序章:神権の終焉
東の地、峻険な山々に囲まれた谷間の隠れ里は、今や世界でも数少ない中立地帯だった。
創造神を奉じ、その復活を祈る創主教を掲げる大国と、創造主を打ち倒し世界に自由を齎した勇者達を奉じる、剣世教の大国が争い、それぞれに味方する諸国をも巻き込んだ大戦からは十年。
あまりに大規模な争いは、双方の陣営が疲弊する形で自然と落ち着いたものの、二大国と呼ばれた大国二つの疲弊は、世界の情勢を大きく変えた。
我こそは新たな創主教の守り手、我こそは新たな剣世教の守り手、と。
疲弊した大国の後釜を名乗る国々は、それぞれの宗教の守護という名目を掲げ、領土の拡大を虎視眈々と狙い、戦いを繰り広げている。
その始まりは真からの宗教的情熱を源とした戦争は、今や宗教戦争とは名ばかりの、裏で各国の王位継承問題や貿易損益、資源の採掘権等を巡る俗世の戦乱へと化けていた。
数多の傭兵達が活躍し、数多の将兵達が天下の統一を夢見て争う時代に、天然の要塞とも言うべき地形からどの国家にも属さぬ中立の自治領となっている山間の隠れ里は、仕事を求める傭兵達の街ともなっていた。
ジィジィと蝉の鳴く夏の夕べに、里で最も大きな酒場の店主は、やれやれと溜息を吐く。
「お前、そろそろ新しい仕事見付けたらどうだ?」
「やーでござーる」
開店に向けて食器を磨く店主と、カウンターを挟んで斜め向かいに座る男は、ヒラヒラと片手を振った。
「拙者、例の海沿いの国の砦を落として報酬ガッポリ貰ったので。あと半年は働かないでござる」
「……お前、雇われ将軍ばっかりしてないで、どっかの国で真面目に士官する気はないのか?」
「真面目に働いたら負けでござる」
宿屋も兼ねている酒場の二階に、ふらりとやって来ては長期で滞在し、金が必要になればどこぞで雇われ将軍をして稼ぎ、また戻って来る。
そんな生活を繰り返している常連客の傭兵は、林檎酒を片手にヘラヘラと笑った。
「金はあるから安心してくれよ、親父さん」
「それは知ってるが、見ていて勿体ねぇんだよ」
店主は眉を寄せて、視線を傭兵に向ける。
「そんな根無し草の傭兵で終わっていいのか?お前が士官すると言えば、どの国の元首も諸手を上げて歓迎するだろう」
この戦乱の時代に、ふらりと雇われては困難な戦況をあっさり引っくり返し、地位も名誉も望まず、金だけ受け取って去って行く変わり者。
しかして、その戦績だけは現在、戦乱最強と恐れられる傭兵の噂は、各国に轟いている。
この男が本気で生涯使えると申し出たならば、どんな大国であろうと、それなりの地位を約束して迎え入れるはずなのだ。
「そんな安酒片手に毎日ダラダラしやがって、しかも言うに事欠いて〝働いたら負け〟だなんぞ……!ああ、勿体ねぇ!才能の持ち腐れだ……!」
店主の盛大な溜息に、男は鼻歌混じりに笑い声を上げる。
「お褒めに預かり光栄でござるがね、拙者は別に地位にも名誉にも興味が無いんでござるよ。安酒と、それからたまーに可愛い女の子との逢引があれば……」
その時、カランコロン、と。
酒場の入口にかかった鐘が鳴った。
「あー、まだ開店前だぜ。あと一刻後に来てくれねぇか?」
店主が視線を向けた先に。
「ここに、ライムントという傭兵はいるか?」
若い騎士が、立っていた。
「開店前にすまない。だが、ここにいるという噂を頼りにやって来たんだ。頼む、少し時間をくれ」
草臥れた旅装で、その顔色は疲労によって青かった。
けれど、その目だけは真っ直ぐに店主を見据えて、掠れた声にも弱さはない。
「噂……」
店主はチラリと、騎士に背を向けたまま林檎酒を飲む男を見てから、首を傾げる。
「その傭兵なら確かに居るが……。あんた、どっかの国のお偉い騎士様か?」
草臥れた旅装だが、物自体は良いと、店主は咄嗟に見繕った。
