93 カタローニⅢ世
ティティスと、ティルテュ。
スペルは違うが、発音はどことなく似ている。
ティティスは、亀が飲み込んだあの宝石〝ティティスの瞳〟の〝ティティス〟だ。
元はこの国の建国神話に出てくる、女神の名前である。この国ではよくある女性名なのだ。
〝ティルテュ〟の方は、ずっと数は少ないがそれでも特に珍しい名ではない。
〝なんだってまたそこに拘るかねえ?〟
ポポ・カルは、自分との婚約を破棄したのは、間違いなく王妃であると名指ししている。名前を訂正しろと裁判所がいうなら、さっさと応じれば良いはずだ。
そうすれば、訴状は受理される。
提訴しても受理されなければ、審理は始まりもしない。些細なスペルミスを拒否することに、何の意味がある?
「なあ、ポチ。さっき博士が言ってだけど、魔具の発動条件には色々クセがあるんだよな?」
ポチがベンチに座ったまま顔を上げて、エドを見た。
「それがどうかしたか、だそうです。」
カイが通訳する。
「名前、だよ。ふと思ったんだが、〝ティティスの瞳〟が、本来の翠色から赤に変わったのは、内乱のずっと前、前王室が倒された革命のどさくさで、血だかなんだがを浴びたのが原因だよな?」
ポチが頷いた。
「その時から変身機能が覚醒したんなら、変化する姿はその時の血の持ち主だったわけでよ、王妃のモデルはまだ生まれてもいなかったからな。当然王妃とは、違う姿だったはずだよな。」
又ポチが頷いた。
ベンチの女性2人の間にチョコンと座った姿は、奇妙なぬいぐるみが置かれているように見える。
「そこで、名前だ。誰かが触れただけで変身機能を発動しまくってたら、とっくに大騒ぎになってそうなもんだろ。さっき博士は、〝名前〟も魔具の発動に関わるみたいに言いましたよね?」
「確かに。よう覚えておったの。で、それがどうしたのじゃ?」
「だから、名前です。ひょっとしたら、ポポ・カルが訴状に書いた名前、〝ティティス・ゴトフリー〟こそが、王妃の姿のモデルになった女性の名だったんじゃないか、更に、王妃を演じた誰かの名前が〝ティティス〟か、それに近い名前だったから、魔具が発動した可能性があるかもしれない。まあ、そっちは〝ティルテュ・ゴトフリー〟って役の名前が類似してたせいなんだろうが。」
カミラの目がスッと細められた。
「あり得るの。」
「てなわけで、少尉。」
「了解。調べます。」
更に訴状の内容が、カイによって説明された。
エル=ポポことカルデシス・クワント氏は、ティティス・ゴトフリー嬢と婚約していたが、彼女は彼からかなりの額の金品を盗み、姿を消した。
どれほど探しても杳として行方はしれなかったが、王妃の顔を見た瞬間、彼は王妃こそが元婚約者だと知ったという。
初めは、いくらなんでもそんなはずはないと、自分自身に言い聞かせていたが、王妃が市井の女性であったと喧伝されるようになってからは、次第に考えが変わって来たのだ。
悩みに悩んだ末の訴訟だった。
「名前の違いについては、訴訟補助AIからも指摘されていたようです。このままでは受理されない、とね。しかし、カルデシスはガンとして自説を曲げなかった。」
「んで、そのまま提訴して受理されず、宙ぶらりんてわけか。」
「そうです。それで世間にはまだ知られていませんが、王室を忖度した誰かが、国王サイドにリークしたんでしょうね。このタイミングですから、強く疑われたはずですが、逮捕どころか事情を聞かれた形跡すらないです。我々に彼についての情報は伝えたのに、奇妙ですよね。」
「やっぱ、スケープゴートにするつもりってことかねえ。どうにも面白くねえな。国王は一体何を考えてやがるんだ?」
「あの。ちょっといいかしら?」
不意に、千絵が口を挟んだ。
「何だい?」
「あのね。国王って人なんだけど。」
「カタローニⅢ世か?」
「そう。あの人、上辺は紳士的で淡白な感じだけど、ほんとは違うわ。激情型っていうのかしら。しかも、夢想家ね。正直何をやるかわかんないタイプの人よ。感情に引きずられ易いから、この国が立憲君主制で良かったって思ってたの。独裁制なら、とんでもない数の犠牲者を平気で出すタイプね。」
立憲君主制ならば、王室より議会が強いから、国王の実権はかなり制限される。
好き勝手はできないのだ。
