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春の日差しが、青い空から惜しげもなく降り注ぎ、生徒達の頭上に春の訪れを、めいいっぱいに告げている。

通学路に咲く桜の花も満開であり、しばらくの間は、登校する生徒達の目を楽しませて、心を安がせる役をはたすのだろう。

男女問わず、多くの生徒は朝の登校を心地よく行っているようであり、大きく伸びをした男子生徒も、その多分に漏れてはいなさそうであった。


「いい天気だなぁ……登校1日目から、良いことがあればいいけど」


中肉中背、一般的な男子高校生の身長体重の基準値に近い体格と、それなりに童顔だが、まあまあ見栄えがよいといえなくもない顔立ち。

ありていに言えば、ごく一般的な、個性のないところが個性とも言える男子生徒が、そこにいた。

特徴的な面といえば、人当たりのよさそうな性格くらいであり、一応、いじめや暴力沙汰とは、無縁の生活を送ってきている。

彼の名前は、勇 鈴太(いさお れいた)。今日から公立松崎高校の二年生となる、男子生徒の一人であった。


校門をくぐった生徒たちは、校門前に張り出されているクラス分け表の前に、足を向ける。鈴太も自分の所属するクラスを確認する為に掲示板の前に移動した。


「いさお、いさお……っと」


出席番号的に、早い苗字なのは有難いよな。そんなことを考えながら、張り出されているクラス分け表を見る。

2年A組の先頭のほうに、早々と自分の名前を見つけて、ああ、自分はA組かと鈴太が思った矢先である、不意に、がしっと肩を掴まれた。

肩をつかまれたまま振り向くと、そこには、彼の見知らぬ男子が、鋭い目で睨んでいたのである。

ボサボサのザンバラ頭に、獰猛な野良犬のような鋭い目を男子が、八重歯をむき出しにしながら、鈴太に吠え掛かるように、言葉を投げかけてくる。


「貴様が、勇か?」

「え、そ、そうですけど……」

「そうか、ならば言っておく。良いか、この俺の目の黒いうちは、ひなに――――うぉあ!?」


と、そこまで言った瞬間である。その男子生徒が悲鳴を上げてのけぞった。いつの間に近づいてきたのか、誰かが襟首を掴んで引っ張ったようである。

よい感じに首筋がしまり、窒息しかかったのか、鈴太の肩から男子生徒の手が離れ、開放された。

鈴太から男子生徒を引き離したのは、男子の制服に身を包んだ鈴太の知らない生徒であった。どこか投げやりな口調で、その生徒は男子生徒を見てため息をつく。


「こら、何をやってるんだ、馬鹿ひろ。無用な騒ぎを起こすなと、あれほど言ってるだろうに」

「げほ、てめ、なに邪魔してやがんだっ……」

「はいはい、クラス確認は終わったんだ。さっさと教室に行くぞ」


そういって、その生徒は男子生徒を引きずったまま、その場から歩き去ってしまった。

周囲の生徒たちとともに、呆然と見送った鈴太は、しばらくしてから、ため息とも、安堵の息ともとれる一息とともに、言葉を発したのだった。


「なんだか知らないけど、助かった、のか?」



登校口にある下駄箱で、登校靴から上履きに履き替えると、鈴太は1年間を過ごすことになる2年A組の教室の中に入った。

先ほどのトラブルと、遅めの登校ということもあり、2-Aの教室内には、男子生徒も女子生徒も、かなりの数が入室しているようであった。

鈴太が教室に入ると、彼に声をかけてきた男子生徒がいた。恰幅のいい、丸々とした顔の生徒である。


「いよっ、勇。お前もA組なんだな。2年も、よろしくな」

「市藤君か。よろしく」


1年の時のクラスメートに声をかけられ、笑顔で応じながら、自分の席を探す鈴太。市藤という生徒は、鈴太に声をかけた後で、そばにいた生徒と談笑を再開していた。

一応、クラスメートといっても、親しいグループというわけではなかったし、そういう意味では、鈴太は、くじ運に恵まれてはいないようであった。

市藤という生徒は、運よく仲間たちと同じクラスになったのか、背の高い男子生徒や、片眼鏡の女生徒など、複数の男女と仲良さそうに話をしている。

鈴太はというと、昨年親しかった男子生徒(悪 友)とは、別のクラスになってしまっていた。多少は交流は続くにせよ、クラスが違うとなれば、疎遠となるのは間違いないだろう。


仲のいい友達ができると良いけどな。そんなことを考えながら、自分の名前のシールが張られた席に座った鈴太は、周囲を見回して、硬直した。

先ほどのクラス分けの掲示板の前、鈴太の肩をつかんで睨みつけてきた男子生徒が、少し離れた席から、こちらを睨んでいたからである。

男子生徒の傍には、先ほど襟首を掴んで引っ張っていた生徒もいて、先ほどの二の舞を恐れたのか、すぐに襲い掛かってくる様子はない。

とはいえ、殺気立った目つきは、十分に居心地の悪いものであり、なんというか、鎖につながれた猛犬の前にいるような、落ち着かない気分であった。

噛み付かれたり、怪我をしたりすることはないものの、じっとにらまれたままで、いつ吠えられるかわからない状況では、落ち着きようがないだろう。


(睨んでる、間違いなく、睨んでる……っ)


視線を合わせるのを避けていても、攻撃的な視線が肌にチクチクとささり、鈴太を閉口させた。

幸い、遅めに登校したこともあり、程なくホームルームの予鈴がなり、多少は攻撃的な視線が弱まったのを感じた。

とはいえ、それが問題の先送りであるということは、なんとなく鈴太自身も感じていたのであったが。

クラス担任の寺井という名前の若い女教師の挨拶とともに、ホームルームが始まり、始業式や席替え、教科書の配布や簡単な自己紹介で、その日はつつがなく時間が過ぎていった。


