104 四番目の娘
「ごめんなさい、お名前、もう一度。」
「カータ・マルチェットです。」
「そう。〝カータ、マルチェット〟ね。」
いつのまにか、気絶しているフリはバレていたみたい。
あと、背の高い綺麗なお姉さんは、私が連邦標準語が話せないのを知ってた。
いくつかの言葉で話しかけてくれたけど、すぐにスローべシア語なら私にわかるって気付いたらしい。
それからはスローべシア語で事情を聞かれている。
どこまで話していいのかわからない。
連邦政府の人ってことは、あの怖い人たちの仲間ではないのだろうけど、でもスローべシア語がすごく上手だから、油断はできないかもしれない。
ここは、連邦政府の病院だという。本当だろうか、わからない。
あの場所にいた大人たちは、外の世界はみんな嘘とまやかしでできているって言ってたけど。絶対信じちゃいけないって。
ここは病院みたいではある。でも人間のお医者さんとか看護師さんはいない。
みんな機械。
目が覚めてから見た人間は、スローべシア語が上手な〝アリス〟と、サングラスを掛けたヘンなおじさん〝エド〟、それに古めかしいドレスを着た、お人形みたいな女の子だけ。カミラって名前だったかな?歳は私と同じくらい?でも綺麗すぎるからか、何だか怖い感じがした。
〝アリス〟以外はスローべシア語は話せないらしい。
私はこれからどうなるんだろう?
追手はどうなった?
考え出したら頭が痛くなりそうだ。聞いてみたいけど、聞かない方がいいのかもしれない。
「アリス、どうだ?」
病室に入ったところで、エドはベッド上の少女にざっと目を走らせた。
おそろしく痩せている。
パサついた短髪は、太陽に晒され続けた砂漠の砂みたいな色だ。表情は乏しく、引き結んだ薄い唇が微笑む様は想像もできなかった。
ガラス玉みたいな目。こんな感じの無表情は、前にも散々見たことがある。
「スローべシア語圏のどこかからきたのは間違いないと思うわ。でも、具体的な地名や名前はわからないわね。」
「名前もか?」
「ええ。入管の記録にあるのは偽名だけど、彼女が名乗った名前にも問題があったわ。〝カータ・マルチェット〟とはね。」
「カータ?確かそれ、スローべシア語で〝4〟て意味じゃないか?」
アリスは頷いた。
「マルチェットもわかるでしょ、エド。」
「〝娘〟だったかな。スローべシア語はあんまり得意じゃねえが。」
日常会話程度なら、実はできる。
読み書きはさらに得意だ。
スローべシアという国は小さいが、スローべシア語圏は広い。自動翻訳が当たり前の世界であるが、言語と文化には切ってもきれない関係がある。最低限の語学の知識なくして合格できるほど、連邦特別公務員試験は、甘くない。
彼女に必要以上の警戒心を持たせないため、あえて今はアリスのみを窓口としているのだ。
「つまり、4番の娘ってことらしいの。彼女の前にも同じ名前の女の子がいて、その前にも。」
その女の子たちがどうなったかは聞くまでもないだろう。家畜のように、性別と番号とで呼ばれていた子供たちだ。
エドは何とも嫌な気分で、自分の足元に目を落とした。
ありふれた話。
確かにその通りではある。
だが、生まれた時は、その子供達にも別の名前があったはずではないのか?
