第一五二話 これからのこと
「さてアーシャ……俺はお前に言いたいことがある」
「……言いたいことですか?」
殿下による婚約解消宣言……これにより事態が大きく動くことになった。
当事者であるパトリシアはカリェーハ女伯爵と、エゼルレッド参謀とともに今後の対応を話し合うために城へと向かっていて、この後おばちゃんの手配でギルメール家との交渉をすると話していた。
もう一人の当事者バーナビーとクラーク大佐は、ジャンティ男爵と辺境守備師団の兵士が牢屋へと連行したが、近いうちに帝都に戻りレミントン邸に幽閉されるらしい。
あれだけ騒いだので、正直処される気もしたが……それは侯爵がどうする気なのかを決めろ、という殿下なりの圧力に思える。
あまり関係ないように見えたクラーク大佐は色々揉め事に関わったため帝都に送られることになり、二度と衛兵隊には近づかないように伝えられていたので距離さえ離れれば、おそらく安心だろう。
ようやく終わったかと思った矢先、殿下からは私だけ部屋に残るように促され……殿下は少し行儀の悪い座り方のまま私へと話しかけてきた。
「お前な……なんで俺を頼らんのだ」
「なんのことですか?」
「近衛部隊を辞めた後、なんで俺の元にこなかったかと聞いている」
グラディス殿下の口調は少し苛立ったような感情が込められているような気がして、キョトンとしたまま彼をじっと見つめてしまう。
そもそも殿下と私の関係というのは腐れ縁というか、よくわからない関係なのでああいう形で近衛部隊を追い出された後、挨拶を忘れていたことには流石にやばいと思ったが、頼るという発想がまるでなかった。
帝室の人を頼るなんて畏れ多い、という帝国民としての価値観が影響しているかもしれないが、そもそも殿下はこんなことで頼るような相手ではなかったし。
正直忘れていた、と言うと本気で怒りそうなので言葉を選ぶことを決めた私は、思いついた言い訳を口にする。
「仕事見つけて落ち着いたら連絡しようかなって……」
「……絶対連絡するつもりなかったろ」
「ソンナコトハナイデスヨ」
棒読みチックな返答をしてしまった私は、とてつもなく気まずい気がして視線を逸らす、バレてるやん。
そうか殿下を頼って『仕事ください』って言ってもよかったのかと思う反面、そもそも殿下と私の関係ってなんなんだという気がしていて、単なる仕事相手にそこまで頼み込むのは違うという気もしなくもない。
むしろ今初めて殿下は自分を頼ってくれなかった私に対して、なんらかの感情を抱えているのだということに気がついた。
超むず痒い、相手は妻帯者だしぶっちゃけそんな感情なんか湧くことはまるでないけどむず痒い、その場にいたくない気がして思わず私は頬を指先で掻いてしまう。
「お前がライオトリシアに行ったと聞いて、マルガリータにすぐ連絡を取ったのだ」
「マルガ……ああ、おばちゃんにですか」
「ついでに俺の協力者であるエミリーも使った」
「だからエゼルレッド参謀がここにいるんですか……」
「そうだッ!!!」
「ぴゃ」
まるでこちらが反応できない速度で、距離を詰めてきたグラディス殿下はソファーの背に手をドン! と当ててから私をじっと見つめた。
これは新しい壁ドンか何か? と思いつつ、あまりの距離の近さに思わず変な悲鳴を漏らしてしまうが、そりゃー殿下レベルのイケメンが眼前に迫れば声くらい出ようものだ。
年齢は私より上だけど、三十路の妻帯者……しかも権力者なのにガチガチに体を鍛えている彼は、まごうことなきこの世界における最上級のイケメンと言っても良い。
榛色の瞳はじっと私の目を見つめているし、顔の造形は美しく一〇〇〇年続く帝室がいかに美男美女を掛け合わせてきたのかがよくわかるほどに整いすぎている。
なんだかよくわからない良い匂いはしているし、少し怒りを感じさせる表情も恐ろしいほどに色香を放っている……視線すら動かすことを許されない拷問のような時間は永遠のようにすら感じてならない。
