↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
恋に憧れ  作者: 一雲一人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/15

第4話 笑顔の価値

平日の午後というのは不思議な時間帯である。

学生は学校。

会社員は仕事。

主婦は買い物。

つまり大半の人は別の場所にいる。

だから古本屋は静かだ。

私はこの時間が嫌いではない。

本棚の整理も進むし、考え事をするのにも都合がいい。

もっとも、最近の考え事はだいたい決まっている。

恋についてである。

我ながら暇なのだろうか。

そんなことを考えながら文庫本の棚を整理していると、入り口のベルが鳴った。

チリンチリン。

五十代くらいの男性だった。

宵月堂の常連である。

歴史書をよく買う人だ。

名前までは知らない。

ただ、顔は覚えている。

「こんにちは」

私が声を掛けると、

「ああ、どうも」

男性は少しだけ表情を緩めた。

そして歴史書の棚へ向かう。

それだけだった。

いつものことである。

数分後。

今度は大学生らしい青年が入ってきた。

こちらも常連だった。

哲学書の棚が目当てである。

さらにその後。

スーツ姿の私と同年代の男性が来店した。

推理小説のコーナーへ向かう。

私は何となく考えた。

宵月堂という店は面白い。

客層がばらばらだ。

年齢も違う。

職業も違う。

読む本も違う。

それでも皆、本を探しにやって来る。

本というのは不思議な存在だと思う。

共通点のない人間同士を、一冊の本が繋いだりする。

そういう点では恋愛に似ているのかもしれない。

私はそこで思考を止めた。

恋愛について考えると堂々巡りになる。

経験がないのだから当然だった。

午後六時半を少し回った頃だった。

「薄鉢さん」

声を掛けられる。

顔を上げると、高瀬だった。

今日も来ている。

今週三回目である。

読書家というのは本当に行動力があるらしい。

「何かお探しですか?」

「いや、ちょっと聞きたいことがあって」

高瀬は一冊の文庫本を差し出した。

「これと、こっちならどちらがおすすめですか?」

私は本を受け取る。

少しだけ内容を思い出しながら考えた。

「こちらですね」

そう答えると、

「理由を聞いてもいいですか?」

と言われる。

私は簡単に説明した。

文章の雰囲気。

伏線の置き方。

登場人物の描写。

話しているうちに、自然と楽しくなってくる。

本の話は好きだった。

すると高瀬は納得したように頷き、

「じゃあ、それにします」

と笑った。

私はレジへ向かう。

会計を済ませる。

本を紙袋へ入れる。

そして最後に、

「ありがとうございました」

いつも通りそう言った。

それだけである。

接客として普通のことだ。

ところが高瀬は少し驚いたような顔をしていた。

なぜだろう。

紙袋に傷でもあっただろうか。

私は一瞬だけ不安になったが、どうやら違ったらしい。

高瀬は妙に満足そうな様子で帰っていった。

本当に本が好きなのだな。

私はそう結論付けた。

夕方。

閉店まであと三十分ほどになった頃だった。

店主がコーヒーを飲みながら言った。

「お前は昔から変わらないな」

「何がですか?」

「接客」

私は首を傾げた。

接客マニュアルなど存在しない店だ。

変わるも何もない気がする。

「そうですか?」

「ああ」

店主は笑う。

「客に本を勧める時だけ楽しそうだ」

私は考えた。

否定しようと思った。

だが少し考えてみると、確かに否定し切れない。

本について話すのは好きだった。

好きなことを話す時に多少表情が変わるのは自然なことだろう。

「つまり仕事を真面目にしているということですね」

私がそう言うと、

店主は何とも言えない顔になった。

「まあ、お前がそう思うならそれでいい」

それだけだった。

私は意味が分からなかった。

仕事を真面目にすることは良いことではないのだろうか。

論理的に考えれば褒め言葉のはずである。

しかし店主は妙に呆れた顔をしていた。

人間というのは時々分からない。

閉店後。

レジを閉めながら、私はふと思った。

宵月堂には常連客が多い。

高瀬もそうだ。

歴史書の男性もそうだ。

哲学書の大学生もそうだ。

推理小説の会社員もそうである。

きっと居心地が良いのだろう。

店主の人柄か。

品揃えか。

あるいは立地か。

理由はいくつか考えられる。

私は電卓を片付けながら頷いた。

たぶん、そのどれかだ。

少なくとも私ではない。

私に客を引きつけるような特別な要素があるとは思えなかった。

だからその時の私は知らなかった。

高瀬だけではなく。

歴史書の男性も。

哲学書の大学生も。

推理小説の会社員も。

それぞれ少しずつ違う理由で、私のことを気に掛けていることを。

もっとも。

仮に誰かがその事実を教えてくれたとしても、私はきっと信じなかっただろうけれど。




つづく

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。