第6話 壁と溝
「んんっ……はっ!」
白奈が目を覚ますと部屋はすっかり暗くなっていた。仮眠という割にはしっかり寝てしまった気がする。
サー
浴場でかすかにシャワーの音が聞こえる。どうやら一花は帰ってきているらしい。
(一花ちゃん……)
ペアが決まった喜びを原動力にして続けてきたこの生活に、待ったをかけられたような、熱を冷まされたような気持ちになる。
出会って数週間、結局未だに一花の身の上話は聞けていない。そろそろこの曖昧な状態にも限界が見えてきたのが、今日の試合後の出来事だったのだろう。
ガチャ
「あ、白奈起こしちゃった?」
脱衣所から出てきた一花は起きている白奈を見つけると、寝起きの白奈に配慮してか、普段より静かな声で話した。
(別に悪いことを企んでいるとかではなさそうなんだけど……)
「ううん。さっき勝手に目が覚めたから気にしないで……それよりほら、髪。乾かすよ」
白奈は平静を装って、これまでと同じように一花を自身の元へ呼び寄せる。
「……うん。ありがとう」
一花も少しぎこちなさがあるが、ベッドの縁に腰かけている白奈の前にドライヤーとヘアケア用品を携え、ゆっくりと床に腰を下ろした。
「……」
黙々とケアは進み、部屋にはドライヤーの音だけが静かに響いている。この沈黙はただの沈黙ではない。一方は踏み込むことを躊躇うような沈黙であり、もう一方は踏み込まれることを拒むような沈黙。
口火を切ったのは白奈だった。
「一花ちゃんはさ、なんで戦闘職志望なの?」
本当は「大園さんはなんて言ってたの?」と直接聞いてしまいたかったが、怖気づいてしまった。
(これも、大事な過去の話だし)
そう自分に言い聞かせて、今回は聞けたこと自体を評価することにした。
「……」
やっぱり過去に関係することは話したくないのか、一花は口を閉ざしたままだった。部屋に再び沈黙が訪れる。このままじゃ話が一向に進まない。そう考えた白奈はまず、自分の志望動機を打ち明けることにした。
「わっ私はね、昔怪対課の人に助けてもらったことがあるんだ」
怪対課。怪物対策課の略で、各都道府県に設置された研究対策支部、その対策部に属する一課である。怪物の出現に応じて討伐を行うことを職務とし、戦闘職志望の生徒が第一候補として目指すのが、この怪対課となる。
「そのときはまだ無能力者だったんだけど。それから進路どうしよっかなってときになってこの能力に目覚めて、『これだ!』って……私も誰かを助けたいって思って、関能高校に入学することにしたの」
白奈は話しながらあの日の背中を思い出す。怪対課の制服を身にまとった綺麗な大人。後ろ姿と声しか覚えていないけど、その人を真似て髪もセミロングにしたんだった。
話しているうちに、ぼやけていた自分の出発地点がはっきりしていく。もはや一花のためではなく、自分の志を再認識するために白奈は話し続けていた。
「一花ちゃんにケアとか身だしなみはしっかりしようって言われたとき、正直ちょっと面倒だった。だけど、今となっては感謝してるんだ」
白奈は一花の髪を撫でながら話を続ける。やはり自分に言い聞かせるように。
「『守った誰かに憧れられるように』って一花ちゃんが言ってたときは、一花ちゃんが目指している姿だと思ってたけど、あれは私も目指すべき姿だった」
進むべき道を再び思い出させてくれて、一緒に歩んでくれている一花に対するこの感情は一体何なんだろう。一花にまだ信頼され切っていないのかと不安になるのは贅沢なんだろうか。一花は一体何を秘めているんだろうか。
一花に話す体で自分と向き合って、再びその疑問に白奈が戻ったときには、白奈の覚悟は決まっていた。
白奈は座っている一花の後ろから胸元に両腕を回す。お風呂上がりの一花からは今までで一番強く一花の甘いにおいを感じて思わずくらっとしてしまう。一花の背中に当たっている白奈の胸からは戦うときよりも速い鼓動が伝わっているはずだ。
「私は、これからも一花ちゃんとペアでいたい。この学校でだけじゃなくて、怪対課に行っても。ずっとずっと。……だから」
一花の耳元で囁くように、ねだるように――
「一花ちゃんの、みんなが知らない一花ちゃんのコト。少しずつでいいから私に教えて」
部屋に再び沈黙が流れるが、白奈の耳には自身の飛び跳ねんばかりの心音がずっと聞こえており、むしろこの部屋は五月蠅いとさえ感じていた。
「……え、えっと」
ようやく一花が口を開いた。その戸惑った様子は、話す内容を悩んでいるのか、断り方を悩んでいるのか白奈には判別できない。まるで告白の返事を待っているような緊張だった。いや実際にそうなのかもしれない。
「少し、心の準備させてくれないかな? 白奈もお風呂入ってきてよ」
白奈が入浴することで一花が手にする時間は、本当に話す準備の時間なのか。それを確かめたい気持ちを白奈はぐっと抑え、小さく「分かった」とだけ返す。
一花に回していた両腕を解き、一花の顔を見ずに脱衣所に向かう。顔を見ないというよりかは、見られないが正しかった。自身の真っ赤に染まった顔を見せるのが恥ずかしかったのと、一花が冷めた顔をしていたらという恐怖が白奈にそうさせた。
ガチャン
