(幕間) 帝国歴一二七九年 ブリムスティルの獣 〇三
「ここにも死体があるな……結構時間は経過しているから、昔のものだろう」
「可哀想にな……」
ニルス・テグネール曹長は道端にあった死体を軽く調べた後、そっと頭を下げる。
その死体は彼の言葉通りかなりの時間が経過しているのか、酷く乾燥しまるでミイラのように窪んだ眼窩を空に向けていた。
その様子を見ながら空いたままのハッチからそれを見ていたアナスタシアもそっと頭を下げる、この渓谷にはこういった死体が回収されることもなく放置されており、あちこちに白骨が転がっている。
人形騎士が通れる場所にもそういった白骨があるものの、アナスタシアは少し嫌そうな顔をしつつも躊躇なく歩を進めていた。
「骨が砕ける音は気分が良くねえな」
「恨まれたくないねぇ……」
「お前そういうの気にするタイプなのか?」
「……昔ね、そういうことには気を払えって教えられたんだよ」
ゼルヴァイン帝国には複数の宗派があるものの、その中でも最大かつ最も信仰されているのは唯一神を崇める聖教と呼ばれるものだ。
過去には狂信的信徒により他宗派の排斥運動なども発生していて、基本的には大多数の帝国臣民はほぼ強制的に聖教の信徒とされている。
元々は大陸に複数ある唯一神を崇める学派の一つから派生しており、その教義は『神は秩序を最も尊ぶ』という秩序観を最も重視する宗教である。
秩序を重視するため建国当時の帝国を支援したこともあって、帝国指導部との結びつきが強く、長年の浸透を経て最大宗教へと成長した経緯がある。
魔術師などもこの宗派の一部に組み込まれている故に、魔術の研究などにも力を貸している一面も持っていた。
「まあ司祭どもはよくそんな話したっけな」
「……うん、まあそんなところだよ」
アナスタシアは少しだけ言い淀んだように感じたが、場所が場所だけにしかたないだろうとニルスは納得すると、地図をもとに辺りを見回す。
すでに渓谷へと侵入して二日が経過していたが、酷く乾いた空気と方向感覚を失わせる変わり映えのしない風景など、今自分たちがどこにいるのかまるでわからなくなりそうな感覚に陥る。
だが過去の帝国軍が多大な被害を出しながらもなんとか作り上げた地図のおかげか、現在地点はかろうじて把握できていた……軍より貸与のあった方角を確認できる魔道具のおかげもあるが。
手のひらに握られたそれを見ると、小さな矢印が震えながら北を指しているのが見える……なんとかこれのおかげで迷わずに済んでいると思い、ニルスはほっと息を吐いた。
「魔道具の進化もすげえな……」
「昔はなかったの?」
「なかったな、というよりこれ高えんだよ」
「へー……実家にあった気がするけど……」
アナスタシアの実家はリーベルライト男爵家ということだったが、本家であるリーベルライト家そのものは帝国の中枢に数々の偉人を輩出し続けている公爵家である。
その末席にある貴族家ともなると、成り上がりの男爵家と比べてしまうとはるかに裕福な生活を送っているのだろう……テグネール家もまた歴史ある家だが、リーベルライト家とは家格がまるで違うのだ。
彼女の同僚が男爵家であることを揶揄するようなことを言っているのを見たが、それこそ『身の程を知れ』と言ってやりたい気分に陥る。
帝国貴族家の繋がりはどこでどうなっているのか正確に理解しているものは少なく、末席の騎士爵家とであっても出自が公爵家の子息というケースもなくはない。
「お前ん家意外なほど物持っているな……」
「普通じゃない?」
「魔道具なんかそう簡単に買えねえよ」
「空調とか普通にあるでしょ」
空調の魔道具は最近小型化が進んだ魔道具の一つで、一定の空間における温度変化を防ぎ快適な生活を送れるようにするものだ。