「はい、それでは今日はこれまでですね。明日からは、午後も授業がありますから、お昼の準備はしっかりとしてくるようにね。それじゃ、七里さん、号令をお願いね」

「はいっ、起立、礼!」


自分から立候補し、学級委員となった七里という少女の号令とともに、その日の授業は終了した。

時間は、お昼より少し前。家に帰ってから、ご飯にしようか、それとも、どっかで外食でもしようかな。と、鈴太もそんなことを考えながら、帰り支度を始める。

しかし、そういった彼のもろもろのプランは、直後に破棄されることになったのだが。

帰りの準備の為に、机の中のものを鞄に移していた鈴太の眼前に、影が落ちた。見上げるとそこには、剣呑な殺気を身にまとった男子生徒がいたのである。


「ちょっと、(つら)貸してもらおうか」


その横には、もう一人の生徒の姿。先ほどは襟首を掴んで止めてくれたものの、今回はどうやら、止める気はないようである。

これはあれかな、校舎裏に来いとか、そういった類のものだろうか? そう考えた鈴太は、なんとなく、助けを求めて周りを見渡すが、誰も助けてはくれそうになさそうである。

しょうがない、同じクラスだし、逃げることもできなさそうだしな。そう考えながら、鈴太は身支度を整えると、鞄を手に席を立った。


「鞄は、持ってっていいのか?」

「……別にかまわないが、それより、ひとつ聞いておきたいんだが、昼食の用意はあるのか?」


鈴太の質問に、逆に問い返してきたのは、もう一人の生徒である。その質問に、鈴太のほうが内心で首をかしげることになった。

なにやら、穏当ではない様子なのに、昼食の用意を聞くとは、どういうことなんだろうか? そんなことを考えながらも、質問に答えるために、口は自然に動いていた。


「いや、どっかで買うか、家で食べようと思っていたけど」

「ということは、持ち合わせはあるんだな。なら、今日は外食にしてくれ。購買でパンを買ってから、用件に入るとしよう」

「おい、千恵(ちえ)。こいつにそこまで気を使う必要があるのか?」


と、鈴太とのやり取りを聞いていた男子生徒が、その生徒に不満そうに声をかける。千恵と呼ばれた生徒は、じとりとした目を男子生徒に向けて、口の端をゆがめた。


「そうはいっても、小一時間ですむかどうかも微妙なところだし、昼食の用意は必要だろう。第一、彼にだけ食事を与えないなど、ひなが許すわけないだろうに」

「ぐっ」


反論できないのか、口ごもる男子生徒。それにしても、と、そのやり取りを耳にしながら、鈴太は千恵という生徒を見る。

彼は……いや、彼女は? どっちなんだ? と内心で考えながら、鈴太は目の前の男子の制服を着た、女の子にしか見えない生徒を見る。

先ほどの自己紹介でも聞いていた名前は、日傘千恵(ひがさ ちえ)。こうして、立ち振る舞いや言動、しぐさや顔立ちは、女の子であるのに疑いはない。

ただ――――着ている制服は間違いなく、鈴太と同じ男子の制服であり、お前は男なのか女なのかと、突っ込みをいれるべきなのか、判断に迷うところなのだが。

そもそも、もし問題があるとすれば、担任の先生がまず言うはずなのだが……寺井女史は何も言っていなかったのだけど。


「まあ、そういうわけだから、まずは購買に行くぞ。異論はないな」

「ちっ、仕方ないな……ほら、さっさと歩け!」

「わ、わかったよ」


結局、肝心なところを聞く機会を得ることもできず、日傘という生徒を先導に、後方に敵意丸出しの男子生徒に張り付かれながら、鈴太は教室から廊下にでる。

購買でやきそばパンとサンドイッチ、飲むヨーグルトを買った後で、再び移動を開始する。

鈴太としては、背後霊のように真後ろにピッタリと張り付かれるのは、落ち着かなかったのだが、言って聞く相手でもなさそうである。


「それで、結局どこに連れて行こうって言うんだ?」


廊下を移動しながら、鈴太は先を歩く千恵に質問を投げかける。少なくとも、自分の真後ろの相手よりは、話が通じそうだと判断したからである。

その質問に、ちらりと鈴太の方を向きながら、瞬きを数回する千恵。そうして、ふむ、と人差し指を唇に当ててから言葉を発した。


「まあ、校舎裏とか体育館裏とか、そういう無粋なところでもないし、とりあえず暴力的なことではない予定だから、心配する必要もないだろう」

「とりあえず、ってとこが、なんとなく不安なんだけど。あと、予定ってのは?」

「なに、簡単なことだ。逃げるのなら、不本意ではあるが、背後のヤツを、けしかけなければならないということだが、逃げないのなら関係ない話だからな」

「……つまり、逃げるなってことか」

「理解が早くて、助かるよ」


そういって、ハハハ、と笑う千恵。なんとなく、その笑いが怖くなって、歩みが遅くなる鈴太。と、


「厄介なヤツだろ」


ぼそり、と背後の男子生徒のそんな呟きが、鈴太の耳に入った。直後、


「聞こえているぞ、馬鹿ひろ」


鈴太よりもはるかに離れた距離を歩いているはずの千恵が、そんなことを口にした。その言葉に、ちっ、と男子生徒の舌打ちが聞こえる。

なんというか、仲が悪いのか、この二人? よくわからない状況に、鈴太はそんなことを考えながら、それからしばらくの間、千恵の先導で廊下を歩くことになったのであった。



それからしばらくして、校内の一角で、先を行く千恵が足を止めた。目の前には、木造のドアがあり、金属製のドアノブがついている。


「ついたぞ、ここだ」


そういうと、ノックをすることもなく、千恵はドアノブをまわして中に入る。鈴太もつられるように開けられた扉から中に入った。

部屋の中は、雑多なものであふれかえっていた。机やハンガー、パソコンやベッド、カセットコンロに戸棚など、雑多ではあるが、なにやら生活観にあふれている。

そして、部屋の中央には、二人の生徒がいた。一人は、部屋に先に入った千恵という生徒。そしてもう一人も、一応の顔見知りといえるべき相手ではあった。


「いらっしゃい、ええと、勇くんだったかしら?」

「……春野(はるの)さん、だっけ? 同じクラスになったんだよね」


先ほどのクラスメートの自己紹介で、覚えていた女生徒の名前を口にする鈴太。と、彼の背後から、ふん、という鼻息。

振り向くと、鈴太の背後についていた男子生徒が、ドアをいささか乱暴に閉めているのが見えた。その様子に、軽い笑いを浮かべたのが、千恵である。


「命拾いしたな、もし、ひなを下の名前で呼んでいたら、問答無用で殴りかかられていただろうな」

「え」

「ま、馴れ馴れしいかどうかの判断は人それぞれだが、そいつはいささか極端だからな。それもまた、人間味のひとつだとは思うが」


知らぬ間に、生死の判別をされてるって、どんな状況だよ……千恵の言葉を聴きながら、鈴太は、めまいに似た疲労感が肩にのしかかるのを感じていた。

そんな彼を面白そうに見つめながら、千恵は自分の胸に片手を当てて、それはそれは可愛らしく、小首をかしげたのだった。


「まあ、いろいろと話すことはあるが、まずは自己紹介をするべきだろうな。お互いのフルネームをはじめ、知るべきことは多くあるだろうからな」

「そうよね、ちえちゃん。自己紹介は大切だものね」


と、千恵の言葉に賛同するように、春野と呼ばれた少女が、嬉しそうに両手を合わせながら微笑を見せる。

ふわふわのウェーブのかかったロングヘアが、綿毛のようにふわりと広がるような、そんな暖かな雰囲気の女の子は、鈴太に向かってやさしく微笑みを見せた。


「あらためまして、春野ひなたです。みんなからは、ひな、って呼ばれてるわ」

「もし呼んだら、殴るがな」


ぼそり、と背後から剣呑な呟きが聞こえてきたのは、まさに直後であった。本気なのが丸わかりな呟き声に、鈴太の額に冷や汗が流れる。

器用に音量を調節しているのか、ひなには、その呟きが聞こえている様子はなかったのだが。


「? どうしたの?」

「や、なんでもないですよ、春野さん」


ごまかすように、笑いながら言う鈴太、対するひなは、どことなく不満そうである。そんな様子を見ながら、やれやれ、というふうに肩をすくめる千恵。


「まあ、呼び方は人それぞれだからな。で、そこのムスッとした顔のやつは、音梨鷹弘(おとなし たかひろ)――――名と態度がまるきり一致しないやつだ」

「おとなし――――ああ、なるほど」


おとなしいという言葉とは正反対の気配ばりばりの様子に、苦笑する鈴太。しかし、その程度の反応は慣れているのか、不満そうな顔のまま、その場に立っていたのだが。


「そして、私の名前は日傘千恵。まあ、二人の保護者のようなものだな。ちなみに、こんな格好をしているが、女子なんでよろしくな」

「ああ、何だ、やっぱり女子なのか。男子の制服を着てるから、どうなのかなって思ってたんだけど」

「……まあ、いろいろと事情があってな。そのあたりのことは、気が向いたら話すかもしれないな。さて、こちらの自己紹介が終わって、後は君なんだが」


千恵に話を振られ、鈴太は少しだけかしこまった表情になった。いつの時代も、自己紹介をするというのは緊張するものである。


「俺の名前は、勇鈴太(いさお れいた)。勇気の勇で、いさお、鈴に太いってかいて、れいた、って読むんだ」

「ふーん…………じゃあ、勇気の勇でゆーくんって呼べばよいかしら?」

「え、いや、それはちょっと」


と、鈴太の自己紹介を聞いて、ほんわか笑顔で聞いてきた、ひなに、鈴太は少し恥ずかしくなって、困惑したような顔をする。

初対面に近い女生徒に、いきなり愛称をつけられれば、さすがに戸惑うだろう。加えて、なんというか、鈴太の後方から剣呑な気配が飛び始めているのも感じていた。

その剣呑な気配は、まぁ、嫉妬めいた音梨という男子の殺気なのだが、それに気がついていないのは、ひなという女の子だけだろう。

そのひなは、というと、鈴太の態度に、あれ? と小首をかしげた。どうやら、自分のアイデアが不評なのをしって、おかしいなあと思っているようである。


「気に入らなかったのかしら? かわいくなかったかなぁ……それじゃあねぇ、苗字と名前をつかって、ユーレイくんって、どうかしら?」

「って、なんだそりゃ!?」


と、今度のはさすがに変だと、先ほどとは違った意味で突っ込みをいれる鈴太。しかし、不満に思ったのは、どうやら彼だけであったようである。


「は、そりゃいい。ある意味、こいつには、お似合いの呼び名じゃねえの?」


と、音梨が痛快そうに笑い出したかと思えば、千恵は千恵で真面目そうな表情で、人差し指を唇に当てると、


「まあ、ある意味で立場を明確に表しているし、呼び方としても呼びやすく忘れづらく印象に残る……悪くはないんじゃないかな」

「じゃあ、ユーレイくんに決定ね」


わーい、と無邪気に喜ぶ、ひな。対照的に、さすがに不機嫌そうになったのは鈴太であった。

いきなりわけもわからず連れ出された挙句、ユーレイ呼ばわりは、さすがに腹を立てるに十分だったようである。


「結局、いったい何なんだ、あんたらは。人を幽霊呼ばわりするために、こんなとこに連れ込んだのか?」

「………」

「………」

「………」


と、鈴太の言葉に、顔を見合わせる、ひなと千恵。音梨も、なぜか言い返すこともせずに沈黙する。

その様子に、さすがに怪訝に思ったのか、鈴太は戸惑った様子で、ひなや千恵を見る。


「な、なんだよ」

「うーん、あのね……ユーレイ君、ここって、何の部屋かわかる?」


困惑した様子の鈴太に、おずおずとした様子で、ひなが鈴太に質問を投げかけた。その言葉に、鈴太は室内を見渡す。

部屋の中には、雑多なもの。机やハンガー、パソコンやベッド、カセットコンロに戸棚……改めて考えると、何に使う部屋なのだろうか。


「なにって、物置かなんかじゃないのか?」

「はあ? アホかお前、ここはー」

「文芸部だよ」


と、鈴太の言葉に、音梨の呆れた言葉と、千恵の淡々とした言葉がつながった。

音梨の言葉を途中からつなげるように、千恵は皮肉めいた笑みを浮かべながら、鈴太を見据えて肩をすくめる。


「ちなみに、ひなは部長。音梨は副部長。私は、まあ、好きに呼んでくれればいいが、2年の部員は全員で4名、さて、あとの一人は誰でしょう」

「誰って――――あれ?」

「ようやく、気がついたか――――というか、忘れてただろう」


そういって、男装の少女、千恵はシニカルな笑みを、端正な顔に浮かべた。


「文芸部の最後の一人、それは君だよ。幽霊部員の、ユーレイ君」


勇鈴太――――本人もすっかり忘れていたが、昨年から文芸部に所属していた、文字通りの「幽霊」部員だったのである。



松崎高校には、いくつもの部活動が存在する。その規模は大から小まで様々にあるが、その中でも文芸部は、かなり大掛かりな部活動として認知されていた。

それほど、スポーツ特待生に力を入れているわけでもない分、文科系の部活にもそれなりの数の生徒が、毎年流れている。

昨年も、文芸部は20名を越える大所帯であり、文化祭をはじめ、多くの行事に参加し、成果を挙げていた。だが、今年になって問題が発生したのである。


「もともと、この学校では、3年生になると、ほとんどの生徒は部活動に参加しなくても良いようになってるの」

「松崎高校は、公立の高校で、一応は進学校だから、3年生になったら、部活に在籍だけして、受験勉強に専念する生徒が大半らしい」


ひなの言葉を補足するように、千恵が話をつなげる。ちなみに今はお昼時――――文芸部室内のテーブルを囲んでの昼食を食べつつ、話の続きをしている最中だった。


「――――つまり、3年になったら、ほぼ自動的に幽霊部員になるってことか」

「まあ、別に参加しても構わないが、大学受験に専念したほうが結果が良くなるなら、どちらをとるかは自明の理だろう」

「それで、3年の人たちがいなくなっちゃったら、2年の私たちの人数が4人しか残ってなくて、大変なの」

「文芸部20人超――――といっても、その大半は現在の3年生が占めていたからな。いずれこうなることは、分かっていたんだが」


ため息混じりにいいながら、手製の弁当箱につめられた、スパゲティをフォークで巻き取る千恵。その言葉に、ん? と何かひっかかるのか、首をかしげる鈴太。


「こうなる事が分かってた? それだったら、何かしら方法があったんじゃないのか? いまになって、バタバタしてるって感じだけど」

「今の3年生は、私たちに問題を丸投げするみたいだったからな。自分たちの世代は、面子がそろってるし、下級生のことまで構う気はなかったんだろう」

「じっさい、俺らだって立場が同じなら、そうするだろうしな。一概に無責任だって、上級生(先輩たち)を責めるわけにもいかんだろ」

「――――なんか、意外だな。物分りがいいというか、なんと言うか」


大口を開けながら、おにぎりを頬張りながら言う音梨の言葉に、鈴太は少し意外だという表情を見せる。

てっきり、上級生を全員ぶちのめしたいとか、足腰立たなくするまでぶん殴ってやるくらいはいいそうだと思っていたのだが。

鈴太の考えていたことを察したのか、千恵は一口サイズに切ったハンバーグにフォークをつきたてながら、からかうような口調を向ける。


「音梨の場合、腹を立てることがあっても、分別はつけるからな。実際、今の3年部員の大半が女性となれば、怒りにくくもなるんだろう」

「………あいつらは、苦手だ。怒るか泣くか、予想がつかんし、手を上げるわけにもいかないしな」

「――――なるほど」


苦労してたんだな。と、同情めいた視線を向ける鈴太。文科系の部活の場合、男性の肩身が狭くなるのは、どこも同じのようであった。


「そんなわけで、3年は居ないものと考えていい。どの道、来年には完全に居なくなるし、頭数として数えるわけにもいかないだろう」

「でも、そうすると、部活動として成り立たなくなっちゃうから、今は猫の手でも借りたい状況なの」

「そういうわけで、幽霊部員であるユーレイを召集したわけだが、事のあらましは大体理解できたか?」

「……まあ、だいたいは」


(つまり、かつて大量に居た部員が居なくなった文芸部が、不足しそうになった人員補充の為に、幽霊部員の俺を呼びつけたってことか。

まあ、別にそのことについて不満はない。部活を止めたわけじゃないし、むしろ1年間、幽霊部員だったことは申し訳ないと思えるくらいだ。

不満と呼べるものがあるとすれば――――)


