天涯に標を見た
空が、広がっていました。
天にも、地にも。
青い、青い、空が、見渡す限りの彼方まで、広がっていました。
箱庭の外れに、銃士は立っています。
そこはかつて、宮殿を囲む永久の夏の街へ通じる門があった場所でした。
しかし、その門は少し前に訪れた軍船の砲撃により崩れ落ち、かつて軍師が居所と定めた夏の街は、空に沈んで跡形もありません。
砲撃で芝が消し飛び、土がむき出しになったままの庭の縁に立ち、銃士はひとり、考えていました。
(これから、どうすれば良い?)
空を見詰めて、思います。
(俺に、どうしろと言うんだ)
銃士は、既に勇者足り得る者ではありませんでした。
あるいはこの中庭で目覚めた時から、この銃士は他の勇者と違い、世界を取り戻す事になど、神との戦になど、興味は無かったのです。
この箱庭で目覚めた瞬間から存在していたのは絶望だけでした。
ただ自分から愛しい花嫁を、弟や妹を、あと僅か一歩で掴めるはずだった未来を奪い取った女神への嫌悪と、何もかもに対する絶望だけがありました。
そんな銃士が、今、残されてしまっていました。
善き人々の最高の王であるはずだった騎士もいない。
何があろうと道を見付け、考え、進めたはずの軍師もいない。
今、ここにいるのは、世界などどうでも良い銃士だけなのです。
そう、どうでも良い、と。
宮殿の一角、永遠の秋の森に閉じこもる事は簡単でした。
きっと、始まりの頃、絶望と怒り、女神への哄笑だけで箱庭に存在した銃士なら、迷う事なくそうしていたかもしれません。
けれど、既に銃士は見てしまったのです。
悲しみ傷付いて、輝きを失ってもなお、女神や世界を守ろうと立つ竜退治の少年を。
嘆き悲しみ、もはやどこにも向けられない祈りを、それでも絶やさない人々を。
夜明けを喜んだ穏やかな騎士の横顔を。
愛を語った優しげな軍師の微笑みを。
見てしまったから、銃士は決して、この中庭の全てに背を向ける事など出来ないのです。
たとえ絶望によって砕けて粉々であったとしても、真の勇者の魂を持った銃士だからこそ。
愛すべきもの、守るべきもの。
美しいもの、優しいもの。
弱いもの、いじらしいもの。
かわいらしいもの、高潔なもの。
絶望の淵でなお、この目に映ったそれらを、見捨てる事など出来ないのです。
もはや、自分だけが命綱だとわかっていました。
騎士も軍師もいない今、若草の勇者を導き、人々を守る〝大人の勇者〟は、銃士だけなのです。
だから。
決断しなければならない。
決断し、何かを進めなければならない。
そう思って歯を食いしばり、銃士は空の縁に立って、必死に思考していました。
(あの軍師が無意味に死ぬはずがない)
その確信が、銃士にはあるのです。
たった一人、軍艦に向かって行った、あの時。
軍師は、あの時点で、おそらく自分は戻れないと悟っていたように思えるのです。
(ならば、何か残したはずだ。俺や竜退治が、次にすべき事の指針を)
自分がそこで死に、退場すると分かっていたならば、きっと、あの軍師ならばそうした事でしょう。
己の死すら何かしらの布石として、次の手を打ったはずだと、銃士は思います。
(実際に、軍艦に向かって行く時、道は見えた、と、言っていた)
そう、頭の中で呟いた時。
「……道?」
高楼で落とされた軍師の声が、風に乗って再び聞こえて来たような気がしました。
『道は見えた。その道に、君が進む為の印を付けに行くよ』
銃士は、ふっ、と辺りを見回しました。
きぃん、と、耳を貫くような静寂。
永遠と続くような一面の空、空、空。
「……〝終わり〟は、どこへ、消えた……?」
ぽつりと、銃士は呟きます。
かつて永劫の夏を彷徨っていた街のあった方角を、その先に唐突に口を開いていた〝終わり〟の方角を、見詰めて。
「〝あれは俺が沈める船に違いない〟」
あの時、軍師は、そう言いました。
「あの軍艦は」
銃士の時代のものより、古い物だったのです。
父が船乗りであった銃士は、その時、はるか少年の頃に父の仕事場で見た、船の歴史を描いた本を思い出しました。
「……あの軍師が、生きた頃のものだ」
ぱちり、ぱちり、と、少しずつ。
銃士は、自分の頭の中で何かが繋がっていくのを感じます。
「……あいつは、あの船を知っていた。あの船を、以前に、あいつの時代に、見た事があったんだ」
身体中の力の全てが思考に回ったのか、いつの間にかその場に座り込んでいました。
膝を抱えて、じっと、果てしなく広がる上下の空を見据えます。
「……あの船は、どこから来た?……いや、それ以前、街に向けて襲撃してきた死者の軍勢は……、地下に現れた怪物は……、どこから来た、元は、何だったんだ……?」
口に出した疑問の答えは、考えてみれば明白でした。
「あの船も、死者達も、怪物の元になった者達も……。全部〝終わりの向こう側〟から、来た。全部、元は〝世界〟に存在していたものだ……」
それが、答えでした。
それこそが、答えだと、空を凝視して銃士は気付いたのです。
「〝終わり〟には、〝向こう側〟があって、そこには、〝終わった世界の一部〟が、まだ、存在している」
全て〝終わって〟しまって、消えてしまったと思っていたものが、残っている。
それに気付いて、銃士は息が止まりそうになっていました。
それは、ともすれば、二度と戻らないと思っていた銃士の愛しい者達すらも、そこにいまだ存在しているかもしれないという示唆だったのです。
「それで、〝終わり〟は……」
心臓が知らぬ間に苦しいほど早く動いていました。
急激に供給される血液のためか、霞む目を瞬いて、銃士は空を、かつて〝終わり〟があった位置を、座り込んだまま、見詰めます。
「〝終わり〟は、消えた」
どのようにして、それを成し遂げたのか、銃士には分かりません。
あるいは銃士ではなくとも、真に天才であったあの軍師当人以外には決して理解出来ず、到達出来ない何らかの方法だったのかもしれません。
しかし、とにかく、軍師は成し遂げていました。
〝終わり〟を消して、〝終わりの向こう側〟と、この箱庭を繋げるという、偉業を。
道は示されたのだと、銃士は理解しました。
この空こそが道でした。この空こそが、〝終わりの向こう側〟への道なのです。
この空のどこかに、〝終わった世界の一部〟が、そしてきっと〝神様〟が、あるのです。
(ならば後は)
銃士は立ち上がって、早鐘を打つ胸を片腕で押えながら、すぐ足元に広がる空を見下ろしました。
「この道を、どうやって進むか、だ」




