75 サバランの謎
「あれ?少尉?」
司法省病院から出ようとしたところで、エドはカイとバッタリ出会った。少尉は珍しく人型で、手にはケータリング用のパッケージを持っている。
「捜査官。龍一さまはまだこちらに?」
「うん。それは?」
「菓子ですよ。龍一さまが作り置きされてたものです。今夜はもう少しかかるそうなので、軽食代わりにお持ちしました。」
「作り置きか。よくそんな暇があるな。マメなこった。」
頷いた少尉のプラチナブロンドが、サラリと揺れる。
「忙しいからこそでしょう。料理は、息抜きにいいそうです。」
「あー。なるほど。」
リュウは、料理に関しては超プロ級の腕だ。
そういえば、忙しくて朝から何も食べていないことを思い出したエドである。
腹がグゥっと鳴った。
「おひとつ差し上げたいところですが、これ、かなりアルコールが効いてまして。」
少し気の毒そうに少尉が言う。
エドがアルコールを苦手なことを、知っているからだ。
「でも菓子だろ?」
「ハイ。そうなんですが。パン生地に染み込ませたシロップに、龍一様は生のままの蒸留酒をたっぷりと使われるんですよ。」
「…!」
パン生地?
染み込ませたシロップ?
…に、酒だとっ!?
「少尉。それまさか、サバランじゃ?」
「よくご存知ですね。これは、地球の菓子なんですよ。ちなみにサバランは、人名が由来だそうですか。」
少尉は首を傾げた。
「どうしました、捜査官?」
「いや。たったいま謎が一つ解けたんだ。ありがとよ、少尉。」
ニヤリと笑い、カイの肩をポンと叩いて、エドは歩き出した。
そう。
謎が解けた。
というか、点と点が繋がった。
「覚えてやがれ、リュウ。」
エドの後ろ姿を見送り、捨てゼリフをしっかり聞き取ったカイは、首を傾げた。
「どうなってるんだか。なんかあったんだろうな。まあ、ご主人さまってば腹黒いから、恨まれても不思議はないよね。」
一つ頷き、この件は忘れることにした。
その方が面白そうだから。
さて。
帰宅したエドであるが、ただいま、と言いかけて言葉を飲み込んだ。
そうだった。今日は、カミラはいない。
疲れた、との言葉を残して彼女が帰った先は、月の宮のはずだ。
本来の宿舎だから、それで当たり前だが、理由はわからない。このところカミラはずっとここにいた。
なんとなく寂しさがないわけでもなかった。そんな自分が少し不思議である。
「広く見えやがるな…。」
呟いてため息をひとつ。
今日は長い1日だった。時刻は既に、真夜中に近い。
今回の件、報告書の作成は、いつものようにアリス任せだが、まだまだ不明な点があり、明日も仕事は山積みである。
「寝るか。」
なぜか食欲はおさまっている。
「帰ったか、エド。」
澄んだ声。奥の部屋から音もなく現れたのは、カミラである。
最近リマノで流行りの、ゆったりした室内着姿だ。
「え、博士なんで…?」
「妾が居ては邪魔か?」
「いや、そういうわけじゃ。体調は大丈夫ですか?」
いつもと同じ、白すぎる肌にはほぼ血の気がない。だから、顔色から体調を伺う術はない。
「大事ない。アビスブリンガーから魔界の気を受け取ったゆえ。」
「ああ。なるほど。」
カミラは魔界と呼ばれる異世界の住人である。だから、環境が異なるこの世界では、存在すること自体に負担がかかるのだ。
二つの世界を自由に行き来出来るほどの魔族は、ほんの片手ほどしかいないらしい。
しかし、そのように強大な能力を持つ固体は、時空に歪みをも齎す。
だから、本来の能力を抑え、自己の存在そのものを縮小する必要があることは、カミラから聞いて知っていた。
二つの世界の接点を守るゲートキーパー、アビスブリンガーは、無数の触手とウロコを持つ、巨大な巻き貝の姿をしている。
カミラはたまに、このアビスブリンガーから、魔界の気とやらを補充する必要があるのだ。
「酔狂なこった。つまり、この世界は博士にとっちゃ、居心地が良くないんでしょうに。」
カミラはクスリと笑って話題を変えた。
「それはそうと、そなた何か妾に聞きたいことがあるのではないかの?」
「ハイ、まあいくつかね。座っても?」