脱衣所のドアを閉め、その場にへたり込む。お風呂に入る前からのぼせてしまいそうだった。
◇ ◇ ◇
お風呂から上がった白奈は、ベッドの縁に座る一花の前に腰を下ろした。ここまでしおらしい一花を見たのは初めてだった。少し強気にいこうと思っている白奈は、一花がケアをしてくれている最中も一言も話さなかった。「もう一花の番だぞ」というメッセージを込めて。
そして、そのときはやってきた。ケアが終わってから随分と待っていた気がするが、何か話してもらうまでてこでもこの位置から動かないつもりだった。
「……あっ、あたしは」
一花の言葉が詰まる。
「あたしも、憧れている人が……いる。あたしは、その人を……追っかけて関能高校に入った」
白奈は言葉の詰まり方になんとなく違和感を覚えたが、ひとまず黙って最後まで聞くことにした。ただ――
「大園って人はもしかしたら……って…………ごめんなさい……やっぱりまだ話せない」
一花は普段の軽いノリの謝罪よりしっかりと謝ってみせ、「今日はもう話すことはない」と終わらせようとしていた。白奈としても正直そんな気はしていた。
気持ちでいえばかなりがっかりしている。先ほどまでの熱がすっと引いていくのが分かる。一花にとっての白奈はまだそこまで自身を開示するに足る存在ではなかったと、熱くなっていたのは自分だけだったのかと考えてしまう。
「分かった。じゃあ、二つだけ確認させて」
「……うん」
「一つ目、私たちが目指している場所は同じなの? もし、それすら違うんだったら……」
もうペアではいられない、新人戦という貴重な機会は逃してしまうが、まだキャリアが終わるわけでもない。新しくそれぞれの道を歩んだって遅くないはずだ。それがお互いのためでもある。ただ――
「それは一緒だよ!……絶対。信じてもらえないかもしれないけど」
ベッドから駆け下りてきて白奈の正面に座り直した一花に手を握られる。その手の温もりで日中の手を振り払われた瞬間がフラッシュバックする。急速に冷めていく気持ちに任せてこの手を振り払ってみたい気持ちが、弱った一花を見ていると湧いてきてしまう。
(私は、私が傷ついた分、一花ちゃんも傷つけばいいと思ってるのかな?)
実際にそうしてしまえば気持ちいいのかもしれない。ただ、傷ついたことを伝える手段は傷つけ返すことじゃないはずだ。白奈はそう自分に言い聞かせ、最後まで実行には移さなかった。その代わり、強引に一花の手を引いてベッドに転がり込む。
初めて狭いベッドで向かい合っている。一花の表情は相変わらず、叱られた犬のようにしゅんとしている。そんな一花に抱き着いて胸元に顔を埋めながら、一花のパジャマで声が吸われないように、いつもより声を張って話す。
「二つだけ確認って言ったけどなし!」
「えっ?」
「約束して! いつかちゃんと話してくれるって。今日みたいな嘘じゃなくて」
「う、嘘じゃ」
「嘘じゃないかもしれないけど、ほとんど全部隠してる! 何も言ってないのと変わらないでしょ!」
「……うん。ごめん」
「約束して!」
駄々をこねるような白奈にたじろぐ一花は流されるがまま――
「……約束する」
「次っ!」
「えっ、」
「何?」
「いや……何でもない」
白奈にキッと睨まれた一花は、必死に「まだあるの?」を飲み込んで我儘モードになった白奈の話を聞く。
「観戦席で、一花ちゃんに手を振り払われたのすっごく悲しかった。黙って一人で飲み込もうとしたけど、これも言っちゃう」
「……ごめん」
「これも約束して、私が原因じゃないならああいう拒絶の仕方はしないで。これが一番辛かった。せっかく無事勝てたのに、次勝てば目標のベスト4だっていうのに。もっと言えば、さっき一花ちゃんがお風呂から出てきたとき、最初にそこは謝ってくれると思ってたんだよ?」
「……ごめん」
「今日はもう聞かないけど、一花ちゃんにも余裕がなくなるだけのことがあったってのは分かってる。だから、今の『ごめん』で私ももうしつこく言わない! 私の言いたいことはおしまい」
最後にぎゅうっと抱き締めた後、一花の胸元から顔を離して笑ってみせる。一瞬、一花の目が大きく見開かれた気がしたが、白奈は気にせずにベッドから起き上がり、次にするべきことを共有する。
「わがまま言ってごめんね。夜ご飯食べよっ! それに一花ちゃんの靴も買いに行かなきゃ! 購買部まだ開いてるよね? それも終わらせたら明日の情報共有を――って一花ちゃん?」
ベッドから出ようとする白奈の腰を一花の両腕が捕えている。
「ほんとに……ほんとにいつかちゃんと話すから、そんな顔しないで」
そう言って、一花は強引に白奈をベッドに引きずり戻し、今度は一花から抱き締める。
「……今のあたしじゃ嫌かもしれないけど……すっきりしてから食堂行こっ。恥ずかしかったらあたしが貰ってくるからさ。……だから、そんな顔しないで。無理して大人にならないでよ」
一花は白奈の頭をぎこちなく撫でる。
しばらくして、鼻をすする音とかすかな震えが、一花の腕と耳に伝わってくる。一花は自身が白奈に付けた傷をゆっくりと噛みしめながら、腕の中の温もりを抱く力をほんの少しだけ強めた。




