第十話:魂なき皇帝
おいおいと泣き出してしまったイリンカを前に、宰相クリスティアンと将軍ラゴスは、さすがに気まずそうな表情を浮かべていた。
「……ラゴスが殺気など放つからですよ」
クリスティアンが呆れたように溜息をつく。するとラゴスは即座に顔をしかめた。
「お前があんなおっかねぇ笑み浮かべるからだろうが」
「私は穏やかに話していたつもりですが?」
「目が全然笑ってなかったぞ」
少女を泣かせた責任を押し付け合う、大帝国の宰相と将軍。
涙で瓶底眼鏡はぐしょぐしょになり、前もまともに見えない。もう、色々どうでもよくなってきた。私は乱暴に眼鏡を外し、ぐい、と袖で目元を拭った。
すると、部屋の空気がぴたりと止まる。
「……姉ちゃん、すげぇ美人だったんだな」
ラゴスがぽかんと呟いた。クリスティアンも珍しく目を見開いている。
「なぜ、そのような変装を?」
クリスティアンも困惑したように問いかけてきた。
イリンカはぐしゃぐしゃになった気持ちのまま、小さく息を吐いた。どうせここまで来たのだ、もう隠しても仕方がない。
「……頭のおかしい女だと思われても構いませんので、最後まで聞いて下さい」
そう前置きしてから、イリンカはぽつぽつと語り始めた。
自分がフィオル王国の侯爵令嬢であること。王子の婚約者候補から脱落するため、わざと陰気なモッサリ令嬢を演じていること。
――もちろん、前世や物語の話は伏せた。流石にそこまで話したら、本気で危ない人扱いされる自信がある。
そして、温室で記憶喪失の謎の生霊少年と出会い、彼に脅される形でダキア帝国まで来てしまったこと。
さらには、その少年の本体が、この国の皇帝かもしれないという推測まで。
最初こそ、二人は訝しげな表情を浮かべていた。当然だろう。普通なら、妄言だと思われても仕方がない内容である。
だが、話が進むにつれ、二人の顔から余裕が消えていく。特に、“少年が自分たちを部下だと言った”と聞いた瞬間、クリスティアンもラゴスも言葉を失った。
何故か二人とも、イリンカの話を否定できないようだった。
「そ、それでは……陛下が、少年の姿となって、そこにいらっしゃるのですか……?」
クリスティアンが、掠れた声で尋ねた。私はちらりと隣を見た。
ラドは相変わらず偉そうに腕を組み、片眉を上げながら二人を見下ろしている。
「はい。今も、片眉を上げて腕を組んで偉そうにお二人を睨んでますね」
遠慮なく伝えると、ラゴスがぶわっと目を潤ませた。
「その不遜な態度……間違いねぇ、陛下だ……。本当にここに……」
感極まったように震える将軍を見ながら、私は内心で微妙な気持ちになる。
……やっぱり本体も、傲慢不遜な俺様系なのか。
一方のラドは、そんな反応の意味がよく分かっていないのか、不思議そうに首を傾げている。
「残念ながら、お二人のことはまだ思い出せないみたいですよ」
私がそう補足すると、
「そりゃねぇよ陛下ぁ!十年も一緒に戦場駆け回ったじゃねぇか!」
ラゴスは目に見えて肩を落とした。
その様子を横目に、クリスティアンはしばらく黙り込んでいたが、やがて静かに口を開く。
「……イリンカ様。私達と一緒に来ていただけますか」
その声は柔らかかったが、拒否は許さない響きを含んでいた。
私は嫌な予感しかしなかったが、ここまで来て断れる空気でもない。
観念して頷き、二人の後について歩き出す。
*
案内された先は、皇帝の寝室だった。
重厚な扉が開かれる。薄暗い室内には静寂が満ち、豪奢な天蓋付きの寝台だけが、静かに浮かび上がって見えた。
そこに、一人の青年が眠っている。
レッドブラウンの髪、鋭く整った輪郭。閉じられた瞼の下ですら分かる、圧倒的な存在感。
もしラドが成長したなら、きっとこうなるのだろう――そう思わせ面影が確かにあった。
驚くほど美しい青年だった。
けれど、その身体からは、生きた人間の気配が感じられない。まるで魂だけが抜け落ちてしまった器のように。
ラドは無言のまま、その青年をじっと見つめていた。
その光景に、私は前世の記憶にあった言葉を思い出す。
「……植物人間」
思わず零れた呟きに、クリスティアンが静かに反応した。
「植物人間……ですか。なるほど、言い得て妙ですね」
彼はどこか感心したように言い、それからゆっくりと皇帝へ視線を向ける。
「陛下が、なぜこのようなお姿になられたのか……それを聞いていただきたいのです。恐らく、記憶を失われた陛下にも必要な話でしょう」
私はラドを見た。しばらく黙っていた彼が小さく頷くのを確認し、私も深く首を縦に振る。
それを確認したクリスティアンは、静かに語り始めた。
――敬愛する皇帝陛下に起きた、悲劇の真相を。