「で、今後のことなんだが、ユーレイを含めたこの4人だけじゃたりないから、新入生から新たに部員を募ろうと――――」

「てか、その前に、その呼び名をまず何とかしろ!」

「んー? 何か不満なのか、ユーレイ」


食べ終えたランチボックスを片付けながら、きょとん、とした表情で、鈴太のことを見返してくる千恵。

食後のお茶を、そっと出してくる、ひなに微笑みながら、片手に湯飲みを持ち、すっかりくつろぎムードのご様子である。

部室の備品なのか、部屋の片隅にあるカセットコンロでお湯を沸かし、そのお湯でつくったお茶を入れた湯飲みを、ひなは鈴太の前にもおく。


「はい、どうぞ。ユーレイくん用の湯飲みは、これにするね。男の子用の湯のみだと、かっこいいのがよいだろうし」

「あ、どうも、ありがとうございます。じゃなくて、そのユーレイって呼び名は止めてほしいと」

「え~……」

「いや、そんな残念そうな顔をされても」


幸せそうな顔の眉毛だけをへの字にして、しょぼん((´・ω・`))とした顔をするひな。その様子を見ていた音梨が、お茶を一息に飲み干して一言。


「お前、ひなの付けた名前に文句があるのか?」

「………………ありません」


あるっていったら、殴るぞ。と暗に言われているのがわかり、肩を落とす鈴太。

けっきょく、彼の呼び名はユーレイで落ち着きそうであった。



「で、なんだっけ? 新入生から新部員を集めるって言ってたんだよな」


食後のティータイム。どこから出したのか、プラスチック製のまな板と、小型の包丁で羊羹(ようかん)を切っている、ひなの様子を横目に見ながら、鈴太は千恵に話を振る。

乗りかかった船、というか、背中を突き飛ばされて半ば強引に乗船させられた感もあり、まあ、いまさら逃げ出せるはずもないかと居直ったようすである。

鈴太の言葉を受けて、足を組んだ姿勢で食後のお茶をすすっていた男装の少女は、彼の言葉に、首をゆっくりと縦に振った。


「そうだ。幸いなことに、今は春先だからな、まだ部活を決めかねている新入生も居るだろう。なんとしても、そういった相手を手に入れなければならない」

「楽観するわけじゃないけど、文芸部に入りたいっていう新入生も居るんじゃないか? 毎年、百人前後は入学するんだし、何名かはそういう生徒も居るんじゃないかな」

「あまり、過度の期待はしないほうがいいと思うけどな。実際、昨年――――今の2年生にはそういう生徒はゼロだったらしいし」

「………ゼロ?」

「まあ、時代の流れというやつだな。文芸活動なんて、部活に参加しなくても、個人でやる生徒も居るだろう。むしろ、おととしが異常だったのかもしれない」


重々しく、そんなことをいいながら、嘆かわしいことだ、と呟く千恵。


「俺も、こいつも、ひなが文芸部に入部したから、仕方なしに入ったって感じだからな。ひな自身も、前の部長に強引に勧誘されたわけだし」

「前の部長――――ああ、朝子さんか」

「知ってるのか?」


鈴太の言葉に、少し意外そうな顔をする音梨。幽霊部員で1年間過ごしているから、前の部長のことを知ってはいないと思っていたようだ。

そんな音梨に、苦笑を浮かべながら、頭をかく鈴太。


「いや、俺も朝子さんに、強引に入部届けにサインさせられた口だったから」

「……結局、元凶はあの人か。まあ、あの人の行動力なら、私たちではなく、いずれ誰かが犠牲になっていただろうが」

「犠牲って、そんな、朝子さんは悪い人じゃないわよ、ちえちゃん」

「まあ、確かに悪人ではないがな。悪気がない分、悪人よりたちが悪いが」


千恵のその言葉に、返答はない。なんというか、反論を出せない説得力が、その一言にはあったのである。


「……話がそれたな。ともかく、あまり過度の期待はしないほうがいいということだ。とりあえず、地道に勧誘を行っておいて損はないだろう」

「まあ、それはそうだな。けど、見知らぬ1年に声を掛けるってのも、少し緊張するな。そういえば、勧誘するのは別に男女問わずで良いんだろ?」

「ああ、私は別に構わないが、副部長がなんていうかな」

「副部長?」


そういって、千恵が指差すほうを鈴太が見ると、そこには鬼気迫った顔の男子が一人。


「却下だ。これ以上、ひなの周りに野郎を増やさせてたまるか!」

「……だ、そうだ。まぁ、私としても、できれば女子の後輩のほうが扱いやすいし、ひとまずは女生徒に的を絞って勧誘するとしよう」

「――――俺的には、下級生の女子に声を掛けるほうが大変なんだけどな」


選り好みできる状況じゃないはずなのに、ハードルが自動的にあがってるな、と力なく肩を落としてため息をつく鈴太。

そんなこんなで、文芸部の存続の為に、下級生の発掘に力を注ぐことになったのである。当面の目標を考えながら、千恵が重々しい口調で口を開く。


「現在は2年生が4名。部活動として体裁を整えるためには、せめてあと2、3人は欲しい所だな。それでも最小限、部活として認可される規模なんだが」

「そう考えると、昨年は大所帯だったんだな」

「まあな。割と騒々しかったぞ。それもまぁ、悪くなかったがな」


鈴太の言葉に、思うところがあったのか、千恵がぽつりとそんなことを言う。なんだかんだといいながら、やはり、文芸部に愛着があるのだろう。

幽霊部員だった鈴太には、そこのところがいま一つ分からない。ただ、ほんの少し、考えてしまった。

もし、俺が幽霊部員じゃなくて部活に顔を出していたら、彼らとももっと仲良く慣れていたんだろうかなと。いまさら、考えても仕方のないことだったけど。




それから数日後、校内の掲示板に、鈴太の姿があった。その手には、数十枚のビラが抱えられている。

ビラに描かれているのは、文芸部員を募集するという内容と、活動場所である文芸部室の位置が書かれていた。

彩りのつもりか、コミカルタッチな、多分、ひなをデフォルメした小さな女の子がペンを持った絵が、モノクロコピーで印刷されているそれを、鈴太は掲示板に貼り付けていた。


「下級生の女子に声を掛けるのは、さすがに難しいだろうし、音梨とユーレイは、まずはあちこちで草の根活動だな。とりあえず、このビラをあちこちに貼ってくれ」

「これって、日傘が作ったのか?」


放課後、鈴太が文芸部の部室を訪れると、前々から用意があったのか、大量に刷られたビラを、千恵から渡されたのである。

ビラの山を前にした鈴太の問いに、自信満々な様子で、千恵は笑顔を見せる。かなり手間を掛けたのか、ほめられるのを心待ちにしていたようであった。


「ああ、なかなかに良く出来ているだろう? 自信作なんだ」

「そうか? というか、これって、ひなのつもりかよ。目、おかしいんじゃね?」

「……聞こえているぞ、馬鹿ひろ」


笑顔そのままに、額に青筋を出しながら、千恵はビラに目を通している音梨を見る。どうやら、機嫌を損ねたようであった。

音梨はというと、そんな千恵の様子を意に介さず、チラシと、モデルとなった、ひなを見比べて、ポツリと一言。


「やっぱ、似てねー」

「馬鹿ひろは、ノルマ倍な」



と、そんなやり取りがあったのは先ほどである。おかげで、多少の量の軽減はなされたものの、それでも数十枚のチラシを鈴太は受け持つ羽目になった。

まずは妥当なところからと、校内のあちこちの掲示板に、ビラを貼り付けることにした鈴太は、あちこちを回って、ビラを画鋲(がびょう)で貼り付けている最中である。

春先の校内掲示板には、鈴太の持つビラと同様に、各部活の勧誘のビラが貼られ始めている。運動系に文科系、それに、小規模なサークル活動など様々であった。


「よし、ここは、これでいいかな」


掲示板の隅、開いているスペースにビラを貼り付けると、鈴太は満足そうに頷く。絵つきのビラはそれなりに目立っており、効果は多少はあるのではないかと思えるのだった。

一通り、掲示板に張って、あとは、どっかでビラまきでもするかな。そんなことを考えながら、鈴太は場所を移動する。

そうして、校内を一通り歩きまわり、掲示板のすべてにビラを貼り終えたと思ったころであった。



「…………あれ? ここって、さっきビラを貼ったはずだよな」


校内の掲示板にビラを張り終えて、一息つこうかと思っていた鈴太は、ある掲示板の前を通りかかり、怪訝そうな表情になった。

そこは、校内の掲示板の中でもひときわ大きな掲示板。そこの隅にも、先ほど文芸部のビラを貼ったはずなのだが――――その場所には、何もなかった。

いや、よくみると、ビラの張ってあった場所の四隅に、画鋲が刺さっていた。その画鋲の周りには、千切れた紙切れ。これは、


「ひょっとして………やっぱり」


ふいにいやな予感がして、近くのゴミ箱を見ると、そこには、くしゃくしゃに丸められた、ビラだったものが捨てられていたのである。


「なんだよ、誰か知らないけど、ひどいことするなぁ」


不満げに呟きながら、鈴太は手に持ったビラの一枚を、改めて同じ場所に張りなおす。

そうして、ビラを貼りなおししながら、ふと、鈴太はどことなく不安そうな表情を顔に出した。


「しかし、ここだけなのか………? なんか、いやな予感がするな」


いやな予感というのは、えてして外れないものであり、今回もそれは的を射ていた、鈴太が別の掲示板に移動してみると、そこでも同じように、ビラが捨てられていたのである。

次も、次も、そのまた次も――――回る先から、文芸部のチラシだけが破り捨てられていて、鈴太をげんなりさせた。


「ここも………って、一周してきたのか」


そうして、最初の異変があった掲示板にもどった鈴太だったが、校内を一周している間に破られたのか、また、文芸部のチラシがなくなっていたのである。

このままじゃきりがないな、そう思った鈴太は、この場で犯人を待ち伏せすることにした。

さすがに、こんなことをしていたらチラシも足りなくなるし、貼ったはしからチラシを破かれてばかりでは、さすがに腹もたつというものだった。

先ほどと同じように、チラシを画鋲で貼り付けると、鈴太は近くの物陰に身を隠した。さすがに人目がある場所では、犯行に及ばないのではと思ったのである。

そうして、十分ほど待った頃だろうか。人気の少ない廊下に、軽い足音。耳を澄ましていると、掲示板の近くでなにやら、紙が破れるような音が聞こえた。


「おい、なにをしてるんだ!」


そういって、廊下に飛び出す鈴太。タイミングは、完璧だった。チラシをまさに今破っていた犯人は、その手にチラシの残骸を持って、鈴太のほうに顔を向けたのである。

ただ、その相手が――――赤いリボンの制服を身にまとった、小さな下級生の女の子だったのは、予想外であったのだけど。


「お、女の子?」

(うらら)に何か用件でしょうか?」


と、これっぽっちも悪びれもせず、下級生の女の子は、至極真面目な表情で鈴太に向かって首を曲げて質問をしてくる。

一瞬、呆然となった鈴太だったが、女の子が手に持ったビラを見て、ハッと我に返った。ビラを破る犯人を捕まえようとしていたことを思い出したらしい。

しかし、男子ならともかく、女子を頭ごなしに怒鳴るのも気が引けたのか、鈴太は目の前の少女に、ひとまずは穏当に問いかけることにした。


「用件というか、なんでビラを破いているんだ? そのビラは、俺が貼ったものだし、破かれるのは困るんだけど」

「ああ、ということは、文芸部の先輩でしたか。申し訳ありません、(うらら)的には正当防衛のようなものでしたので」


そういうと、ぺこりと頭を下げる少女――――麗と名乗った彼女の言葉に、鈴太は目をしばたかせた。


「は? 正当……防衛?」

「はい、未来の大作家を目指す麗にとって、ライバルは少ないほうが良いです。

 なので、勧誘のビラを、誰かに見られる前に破り捨てておけば、麗以外に入部する人も居なくなるかと」

「それのどこが、正当防衛だ! 立派な勧誘妨害だろ!」

「まあ、そう取れなくもないかもしれませんが、あまり細かいことを気にしても仕方ないと、麗は思いますが」


まったく、反省の色も欠片もない、麗と名乗る少女の様子に、鈴太はため息を付く。

この手のタイプには、なにを言っても無駄なんだと、これまでの人生で学んでいるかのようであった。


「ともかく、入部希望者なんだな。それじゃあ、いくぞ」

「いくとは、どこでしょうか? はっ、まさか上級生お得意の、校舎裏への呼び出しとか、そういうのでしょうか?」

「違うって、文芸部に入りたいなら、まずは部室に顔見せに行くべきだろう? どうせ部室の位置も知らないだろうし――――っと、その前に」


またまた破られたビラの位置に、同じようにビラを貼りなおす鈴太。その様子を見て、麗という少女は不満そうな表情を見せる。


「ですから、麗的にはライバルを増やされるようなことは困るのですが」

「そう考えるから、変な気を起こすんだろ? ライバルじゃなくて、仲間が増えると思えばいいじゃないか」

「…………」

「それか、手下とか部下が増えると思えば、こういうのも悪くはないんじゃないか」

「――――おぉ」


冗談めいた鈴太の口調に、しばらく考えた後、麗という少女は、感心したようにポンと手をうつ。

どうやら、彼女的には、ライバルはともかく、手下や部下が増えるのは。ぜんぜんオッケーらしい。


「とにかく、もうビラを破ったりはするなよな」


そういって、歩き出す鈴太。麗は、歩き始めた鈴太の後姿をじっと見た後で、チョコチョコとした歩調で、彼の後につきしたがって歩き出したのだった。

文芸部に向かうまでの道すがら、廊下を歩きながら、鈴太は隣を歩く、麗と名乗った少女を見る。

松崎学園の制服に身を包んだ少女は、腰まで届くくらいの長い髪の毛を、大まかにリボンで束ねている。

ぱっと見る限りでは、それなりに可愛らしい容姿をしているが、言動や行動は、かなり変わっているのは、先ほどの短い会話の中でもなんとなく察することが出来た。


「そういえば、自己紹介がまだだったな。俺は勇鈴太(いさお れいた)。2年生だ」

「麗は、1年生の文月麗(ふみづき うらら)といいます。どうぞ、麗と呼んでください」

「ふぅん、文月、麗か。よろしくな、文月」

「麗と呼んでくださいといったじゃないですか。麗は、自分の苗字はあまり好きではないのです」


鈴太の言葉に、不満そうに、そんなことを言う麗。その剣幕に、鈴太は苦笑する。


「そうか、悪かったな。ええと、麗」

「はい、許して差し上げます。ところで、麗は先輩のことをどう呼べばよろしいのでしょうか?」

「どう呼べばって……好きに呼んでくれればいいけど」

「ほかの人は、先輩のことをなんと呼んでおられるのですか?」

「あ――――……ユーレイ」

「はい?」


鈴太の言葉に、小首を傾げる麗。そんな彼女に、鈴太は歩きつつ、苦笑を浮かべながら肩を落とす。


「俺のことは、みんなユーレイって呼んでるんだ。何でそう呼ばれているのかは、まあ、事情があって」

「ユーレイですか。では、ユーレイ先輩と麗も呼べばいいのですね」

「…………一応、勇鈴太って名前なんだけどな、俺」


もう、自分の呼び名はユーレイで確定なんだなと、半ば観念したかのように、鈴太は天を仰いで見た。屋内なので、そこには天井しか見えなかったのだが。



「ところで、ユーレイ先輩、ひとつ、お伺いしたいのですが」

「ん? なんだ?」


廊下を歩きながら、文芸部に向かう途中で、今度は麗のほうから、鈴太に向かって話を振ってくる。

彼女の声に、鈴太が歩きながら麗のほうを見ると、麗は彼女の癖なのか、こめかみに中指と人差し指を当てながら、鈴太に向かって質問をする。


「文芸部の部室には、パソコンはあるのでしょうか?」

「パソコン? ああ、何台かあったかな」


そういえば、パソコンを使っているのを、まだ見たことないけど、あれって動くのか?

