第2話 新生活と一度きりの作戦
模擬戦の翌日。
白奈と一花は一枚の紙を携えて職員室を訪れていた。
「はい。一年の中野白奈さんと同じく一年の河合一花さんのペア申請を正式に受理しました。寮のお部屋ですが、仮ペア申請をされていたのでその際に割り当てられた部屋を引き続きお使いください」
「はいっ! ありがとうございますっ!」
「ありがとうございます。失礼しました」
職員室を退出し、一息つく。白奈としては色々思うところがあるが、ひとまずスタートラインに立てたことによる安堵のため息だった。
それはどうやら一花も同じらしく――
「よかっっったぁ~。このままじゃ新人戦にも出られないところだったよ。改めてありがとねっ、白奈っ!」
「ううん。こっちこそありがとう。私も頑張るから」
「それじゃあ、早速だけど一緒に頑張ってもらおうかな?」
そう言って不敵に笑う一花に、白奈は嫌な予感がしていた。
◇ ◇ ◇
「一花ちゃん! 止まって! 止まって!」
「あはははっ! ダメだってば!」
ここは訓練場。いや今はバター製造工場なのかもしれない。頑張ると言った白奈は、一花に連れられ訓練場に足を踏み入れるや否や、昨日と同じように抱きかかえられた。そして次の瞬間、一花は能力を使って外周を走り始めたのだった。
これが現状の全力なのか、白奈には分からない。だが、前回能力を試した時のスピードをもとに、一花の速度を仮に秒速百メートルとするのなら、今の白奈は時速三百六十キロで体の自由を奪われたまま移動していることになる。もし一花が手を滑らせようものなら死ぬ可能性すらあるこの状況に、白奈は恐怖で思わず目を瞑ってしまう。すると、徐々に速度を落としながら一花が立ち止まった。
「白奈っ。目。開けて」
一花の言葉で昨日の模擬戦での出来事を思い出した。
戦場で目は瞑っちゃだめだよ――
「あっ……ごめん」
白奈は恐怖で涙ぐんだ目元をこすって一花の方を見る。一花も白奈の様子を見て少し反省しているようだった。
「能力を使うと、風の感触もいつもよりはっきり分かって気持ちよくって。えっと……やり過ぎちゃった。こっちこそごめんね。ちゃんと説明する」
一花はゆっくりと白奈を地面に降ろして、自身も腰を下ろした。
「あたしが白奈をお姫様抱っこして戦う戦術……う~ん長い、今度作戦名考えよう。とにかく! この作戦は現状のあたしたちには最適な戦略だと思ってる」
「うん」
白奈もその考えには首肯する。試合形式での最大のリスクは、白奈が先に相手に拘束されることだ。その可能性を軽減できるこの戦法なら、一花の戦力を多少削ったとしても、現状ではお釣りがくる。ただ一花の考えはそこでは終わらない。
「あたしたちの最初の目的は新人戦だけど、新人戦が最後の目的じゃない。あたしたちの本当の相手は人間じゃない。この戦法はいずれ破綻する」
「本当の相手……」
怪物。
およそ二百年前、突如として発生するようになった怪物化現象。怪物化した動物は身体に不可逆な変化が生じ、見境なく暴れ、捕食を続けるようになる。戦闘職志望の生徒の本当のスタートとはその怪物を倒すための職に就くことであり、ゴールとは生き延び戦い続ける力を身に付けることだ。
「そう。だけど、今はこの戦法がちょうどいい。なんでか分かる?」
一花の質問に白奈は現状を分析する。
「私が戦闘で役に立たないから」
自分でもそうだと理解しているとはいえ、口にはしたくなかった言葉に、白奈は思わず俯いてしまう。
「違う」
「えっ?」
予想外の否定に白奈が思わず顔を上げると、一花は怒った表情をしていた。
「白奈は自己評価が低いよ。それ、良くない所だからね。自分の評価にだけ余計な主観が混ざってる」
