第十四話:紅の従妹姫
突如として現れた美女に、イリンカは思わず息を呑んだ。
豪奢に波打つ金髪。深紅の瞳。人を見下ろすことに慣れきった、高慢さすら美しさへ変えてしまうような女性だった。
先ほどまで寝室に流れていた穏やかな空気は、一瞬で張り詰める。
クリスティアンは柔和な笑みを消し、氷のように冷たい宰相の顔へ戻っていた。ラゴスもまた、豪放な空気を引っ込め、帝国軍を率いる将軍として毅然と立っている。
「ソリナ様。入室の許可は下りておりませんが」
クリスティアンが静かな声音で告げる。だが、ソリナと呼ばれた女性は意に介した様子もなく、艶やかに唇を吊り上げた。
「私はウラドお兄様の従妹よ。許可など必要ないでしょう?」
悪びれる気配は微塵もない。クリスティアンは小さく息を吐くと、諦め半分といった様子で互いの紹介をする。
「ソリナ様、この度陛下専属の魔術医になられたイリンカ様です。そして、こちらはソリナ・ギカ様。陛下の従妹にあらせられます」
「どうも……」
イリンカが軽く頭を下げると、ソリナの視線が頭の先からつま先まで舐めるように走った。その目には、露骨な侮蔑が浮かんでいる。
「お兄様に専属の女性魔術医が付いたと聞いたから来てみれば……ずいぶん個性的な見た目の方なのね」
ふ、と鼻で笑われる。
もちろん今のイリンカは、いつものモッサリ少女仕様である。灰色の地味な服に、瓶底眼鏡。髪も適当にまとめているだけだ。
――素顔じゃなくて本当に良かった。
内心でそっと胸を撫で下ろす。この手の女性は、相手を値踏みし、優位に立ちたがる。無駄に敵意を向けられるのは御免だった。
ソリナはそのまま皇帝の寝室をぐるりと見回した。草花に満ちた空間。穏やかな香り。柔らかな風。その異質な光景に、あからさまな不快感を滲ませる。
「こんな得体の知れないことをして、もしウラドお兄様に何かあったら……どう責任を取るつもりなのかしら?」
冷たい声だった。そして彼女は持っていた扇子を伸ばし、軽くイリンカの首元を突く。
「その首ひとつでは済まなくてよ」
瞬間。
寝室の空気が、凍りついた。ぞわり、と肌が粟立つ。
どこからともなく溢れ出した凄まじい殺気に、その場の全員が息を呑み、身体を強張らせる。
イリンカは反射的にラドを見た。
黄金の瞳が、爛々と輝いている。普段の生意気な少年の顔ではない。
まるで獲物を前にした猛獣のような、凄絶な眼差しだった。ソリナを射殺さんばかりに睨みつけている。
まずい。
事情を知る者たちの顔色が変わる。最初に動けたのはラゴスだった。
「ソリナ様。本日はお引き取り下さい。陛下の魔力が不安定になっております。危険かと」
低く、鋭い声だった。その言葉に、ソリナが目を見開いた。
「……ウラドお兄様の魔力を感じられるようになったの?」
「はい。こちらの魔術医様のお陰で」
クリスティアンが静かに補足する。その声音には、僅かな誇らしさすら混じっていた。
ソリナはしばし無言でイリンカを見つめていたが、やがて感情を押し殺すように口を開く。
「……分かりました。今日は帰りますわ。後日、お兄様のこと、詳しく聞かせて頂きます」
最後にきつくイリンカを睨みつけると、ソリナは踵を返し、そのまま寝室を出て行った。
*
扉が閉まった瞬間、室内に重苦しい沈黙が落ちる。
「ご不快な思いをさせてしまいましたね」
クリスティアンが申し訳なさそうに頭を下げた。ラゴスも憮然とした顔で腕を組んでいる。
「なんだ、あの女は。それに、あの不快な魔力と空気……反吐が出る。二度と寝室へ入れるな」
ラドは相当腹を立てているらしい。その言葉を伝えると、クリスティアンは妙に納得したように頷いた。
「記憶を失われても、陛下はやはりソリナ様が苦手なのですね……」
「久々に陛下の殺気を感じたな! ゾクゾクしたぜ!」
なぜかラゴスだけ少し嬉しそうである。
「あの方は昔から陛下に酷く執着しておられまして。隙あらば看病すると言って、寝室へ押しかけて来られるのです」
「皇族の一員だから、無碍にも扱えねぇしなぁ」
二人は揃って苦い顔をした。どうやら、相当振り回されているらしい。
「まぁ……実害はありませんでしたし。こういうこと、慣れてますから」
イリンカは苦笑しながら答える。モッサリ少女として生きる以上、人に馬鹿にされることなど日常茶飯事だ。
――ガシャン!!
突然、寝室の隅で植木鉢が破裂した。土と破片が盛大に飛び散る。
どうやらラドの怒りは、まだ全然収まっていないらしい。
イリンカは額を押さえながら、未だ殺気立っている生霊少年を見やった。
……取りあえず、まずは彼を宥めるのが最優先だろう。
そう思いながら、イリンカは困ったように小さく笑った。