文芸部の片隅にでんと鎮座していた、デスクトップ型のパソコンを思い浮かべて、鈴太は内心でそんなことを考える。

彼自身は、文芸部に入って、というか、復帰して日が浅いため、部室にあるパソコンに触ったこともなかったのであった。

ちなみにここ数日、ミーティングと称して、文芸部室で、ひなの淹れたお茶を飲んだり、千恵や音梨と世間話の類をしたことはあった。

その間も、パソコンの電源が付いていたことはなかったし、動くかどうかも、疑問なところではある。


鈴太の言葉を聴き、麗は意気込んだ様子で、鈴太のほうに顔を向ける。なにやら、目がキラキラと輝いているのが分かった。


「それって、麗にも使わせてもらえるのでしょうか?」

「それは聞いてみないと分からないけど……麗は、パソコンが使いたいのか?」

「はい。やはり今の時代、文芸活動にはパソコンが必須かと」


両手をぐっと握り締めて、意気込んだ様子を見せる麗。どうやら、彼女なりのこだわりが、あるようである。


「というかぶっちゃけ、麗はペンを持って文字を書くのもめんどくさいので、ワープロソフトを使わせていただかないと困るのです」

「――――ちょっとまて、自称、未来の大作家。というか、パソコンを使いたいって理由はそれか!」

「そうですよ。どのみち、原稿を印刷するときには原稿用紙から、編集ソフトに文字を入力して印刷するわけだし、二度手間になるじゃないですか」

「……まあ、それはそうだろうけど」

「それに、麗はこう見えて、国語は苦手なのです。漢字変換が出来るワープロソフトがなければ、誤字脱字だらけ(作品が悲惨なこと)になるのは間違いありません」

「自信満々に言うことか!」


えっへん、と小柄な身体をのけぞらせるように胸を張る麗に、思わず突っ込みを入れる鈴太。

ペンより重いものを持ったことがないとはよく聞くが、ペンを持つのも面倒くさいというのは、いかがなものだろうか。



「まあ、そのあたりは自分で交渉してくれ。とりあえず、ついたぞ」


無駄話に近いことを話している間に、鈴太と麗は、目的地である文芸部の部室前に着いた。

とんとんと、扉をノックする鈴太。誰かいるかと確認のためのノックだったが、どうやら、誰かが先に戻ってきていたようである。


「は~い」


と、間延びした声とともに、扉が開けられて、中から顔を出したのは、部長の、ひなたであった。

ひなは、扉の前に立っていた鈴太を見て、ほんわかとした微笑を浮かべる。


「あ、ユーレイくん、お帰りなさい」

「どうも、春野さん。日傘と音梨は戻ってきてるんですか?」

「ちえちゃんは、鷹くんの様子を見に行ったわ。サボってないか、心配してたみたいだけど……ところで、その子は?」


鈴太の後ろ、彼の背中に隠れながら、こそこそと、様子を伺っている麗を見つけたのか、ひなが小首を傾げて鈴太に問いたずねた。


「ああ、ビラを貼ってるときに出会ったんだけど、入部希望者ですよ。ほら、麗、この人が文芸部の部長の春野さんだ」

「はじめまして、文月麗です。どうぞ麗とおよびください」


鈴太に声を掛けられた麗は、前に進み出て深々と頭を下げる。彼女の言葉に、ひなは、花の咲くような笑顔を見せた。


「あら~、そうなの。良かったわ、1年生で初めての入部希望者ね。私は春野ひなた。ひな、って呼んでくれれば嬉しいかな」

「ひな部長ですね。よろしくお願いします」

「ええ、これからよろしくね、麗ちゃん」


そつのない笑顔を見せる麗と、無邪気に笑う、ひな。その対照的な様子に、鈴太は何とかうまく付き合えそうだなと、そんなことを思った。


「それじゃあ、立ち話もなんだし、部室に入りましょうか。ほかの人が戻ったら、お茶を淹れようと思っていたの」


ひなは、そういうと、部室のドアをあけて、中に入っていく。その後を追って、麗と鈴太も文芸部室に入った。

相変わらず、雑多なものであふれている文芸部。その片隅で、どんと鎮座をしているデスクトップ型のパソコンを見て、麗の目が輝いた。


「おお、文明の利器が、こんなところに! 電源をつけてもいいんでしょうか? ネットには繋がってるんでしょうか!?」

「麗ちゃんは、パソコンが使えるの?」

「ええ、それなりには……ひな部長、パソコンを使っても、よろしいのでしょうか?」


電源をつけたくて、うずうずしているといった様子の麗。カセットコンロにヤカンをくべて、お湯を沸かしていた、ひなは、麗の問いに、ん~、と首をかしげた。


「そうね、ちょっと、ちえちゃんに聞いてみないと分からないかな?」

「ちえちゃん? ちえちゃんとは誰なんですか、ユーレイ先輩」

「誰って言われても、俺と同じ、2年の部員だよ。そうか、今の面子の中で、パソコンを使うのは日傘ぐらいなものだよな」


麗に問われた鈴太が、納得したように口にしたとき、折りよくというか、うわさの主が、ノックもなしに部屋に戻ってきたのは、その時だった。

男装の少女である、千恵と、その千恵に引っ張られるように、音梨が部屋に入ってきた。


「ただいま帰ったぞ、ひな。お茶をくれ」

「あ、お帰りなさい、ちえちゃん、鷹くんも、おつかれさま」

「………おう」


笑顔で出迎えるひなに、千恵も音梨も相好を崩すが、すぐに見たこともない1年生の女子が居ることに気づき、怪訝そうな顔になった。


「君は?」

「はじめまして、文月麗です。入部しにきました。麗とおよび下さい」

「ユーレイくんが、連れてきてくれたのよ」


ぺこりと頭を下げる麗の言葉に、ひなが嬉しそうに補足説明する。その言葉を聴き、へぇ、と感心した様子で千恵は鈴太に顔を向けた。


「そうなのか、ユーレイのお手柄だな」

「たまたまだよ。あ、そうだ。渡されたチラシがなくなりそうだから、新しい分を用意してほしいんだけど」

「なに、もうなのか? あれだけの量を、一日で裁けるとは思ってなかったんだが、どういう使い方をしたんだ?」

「まあ、主に新人勧誘のための、尊い犠牲、かな」

「?」


まさか、麗に片っ端から破かれました、とはいえず、適当な言い方をする鈴太に、千恵は、よく分からないといった表情を見せる。

もっとも、麗がじー……と、千恵を見つめていたので、そういった困惑した表情はすぐに引っ込め、咳払いをひとつした後で、真面目そうな表情に戻ったわけだが。


「ともかく、ようこそ文芸部に。私は日傘千恵。こちらの男は、音梨鷹弘だ」

「ええと、音梨先輩と、日傘先輩ですか……ひな部長が言っていた、ちえちゃんというのは?」

「ああ、それは私だ。日傘千恵――――こんななりをしているが、女なんだ」

「…………なるほど、日傘先輩は、千恵先輩でもある、と。しかし、弱いですね」

「――――弱い? なにがだ?」


麗の言葉に、何のことだろうと首をかしげる千恵。そんな彼女を指差して、麗は大真面目な表情で、きっぱりといった。


「キャラとして、弱いのです。いまどき男装の女の人など、物語の中では履いて捨てるほど居ます。キャラとして、押しが弱いと麗は思うのです!」

「…………ユーレイ、ちょっと」

「ん、なんだ?」


ちょいちょい、と手招きをされて、千恵に近づいた鈴太だが、つきの瞬間、襟首を掴まれると、千恵に密着するくらいの近くまで顔を近づけられた。

さすがに、新入部員に怒鳴るのもどうかと思ったのか、怒りの矛先は、麗を連れて来た鈴太に向けられたようである。

頬が触れそうなくらいまで顔が近づいているのに、ちっとも嬉しくないのは、千恵がものすごい目つきをしているからだろう。


「なんだ、あのクソ生意気な、可愛いさかりの一年生は?」

「いや、何だといわれてもなぁ……そもそも、新入生の性格まで責任もてないぞ」

「まあ、そうなんだが、あの性格は釈然しないというか、気に入らないというか」


(……それは、同属嫌悪ってやつじゃないのか?)


憮然(ぶぜん)とした表情になった千恵が顔を離し、鈴太をほっとさせた。先ほどは剣幕で気にならなかったが、やはり同級生の女子と顔を近づけるのは、恥ずかしいところがあった。

