69 生存者
カミラは、3階までを一気に登り、そこから廊下を進む。静まり返る館の中、聞こえるのはただエド1人の足音と、荒い息遣いのみだ。
2人が去った直後、玄関のドアが開き、あの少年が顔を覗かせた。
「なんだろ?慌てていっちゃったね。」
スルリと玄関ホールに入り、少年は耳を澄ませる。足音はもう階段を登り切ったようだった。
そのまま遠ざかって行く。
「何で急いでるんだろ?」
肩の小鳥が小さく啼く。
「ウン。わかってる。僕も急がないと。」
少年はそう呟いて、ホールの奥に向け駆け出した。
一方、カミラは、真っ直ぐ廊下の奥まで進み、そこで立ち止まった。その先はただ窓があるだけだ。
大きな一枚ガラスが、廊下の突きあたりの壁一面を覆っている。嵌め殺しのようで、ガラスの向こうには空と、山の緑だけが見えていた。
カミラは窓に軽く指先を触れた。
「エド。これが邪魔じゃ。」
「了解。」
躊躇いなくそう答えて、エドは拳を突き出した。たったいま装着したナックルは、ゴツゴツしたトゲのある、頑丈な仕様だ。
痛烈な右ストレート。
一撃でガラスに亀裂が走った。
更に追撃。そして。
粉々に砕け散ったガラスの向こうは、〝外〟ではなかった。
エドは半ば予期していたし、カミラは知っていたようだ。
一見〝窓〟と見えたガラスは光学スクリーンの一種で、その2メートルばかり奥にホンモノのガラス窓がある。窓の手前には、下りの階段があった。
なんらかの開閉装置があったのだろうが、カミラが邪魔だと言うからには、急ぐべき理由があるに違いない。
ならば、器物損壊の事後処理は、いつものようにアリス=ラグナロクの担当だから、エドには迷いがなかった。
カミラは、折り返しの多い狭い階段を、浮いたまま滑るように降りて行く。
照明はなく、踊り場を越えるたびに3階の窓から差し込む光が弱まって、暗さが増すが、カミラにもエドにも支障はない。
もう3階分は充分に降りた、とエドは判断したが、階段は更に少し降ってから終わった。
降り切った所からは、暗い平坦な通路が伸びている。すぐ先が曲がり角で、その先は見通せない。
真の闇ではないが、肉眼ではほぼ真っ暗闇にしか見えないだろう。
エドは、通路の床と天井、壁が石を積み上げた造りであることを見て取った。
「こりゃあ随分と旧い造りですね。館そのものよりかなり旧そうだ。」
「そうかも知れぬ。」
通路は、一旦建物から離れ、それから方向を変えて館の下に続いていた。
2人が降りた階段は、向かって左の翼の突き当たりに位置していたのだが、通路の終点は、左翼の中央付近、深さにして地下2階あたりだろう。
正面に、鉄で周囲を補強した木のドアがある。
エドは躊躇うことなく頑丈な鋳鉄製の、レバー型の取手に手をかけ、力を込めた。
鍵はかかっておらず、それは呆気なく開く。
内部を一目見て、エドは鋭く呼んだ。
「博士っ!」
「うむ。間におうたようじゃの。」
カミラはまっすぐ部屋の中央、鉄製らしき台の傍へと進んだ。
「ねえクー?わかんないよ僕じゃあ。ほんとにこの中にあるの?」
少年は途方に暮れた様子で、広い室内を見まわした。
図書室であろう。
紙に印刷された本を、こんなにたくさん見たのは、少年にとって生まれて初めての体験だ。
背表紙に印刷されたタイトルは、読めるものも読めないものもある。外国語らしいものも多い。
この辺りは連邦標準語のエリアなのだが、同じ文字を使っていても、どう発音したら良いかわからないスペルもある。
広い室内の二方向は、天井まで書架で埋め尽くされているのだ。
「背表紙は、君と同じ薄緑なんだよね?でも、そんな色の本、いっぱいある…。」
小鳥は、申し訳ないと言いたげに項垂れた。
この中から、ただ1冊を見つける?
