第二話:生霊少年、現る
「あれ……この資料、こんな所に置いたっけ?」
温室の机へ視線を落とし、私は小さく首を傾げた。
ここ最近、妙なことが増えている。閉じたはずの本が開いていたり、昨日まとめた資料の順番が微妙に変わっていたり、誰もいないはずなのにカーテンがふわりと揺れたり。
最初は気のせいかと思っていた。けれど、一度や二度ではない。さすがにこう続くと、嫌でも気になってくる。
「……異世界にも、ポルターガイスト現象とかあるのかな」
ぽつりと呟いた瞬間、背筋にぞわりとした悪寒が走った。静かな温室の中で、自分の声だけがやけに大きく響いた気がする。
私はぶんぶんと首を振る。ダメだ。こういうのは気にしたら負けである。仮に本当に怪異だったとしても、私の植物魔術はそこらの魔術師には負けないくらい鍛えているから大丈夫だろう。
……いや、でも植物魔術って幽霊相手に効くのだろうか。
「…………」
急に自信がなくなってきた。私は考えるのをやめるように勢いよく机を叩く。
「気にしない!次の改革案を考えるのよ、私!」
夢の隠居生活のためには、まだまだ資産形成が必要なのだ。私は気持ちを切り替え、再び机へ向かった。
*
(?視点)
気づけば、俺はここにいた。
自分が誰なのかも、どこから来たのかも思い出せない。ただ、妙に身体が軽かった。地面を歩いているようで、浮いているようでもある。
そんな曖昧な状態のまま彷徨っているうちに、奇妙な魔力を見つけた。
優しく、温かく、それでいて力強い魔力。導かれるように辿り着いた先には、大きな温室があった。
磨き上げられた硝子張りの建物の中で、一人の少女がせっせと植物を育てている。どうやら侯爵令嬢らしい。
だが、どうにも普通の令嬢には見えなかった。
動きは妙にガサツで、誰もいないのに大声で叫び、しょっちゅう独り言を呟いている。目を疑うほど美しい姿で現れたかと思いきや、しばらくすると陰気なモッサリ女へと変貌してどこかへ出掛けていくのだ。
意味が分からない。
気になった俺は、その少女をしばらく観察してみることにした。すると、妙な単語が頻繁に耳に入るようになる。
前世。原作。断罪。
どうやら自分を“悪役令嬢”だと思い込んでいるらしい。普通なら頭のおかしい女だと切り捨てるところだ。
だが、この少女は見たこともない精密な魔術を使う。何より、彼女の知識はこの世界の常識から大きくかけ離れている。
……面白い。
自然と口元が吊り上がる。退屈だった世界に、急に色が戻ったような気分だった。
観察していて気付いたのだが、この少女の傍にいると僅かに魔力を使えるのだ。その上、俺の存在を認識している。
「こいつ、使えるな」
俺は小さく笑った。
そして、少女に接触することを決めたのである。
*
「おい、そこのお前」
「……ん?」
不意に声がした。幼い少年のような声だった。私はペンを持ったまま顔を上げる。
……いや、気のせいよね?
弟のルシアンは学園に行っているし、こんな時間に温室へ来る人間などいるはずがない。私は気にしないことにして、再びノートへ視線を戻した。
いつかボールペンやシャープペンも作りたいのよねぇ……。前世では当たり前だったけれど、この世界だと筆記具の性能が絶妙に不便なのだ。
だがこの国には、細かい加工技術を持つ職人が少なく、なかなか実現まで漕ぎ着けられない……。
うーん、と唸りながら構想を練っていると、
「聞こえてんだろ。気づけ、モッサリ美少女!」
今度は明確に、苛立った声が飛んできた。
「モッサリ美少女って何よ……褒めてんの?けなしてんの?」
思わずツッコミながら振り返る。そして、私は固まった。
そこには、十歳くらいの少年が立っていた。レッドブラウンの髪に、金色の瞳。恐ろしいほど整った顔立ちをした、美しい少年。
だが問題はそこではない。
――薄い。
向こう側の景色が、若干透けて見えている。そして、地面から少し浮いている。
「えっ……誰!?っていうか、本当に幽霊いたの!?」
「多分幽霊ではないな。生霊だと思うぞ」
少年はまるで他人事のように言うと、くつくつと楽しげに笑った。その金色の瞳だけが、不気味なほど鮮やかに光って見えた。
まさかこの出会いが、私の平穏な隠居計画を木っ端微塵にすることになるとは、この時の私はまだ知らなかった。