そんな二人の様子を見て、なにをやってんだか、と呆れた様子で、音梨は部室の備品であるパイプ椅子に腰掛ける。

音梨が椅子に座ったのを見計らってか、彼専用の湯飲みにお茶を淹れた、ひなが、にこやかな表情で音梨の前にお茶を差し出した。


「はい、お疲れ様、鷹くん」

「……おう」


ぶっきらぼうな応答をしながら、ひなの淹れたお茶の入った湯飲みを手に持つ音梨。

いつもどおりの無愛想な様子ではあったが、知っている人間から見れば、それが照れ隠しであることは一目瞭然であった。

まあ、違いといえば、わずかばかりに口元が笑っているだけで、大きな違いは見受けられなかったのであるが。

そんな上級生の様子など、意に介さないといったように、麗はというと、パソコンの前にスタンバイして、改めて千恵に確認の問いを投げかけてきた。


「千恵先輩、千恵先輩、麗は、パソコンを使ってもよろしいでしょうか? ひな部長から、パソコンを使っていいか、千恵先輩に聞くように言われたのですが」

「………勝手にすればいい。あ、一部プロテクトを掛けているから、そのあたりは弄らないようにな」


とことんマイペースな後輩の様子に、付きあってられん、といった様子で、どっかりと椅子に腰掛ける千恵。

心得たもので、千恵が椅子に座ってすぐに、ひなが、入れたてのお茶を千恵に差し出してくる。気を取り直したように、お茶をすする千恵。


「~~~♪ ~~~♪」


許可をもらった麗はというと、うきうきした様子で、パソコンの前に座りだすと、早速、電源を入れて動かし始めているようであった。

熱心だな。と、少し感心した様子の鈴太は、お茶の湯のみを片手に、麗の動かしているパソコンの画面を見ようと、後ろに移動した。


パソコンの画面には、ワープロソフトの画面――――ではなく、そこに映っているのは、


「よし、敵機(サク)撃墜」

「って、ゲームをやってんのかよ! 文芸活動はどうしたんだ!」


パソコンの画面に映っているのは、ネットのブラウザと、ゲーム画面。文章を書くわけでなく、ゲームに興じていたようである。

いつの間にか、パソコンに自前のイヤホンを差し込んで、すっかり遊びに浸っていた麗は、鈴太の言葉に、イヤホンを外しながら振り向いた。


「これも文芸活動の一環ですよ。ゲームとはいえ、リアリティのある、機械や兵器の演出を学ぶのも必要なことなのですから」

「………本音は?」

「学校でもゲーム(ネトゲ)が出来て、麗的には満足です」


じと目で聞く鈴太の問いに、大真面目に返答する麗。さすがに、呆れてものが言えないといった様子の鈴太。

そんな二人のやり取りを耳にしながら、飲み干した湯飲みを片手に、千恵が麗に釘を刺すように声を掛けたのはそのときだった。


「――――ネトゲで遊ぶのは構わないが、私もログインするから、アカウントが重複しないように、どこかに表示させておけよ」

「了解しました、千恵先輩」

「って、お前もかよ!」


ただ、釘を刺す位置と場所が、いささかずれているようであったが。真面目に文芸活動をする気の、欠片らもなさそうな部員ばかりの文芸部。

こんなんで、これから大丈夫なのか? と、いまさらながらに心配になった鈴太であった。

もっとも彼自身にしても、いままで文芸活動をやったこともない、もと幽霊部員だったのであるが。




それから数日後、新学年となって、平常授業を終えた放課後に、鈴太は新たに刷られたビラを抱えて、校内をうろついている最中だった。

めでたくも1名の進入部員が出来たものの、もちろんたった1名では足りないため、今日もこうして、勧誘活動にいそしんでいるのであった、


「さて、どうにか新入生を確保しなきゃいけないけど、なかなか上手くはいかないもんだよなぁ」


ここ数日は、ビラを破かれるようなトラブルこそなかったものの、新入生の勧誘ということに関してはさっぱりだったのである。

いちおう、校内のあちこちにビラを貼ったり、1年の教室付近で、慣れないなりに、勧誘活動をしてみたが、結果が付いてくることはなかった。

まあ、意外にやってみると、1年生もそれなりに打ち解けた様子で話をしてくれるものだった。

ただ、ほとんどの生徒は、やはり入りたい部活動を決めているようで、鈴太としても無理強いしようとは思わなかったのである。


今日は、場所を変えてみようか。鈴太はそんなことを考えながら、校内を歩き、中庭に差し掛かった。

放課後の、この時間、中庭にはそれほど人は居ない。ここはあまり、期待できそうにないな。そんなことを考えながら、鈴太は木々の立ち並ぶ中庭を歩く。

と、立ち並ぶ木々のこずえに、一人の女生徒の姿があった。スケッチブックを片手に、何かを書いているようである。

鈴太が足を止めて、なんとなく見ると、そこには中庭の風景が、丁寧なタッチで描かれていた。


「へえ、上手なもんだな」

「!?」


思わず呟いた鈴太の声に、びくりと肩を震わせて、女生徒が振り向いた。制服に付いたリボンは赤色、1年生の女生徒のようであった。

茶色のショートカットで、くせっ毛の髪の一房を三つ編みで束ねている少女は、どこか怯えたような顔で、鈴太を見つめる。

驚かせちゃったかな。と、鈴太は少し気まずく思いながら、優しい口調で女生徒に声を掛ける。


「ごめん、びっくりさせちゃったかな?」

「………ぃ、ぃぇ。 そんな事、なぃです」


消え入るような声で、少女はそういうと、うつむいてしまう。両手に抱えるようにしたスケッチブックを守るように、両腕にぎゅっと力をこめているようだ。


「美術部の人かな? なんか、すごく上手だったから、思わず声に出しちゃったけど、邪魔しちゃったみたいだな。ごめん」

「ぁ、ぃぇ、私は美術部には――――…」

「でも、絵が描けるって凄いよな。俺には、そういった才能がないから、羨ましいと思うよ」

「そ、そんな、私なんか……」


鈴太の言葉に、照れたのか、スケッチブックを手に持って、恥ずかしそうに口ごもる少女。

あまり長話をするのも悪いかなと思った鈴太は、手に持ったビラを抱えなおすと、少女に微笑みかけながら、片手を上げた。


「じゃあ、俺は行かなきゃならないから、がんばってね」

「ぁ、ぁの――――…」


少女は、なにやら言いたそうな様子であったが、鈴太のほうは、それに気づかず、早足で歩き去って行ってしまった。

中庭に残された少女は、スケッチブックを抱きかかえたままで、ぼうっと、鈴太が歩き去った方を見ている。しばらくして、ポツリと口から呟きが漏れた。


「……褒められちゃった。ぁの人、上級生だよね」


熱に浮かされたような、呆けた様子の女生徒は、スケッチブックを抱えなおすと、中庭からトテトテと歩き出したのであった。



「なんだかここ最近、誰かに見られているような気がするな」

「どうかしたんですか、ユーレイ先輩?」


毎回毎回、勧誘活動には出ているものの、どうにも成果が上がらない日々を繰り返しているある日、その日も鈴太は放課後、文芸部室に立ち寄っていた。

部室には、ひなと麗がいて、ひなは(ほうき)を手に掃除中。麗は、文芸活動と称したネットサーフィンをしている最中である。

2年である、千恵や音梨、鈴太が新人勧誘に奔走している様子を毎日見ているが、1年の麗が手伝おうといった態度を見せることはなかった。

まぁ、入ったばかりの1年に勧誘活動をさせるのもどうかと思ったのと、そもそも、手伝いを申し出るほど気の効いた性格でない事は、みな知っていたのだが。


鈴太の呟きを聞きとがめてか、怪訝そうな表情を見せた麗に、鈴太は部室の片隅に置かれたビラの山から、適当な量を抱えつつ返答する。


「いや、ここ最近、何か人の視線をかんじるような気がしてな。気のせいかとは思うんだけど」

「ふむ、ストーカーか何かにあってるんですか? ユーレイ先輩」

「おいおい、怖い事いうなよ。俺はそんな、誰かにストーカーされるような事、した覚えはないぞ」

「でも、誰かに見られているような気はする。誰も居ないのに、誰かに見られているような気が……はっ、まさか幽霊とか、超常現象の類でしょうか? ユーレイ先輩だけに」


と、麗の言葉に、ひなが怯えたような表情になった。眉根をへのじにして、不安そうな顔で鈴太を見る。

彼女は、昔から、お化けとかそういう類は苦手なのであった。


「ゆ、ユーレイくん、幽霊さんとお友達なの?」

「そんなわけ、ないじゃないですか。何だ、麗は幽霊とか、オカルト話を信じる口なのか」

「いえ、言ってみただけです。ただ、ユーレイ先輩なだけに幽霊ねたはありかと。重要な事ですから、2回言ってみました」

「ああ、そうかよ。あいにくと、ストーカーも幽霊もないから、残念だったな………それじゃあ、俺も勧誘に行ってきますから」


ぴっ、と揃えた人差し指を中指を、こめかみにあてる麗を放っておいて、鈴太はひなに、声を掛ける。

鈴太の言葉に、ひなは、掃除用具を手に持ちながら、ほんわかした日溜りのような微笑を浮かべる。


「はい、いってらっしゃい、ユーレイくん。帰ってきたら、お茶をごちそうするわね」

「楽しみにしてますよ。それじゃあ、行ってきます」


ひなに釣られるように笑顔を見せた鈴太は、部室から出て行った。外から聞こえる足音、その足音が消えた後で、麗はパソコンの電源を切って席を立った。


「あら、どうしたの、麗ちゃん」

「少し、気になる事ができましたので、麗も出かけてきます。あ、今日のお茶請けは何でしょうか?」

「今日は、家でクッキーを焼いてきたの。後で、みんなで食べましょうね」

「はい、麗も、ひな部長の作るお菓子は楽しみです」


すっかり餌付けされているというか、ひなの持ってくる自作のお菓子は、新入生である麗にも好評だった。

あまりに好評すぎて、音梨と、お菓子の取り合いになる事が日常茶飯事となりつつあるが、雛が持ってくる量を増やしたため、多少の沈静化は見せていたのではあるが。




放課後の校門前――――…結局、新入生の勧誘としては、奇をてらった場所よりも、人通りの多い校門前が、一番に妥当な場所であった。

今の時期、新入生の勧誘も熱の入る時期なのか、鈴太以外にも複数の生徒が、校門の前を通り、帰っていく下級生相手に勧誘活動を行っている。


「文芸部に入りませんかー、ただいま、部員募集中でーす」


鈴太も用意したビラを手に、声を上げながら、帰宅する新入生にビラを渡している。ちなみに、渡す相手には男子生徒も含まれていた。

勧誘は女子限定にしろといっていたが、文芸部が部員を募集していることを知らしめるのは必要だったし、状況が差し迫ってくれば、男子も勧誘しろといわれるかもしれない。

なんにせよ、声を掛けていても損はないだろうと判断して、帰る生徒に片っ端から声を掛けて、ビラを渡しているのであった。


「文芸活動に興味があったら、文芸部に入りませんかー」

「陸上部、ただいま部員募集中でーす」

()(もの)探し同窓会、同志を募っています、参加してみませんかー?」

「水泳部に入って、一緒に泳ぎませんか? 初心者でも歓迎してますよー」


鈴太以外の生徒も、あちこちで声を掛けて回っており、この時期だけの盛況な活気が、校門の前にみなぎっていた。

そんな勧誘活動をする鈴太の様子を、少し離れた場所から見つめていた生徒が居た。

スケッチブックを片手に、もう片方の手にペンを持って、勧誘活動をする鈴太の様子を、絵に描いているようであった。

小動物のような目をした少女は、物陰に隠れながら、鈴太のことを見つめているようであった。と、


「なるほど、ユーレイ先輩が言っていたのは、あなたなのですか」

「きゃっ?」


鈴太を見ることに熱心で、周りが見えていなかったのか、自分の背後に誰かが立っていたことに、少女は気づいていなかったようである。

少女の背後から姿を現したのは、鈴太の後を追って、部室から出てきた麗であった。

なにやら探偵気分にでも浸っているのか、犯人を目の前にしたホームズかコロンボ(名 探 偵)といった風な気分で、揃えた指先をこめかみに当てながら、麗は女生徒に声を投げかける。


「さて、どうしてユーレイ先輩のあとをつけていたのか、いろいろと質問をさせてもらいますよ」

「…………ぁぅ、その」


困った様子で口ごもった女生徒は、身を守るように、胸の前でスケッチブックを抱えるように持ちながら、泣きそうな表情になってしまった。

もっとも、その様子を見て物怖(ものお)じするような性格の、麗ではなかったのであったが。


「さあ、ちゃっちゃと吐いてもらいますよ。尋問開始です」



とんとんと、ドアをノックする音。今日も、さしたる成果を挙げることもなく、帰る生徒の波も引いたこともあって、鈴太は文芸部室に戻ることにしたのだった。


「はーい。あ、お帰りなさい、ユーレイくん」

「ただいま戻りました、春野さん。他のみんなは?」

「ちえちゃんと鷹くんは帰ってきてるわ。麗ちゃんは、まだ戻ってきてないんだけど、どうしたのかしら?」


ドアを開けて、出迎えてくれた、ひなと一緒に鈴太が部室に入ると、その言葉通り、室内でくつろいでいたのは千恵と音梨だけであった。

ひな手製のクッキーをお茶請けに、温かい緑茶でのどを潤している様子の二人は、部屋に入ってきた鈴太を見て、それぞれの反応を示した。

音梨は、山積みのクッキーから、一枚をつまんでかじりながら、鈴太を一瞥しただけである。千恵は、乾杯をするかのように、手に持った湯飲みを掲げながら、鈴太に声を掛ける。


「帰ってきたか。先にくつろがせてもらってるぞ、ユーレイ。 そっちの首尾は、どうだったんだ?」

「今日も、当たりはなかったよ。なかなか上手くいかないもんだな」

「ふむ、まあ、毎回毎回、当たりくじを引けるわけでもないしな。そう気落ちすることもないだろうさ」

「そうはいっても、悠長に構えていたら、勧誘できる新入生が居なくなってしまうかもしれないからな。実際、もう入る部活を決めた生徒も多いみたいだし」


椅子に腰掛けながら、鈴太は心配そうな口調でため息をつく。ここ1週間ほど、新しい新入部員の勧誘が空振りに終わっているのが、こたえているようだった。

ひなが、鈴太にお茶の入った湯飲みを差し出しているのを見ながら、千恵は湯飲みを机に置きながら、鷹揚な様子で笑みを浮かべる。


「そんなに心配する必要もないさ。私や音梨も、無為に時間を過ごしているわけではないからな、根まわ――――」

「麗、ただいま戻りました」


と、ドアをノックせずに、麗が部屋に入ってきたのは、その時だった。小柄な1年生の少女に、出迎えの言葉を掛けようと、ひなが視線を向ける。


「おかえりなさい、麗ちゃん――――あら?」

「ほら、とっとと入るべきですよ」

「は、はぃ」


と、麗に引っ張られるように、スケッチブックを抱えた少女が、部屋の中に入ってきた、というか、麗に引っ張り込まれたというほうが正しいだろうか?

