手に入れるっていう夢が」
ウラドは微笑み、静かに指を鳴らした。