「でも……」
「『でも』じゃない。昨日の試合で白奈がした能力の分析は正確だった。分かっていることと分かってないことがちゃんと区別されてた。あたしがこの戦法がちょうどいいって言った理由のメインはそこじゃない」
一花は険しい表情のまま、それでも優しい口調で自分の考えを説明していく。
「白奈はまだ戦いに慣れてない。別にあたしが戦闘慣れしてるってわけでもないけど、身体強化能力者の速度感とか衝撃には慣れてる。だから、この戦法が通じる新人戦の間に白奈には恐怖とスピードに慣れてもらう必要がある。だから――」
一花は白奈の手を取り、顔の高さまで持ち上げながら、その目を真っ直ぐに見つめる。
「絶対にあたしが白奈を守るから。あたしを信じて目を開けて、目を逸らさないで。白奈の力は能力だけじゃないから」
一花から真っ直ぐ向けられる期待に思わず怖気づいて目を逸らしそうになる。
ただ――
「うん。分かった。す、すぐに克服して見せるから」
白奈の能力以外の強さを認め、真剣に勝ちに向かおうとしている一花に対して目を逸らすなんてことはもうできなかった。
白奈は一花に包まれた手を引き寄せるようにして、その胸に抱き着いた。
「続き、お願い」
「よしっ! そう来なくっちゃ!」
一花はそのまま白奈を抱えて立ち上がる。
「あたしが絶対守るから」
「うん」
「じゃあ、いくよっ!」
白奈は再び全身に強い風を受ける。
◇ ◇ ◇
「ぷは~生き返る」
寮の浴場では一花が先にお風呂を済ませている。白奈はその隙に部屋で軽いトレーニングをこなしていた。日中の白奈の訓練は基本的に恐怖と速度への慣れがメインになっているため、いざ戦闘職志望らしく体を鍛える瞬間は意外と限られている。一花が戻ればまた手を繋ぐことになり動きに制限ができる。ある意味今は貴重な時間であり、こんなことで悩めるのも正式なペアが決定した今ならではの贅沢だった。
「白奈~髪乾かして~」
お風呂から上がった一花が白奈の元にタオルで軽く髪の水気を拭きとりながら寄ってくる。背中まである髪は外ではポニーテールに結っているが、部屋では下ろしたり、軽くまとめて肩にかけたりしている。そんな艶やかで長い髪に、白奈は軽くタオルを当てて行く。同じシャンプーを使っているのにいい匂いがする気がした白奈は少し頭に顔を近づける。
「ねぇ……白奈。それ恥ずかしい」
その様子は鏡越しにばっちりと一花に捉えられており、お風呂か恥ずかしさか分からない少し赤らんだ顔で咎められてしまった。
「あっ、ごめん一花ちゃん。つい」
白奈は慌てて謝りながらヘアオイルを手に取って軽く広げ、一花の綺麗な茶髪の先に馴染ませる。数回に分けながらオイルをつけ、手に残ったオイルを拭きとってから、コームで髪をゆっくりと梳いていく。仕上げにドライヤーで段階的に乾かして完成した一花の髪は一段と艶めかしくて、意識してないとまた顔を近づけて一花に怒られてしまいそうだった。
「じゃ、じゃあ次は私がお風呂入るね!」
自身の邪念を振り払うように言い放って、白奈は脱衣所に駆けて行く。お風呂上がりはお互いに髪のケアをし合う。これは共同生活が始まってすぐに一花が言い出したことだった。最低限のケア程度しか行っていなかった白奈にとってそれは、正直に言ってしまえば面倒なことだった。しかし、一花はその空気を感じたのか提案の意図をこう説明した。
「これはあくまで持論だけどね、あたしたちが人に見せる姿は綺麗じゃなくちゃいけないと思うんだ。血みどろの戦いでもかっこよく美しく誰かを守る。そうして守った誰かに憧れられるように」
(一花ちゃんもそうだったのかな?)
