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女神の箱庭  作者: 空野 氷菓
焦がれ尽きる空蝉の
16/37

失墜の呱呱


 呆然と、銃士は目の前の光景を見ていました。


 「おれのせいだ」


 がくりと膝を突いた竜退治の少年は、そのまま口元を抑えて、堪えきれずに嘔吐します。


 その数歩先に、腕と、目玉が転がっていました。


 地下の通路から、投げ出されたものでした。


 あらぬ方向へ曲がり、骨の飛び出た薬指。処々、何か獣に食い千切られたように皮が剥がれ、肉と繊維がグチャグチャにほつれた、肘より下の左腕です。

 青い目玉は一つだけ。抉り出された時のまま、神経繊維が一筋、まとわりついていました。


 「おい」


 ようやく、銃士が掠れた声で呼び掛けようとした時に。


 「ごめん」


 よろよろと這うようにして、少年は左手と目玉に近づきます。


 「ごめん、ごめん、ごめん、にーちゃん、ごめん」


 ボロボロと少年の若草色の目からは涙が零れていましたが、その声は奇妙に乾いていて、ならばこそ余計に悲痛でした。


 「ごめんな、にーちゃん、ごめん、こんな……こんなの、いたかったよな、ごめん」


 左腕と目玉を拾い上げて、少年はブツブツと繰り返します。


 「ごめん、ごめん、こんな……こんな、ごめん、こんなしにかたさせて、おれが……おれのせいで」


 「おい」


 銃士は無意識に左右を見ました。


 左では、軍師が無表情に立ち尽くしています。

 ただ、その手から、仮面は床に落ちていました。


 右では、蒼白な顔の女神が立ち尽くしています。


 「あの騎士が死ぬなんて……」


 掠れた声が、その潤んだ唇から漏れて、カッと銃士の中の憎悪は一挙に燃え上がりました。


 「貴様が……、貴様が、殺したも、同然だろう……!」


 怖気付いて出口を塞ぎ。

 軍師に説き伏せられ、更に中には自分が最も望む銃士がいるのだと思い出してようやく、再び出入り口を作ったのです。


 そうして、この女神は、自分を慕う少年を救助の為に危険な迷宮に送り込み。

 その少年が呆然自失のまま騎士の魔法で帰還するや、自らの使い魔を放って銃士を救助したのでした。


 「貴様が約束通りに帰還経路を守っていれば!最初から使い魔を放っていれば……!」


 使い魔の負傷は使い手に伝わります。

 この女神は、それに怯んだのだと、銃士は悟っていました。

 この女神は、自身の保身のために、無垢の少年を危険の中に送り、そうして騎士を殺したのだと。


 「わたしは」


 女神はビクリと肩を震わせて後退りしました。


 「だって、あの騎士は」


 ワナワナと、鈴を転がすような声が、呟きます。


 「あの騎士は、だって、〝神〟ですら、世界で最も与えられた者だと、おっしゃっていたのです」


 非難するように、女神の視線は少年に向けられました。少年の抱く、かつて女神が溺れ甘えて、寄り掛かり続けた人間の一部を。


 「まさか、あんなものになるなど……」


 まるで嫌悪するように。

 悍ましいものでも、見るように。


 「……貴様は」


 「あ、貴方のことは、お救いしました……!」


 やや強さを増した、反論じみた女神の声に、銃士はブツンと自分の奥の奥の何かが弾けたような気がします。

 そして、思考は怒りや憎悪すら燃え尽きたように真っ白になりました。


 上げかけた怒声すら、真っ白です。


 (このおんなは)


 真っ白な頭の中で、酷くゆっくりと、言葉だけが、感情を伴わずに湧いて出るようでした。


 (じぶんを、あんなにも、ゆるし、ささえつづけた、あいてを)


 銃士に向ける愛欲の身代わりに。自身の身勝手を自覚して苛まれる女神の自己嫌悪の免罪符に。

 優しい言葉も、棘などまったくない叱責も、口先ばかりの優しい憎悪も。

 全て与える寛容な騎士。

 その騎士のいる冬の宮へ通う女神を、銃士はそれまで何とも思いませんでした。

 無様だと。下賎だと、蔑み嗤うことはあっても。

 どうでも良いと思っていたのです。無様に足掻き、勝手に下衆な悦びで一時渇きを満たしていれば良いと。

 女神が本当に欲している自分は、女神の物にはなってやらぬのだと、冷ややかに嗤うだけでした。


 ただ、騎士のことは、好ましく思っていたのだとと、不意に自覚したのです。

 絶望し、世界の全てを呪っていた中でも、その魂の輝きが一等麗しいことは知っていた、と。

 女神すらも、そこに安らぎを見出し溺れ寄り掛かるような、救世の騎士王。

 あの潔白な騎士が、女神の歪んだ思いの捌け口を引き受けるのは、他ならないこの世界の残滓、銃士をも含む箱庭の宮殿に残された人々の安寧を守る為だったのだと、改めて思い出します。