「好きにせよ。そなたの部屋であろ。」
「んじゃ、お言葉に甘えまして。」
ソファに座ったエドは、あの少年について聞いた話をカミラに伝えた。
正直、ワケがわからない。
リュウはジェイミーが幽霊ではなく、別のナニカかもしれないと仄めかしていたが。
「物語の中の登場人物なんて、得体の知れないこと言われてもね。」
「ふむ。しかしの、器物が時に魂を宿すことがあるのを、そなたも聞いたことがあるのではないか?」
言われてみれはそうだった。
リュウの万能ナイフ、別名神剣カルバウィングは、意思ある剣だ。
主人の呼びかけに答えて忽然とこの世に現れ、自在に姿形を変える。剣が認めた者以外は、触れることもできない。
「それらの器物は、誰かの意思により作り出された。自我が生まれたのが初めから意図されていたかどうかはわからぬ。」
「あー、まあそうかも。けど、物語の登場人物なんてのは、最初からカタチがないでしょ。ただの概念というか、そういったものであって、剣とか道具とかとは違う。」
「実体がないと言いたいのであろう。しかしの、器物も物語も初めは何ものかの意図から生み出された。言い換えれば、最初は誰かの頭の中にしか存在していなかった概念にすぎぬ。」
それはそうだ。
だが、納得はできない。
「博士は、ジェイミーが何なのか、知ってたんでしょ?」
カミラは曖昧に頷いた。
「妾とて全てがわかっているわけではない。最初からあの子が普通の人間の子供でないことは知っていたが、では何ものかというと、特定はできなかったのじゃ。危険な意図がないのは明白だったゆえ、干渉するつもりなはかった。」
カミラの言葉のどこかに、エドは引っかかるものを感じた。
「初めは、ってことっすよね?」
「鋭いの。」
苦笑して彼女は続けた。
「あの館。結界が張られていた。」
「はい?それが何か?」
「人間や動物の出入りを妨げるような性質のものではない。無論、魔族にも意味はないのだが、ただ、お主が苦手な存在の出入りを制限するものじゃった。まあ、稚拙すぎて、お話にならないレベルであるが。」
「はあ…。」
それはそうだろう。
カミラみたいな化け物クラスにとっては、大抵の結界など薄紙ほどの強度もないに違いないから。
「結界の要はあの錠にあった。普通に開けても解除はされぬがの。」
「あ、それであのとき、錠前をしげしげ見てたんですか。」
「然り。クーとジェイミーは、あれのせいで館の敷地に入れなかったように見えた。それで、妾が結界を一時遮断したのじゃ。あやつらを入れて、何が起きるかを見たかった。」
「で、2人が入ったあと結界を戻した?」
「そうじゃ。誰であれあのようなものを設置した者に警戒させない方が良いと判断した。稚拙ではあるが、邪悪な意図のある結界で、恐らくは死者の恐怖と苦痛を、それが消え去るまで絞り尽くすためのものであろう。あの館に閉じ込めることによっての。」
「…胸糞悪い話だ。」
カミラは頷いた。
「ヤヌスとやらの仕業じゃ。」
「クーはクーデリカ・ワッツだと、博士は仰いましたよね?その名前は、一家が殺害された件の調書にありました。つまり、クーはコーネリア・ワッツの母親、そうなんでしょ?」
「その通り。更に言うならクーとジェイミーが出会ったのがいつのことであったかは、妾にもわからぬ。ひょっとしたらそれは、クーの生前、まだ幼い日のことだったのかも知れない。ふと、そう思うた。」
エドは頷いた。
「あり得るかも知れませんね。クーデリカはワッツ一族の娘で、夫は婿養子でしたから。彼女があの館で生まれ育った可能説が高い。」
「やはりの。」
2人はしばし黙ってそれぞれの想いに浸った。
「博士、結局あの2人はどこへ行っちまったんでしょう?」
「妾にもそれはわからぬ。ひょっとしたら、どこかでまだ2人だけの冒険を続けておるやも知れぬの。」
「そうですね。」
彼らの不思議な物語が続いていくならそれも悪くないか、とエドは思う。
もう2度と出会うことはにいだろうが。
さて、それはそれとして。
「博士。オレに協力して欲しいことがあるんですけど、聞いてもらえます?」