少女の腕を掴んで、部室に引っ張り込んだ麗。少女はというと、戸惑ったように室内を見回した後、自分に視線が集中しているのに気が付いたのが、恥ずかしそうにうつむいた。


「麗ちゃん、その()は?」

「はい、麗の部下1号です。というか、ありていに言えば、入部希望者ですね」


麗の言葉に、ひなが嬉しそうな表情になった。花の咲くような笑顔を浮かべた、ひなは、おどおどした様子の女生徒に向かって優しく微笑みをみせる。


「まあ、そうなの。私は部長の春野ひなた、よろしくね」

「ょ、ょろしくぉ願ぃします……」


どこか、怯えたような様子の女生徒だったが、ひなの言葉に、ぺこりと頭を下げた。

そんな彼女の様子を、じっと見ていた千恵は、テーブルに頬杖をつきながら、淡々とした様子で口を開いた。


「それで、なんて名前なんだ? 自己紹介は、まだだと思うんだが」

「ぁ、その……ぉしどり、ゃょぃです」

「――――何だって? 声が小さくて、聞こえないんだが」


ほんの少し、いらだった様子で、千恵は重ねて女生徒に問う。少女のほうも、萎縮(いしゅく)したのか、怯えたようにうつむいてしまった。

きりきりと千恵の眉が跳ね上がった。闊達(かったつ)な性格の千恵は、引っ込み思案な性格の少女に、あまりいい印象を持たなかったようである。

いらだった様子の千恵は、強い口調で少女をいさめようと口を開こうとし――――その直前に、横から鈴太が口をさしはさんだのは、その時だった。


「日傘、あまり強く出ることもないだろ。せっかく入部してくれるって言うんだし、先輩なんだから優しく接しなきゃ……ええと、なんて名前なんだい?」

「ぁ……その」

「ん?」


鈴太に顔を近づけられて、真っ赤になってしまった女生徒。どうしたんだろう、と鈴太が内心で首をかしげていると、彼女はわなわなと震えだし、

やおら、スケッチブックを開くと、さらさらとペンで何かを書き始めたのだった。そうして、スケッチブックのページを鈴太に見えるように差し出した。


「こ、これ――――名前、です」

「ええと………?」


少女の言葉に、鈴太はスケッチブックを見る。スケッチブックの白紙のページに大きく『鴛 弥生』と書かれていた、のだが。


(なんて読むんだ、この漢字?)


別段、秀才というわけでもない鈴太は、スケッチブックに書かれた少女の名前に、頭をひねらせる。苗字に使われている漢字が、なんと読むのか分からなかったのだった。

沈黙する鈴太の様子を見ながら、遠目からスケッチブックを一瞥した千恵が、ああ、と声を上げた。


「なるほど、おしどり、やよいって読むのか。私は日傘千恵だ」

「弥生ちゃんね。私のことは、ひな、って呼んでくれていいからね」

「ょ、ょろしく、ぉねがぃします」


千恵の言葉を聴き、はしゃいだ様子の、ひな。そんな彼女に笑いかけられて、弥生は恥ずかしそうにスケッチブックで顔を隠してしまった。


(しかし、あんな難しい漢字、よく読めたな)


