世界をその手に
「潜ってみるしかないでござーるねぇ」
軍師は呟いて地図から顔を上げました。
「やはりそうか」
腕組みして立つ冬の宮の騎士は、コクリと頷きます。
女神が留める世界の残滓、歪な継ぎ接ぎだらけの宮殿の、そこは軍議の為の部屋でした。
紅と金の垂れ幕、深緑色の壁紙。
窓からは、常に真っ青に晴れ渡る真昼の空が見えています。
そして今、部屋の中央にある大机の上には、この宮殿とそれを囲む街の詳細な図面や地図が、いく種類も拡げられていました。
その中の一枚、宮殿の地下を纏めた図面に、大きな赤い印が書き込まれています。
「謎の通路が出現」
ふふ、と軍師は指先で赤い印をなぞりました。
「あからさまな罠でござるなぁ」
十日前。
ここ暫くは毎日になっていた死者の軍勢の襲来が、パタリと絶えたのです
そうして一昨日。
城の中に、突如として無数の化物が湧いて現れました。
熊や獅子や虎、牛、蛇など。
いくつもの動物の姿が少しずつ混ざった奇妙な化物の群は、しかし、歴戦の勇者達に掛かれば瞬く間に討伐されました。
しかして、ならば問題はその化物達がどこから現れたかです。
〝化物は、地下から来た〟
城に残る僅かな人々のうち、最初に化物を目撃した人々は、そう言いました。
「地下墓地の一角に、隠し通路か」
図面を見下ろして、壁に寄り掛かる銃士が眉を片方上げます。
「守りを固めるために、宮殿内部は最初に探索し、図面の精度を目視で確認したはずだ」
「誓って言えるけど、そこ、前は通路なんかなかったぜ?」
机の横に置かれた大樽の上に座った竜退治の少年は、困惑した顔で小首を傾げます。
「女神様の結界に〝穴〟があったんでござろうねぇ。そこに、〝敵〟がいつの間にか道を作ったってとこかと」
軍師は仮面に手を掛けます。
「作った道から、我等に気付かれる前に一気に大量かつ有能な手勢を投入して、本格的な奇襲をかける手もあっただろうに」
仮面が外れ、阻むもののなくなった声は、青銅の響きで続けました。
「あえて、こちらが十分対処できる程度の化物だけ送り込んできた」
これは、と軍師は口角を片側だけ釣り上げます。
「奴さん、完全に、本気で、潰す気で仕掛けてきてるぜ」
ふふ、と傭兵の口調で喉を鳴らす軍師に、キョトンと少年は目を瞬きました。
「どういうこと?」
「誘い込む気だ。確実に、自分が有利に戦える場所に」
仕方なさそうに銃士が応じます。
「ああ、そういうこと」
少年は納得したようにポンと手を打ちました。
「わざと弱いの送って来て、わざと通路に気付かせて……。俺達が、そこを通って自分の縄張りにノコノコ入って来るのを待ってるわけかぁ」
ふぅん、と鼻を鳴らし、プラプラと大樽に座ったままの足先を揺らします。
「なんだよ、〝神様〟って意外と戦い方がセコいな」
特に非難するでもない、本当に素直に思ったという体の声音に、くく、と軍師は思わず喉を鳴らしました。
「〝戦闘〟ならともかく〝戦争〟で恐ろしいのは、〝セコい〟奴だ」
銃士が億劫そうに答えます。
「いかにも。覚えておかれよ、竜退治」
騎士が笑って銃士に同意すると、少年はパチパチと瞬きして、二人の顔を見回しました。
「そんなもんなの?」
「〝セコさ〟で世界を獲った化物の見本が、お前の目の前にいるだろう」
「拙者のことでござーるか?」
雑に顎で銃士に示されて、軍師は仮面を外したまたケラケラと笑います。
(丸くなってきたようだ)
ふふ、と銃士に視線をくれて、軍師はそう思いました。
(無理もないけれど)
見回す軍議の席。
居並ぶのは稀代の勇者達なのです。
真昼の輝き。誰もを惹き付けて鼓舞する少年。
夜明けの王。万民に安らぎを与える騎士。
そうして、〝神殺し〟すら恐れぬ忠誠の軍師。
これは図らずも、こと銃士にとっては最良の組み合わせであったかもしれないと、軍師は考えました。