貴族家であれば必ず装備されている魔道具なのだが、この維持には結構な金額がかかるためずっと稼働させているわけではないのが普通である。
現にニルスが幼少期の出来事ではあるが、テグネール家は安易に手を出した商売で失敗し、この空調用魔道具を動かすための魔石を仕入れられず、しばらく動かさないという事態に陥った。
伯爵家でありながら魔石を手に入れられないという事態は相当な恥であり、その教訓から商売への投資はかなり慎重になったのだ。
「ガキの頃に親が商売で失敗してさ、空調止めた時期があるんだよ」
「よく耐えられるね……」
「いや酷かった、あの時期に魔道具を売り払ったから実家にはあんまり数がないんだよ」
「そりゃ大変だ……私なら耐えられない」
方向感覚のわからない渓谷内ではどうしても過度の緊張を強いられるため、アナスタシアとニルスも当初は相当に警戒していたのだが、二日目ともなると二人とも慣れ、他愛もない話をする時間が増えている。
しかし……二人が油断していた間隙を縫って、突然渓谷中に凄まじい吠え声が響き渡ったことで、彼らの表情が一気に引き締まる。
魔物が住むという噂はあったものの実際に記録に残っている魔物は、過去の探索で全て排除されているはずだった。
しかし今聞こえた吠え声は、明らかに人のそれではなく……何か巨大な生物がこの渓谷に潜んでいたのだという証明にもなっている。
「聞こえたか?」
「随分ひどい声だ……なんだろう」
「竜種じゃないといいけどな」
この世界における最強の魔物はドラゴンに代表される竜種である……その姿形は種類によってかなり違い、翼を持つものや地を這うもの、手足をもつものから蛇のような姿をしたものなど千差万別である。
大きさもまるで違い、最小の竜種とされるワイバーンとドラゴンの大きさはまるで違うため、まるで別の種別にすら感じるが、その祖先となる祖竜はたった一種に集約されるのだという。
そしてワイバーンですら人形騎士単騎で戦うのは自殺行為とされており、帝国軍の教範では必ず小隊規模で戦うことを義務付けていた。
そのほかにも強力な魔物は多く存在し、人形騎士と魔術師が組んだとしてもそう簡単に倒せるような相手は存在しない。
「……戦っているような音がするな」
「この渓谷に他の軍でもいるってのか?」
「帝国側しか私たちは知らないしな……出口は王国領なんだろ?」
元々この渓谷は帝国領と王国領を結ぶ位置にあり、出口は確実に王国領に繋がっていると帝国軍は考えている。
そのために軍事的な優位を得るためにこの渓谷を完全に調査したいというのが目的ではあったが、それは王国側も同じ可能性があるのだ。
アナスタシアはニルスと視線が合うと、黙ったまま頷いてから戦闘に備えるためにハッチを閉め、腰に下げていた武器を手に取った。
前回の任務より引き続き搭乗している戦士級人形騎士フェラリウスの心臓部に当たる力の核の鼓動が一際高鳴る。
『おそらく魔物と戦っているのは人形騎士だろう、生身じゃ戦えない』
「ああ、生身で戦うなんざ自殺行為だ」
『おっさんは後から来てくれ、魔術師がいるってのを隠しておきたい』
フェラリウスが少し軋むような音を上げながら、歩みを早めていく……前回の任務からあまり時間が空いていないため、戦闘後の整備が全くできていないと彼女は話していた。
ニルスは魔術師帽を軽く被り直してから、彼女についていくために走り出す……もし王国軍がいた場合どう動くべきかをアナスタシアに指示しなければいけない。
速度を上げて走り始めたアナスタシアとニルスは、さらに大きくなる戦いの音が聞こえてくる方向へと向かっていった。
「アナスタシア、もし王国軍がいた場合まずは俺が指示をする……それまで手を出すなよ!」
_(:3 」∠)_ もしかして……共闘?
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