一目で、(おしどり)という漢字の読みを口に出来た千恵に視線を向けて、ほんの少し感心した様子の鈴太。

千恵はというと、そんな鈴太の視線など意に介さず、ひなの焼いたクッキーを片手に、週間雑誌を読み始めていたのだったが。

感心したのが、損だったかもな。と、そんなことを考えながら、鈴太は弥生のほうに向き直った。


「俺は、勇鈴太。よろしく、鴛さん」

「は、はぃっ、ょろしくぉねがいします。ぃさぉ先輩」


鈴太が声をかけると、視線を合わせられないのか、真っ赤になってうつむきながら、弥生は鈴太に返事をする。

恥ずかしがりやなのかな。と、そんなことを鈴太が考えていると、そんな二人の様子を見ていた麗が、横から言葉を挟んできた。


「あ、おっしー、この人のことは、ユーレイ先輩って呼べばいいですよ」

「おい、麗、勝手に人の呼び名を決めるな! というか、おっしーってのは、何だよ」

「え? 鴛だから、おっしーですよ。麗的に、一番しっくり来るんで採用したわけですが」


どこが悪いんですか、といった様子で首をかしげる麗。まったく、この後輩は…………といった感じで、憮然とする鈴太。

渋面になっていた鈴太だが、そんな二人の様子を交互に見ていた弥生に気づいて、彼女のほうに向き直った。


「鴛さんも、嫌ならハッキリと言っていいんだよ」

「ぃ、ぃぇ……そんなこと、なぃです。ぁだ名で呼ばれるのって、なんだか嬉しぃですし」


鈴太の言葉に、しどろもどろになりながら、そんな風に返事をする弥生。照れた様子なのは、あだ名で呼ばれたせいか、鈴太に見つめられているせいか、定かではないが。


「そういう、ものなのかな?」

「というわけで、おっしーはおっしーで、ユーレイ先輩は、ユーレイ先輩で決定ですね」

「麗……お前、先輩に対する敬意の欠片も持って無いだろ」

「そんな事ありませんよ。麗的には、最低限の敬意を持って、接しているつもりです」

「それでも、最低限かよ」


麗の言葉に、疲れを感じたのか、がっくりと肩を落とす鈴太。

そんな鈴太の様子を、眩しそうに見つめている弥生。そんな彼女の様子を見て、ひなは、優しく微笑むと、新しい湯飲みに、お茶を用意し始めたのだった。



「それにしても、これで二人目か。なかなか、増えないものだよな」


弥生が新たに入部してから、数日後。今日も勧誘活動が空振りに終わり、部室に戻った鈴太が、お茶を片手に一息つきながら、そう呟いた。

今日も部室では、ひなが、お茶を淹れて、麗がパソコンで時間を潰しており、弥生は、描きたい絵があるからと、出払っていた。

ため息交じりの鈴太の言葉を聞きとがめ、目を向けていたパソコンから視線をはずすと、麗は真面目な表情で、腕を組みながら鈴太に言う。


「麗としては、別にこれ以上、部員が増えなくでも良いと思うのですが。手下も一人、出来たことですし」

「そういうわけにも行かないだろ、というか、鴛さんを勝手に手下扱いするなよな」

「勝手に、というか、本人も納得済みなのですが。そもそも、入部したのは麗が先ですし、同じ学年とはいえ、先達を敬うのは当然のことでしょう」

「………たかだか、1週間くらいの差だろ」


まったく、このわがまま娘は………と、そんな風に思いながら、鈴太は麗を見返す。

そんな二人の様子を見て、カセットコンロでお湯を沸かしていた、ひなが、困ったように眉をひそめながら小首をかしげた。


「ひょっとして、喧嘩してるの?」

「いや、そういうわけじゃないんですけど」


心配そうな、ひなの様子に鈴太は手のひらを振りながら、そう返答する。

ひなに、あまり心配をかけると、千恵や音梨が文句を言ってくるのは目に見えていたため、彼女の前では仲良くする必要があった。

そこのところは、麗も心得ているようで、鈴太の言葉に合わせるように、こくこくと頷きながら、揃えた指をこめかみに当てていたりする。


「そうですね。まぁ、意見の相違(そうい)を話し合っているところでしたので、そういう風に見えたかもしれません」

「そうなの? じゃあ、私の気のせいなのね、よかったわ」

「……まあ、そんなところです」


無邪気に微笑む、ひなの様子に、さすがに呆れたのか、こめかみに一筋の汗を浮かべながら、麗は頷く。

こちらの言ったことを疑いなく信じてるみたいですけど、こんなに単純だと、かえって心配になりますね。などと考えているようだった。


「ともかく、鴛さんの件は置いとくとしても、部員がこのままじゃ、まずいことは確かだろう。最低でも、あと2、3人は欲しいだろうな」

「麗としては、肩身が狭くなるので、出来れば少ないほうが良いのですが」

「そんなこというと、来年の新人勧誘で泣きを見ることになるぞ。部員が少ないほど、新入部員のノルマがきつくなるんだからな」

後顧(こうこ)(うれ)いより、現在の栄光のほうが重要です。このままなら、来年の部長は、麗に間違い無いのですから」


大真面目な様子で、そんなことを麗は言う。実際、人数が少ないほうが、部長になる確率は上がるだろう。

もっとも、人員が少ないということは、その分、重責がのしかかってくることに間違いは無いのだが、そこまでは考えが回っていないようである。

呆れた話だな、と、ため息をひとつついて、鈴太は肩を落とす。そんな風に、無為な会話をしている間にも、時間は過ぎていたようである。


「帰ったぞー、ひな」


文芸部室のドアを開けて、千恵と音梨が勧誘活動から戻ってきたのだった。ただ、いつもと違うところは、彼女たちのあとに、若干のおまけがつき従っていたのだったが。



「とりあえず、前々から根回ししてた、3人を連れてきたぞ。ひなや音梨とは面識があるだろうけど、一応、挨拶をしてくれ」

鈴原(すずはら) 美佐穂(みさほ)です」

「……大木(おおぎ) あかね」

山幸(やまさち) 伊万里(いまり)っ。お、同じ一年も居るじゃん、よろしくねー」

「い、一気に、3人も!?」


部室に入ってきた1年生の3人組に、あわてた様子で声を上げる麗。動転しているのか、両手を意味も無くわきわきと、握ったり開いたりしている。

そんな狼狽してる様子の麗には取り合わず、千恵は椅子に腰掛けながら、今日のお茶請けである、カリントウをかじりつつ、ひなに声をかけた。


「ひな、早速、お茶を用意してくれ。鈴原たち、3人の分もな」

「はーいっ、少し待っててね」


千恵の頼みを快く受けて、ひなは、お茶の準備を始める。一気に多くのお客を迎えて、張り切っているようだった。

心底、楽しそうな様子で準備をする彼女を一瞥したあと、鈴太は千恵に向き直って、気になったことを聞く事にした。


「日傘、彼女たちは、知り合いなのか?」

「ん、ああ………鈴原も大木も山幸も、私や音梨と同じ中学の後輩だよ。他にも、何名かの後輩に声をかけたが、

 他の面子は入る部活を決めててな。捕まえれたのは、残念ながら3人だけだったわけだ」

「千恵先輩、それじゃあ、私たちが暇で、入る部活を決めてなかったみたいじゃないですかー……まぁ、その通りですけど」


千恵の言葉を聞いて、鈴原と名乗った少女が、からからと笑いながら、そんな風に受け答えする。

大木と名乗った少女は、しゃべるのが苦手なのか、じっと沈黙している。変わって口を開いたのは山幸という女の子だった。


「ま、実際、アタシはどこでも良かったんだけどね。鷹弘(たかひろ)先輩がいるから、この部活に入ろうと思ったわけだし」

「……ったく、いい迷惑だ」


山幸の言葉を聞き、音梨はというと、心底迷惑そうに、渋い顔をする。後輩の女子に付きまとわれているというのに、あまり嬉しくはなさそうだった。

そんな音梨の様子を見て、千恵がシニカルな笑みを浮かべる。辟易(へきえき)した様子の音梨を見て、楽しんでいるようである。


「まあ、そんな風につれない様子を見せるな。おかげで新入部員が一人増えたんだし、ひなも喜んでいる。それで良いじゃないか」

「気楽に言いやがって………」


忌々しそうに、露骨に舌打ちをする音梨。しかし、もともと一緒の中学出身ということもあってか、新入生の3人は、特に萎縮することも無く笑っていたのであった。


「これはあれだね、照れ隠しだよね、実際」

「…………照れ屋さん?」

「まあ、鷹弘先輩は素直じゃないからねぇ」

「お前ら全員、帰れ」