「一応、ウチの客だからな、その傭兵。流石に正体も分からない相手を紹介は出来ねぇよ。名前と身分くらいは教えて貰おうか」
それに対して、騎士は少し躊躇してから、東にある剣世教の、かつて一番の大国であった国の名を上げ、自分は騎士団長であると言って名を告げた。
「は?あの大国の!?」
目を丸くする店主に、今は斜陽だと、沈んだ声で騎士は呟く。
「だが、だからこそ有能な戦力が必要だ。その為なら、報酬でも爵位でも土地でも、出すべきものは惜しまない。店主殿への謝礼も弾む。……頼む、取り次いでくれないか?」
店主の前まで歩み寄り、カウンターに手を着いて切実に告げる声に、おぉ、と店主は少しだけ気圧されたように食器を磨く手を止めた。
「一日でも早く、俺は軍師を得なければならないんだ」
そこへ。
「……創主教の国々が、〝神の復活〟とやらに成功したって噂が、近頃傭兵の中で流れてるでござる」
林檎酒の杯を置いて、傭兵が口を開いた。
「実際、どうも剣世教の陣営は近頃押され気味だ。君の国も、国王が戦で重症を負ってしまって混乱の最中。軍事にかけては国王の親戚筋の騎士団長が踏ん張っているが……若過ぎて内部を纏め切れていない。……っと、そういう噂があるわけだが」
ふふ、と笑って、その指は酒の杯を弾き、カツンも高く澄んだ音を上げる。
「その様子だと、噂はどんぴしゃ真実のようでござるね」
「……貴殿は?」
騎士は警戒と怪訝が入り交じった顔で傭兵を振り向いて、そして、驚いたように目を瞬く。
「……そ、の、貴殿、どう、された?」
「うーん、なんでござろうね?」
傭兵は、カウンターに頬杖を突いて騎士を見上げ、ぽろりと、一筋涙を流していた。
「その……なにか、俺は、気に触ることを?」
途端におろおろとして、店主と傭兵を交互に見る騎士は、けれど、店主もギョッとしているのを見ると、さらに困り切った顔で、結局、傭兵の横の椅子にぎこちなく腰を下ろす。
「その、見下ろすのは、失礼、だった。あの、申し訳ない……」
「別にそんな事で泣かないでござるけど、その考えでとりあえず座って謝ってくれちゃう君は最高でござる」
ふふ、と傭兵は笑って、ふむふむ、と腕組みする。
「……レオン……レオンハルト」
青銅を打つようなその声は、そうして不思議そうに、どこか懐かしそうに騎士の名前を呟いてから、心底満ち足りたように、ひとつ頷いた。
「よし、君のために世界を獲ろう」
その唐突な宣言に、パチリと、騎士も、店主も目を瞬く中で。
「うん、拙者、その為に生まれてきた気がするでござる。ビビッときた」
「な、何を言ってるんだ、貴殿は……?」
「ライムント、俺が、ライムントだ」
戸惑う騎士に、傭兵はそう言って、林檎酒の杯を再度、指で弾く。
「親父さん、この子と拙者に、一番、美味い酒。ああ、それから、この子には何か美味しいご飯もあげてくれ。疲れが取れそうなのを」
「お、おう?」
反射で頷いた店主と、あわあわと状況が読めない騎士に。
ひとり楽しげな傭兵は、外の蝉の声に耳を澄ませるように目を閉じた。
「……そうだね、〝神の復活〟とやらも何となーく魂の底から不快でござる。……うん、きっと前世で何かあったに違いないという確信すらある」
そうして目を開けて、静かに手を差し出して。
「ここから先は、我が主の世、人の世だ。カミサマなんて概念は、ここで俺が終わらせる」
それに、騎士は少しの間を置いた。
見知らぬ傭兵の奇妙な言動に困惑したようなその表情は、しかし、ゆっくりと、柔らかくなっていく。
「……その不遜さに、どうしてか既視感があって、安堵してしまって困るな」
よろしく、と。
蝉の声の響く夏に、やがて世界を変える主従の手が、重なった。