 潔白で高潔で、この上もない、良き友でした。


 夜明けが一番好きだと、空を仰いで笑う横顔が真っ白な脳裏に浮かびます。

 名も顔も知らぬ人々の為に全てを犠牲にできる王でした。

 名も顔も知る人々と共に、明けの光を見て喜ぶ人でした。


 少年や軍師と、林檎で兎を作った話。自分の兎は耳が折れてしまったのだと。

 少し眉根を寄せて、けれど眉尻を下げて笑った顔を、なぜか、思い出しました。


 砕けた銃士の魂。勇者の魂。

 それが、いよいよ、粉と変わるほどに一斉に割れました。


 その痛みを僅かでも安らがせてくれる友は、もういません。


 「うせろ」


 ひくい、ひくい。

 もはや勇者とは呼びようもない、幽鬼の声が、銃士の喉を突きました。


 「うせろ」


 表情もなく、銃士は女神に繰り返します。


 「なぜ、おまえのような、ごみが、いきている」


 その手は既に愛銃に掛かっていました。

 ゆらゆらと、魔法の気配が立ち上ります。


 その魔法は、既に光の側のものではありませんでした。


 「わたしは」


 女神はワナワナと唇を震わせ。

 カチャリと、銃士の手の中で銃が音を立てると。


 「……ひどい……!」


 パッと踵を返すや、その姿は掻き消えました。


 逃げたのだと、真っ白な頭の中で、銃士は理解しました。


 気付くと肩は大きく上下していました。

 心臓がドクドクと異様に重く脈打っています。

 頭の奥がキンキンと痛む気すらしました。


 深く、深く。

 落ち着くためなのか、それとも、この行き場のない憎悪、怒り、慟哭、あらゆる全部を吼えたてるためなのか、深く、息を吸った瞬間。


 「坊ちゃん、拙者を見るでござる」


 静かな声が、銃士を呼び戻しました。

 真っ白だった頭に、はっと、色彩が戻ります。


 冷水を浴びたように、我に返って呆然と、銃士は背後を振り向きました。


 ブツブツと呟き続ける少年の横に膝をつき、仮面を落としたままの軍師が呼び掛けています。


 「坊ちゃん、落ち着くんだ。坊ちゃんのせいじゃない」


 肩を摩り、静かに、静かに。

 呼び掛ける軍師に、しかし少年の耳は、もはや機能していないようでした。


 「ごめん、ごめん、ごめん、にーちゃん」


 遺骸とも呼べない、獣の食いさしを抱き締めたまま、少年は顔を上げません。


 「坊ちゃん……竜退治……」


 軍師は、一度深く息を吸い込みました。

 そうして、その手を上げます。


 「目を覚ませ!竜退治、しっかしろ!」


 ばちん、と少年の頬は平手で思い切り張り飛ばされました。


 「ラルフ!俺を見ろ!いいか、俺をだ!」


 滅多にない軍師の怒声に、ハッとしたように、ようやく少年の声は止まります。


 「いいか、深く息を吸え」


 両肩を掴んで、軍師は少年の目を覗き込みながら、深く深く呼吸しろと言い聞かせました。


 「落ち着くんだ。落ち着け」


 震えていた少年の肩は、次第にその揺れを小さくしていきます。


 「……大丈夫、大丈夫だ。坊ちゃんのせいじゃない」


 少年の抱えたものごと、軍師はその腕の中に強く引き込んで囲いました。


 「悪かったのは、俺だ」


 その目は一度、きつく閉じられます。


 「……辛かっただろう。ごめんな」


 その囁きは、果たして誰に向けたものなのか。


 立ち尽くしながら、銃士はぼんやりとそう思いました。


 視線を上げれば、地下への通路は自然と閉じていくところでした。


 もう用済みだとばかりに。


 (最後に、こんなものを、わざわざ俺達の前に投げ出して)


 よくある手段だと、頭の隅は既に冷然と分析を初めています。


 (仲間の死体の一部を、わざと目に付く場所に晒すのは)


 相手の士気を下げる常套手段です。

 倫理的に問題があると、銃士の時代にはまともな軍隊同士の戦いならば、決して行われませんでしたが。それでも、歴史的にはよく使われた手段だと、知っています。


 (竜退治は)


 銃士より古い時代を生きたはずでした。ならば、このような手段も知っているはずでしょう。


 しかし、同時にこの少年が生前に戦った相手は、誇り高き竜達であったのです。


 竜という脅威があった時代、人同士の戦いはきっと少なかったのでしょう。


 (軍師は)


 軍師は既に落ち着いているようでした。

 糸が切れたように、今度は赤子のように泣きじゃくる少年を抱き寄せたまま、その厳しい表情の裏では、既に何かしら今後の考えが巡らされているのかもしれません。


 少年よりは後、しかして人同士が激しく争った時代を生き抜いた軍師にとっては、慣れた事だったのでしょう。


 けれど、それでも。

 その無残な腕は、目玉は。

 軍師が、たったひとりの主の面影を重ね、この二度目の戦いで仮初ながら王と仰ごうとした騎士のものなのです。


 軍師の顔色は、まだ青いままでした。


 (俺は)


 銃士は、無意識に自分の顔に片手で触れます。


 ひやりと、冷たい気がしました。

 体中の血が冷えているようです。


 (……あの騎士は、もう、いない)


 夜明けを見ていた穏やかな顔。

 あの声が聞こえる場所で感じていた安らぎ。


 喪ったものは大きく、大き過ぎるのだと、思いました。

 この場にいる誰にとっても。

 あの騎士の纏う安心感、安らぎは、この最期の箱庭にあって、全ての者の精神的な支柱だったのだと、唐突に実感を持って理解します。


 (妹を、弟を、部下を、師を、愛しい花嫁を)


 奪われたものを数え、銃士は両手で顔を覆います。


 (……ああ、そして、またもや、またもや、友人を……!)


 なにもかも許すものかと、再び白く染まる頭の奥が吠えたてます。


 (許すものか、許すものか、許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか、許すものか、許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか、許すものか、許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか許すものか)



 「永劫に、許すものか……!」


次回:年内更新予定

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