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第十五話:紅の瞳が見つめる先

暖かな陽気が、庭園を優しく包み込んでいた。

皇宮の庭は広大で、季節の花々が惜しげもなく咲き誇っている。磨き上げられた白い石畳に陽光が反射し、噴水の水音が穏やかに響いていた。


イリンカはそんな庭園を、ゆっくりと歩いていた。


「適度な運動は健康維持に必要なのよ。ずっと寝室に籠もっていたら身体に悪いんだから」


隣を漂うラドへ、イリンカは真面目な顔で力説する。


「日の光って大切なんだから、植物は元より、人間にもね。骨を強くして、精神も安定するのよ」


「今の俺には関係ないな」


「……生霊だもんね」


そんな他愛もないやり取りをしていた、その時だった。


「あら、陛下の魔術医の方ではありませんか」


聞き覚えのある声に、イリンカの肩がぴくりと揺れる。

振り向けば、色鮮やかな花々に囲まれた東屋で、優雅な茶会が開かれていた。その中心に座っているのは、ソリナだった。

豪奢な金髪を陽光に煌めかせ、深紅の瞳でイリンカを見つめている。その姿は美しく、同時にどこか蛇のような冷たさを感じさせた。


「あぁ、確かイリンカさんと仰ったかしら」


逃げたい。だが相手は皇族である。イリンカは内心で盛大にため息を吐きながら、魔術医として礼を取った。


「ソリナ様、お目にかかれて光栄に存じます」


「この方が、ソリナ様のおっしゃっていた専属魔術医様ですのね」


茶会に招かれていた少女の一人が、好奇心を隠さずイリンカを見つめる。

もちろん今日もイリンカは安定のモッサリ仕様だ。地味な服装に瓶底眼鏡。どう見ても皇帝付きの最高峰の魔術医には見えない。


別の少女が、わざとらしく真剣な声音で口を開いた。


「どうか臥せっておられる陛下へ命を懸けてお仕え下さいませ。未来の妃となられるソリナ様が、どれほど陛下のご回復を願っておられるか……どうかご理解下さいませね、魔術医様」


「……はい?」


イリンカの思考が、一瞬停止する。

――未来の妃。

その単語が妙に引っかかり、胸の奥がちくりと痛んだ。

え、何これ。自分でも理由が分からず、イリンカは僅かに眉を寄せる。


「まだ正式な発表はされておりませんのよ?」


ソリナは扇子を口元へ添え、上品に微笑んだ。


「ですが、皆さまそのように仰るものですから……困ってしまいますわ」


まったく困っているようには見えない。むしろ満更でもなさそうである。

イリンカはそっとラドを横目で見た。


すると、生霊皇帝はとんでもなく胡乱な顔をしていた。

半眼で虚無を見つめるその顔は、前世で見たチベットスナギツネに似ていた。

……ちょっと面白いな。


「かしこまりました。精進いたします」


イリンカは無難に返答すると、さっさとその場を辞した。これ以上ここにいたら、ラドがまた何かやらかしかねない。


庭園を離れ、人目が減ったところでイリンカは小さく吹き出した。


「……あなた、婚約者認定されてるじゃない。あの金髪従妹に」


周囲へ聞こえないよう小声で囁くと、ラドは露骨に顔をしかめた。


「記憶がなくても分かる。俺は絶対あいつを相手にしてない」


「すごい拒絶っぷりね……」


「生理的に無理だ」


そこまで言うか。

イリンカは呆れながらも、何故か少しだけ胸の奥が軽くなった気がした。


「まぁ、目覚めたら目覚めたで大変そうね。でも、同情はしないわっ」


「てめぇ、少しは哀れに思え!」


二人はいつもの調子で言い合いながら、皇帝の寝室へ戻っていった。


――その背中を、ソリナは遠くからじっと見つめていた。深紅の瞳に、妖しく昏い光を宿しながら。



深夜。皇帝の寝室は静寂に包まれていた。


窓の外からは月光が淡く差し込み、室内に植えられた草花が静かに揺れている。薬草の穏やかな香りが漂う空間は、もはや病室というより癒やしの庭園に近かった。


部屋の隅には、イリンカのために用意された簡易ベッドが置かれている。イリンカはその縁へ腰掛け、静かにラドを見つめていた。


最近、ラドはよく眠るようになった。最初は眠る必要などない存在だったはずなのに、今では疲れた子供のように眠りへ落ちる。

それはまるで、欠けていた何かを少しずつ取り戻しているようにも見えた。


イリンカは黙ったまま、その寝顔を見つめ続ける。何かを待つように。


やがて――。


ラドの身体が、小さく身じろぎした。

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