誰がその名を奪ったのだろう。
名前とともに、その子らの全てを。
「今はとにかく、栄養状態の改善からだな。落ち着いたら何か思い出すかもしんねえわ。本名もわからないんじゃ外交手続きも難しいだろ?」
「そんなのはどうにでもなるわよ。」
「ああ。お前さんならな。けどよ、ほんとの名前があるんなら、誰かがそれを呼んでやるべきじゃねえの。」
アリスが黙り込んだ。
「ん?ど、どうした?」
「そういうところかしらね。」
「は?何だそれ?」
アリスはにっこり笑う。レベチ美人の笑顔には破壊力が宿る、はずだが、なぜだかエドには全く響かない。
ベッドを共にした(?)仲には違いないし、口さがない連中は、エドがアリスの愛人だと決めてかかっている。
確かに、主席監察官ともあろうものが、現場要員である捜査官のオフィスに入り浸っているのは問題かもしれない。
連邦司法省の監察官は、普通現場に出ないし、そもそもが官僚の類いなのだ。
一方で、エドガー・カリスの相棒が勤まる捜査官などいないことも、広く知られていた。
何人かの〝犠牲者〟が出た後でだが。
殉職者まで複数いる。だからもはや、進んでエドと組みたがる者などいない。
エドとしても1人が気楽なのだ。
飛び切り優秀だが、どうにも手がつけられない異端児。
組織のはみ出しもの。
何をしでかすかわからない、誰に噛み付くかもしれない地雷原のような存在。
そんなエド・カリスに着けられた首輪がアリス・デュラハンである、などとまことしやかに囁く者たちもいる。
実際、この頃〝狂犬〟カリスが滅法おとなしくなった、と胸を撫で下ろしている管理職は1人や2人ではない。
筆頭は司法長官である。
アリス=ラグナロクは、実に周到に地歩を固め、アリス・デュラハンとしても、影に日向にかなりの影響力を獲得していた。
とんでもない事情通である彼女の囁きを、無視できるものなどいないのだ。
「でよ、目星はついたのか?」
「まだよ。ただ、これで終わる話ではなさそうだわ。」
エドは頷いた。
カータと名乗る少女が爆発させたあの手榴弾は、リマノでは持ち込みも所持や保管も禁止されている類いの武器だ。
理由の一つが、対戦中に流通していた多くの武器に共通する特性である。
つまり、安価で手軽に使用でき、破壊力がそれなりにあるが作動が不安定という点である。
安く大量生産された工業製品の宿命だ。信頼性など最初から度外視されているのだ。
「彼女、どうやら宇宙港のターミナルビルで、あれを投げろって命令されてたみたいね。」
リマノ宇宙港は、眠りなき不夜城だ。
ありとあらゆる方面から多数の雑多な人々を受け入れて、送り出す。
夜中だろうが早朝だろうが、巨大なターミナルビルは、何万人もの人々でごった返している。
そこであれを投げろ?
カータにはロクに筋肉も付いていない。
いかに過酷な訓練で投擲力を鍛えたとて、もともとパワーなど期待できないのだ。
「手榴弾を投げて死ねってか。」
「少なくとも数百人を道連れにしてね。」
「悪質だな。」
「幸い、彼女は逃げたわけ。ターミナルビルまでは行ったらしいわ。自立型ポーターが運んでた大型スーツケースの影に隠れて、ターミナルビルから脱出したのね。」
アリスがそう言うからには、すでに検証済みということである。
ターミナルビルには、至る所にラグナロクの目と耳があるのだ。
「なかなかすばしっこいんだな。」
「それに頭がいいわ。監視役が爆発を恐れて、ターミナルビルから離れるタイミングを待ってたみたい。」
「ほう?そして逃げ出したのか。間抜けな奴らだぜ。保険もかけてなかったのか。」
「いいえ。リモート起爆スイッチは、監視役が持っていたそうよ。有効距離は限られているけどね。」
「はん?それじゃなぜ?」
「電波遮蔽。ターミナルで、電波遮断裏地のついたパーカーを手に入れた。それで手榴弾を包み、監視役から離れた後でリモート機能を解除したのね。」
エドは絶句した。
「…いやアリス、そりゃないだろう?」
「だから、頭のいい子だって言ったじゃない。しかも、それを私に悟られないように注意してる。私が私でなければ騙されていたかもしれなくてよ。」
ふふふ、と笑いながら、アリス=ラグナロクそうのたもうたのだ。
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