第十七話:嵐を呼ぶモッサリ令嬢
いよいよ、皇帝に回復の兆しが見え始めていた。
以前は死人のように青白かった顔色にも僅かに血色が戻り、閉ざされたままだった身体にも、時折わずかな反応が現れるようになっている。
その変化に、クリスティアンとラゴスは喜びを隠しきれない。
「陛下のお顔色が、以前とはまるで違います」
クリスティアンは静かな声でそう言いながらも、その灰色の瞳には確かな安堵が宿っている。
「これなら、もうすぐ目覚めるんじゃねぇか?」
ラゴスも嬉しそうに笑った。
二人の期待に満ちた視線を向けられ、イリンカは曖昧に微笑む。
もちろん、回復は喜ばしい。だが――どうしても引っかかっていることがあった。
それを確かめるには、どうしてもクリスティアンと二人きりで話す必要がある。
「クリスティアン様、お願いがございます。後ほど、少しお時間を頂けませんか」
「えぇ、それは構いませんが……」
クリスティアンは僅かに首を傾げた。
ここでは話せない内容なのだろうか。そう思った矢先だった。
コンコン――。
寝室に控えめなノックの音が響く。
扉を開けた護衛達は、どこか気まずそうな顔をしていた。
「恐れ入ります。今、外に――」
*
そして。
彼らは断りもなく現れた。
元老院。
皇帝不在の帝国で長年権勢を振るってきた老人達が、ずらりと寝室前へ押しかけて来たのである。
「この者が、得体の知れぬ魔術師か!」
開口一番、老人のひとりが怒鳴り散らす。
「陛下のお身体に何かあったらどう責任を取るつもりじゃ!」
「こんなモッサリした女など信用できんわ!」
次々と飛んでくる非難の言葉に、イリンカは思わず遠い目になった。
――また面倒なのが増えた。
クリスティアンとラゴスも露骨に顔をしかめる。
「元老院の皆様は、現在発言権を凍結されております。この件につきましては、私と将軍が陛下より一任されておりますので」
クリスティアンは冷静に言い放った。だが老人達は納得しない。
「我らの功績を無視する気かっ!」
「若造が調子に乗りおって!」
怒声が飛び交い、場の空気が一気に険悪になる。
イリンカは、完全に蚊帳の外でその争いを眺めていた。
ちらりとラドへ視線を向ける。
すると彼は腕を組み、黄金の瞳で元老院達を冷え切った目で見下ろしていた。
――うわぁ。めちゃくちゃ嫌そう。
その時だった。興奮した老人のひとりが、イリンカを鋭く睨みつける。
「大体なんじゃ、その怪しい眼鏡は!そんなに人前に出せん顔なのか!?」
そう叫ぶなり、乱暴に眼鏡へ手を伸ばしてきた。
「っ――!」
咄嗟に身を引いたイリンカは、バランスを崩して転倒する。
「きゃあっ!」
その瞬間。
ゴウッ――!!
宮殿内に、凄まじい暴風が吹き荒れた。
「ひぃっ!?」
「な、なんじゃこれはぁぁ!?」
「ぬおおおおっ!!」
轟音と共に、元老院の老人達だけが次々と吹き飛ばされていく。
見事なまでに、ターゲットだけを狙い撃ちした魔術だった。
「……陛下の魔力、順調に戻られてますね」
クリスティアンが冷静に分析する。
「じいさん達、気持ちよく飛んでったなぁ……」
ラゴスはどこか感心したように呟いた。
そしてラドは、腕を組んだまま吹き飛ばされた老人達を睨みつけ、思い切り歯を剥く。
「おととい来やがれっ!」
実に品のない暴言だった。
そして、その場にいた誰もが思った。
陛下、めちゃくちゃ怒っておられる。
この日を境に、帝国ではひとつの暗黙の了解が生まれることになる。
――皇帝専属のモッサリ魔術医には、決して手を出してはならない。
*
深夜。
イリンカは一人、宰相執務室を訪れていた。ラドは既に眠っている。
執務室には静かな灯りだけが落ち、書類を読んでいたクリスティアンが顔を上げた。
「こんな夜更けにお尋ねしてしまい、すみません」
イリンカが申し訳なさそうに頭を下げる。
「いえ。こちらこそ、いつも陛下の回復にご尽力頂き感謝しております」
クリスティアンは柔らかく微笑んだ。
「それで――どのようなお話でしょうか?」
興味深そうに問われ、イリンカは神妙な面持ちになる。
少しだけ迷う。
そして、静かに口を開いた。
「実は――」