「しかし姫。この国の大衆は、未だ封建制のくびきから完全には脱げ出せていないと思われます。一種の懐古趣味とでもいいますか、変化を嫌う社会なのですよ。だから、正式に受理されてもいない訴状の内容が、王にリークされたわけです。」
「ええ。だから気になったの。」
この4年というもの、彼女は盟主正妃として数えきれない外交の場に立ち、夥しい数の国家元首たちと会談して来た。
時間の無駄と称して、盟主本人はダミーアンドロイドを代理で出席させることが多い。だから、実質彼女が外交を取り仕切って来たのだ。
相手は単なる社交辞令で済ませた気でいるかもしれないが、一見華奢で儚げな小娘に見える彼女は、嘘発見器を超えるチート能力者である。
つまり、一度直接会ったが最後、その人間性は、ほぼ丸裸にされているわけだ。
知らぬが花である。
しかも彼女は幼少期からこの能力を持っていたという。
相手の本質について知り得た一切を秘匿し、態度にも表情にも絶対表さないのは、とんでもなくタフな精神のなせる技だ。
そうならざるを得なかったのだ。
生きるために。
彼女に対して良からぬ感情を抱く者は数多く、その行動は危険極まりなかったのである。
〝まあ彼女でなきゃ、リュウのヨメなんぞ務まりゃしねーけど。〟
と、エドは今更ながら納得した。
「夢想家で激情型か。芸術家なら結構なことだが、国王となると、ちと問題だ。」
「自分ファーストの人よね。良く言えば正直なんだけど、他人に対する共感に欠ける人だから、ウソをつくことに罪悪感なさそうだし。」
それ故の修羅場か。
ルド・エミネフスカは、外見通り真っ正直な堅物タイプだ。
なんらかの形で国王の真の姿に気付いたなら、裏切られたと感じるのは当たり前だろう。
あと、嫌悪感だったか。
それもそうなるだろう。忠誠を捧げていた今までを、裏切られたのだから。
「少し気になることがあります。」
突然考え込むそぶりのカイ。何らかの情報を得たのか?
「ティティスって女のことか?」
「あ、いいえ。そちらはどうやら王妃ティルテュ・ゴトフリーのニセ経歴の一部と重なっているらしく、記録が操作された可能性があって、情報のよりわけ作業にまだ時間がかかりそうなんですが。」
「ん?じゃ何だい。」
「ルド・エミネフスカの妹なんですか。彼女の名前が、ティティスです。この国ではありふれた名前なので、それだけなら何ということもないんですが、彼女はかつて、ティティス・ゴトフリーという名前だった経歴があります。」
「何で?」
「ルドが言ってましたね。親戚を盥回しにされたと。兄妹が別々の親戚に引き取られていた期間が長く、ファミリーネームは都度変わっています。この国の法律では、未成年者の後見をする場合、養子縁組が普通なんです。」
「そりゃまたえらい偶然だな。ゴトフリーって姓は多いのか?」
「この国では最多ですね。でも、全人口の5%程度です。ちなみにティティスは2%ですね。」
その一致が発動条件だったのか?
「念のため聞くが、ルドの妹の外見は?」
「王妃とは全く似ていません。ルドに似て整った容姿ではありますが。」
「それはまずいの。」
「はい?」
「王妃を演じたのが、侍女であるルドの妹ならば、逃げ出したかったのは彼女自身ではないか?」
そう。
妹は、ウミウシの葬儀での事故を利用してまで、ルドに気持ちを打ち明けた。
逃げ出したい王妃、国王夫妻の冷え切った関係。なんらかのきっかけなしに、おいそれと口に出せることではない。
だとすると…?
「千畝ちゃん、その、」
「国王の、王妃に対する感情よね。愛してはいない。あの時言った通り、それは間違いないわ。でも普通身近にいる異性に対して抱くような些細な関心すらなかった。まるで、モノに対するような、冷ややかな無関心。それに、苛立ち。人間に対するそれじゃなくて、役に立たない道具に対するみたいな。」
「それは…?」
「あのひと、簡単に彼女を切り捨てるわよ。理由はわからないけど。もし、彼女が見つからなければ、誰かを代理にして切り捨てかねないわね。」
「つまり、用済みなら殺人も辞さない、ってことかい?」
「そう。壊れた道具、裏切った人間。あの人にとっては同じこと。」
「ゆえに、妾はまずいと言うたであろ。偽装結婚により国民の人気を得て、スキャンダルも払拭した。影響力を強めることにも成功しながら、その道具が消えたらどうするか、じゃ。誘拐であろうとなかろうと、カタローニとやらにとっては関係なかろうの。」
それはまずい。確かに。




