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女神の箱庭  作者: 空野 氷菓
焦がれ尽きる空蝉の
21/37

夢の跡、君はいない


 その聖堂は、燃えていました。

 燃えるかのように、赤く赤く染まっていました。


 七日目に辿り着けぬ蝉達が遠くから鳴いています。


 祭壇の上、大きな薔薇窓。

 細長い幾つもの採光窓。

 極彩色の色玻璃いろがらすで、在りし日の聖者達を象ったその窓からは、業火のような赤い光が落ちています。


 数多の色をした玻璃を通って降る光は、けれど須らく、ただ赤く赤く、落日を表す色をしていました。


 そうして、その赤い光が降る聖堂には、水が満ちていました。

 祭壇に向けて並ぶ長椅子の座面が、辛うじて出る程の高さまで、そこには、水が満ちていました。


 あるいは。

 その水面の奥底からも、業火の色をした落日がってきて来ているのです。


 覗き込んだ水の先。

 そこに、空が存在しています。


 椅子の背ほどまでの深さはずの水の中、しかし、覗き込んだその水面の先には、たかたかい空が広がっていました。


 夕暮れの、果てしない空が水面の向こうに広がって、そちらからも落日の光がっているのです。


 そのために、天も足下も、業火のように赤い光景でした。

 火の色をした水の満ちた空間でした。


 「貴様はいつもここぞの時には大博打を打つな」


 「そうでござろうとも」


 ふわり、と紫煙が立ちました。


 「ただし拙者は、勝算のある博打しか打たないでござるよ」


 最前列の長椅子に掛けて、瀕死の軍師は煙草を片手に、くつくつと喉を鳴らします。

 仮面は割れて落ち、すぐ側の水面を漂って。青銅の声はくぐもることなく響きました。


 「君が一番、よく知ってるでござろう?」


 軍師は足元をふらつかせながら立ち上がると、祭壇へ向け、段差を数個、ゆっくり登ります。


 そうして一番上の段に、祭壇を背もたれにして、ドカリと座り込みました。


 紫煙をふかし、その目は落日に燃える聖堂を見回してから。


 入口、扉を背に座り込んだ男を見詰めます。


 「お前と博打の勝負をして、勝てた試しは確かになかった」


 眼帯を当てた隻眼の男は鼻を鳴らして笑いました。 


 「せかいが、おわる、さいごまでな」


 その皮肉げで愉快げな男の声に、ふわふわと紫煙を揺らし、軍師は青銅の笑い声を上げます。


 「せかいが、かわる、そのときも、だ」


 軍師は、そう訂正しました。


 「俺は負けない、誰にも」


 世界を獲った軍師の声音で、世界を巡った傭兵の顔で、世界を愛した青年の微笑みで。

 勇者は、そう言いました。


 「この仕掛けに、よく気付いたな、お前は。相変わらずの化物だ」


 男は呆れたように水面を見下ろして肩を竦めます。


 「君が、君の船を連れて来た時点で気付くでござるよ、好敵手殿」


 軍師はヒラリと片手を振って、隻眼を見返しました。


 「そもそもで君も、君が船を率いて来れば俺が気付くと踏んで来たんだろう?」


 「そうでなければ、俺が俺のままの意識を保って神の軍師なんぞやるものか」


 かつて、世界一の大軍師の覇業に、その世界統一事業に、最後の最後まで立ちはだかった隻眼の好敵手は、はっ、と短く鋭い笑いを漏らします。


 「俺の嫌いなものは知っているだろう」


 「神様と酒」


 答えて、軍師はもう一度笑いました。


 「……君も相変わらずの反骨精神だな」


 「だが、これでもう最期だ、何もかも変わる」


 隻眼は、ひた、と軍師を見詰めます。 


 「今度こそ本当に、永劫、お前は全てを、あの主の記憶までも、喪う事になるぞ」


 「いいさ」


 大きく煙草を吸い切って、軍師は笑います。


 「いいんだよ」


 煙草は短く、短くなり、ぽとりと、軍師の手から水面に落ちました。


 「いいんだ、それでも」


 煙を吐き出して、青銅の声は少し眠たそうにそう言いました。


 ゆっくりと、その身は水面に、たかたかい空に、沈み始めました。


 「何を捨てても勝利を献上するのが、軍師おれの仕事だ」


 燃えるような赤い空間。

 遠くから響く蝉の声。


 軍師は、目を閉じて、最期に想います。


 (陛下……)


 いとしい、いとおしい、唯一無二の、主を。


 もはや死しても、世界を取り戻しても、同じ場所に辿り着くことすらできない、たったひとりの、うんめいを。


 「レオン、レオンハルト……」


 たかたかい赤の水底そらに沈みながら。


 「ああ、本当は」


 最期の一瞬。

 青銅の声は、ぽつりと。


 「君を失くすのは、本当は、泣くほど嫌だなぁ」


 穏やかに、そう囁きました。


 「……それでも迷わないのだから、お前は本当に化物だよ」


 残された隻眼の男は、そう呟いてから。

 バシャリと、水面に倒れ込みました。


 ゆらゆらと、二人を飲み込んだ水面が揺れます。


 そうしてやがて、それが凪ぐ頃。


 そこにあったはずのものはすべて、融けてひとつも、なくなっていました。


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