魂の砕けた、絶望の勇者にとって。
少年だけでは、なお苦しみが増すだけだったでしょう。そこに愛おしい人々の面影を見て、その無垢を慈しんでしまうから。
銃士が勇者であればあるほど、庇護すべき、守るべき輝きを放つ少年は、逆説的に銃士の中の女神への憎悪を、怒りを、勇者たりえぬ絶望を深めるのでした。
ところが、そこに冬の宮の騎士があればこそ。
万民を宥め、安らぎをもたらす救世の君が、少年と銃士を繋ぐ線になればこそ。
絶望し、怒り、憎悪すれど、銃士は紙一重で安寧に繋ぎ止められているのです。
深まる絶望にひとり沈むよりも、眩しい真昼の輝きを慈しむ方へと、少しだけ天秤が傾くままいられるのでした。
あるいは、軍師の約束も、銃士の今一歩を抑えているのかもしれません。
いつか、その最も憎悪するものの喉笛に届く道を用意するという、約束も。
(戦力的には、本気で勝つ気のある布陣ではないと、今も思うが)
個々人の性格や在り方の相性という点では、結果的には悪くない構成であったのかもしれませんでした。
軍師自身、今となっては、この四人が揃う空気が心地好いのです。
「……この顔ぶれで、勝ちたいな」
ぽつりと、思わず漏れた声に軍師自身も少し驚きました。
「へ?」
振り向く少年に、いいや、と笑って仮面を再び被ります。
「ともかく、罠であるとは明白なのだけれど」
コツコツと図面を指で叩くと、全員の注目は再びそちらに移りました。
「現状、ココしか糸口が無いのも事実なんでござるよねぇ」
夏の街に現れる死者の軍勢は、その出処を辿る術もなく。ならば今、地下に現れた道こそが唯一相手の懐への手掛かりとなるやもしれないものでした。
「このまま死者の軍勢の襲撃頻度、あるいは質や量が増え続ければ、さすがに拙者達もジリ貧でござる」
日に一度、今の程度の軍勢ならば追い返す事は出来ています。
しかしもしも、これが一日中、寝る間もなく幾度も繰り返されれば。四人では対処し切れぬほどの大軍勢になれば。
今の状況は、いつでも簡単に崩れ得るのが明白でした。
「そろそろ何か手は打たねばと思っていた」
罠とわかっていても、行ってみる他にあるまい、というのが軍師の見解です。
「死罪の悪人でもいれば、魔法で視覚共有とかして放り込んでみるんだけどね」
〝善き人々〟だけが少数残された世界の残滓。ここに、そのような者は存在しないのです。
やれやれと軍師は肩を竦めました。
「何の罪もない人を放り込んで何かあれば、内部の不信感の元になってしまうし」
「俺達が行くしかないってことだよな?」
少年は、どこかワクワクしているようにも見えます。
まだ見ぬ冒険。倒すべき敵への最初の手掛かり。
そういうものに心躍るのも、あるいは少年が若草の勇者である理由のひとつなのかもしれません。
「まぁそうなるでござるけど。流石に全員でノコノコ、何の対策も打たずに入るのはいけない」
ふむふむ、と軍師は顎に手を当てます。
「少なくとも一人は残るべきでござるね」
「帰還経路の確保も必須だろう」
騎士は図面を見ながら少しだけ首を傾げました。
「入った瞬間に道を閉じられるのはまずい」
「そうしたらひたすら進んで、〝神様〟やっつければ解決じゃないの?」
「進む道すらない可能性もある」
答えたのは銃士でした。
「この道が敵の本拠や縄張りに続いている保証はない。入ってみれば、既に半ばで道が閉じられていて、行き止まりになっているという可能性もあるだろう」
そうであれば、入った瞬間に背後の入口、即ち出口でもある場所を閉じられてしまえば、それだけでこちらは敗北なのでした。
「水も食料もない場所に閉じ込める。何をせずとも、その程度で人間は死ぬ」
「うわぁ……そっかぁ……」
納得する少年の横で、騎士はチラリと視線を窓の外に向けます。
「帰還経路の確保については女神に助力を要請しよう」
「それが良いでござろうね」