鈴太にしてみれば、充分に怖い目つきと、ドスのきいた口調で3人組に凄む音梨だったが、やはり、勝手知ったる相手には分が悪いようであった。

きゃーと、歓声なのか黄色い悲鳴なのか分からない声を上げながら、3人の女生徒は、ひなの後ろに避難をしたのである。


「ひな先輩~、鷹弘先輩がいじめる~」

「あら、もう、困ったわね……鷹くん、下級生をいじめちゃだめじゃないのっ」

「ぐはっ」


めっ、と叱りつけてくる、ひなの言葉に、短い声を上げて、身を震わせる音梨。ひなに叱られるのは、彼にとってかなりのダメージだったようだ。

KOされたボクサーのような様子の音梨を見て、3人組の女子達は、顔を見合わせて楽しそうに笑っている。そんな彼女等を見て、麗が渋い顔をしていた。


「むー、かなりの曲者ぞろいのようですね。麗としても、立場が危うくてピンチです」

「どうでも良いけど、部活内で、喧嘩とかは止めてくれよ」


釘を刺すように、鈴太が麗に声をかけていると、控えめなノックの音が聞こえた。


「はーい、どうぞ」

「失礼します……ただ今、戻りました」


ひなが返事をすると、気をつかってか、ゆっくりと静かにドアが開けられて、スケッチブックを小脇に抱えた弥生が、部屋に入ってきた。

弥生は、ひなの後ろにいた3人の女生徒に、少し驚いた表情を見せたものの、大木が無言で頭を下げると、どこか安心したように頭を下げ返した。

なにやら、通じ合うところがあったのか、それほど怯えたり、警戒してはいないようであった。


そんな、1年生達の様子を見ていた千恵は、ころあいと思ったのか、立ち上がって周囲を見回しながら、弾んだ様子で声を喉から出す。


「よし、これで全員集合といったところだな。とりあえず、1年は椅子に座ってくつろいでくれ。あ、ひなも座っていて構わないぞ。男子連中は、立つ!」

「はぁ? なんで立たなきゃいけないんだよ」


千恵の言葉に、不満そうな顔をする音梨。そんな彼に、両手を腰に当てたポーズで、千恵は音梨に呆れたような顔を向ける。


「備品の椅子が、人数分足りないからだ。今からそれをとりに行くぞ。それとも、1年生に行かせて、自分だけくつろぐなんて格好悪いまねをするつもりか?」

「ちっ、そういうことなら、早く言え」


忌々しそうに舌打ちすると、席から立ち上がる音梨。鈴太も、椅子から腰を上げながら、千恵に質問を投げかけた。


「しかし、椅子を取ってくるって、どこから持ってくるつもりなんだ?」


その質問に対する、千恵の答えは簡潔かつ明瞭であった。


「どこでも良いんじゃないか? どっか適当な、使われてない空き教室の椅子を何個か、ちょろまかして来れば良いだろ」

「…………いいのか、それで?」

「大丈夫だろ。ああ、一応は、顧問に言っとくべきなのかな?」


心配そうに聞く鈴太に、千恵は人差し指を唇に当てながら、そんなことを言う。

男装の少女のその言葉に、鈴太はふと、いまさらながら気が付いたように、あれ、という表情になった。


「そういえば、文芸部にも顧問っていたんだな。俺、見たことないんだけど」

「まあ、幽霊部員だったからな、ユーレイは。それに、あの(じじい)は、めったに顔を出さないからな」

「音梨は、知ってるのか」

「まぁな。といっても、実際に話したことはなかったがな。上級生と話してることが多かったし、わざわざ爺と話そうとは思わなかったからな」


鈴太が聞くと、腕組みをしながら思い出すかのように言う音梨。

そんな彼の台詞を補足するかのように、自分の頬に手を当てながら、千恵が顧問の教師の話を口にした。


「ほら、物理の授業を受け持ってる、よぼよぼの教師がいるだろ、皆に仙人て呼ばれてる――――仙道先生が、私達、文芸部の顧問だよ」

「ああ、あの定年間近っぽい、お爺さんの先生か…………でも、あの人、物理教師だろ? 普通、文芸部とかって、国語とかの教師が受け持つんじゃないのか?」

「ああ、昔はなんでも、小説家志望だったらしい。いろいろと、実家の都合やら何やらで、あきらめなきゃいけなかったらしくてな。

 で、そういった活動に関わりあいたいっていう本人の希望で、文芸部の顧問になったらしい」

「へえ、いろいろあるんだなぁ……」


千恵の説明を聞き、感心したように声を上げる鈴太。人それぞれの、人生の1ページを垣間見たような、そんな気がしたのである。

そんな風に話していると、扉を開く音。のんびりと話していることに痺れを切らしたのか、音梨がいち早く、扉の前に移動して、千恵と鈴太にムスッとした顔を向ける。


「おい、さっさと行くぞ。顧問に話をつけに行くんだろ」

「ああ、そうだな。行くぞ、ユーレイ」


部室の外に出て行く音梨を追うように、千恵は鈴太に声をかけた後で、部屋から出て行く。鈴太も、その後を追って、部屋を出ることにした。



ガタガタという音とともに、パイプ椅子を出す音。体育館のステージの下から、パイプ椅子をひっぱりだして、小脇に抱える鈴太と音梨。

部室でパイプ椅子を使いたいと、顧問に聞きにいったところ……体育館にある椅子なら、使ってもいいんじゃないか? と、言われたのであった。


「体育館のステージの下か……まぁ、これだけ椅子があるなら、確かに何個か、かっぱらっても、ばれなさそうではあるな」

「とはいえ、そこまでたくさんの数が必要って分けじゃないけどな。ひとり2個で、6個もあれば充分だろ。新入部員勧誘も一息ついたからな」


音梨の言葉に、千恵はそんなことを言いながら、パイプ椅子を両手に抱えようとする。

そんな彼女の手から、パイプ椅子をやんわりと取り上げると、鈴太は右腕に2つ、左腕に1つと、3つ分の椅子を小脇に抱え込んだ。


「俺が持つよ。日傘は1つでいいだろ、女の子なんだし」

「……――――そうか、なんか悪いな、ユーレイ」

「変に気を使うなよ、ユーレイ。というか、こいつを女扱いしても、いいことないぞ」

「……聞こえているぞ、馬鹿ひろ」


音梨の言葉に、さすがに気分を害したのか、パイプ椅子を両手で持つ千恵。もう一言、余計なことを言ったら、パイプ椅子で殴ってやろうかと思っているようである。

身の危険を感じたのか、すすす、と千恵から間合いを取って身を離す音梨。そんな様子を見ながら、小脇に抱えた椅子を持ち直しながら、鈴太は千津に声をかけた。


「そういえば、日傘……さっき、新入部員勧誘が、一息ついたとか言ってなかったか?」

「ああ。とりあえず、5人も確保できれば、必要最小限、部活としての体裁(ていさい)は整えれただろう。ひょっとしたら、自主的に入部希望の生徒が来るかもしれないが、

 わざわざこちらから、新入部員を募りに行く必要は、なくなったわけだ」

「そうか、それじゃあ、もう、校門前での呼び込みとか、そういうのをしなくても良いわけか」


ああいうのって、思い返すと、やっぱり恥ずかしかったんだよなー、と、ここ最近の呼び込みの日々を思い起こして、鈴太はホッと息をつく。

そんな彼の横顔をじっと見ていた千恵は、至極真面目な表情になると、小首を傾げて鈴太に質問を投げかけた。


「なんだ? ひょっとして、下級生の女子と話すきっかけがなくなって、残念とか思ってるのか?」

「そんなわけないだろ! もう勧誘なんてしなくてすむんだって、ホッとしてんだよ!」


的外れな質問に、声を荒げる鈴太。そんな鈴太の様子がおかしかったのか、千恵は彼女にしては珍しく、綻ぶような笑顔を鈴太に向けたのだった。


「そうだな、私もホッとしているよ。こうして、部員が増えてくれて、ホッとしてる。皆のおかげだな」

「…………」

「――――どうしたんだ、ユーレイ?」


それは、あまりにも女の子の顔で、思わず鈴太も、見とれてしまって、笑顔を引っ込めた、千恵に、怪訝そうな顔をされたのであったが。


「いや、なんでもない」


まさか、見とれてましたと言う訳にもいかず、鈴太はぶっきらぼうに言うと、両手に抱えたパイプ椅子をガチャガチャ言いながら、歩いていってしまう。

一部始終を見ていた音梨は、特に何を言うわけでもなく、その後を追った。


「?」


そんな男子二人の様子に、首をかしげた千恵だったが、置いてけぼりになりそうなのを察してか、パイプ椅子を持ちながら、小走りに後を追うのであった。


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