私が普通の女性なら、両手をあげて降伏するくらいの好条件が揃いまくっている男性は、正直この人しかいないだろう。
前世が男性であり、転生してから女性になっているとはいえ性自認が基本的に男性である私ですら、自然と頬が熱くなるのだからその破壊力は凄まじいものなのだ。
「で、殿下ちょっと近くて……」
「また傷が増えたな」
そう言いながら殿下の指が、私の頬にある真新しい傷跡を撫でる。
その傷は決勝戦でついた傷を治療してもらったもので、すでに塞がってはいるけど、撫でられると痛みを感じるような気がして思わずみじろぎしてしまう。
だが殿下は構わずにあちこちについている傷を確かめるように指を滑らせていく……額や首にもそう言った傷は残っているのだろう。
傷跡を消すというのは時間とお金がかかるものなので、戦争中からずっとそうだが傷そのものを消したことはなかったりする。
顔の周りでもそんな感じだけど、体にはもっと大きな傷跡が残ってるのでメイド長であるラファエラには結構小言を言われたんだよな。
優しく傷跡を撫でる殿下の指先は妙に暖かい気がして私はされるがままじっとしていたが、背後にいた黒衣の女性が軽く咳払いをしたことで殿下の動きがぴたりと止まる。
「……ヘルガ、これは飼い犬の状態を調べるだけだ」
「アナスタシア様は妙齢の女性です、それ以上は要らぬ憶測を呼ぶためよろしくないかと」
「……わかった」
グラディス殿下は鬱陶しそうな顔で私から離れると、再びソファーへとドカッと腰を下ろして大きくため息をついた。
ヘルガと呼ばれた黒衣の女性は硬直したように固まっている私を見ると、やれやれと言ったように軽く首を左右に振ってから再び直立不動に戻った。
私はというと、先ほどまでの殿下の行動にちょっと面食らって身動きがとれないでいる……まあ、転生して三〇年近く女性として生きていると、それなりに声をかけられたりとかは経験している。
貞操の危機みたいなケースもあったけど、その時は鉄拳制裁でどうにかなったり、同僚に助けられたりなど運も味方して助かってきている。
しかし今の殿下の行動はそれとは違って、何か大事な宝物を手入れするかのように……ひどく愛情に満ちた何かに感じてしまった。
「殿下、そのなんていうか……なんか変ですよ……」
「お前は自分を大事にしないから心配なのだ、昔からそうだったな」
「そんなことはありましぇ……せん」
どう返していいのか全く理解できずに、少しだけ熱い頬を手のひらで押さえながら私はなんとか言葉を紡ぎ出す。
恥ずかしいとか、心が弾むとかじゃないんだけど、戦争中には駒のような扱いをしてきたグラディス殿下が、初めて何か大事なものを扱うような行動を示したことに内心すごく動揺している。
ぶっちゃけて言えば戦争中に殿下が私を扱う時には道具のような感じで接してきていて、いろいろ便宜は図ってくれたけど、一枚オブラートに包んだような対応が多かったのだ。
しかし先ほどの行動は妙に……甘ったるい感じがして、自分が違うものに扱われたような気がして妙に心が騒ぐ気がする。
「戦争中もそうだ、お前は……」
「なんですか?」
「……いや、やめようお前は色気がなさすぎる」
グラディス殿下の表情は少し呆れたようなものが混じったものだったが、令嬢として完全に失格していると自認している私からすると色気がないって言われてもな、と言う気がする。
まあ殿下はそう言う目を向けてこない、とわかっているからこそなのだが……帝室の人に向かって友人などという言葉を使うのは不敬かもしれないけど、良き友人としていたいとは思う。
私が少し上目遣いで殿下を見ていると、彼は何かを思い出したのかすぐに表情を整えてから私へと話しかけてきた。
「そうだ……お前に伝えねばならないことがある、これからのことだ……聴いてくれるな?」
_(:3 」∠)_ 精神は肉体に惹かれるのか、そうではないのか
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