ウンウンと軍師も頷きました。
人知を超えた力で作られた通路ならば、それを閉じられないよう抵抗するには、やはり人知を超えた力が必要になるでしょう。
「それなら、俺、女神様にお願いに行きたい!」
少年が嬉しげに手を上げると、銃士は刹那に顔を顰めましたが何も言いませんでした。
「……そうか。では、後で一緒に行こうか」
騎士は穏やかに微笑みます。
(行かなくても、冬の宮には毎晩のように来るだろうけれどね)
軍師は少しばかり複雑な思いで、無邪気に喜ぶ少年と、それに相槌を打つ騎士を見比べます。
不快そうに顔を顰める銃士も含め、個々人としては相性が良いからこそ、その下に渦巻く歪んだ関係性には、微かに息苦しいものがありました。
(勝ちたいなぁ)
全ての〝敵〟に、と軍師は思います。
世界を終わらせた神だけではなく、この人々を、軍師が今、心地好いと愛おしむ人々を蝕む全てに。
(全部、全部。俺のこの策が及ぶ限り、嫌なものは退けてやりたい)
たったひとりの、絶対の主は失われました。
今あるのは泡沫、仮初の玉座だけ。
それでも確かに、軍師は自分の中で泡沫の玉座が、その周囲にあるもの全てが、重みを増していくのをわかっていました。
かつての唯一無二には永劫に及びません。
あれに変わるものなどありはしないのです。
けれど、今の世界は今の世界として、間違いなく、軍師にとってかけがえのないものに成りつつあるのでした。
「帰還経路は女神様に任せるとして」
ほんの少し微笑んで、軍師は再び口を開きます。
「留守を預かる者の選定でござるが」
「二対二が適当だろう」
銃士が壁から背を離しました。
「俺と、そこの騎士が行くべきだ」
「賛成でござるね」
小回りが利き、入り組んだ市街地などの狭い場所での戦闘に慣れた銃士と、単騎の戦闘力に掛けては四人中で最強格であり、魔法や軍略にも明るい将兵である騎士は、何かと安定した組み合わせでした。
未知の通路に分け入ると言うならば、この二人の組合せが無難に違いありません。
「俺も行きたい……」
ぽつりと、遠慮がちながら主張する少年も、銃士の提案の妥当さはわかっているのでしょう。
無理は承知で、けれど思わずというような細い声に、パチリと三人は目を瞬きます。
「留守居も大事でござるよ」
ふふ、と思わず笑う軍師に、わかっているけど、と少年は少し不貞腐れたように頬を膨らませました。
「行ってみたいじゃん!騎士のにーちゃんと銃士のにーちゃんだけで〝神様〟やっつけちゃって、全部解決しちゃったら……嬉しいけど、ちょっと悔しいし」
本当に、それが有り得ると信じている声です。
再度三人は目を瞬きました。
「……はは、そうだな」
騎士が最初に口を開いて、そう笑います。
「そう言われてしまったならば、そうするくらいの勢いで努力しなくては」
「そうだけど、そうじゃないんだってばー。俺にも手柄残しておいてよー」
気心の知れた兄にでもゴネるように、むうと呟く少年に、そうかそうかと笑いながら頷いて。
「だそうだ、銃士殿。これは加減が難しいな」
話を振られた銃士は、肩を竦めて再度壁に寄り掛かりました。
ああ、懐かしいな、と軍師は笑います。
いつか愛おしい主の陣屋で。
こうして信頼できる者達と戯れた事を思い出します。
(もう、あの人はいないけれど)
少年と銃士の間で、双方を立てながら笑う騎士の姿に、懐かしい人を見ました。
(……仮初ではないのかもしれない。あの人の玉座ではなくとも、それでも)
据えた玉座は、確かに本物であるのかもしれないと、軍師は思います。
(ああ、ならば、どうか)
穏やかな昼下がりの軍議。
広がる前途は不穏で戦に満ちているとしても。
いつか、たったひとりの主にしたように。
いつか、あの頃の無二の戦友達にしたように。
(もう一度、世界を、君達と)
獲ってみたいと、軍師は思いました。