とても、少年の手に負える話ではなかった。
それでもなんとか探し出そうと、本棚に寄る。手近な辺りから、色を頼りに丹念に背表紙を追っていくが、まるで雲を掴むような話だった。
「えっと、題名に〝黄金竜〟って言葉が入ってるんでしょ?で、あんまり分厚くなくて、薄い緑色の、お伽話の本、そうだよね?」
小鳥は小さく啼いた。
少年は頷いたが、やはりそれだけではどうにもならない。
書架の本は、ジャンルや題名を無視してランダムに並んでいたし、目指す本の判型も少年にはわからないのだ。
途方に暮れながら、小鳥の探す本に辿り着こうと、少年は背表紙の文字を追う。
突然。
どこかでガタン、と音がして、少年は思わず肩をすくめた。
慌てて首を巡らせるが、ドアは閉まっていて、異常は見当たらない。書架に向き直った時だった。
「よう、坊主。」
「うわっ!!」
突然声をかけられて、少年は床に尻餅をついた。
「悪ぃが、ちょっとそっからどいてくれねえか?」
声は、間違いなく正面の書架からしている。男の声、どこか聞き覚えがある?
少年は、尻餅をついた姿勢のまま、少しでも書架から離れようと後ずさった。
逃げ出したくもあったが、好奇心が勝つ。その声が、さっき女の子と一緒にいたサングラスの男のものだと気付いたのだ。
一体なんでまた?この人たち、さっき上に上がっていったはずなのに?
そんな好奇心が、逃げたい衝動より強かったのだ。
それに、男の声は、全然危険そうではなかった。
「よし。もう十分だ。」
突然、書架の一角が、せり出すように前に飛び出し、それから扉のように開いた。
「わあ。」
こんな仕掛けは、少年にとっては初めて眼にするものだった。
開いた所からひょいと出てきたサングラスの男は、両腕にシーツみたいな布に包んだ大きな荷物を抱えていて、それを一旦床に置いた。
男の後からは、あの古風なドレスを着た少女が出てきた。正面から見るのは初めてだが、やっぱり凄く綺麗だ。
お伽話の挿し絵みたい、と、少年は思わず見惚れた。話し方までお伽話の登場人物みたいだ。
「この通路は、向こう側からしか開かないみたいですね、博士。」
「そうじゃの。他にも隠し通路はありそうだが。座標は送ったか?」
「ええ。ここならアリスがゲートを開けるでしょ。とにかく、まずは集中治療室に送るしかない。」
「生命には別条ないが…、しかしいまの妾にできるのは、残念ながらここまでじゃ。これ以上は、患者自身が保たない。おお、来たようじゃの。」
空間が〝揺れ〟た。
カゲロウが立つように、目の前の空間の一角がゆらゆらとゆらめき、そこから白い光が差し込む。
光の中から踏み出したのは、1人の背の高い女性だった。少年にとっては、現実で見たことがないほど綺麗な人だ。
「状態は?」
事務的な声までが、ゾクっとするほどきれいだった。
「生命は維持しちゃいるが、あちこちその…欠損してる状態だ。博士がかなり復元したが、まだ足りねえ。」
「了解。当面は保護するわ。身元はわからないのね?」
「着衣なし。意識もねえ。多分若い男?わかってるのはそれくらいだな。宜しく。」
女性は頷き、床の上の荷物を軽々と抱え上げた。チラッと少年を見て微笑み、そのまま光の中へと引き返す。
少年は、ボーっとしたまま彼女を見送った。
「さてと。坊主、オレはエド・カリス。でこっちは〝博士〟だ。お前、なんでここに?」
「博士…?あだ名とか?」
「いんや。外国の、正真正銘の博士だ。」
「あー、外国の。」
子供でも〝博士〟になれる国があるのか、と少年は頷いた。
「僕は、ジェイミー・オードで、こっちはクー。」
「よろしくな、ジェイミー、クー。それで何を探してる?」
「僕が探してるんじゃなくて、クーが探してるの。本だよ。ナントカの黄金竜って本。なんでかはわかんないけど、クーは、どうしてもそれを探すんだって。でもさ、クーもそれが何でかよくわかってないみたいなんだ…。」
奇妙な話である。
理由もわからず、本を探す小鳥?
「何でまたそれを手伝ってんだ、ジェイミー?」
「友達だもん。ぼくん家は、ポイントのすぐ下にあるんだけど、よく鳥とか動物が来るんだ。」
「あー。友達、か。」
これで説明は十分と言うように、ジェイミーは頷いた。
次回もよろしくお願いします。
どうか最後までお付き合い下さいませ。