タイミングを逃してしまって聞けず仕舞いの疑問は、結局今日もなんとなくそのままで白奈は湯船に浸かる。既に浴場に充満してる蒸気に包まれているうちに、別の疑問が頭の中を支配していく。
(やっぱり一花ちゃんの髪いい匂いだったな)
本当に同じシャンプーなんだろうか? にわかには信じられなくて、浴槽に浸かったまま少しだけシャンプーを手に出し匂いを嗅ぐ。
(う~ん。やっぱり一花ちゃんの方がいい匂いがしたかも)
次の訓練のときにこっそり嗅いだら怒られるだろうか。
(いくら距離感が近い一花ちゃんでもあまり匂いを嗅がれたら嬉しくないよね)
友達としての距離感も正しくつかめないまま始まった共同生活。白奈はこれからの苦難だけでなく、一花と作っていける想い出を想像し一人浴槽で微笑んだ。
◇ ◇ ◇
「大分慣れて来たんじゃない?」
「うん! もう怖くないよ!」
ペア結成から二週間。訓練場では今日も白奈と一花の特訓が行われていた。最初は涙目で一花の腕の中で縮こまっていた白奈も、今では進行方向以外に目線を向ける余裕が生まれるほどに成長していた。
「じゃあ、もうちょっと本気出すよ!」
「えっ? うわっ!」
そして、成長したのは白奈だけではない。ペアとして二週間も過ごすうちに、白奈に強化された一花の能力も成長を見せ始めていた。
「あはははっ! どうっ?……って、やるじゃんっ!」
怯えているだろうと思いながら白奈に視線を向けた一花は、その予想が裏切られて、嬉しそうにしている。
「大丈夫だよ! 怖く……はあるけど、一花ちゃんが守ってくれるんでしょ?」
真っ直ぐな信頼の目を向けられた一花は少し面食らったような表情を浮かべた後、すぐに微笑み返して見せた。
「任せてっ! 絶対に落とさないし離さないから」
そう言って一花はもう一段強く地面を踏み込んだ。
数分後――
「ふぅ、もうこの特訓はしなくてもよさそうだね」
一花のお墨付きを貰い、白奈の表情がパッと明るくなる。
「ほんと? じゃあ……」
白奈の特訓は何も速さに慣れることがゴールではない。一花の速度感に慣れた次は、戦闘自体に慣れて行く必要がある。
「肉弾戦の特訓をしよっか。まずは普通にあたしと戦ってみよっかっ!」
「普通にってことは、一花ちゃんは能力使わないってことだよね?」
「もちろん。じゃあ、早速始めよっか」
一花が白奈から少し距離を取りながら半身になり、左腕で顎を守るような構えを作る。これまで実質能力の使えない白奈にとって、肉弾戦は自身を守る唯一の武器だった。そこら辺の能力に頼っている生徒よりはボディコントロールには自信がある。
「ずるしないでよっ、ね!」
白奈はすぐさま飛び掛かった。いくら一花といえど、体重任せの突進を受けてマウントポジションを取られてしまえば、もう勝ちは揺らがないだろうという作戦だった。
しかし、次の瞬間一花は白奈の腕を掴み、白奈の勢いを利用する形で背中を使って白奈を投げて見せた。それは見事な一本背負いだった。
「って、えっ?」
あまりに一瞬の出来事に、受け身が間に合わず、背中一杯に訓練場の地面を感じることになった。
「かはっ、げほっ」
叩きつけられた衝撃で呼吸が乱れ咳き込んでいると、一花が慌てて顔を覗かせた。
「ご、ごめんつい勢い余って、地面痛かったよね?」
まさか能力なしの体術ですら負けると思っていなかった白奈は、内心では悔しさを感じながらも、体を起こして心配そうな様子の一花を気遣う。ただ、顔はまだ見れそうになかったので視線は地面に落とした。
「大丈夫。私が受け身に失敗しただけだから」
「でっ、でも」
「大丈夫だから! 戦いに慣れるってこういうことだし、一花ちゃんもこれから私を痛めつけることに慣れて貰わないと」
戦いの興奮からか、悔しさからか、かなり嫌な言い方をしてしまった。そのことに気付いて、慌てて顔を上げた先で視界に飛び込んできたのは、これまでにない悲しい表情をした一花だった。完全に自分が悪いことが分かっているので白奈は素直に謝る。
「ごめんっ、言い方が良くなかった。一花ちゃんに頼りっきりなのに、一花ちゃんを悪く言うようなこと言った。ごめん」
「うん。……分かった。あたしだって白奈をイジメたい訳じゃない。でも強くならないと生き残れない」
「分かってる。だから、これからももっと私を強くして」
「うん。でも今日はもうお終い」
「えっ、あぁうん」
まだ怒っているのかなんて聞けるわけもなく、大人しく一花に従う。
「今日は一緒にお風呂入ってもらうから」
「えっ?」
どうやら、強打した背中を気にしているらしい。
「嫌?」
嫌というかまだ気まずいというか、手を繋ぐのとお風呂に入るのではかなり違う気がする。とはいっても、一花は絶対に引かないという顔つきで白奈を見ている。
「分かった。分かったから」
それで一花の心配もなくなって、仲直りできるのならちょっとの恥ずかしさくらい安いものだ。
「素直でよろしい」
そう言った一花に、手を引かれるがまま白奈は訓練場を後にした。
◇ ◇ ◇
新人戦は三十二チームによるトーナメント形式で、五日間かけて行われる。
一年生は全体で百七十名ほど在籍しているが、五月までに正式なペアを見つけられない生徒や研究職志望の生徒などもいるため、参加するのは毎年三十二チーム程度。つまりは一年生の四割弱となる。月曜日から始まる一回戦の組み合わせは、新人戦の前の週から判明しているため、事前調査を行うことが可能となっている。
「一花ちゃん。ちょっといいかな?」
二人の自室。軽くストレッチをしている一花に対して、白奈は声を掛ける。
一緒にお風呂に入ったからなのか、一花の機嫌は完全に元に戻っていた。白奈は、一花の白い肌にキュッとしまったお腹、しなやかに付いた足と腕の筋肉、体の中心に向かっていくほど視線が吸い寄せられてしまうような体なんて、まじまじと見るわけにはいかないので、一目散にお風呂場を退散した。
「何? 白奈?」
煩悩が頭を駆け回っていることを悟られないよう話を進める。
「来週の新人戦。一回戦の私たちの対戦相手についてなんだけど」
「調べたの?」
「うん……嫌だった?」
「ううん。相手について知れるなら知っておくべきだよ。あたしも調べようとは思ってた」
「そっか、よかった。じゃあ続きなんだけど。浅井蛍さんって子と有田みどりさんって子なんだけど、知ってる?」
「う~ん、話したことはあるかもしれないけど、能力は分かんないな」
「浅井さんは『発光』、有田さんは『物体伸長』の能力を持ってる。有田さんは大会用に殺傷力のない棒状の武器を使う申請をしてるみたい」
「じゃあ光で目くらましをしながら、その如意棒みたいな武器で攻撃してくるって感じかな?」
「うん。私が見てきた感じだとそうだね。ただ気を付けないといけないことがいくつかありそうだった」
「気を付けること?」
新人戦の一回戦に関してはカードが判明してから実際の対戦まで週末を挟む関係上、白奈のように相手の情報収集を行うことは咎められるどころか推奨すらされている。
それゆえに――
「今から話すことは、全部鵜呑みにしないで欲しいの」
「……そっか。分かった」
相手に調査されることを見越して、あえて能力を使ってみせる生徒もいる。
「まず浅井さんの能力。発光は、能力を使用するときにポーズを取ってた。ポーズに特に決まりはなくて、いろんなポーズを取ってたんだけど、これ自体がフェイクかもしれない。だから、浅井さんの動きを見て発光のタイミングを読もうとしたら痛い目に遭うかも」
「了解」
「次に有田さん。私が見た限り、物体伸長で伸ばしていたのは手に持っている棒だけだった。ただ、これも確定じゃない。そしてもっと大事なのが、速度と方向。棒が伸びる速度はすごく速かったけど、一花ちゃんほどじゃなかったし、伸びる方向も直線だけだった。これは私の推測でしかないけど、直線にしか伸ばせないように見せてるのは、たぶんブラフだと思う」
「なんで?」
「それは、速度に関しては常に最高速を見せてしまっても問題ないけど、方向に関しては隠した方が得だからかな」
一花が首を傾げる。
「ごめん。もうちょっとかみ砕いて教えて欲しい」
「えっと、じゃあ速度の方からなんだけど、仮に光の速さで伸ばせるとして隠すメリットはあると思う?」
「……あるんじゃないかな?」
「うん。ある。でもこうも考えられるんじゃないかな? 相手が反応できない速度を出せるならはなから隠す必要はないって。速度を隠すメリットが大きいのは、相手が反応できるかどうかギリギリの速さのときだけだと思う。それにそもそも、遠距離攻撃をギリギリで避けるって行動自体、受け手にとっては既に悪手なんだよ」
「なるほど」
「それに比べて方向は隠しておくだけで油断した相手に一撃を与えられる。速度は隠しておいても反応できるかもしれない。でも、方向は避けた直後の二段目として来るから、想定していない相手は反応もできない。実際に有田さんが曲げられるのかは分からないんだけど警戒はしておきたい」
「……了解。じゃあギリギリで避けようとしない方がいいってことだよね?」
「うん。思いっきり距離を取り続けた方がいいかも。初撃のあとに追撃が来なかったら直線にしか伸ばせないとみていいかもしれない……だけど、万全を期すなら、最後まで距離を取ることは徹底しておきたい」
「分かった」
これでここ数日の事前調査の報告は終わった。ここからは――
「と、ここまで説明しておいてあれだけど、一花ちゃん」
「うん?」
「私たちの戦法って、もう相手にはバレてると思うんだ。毎日練習もしてるし」
「そうだね」
白奈はいたずらっぽく口元を緩め、一花に語り掛ける。
「そこで一つ、一回戦でしか使えない作戦があるんだけど、どうかな?」
二人だけの部屋に一花がごくりと唾を飲み込む音が響いた。




