第15話 年齢差という名の攪乱
「あいつ(大神)はただの議論相手だ」
「あいつ(高瀬)はただの仕事の協力者だ」
喫茶店での腹の探り合いを経て、高瀬と大神はそれぞれの胸中に確固たる「勝利の予感」と「余裕」を抱いていた。お互いに相手を「亜沙美の女性としての魅力に気づいていない哀れな男」と決めつけ、警戒を解いたのだ。
だが――その過信は、すぐに打ち砕かれることとなる。
先に揺さぶりをかけられたのは、高瀬だった。
平日の昼下がり、修復作業に必要な資料を探しに宵月堂を訪れた高瀬は、店内に入るなり足取りを止めた。
レジカウンターの前で、亜沙美がこれまでに見たこともないような「キラキラとした表情」で誰かと話し込んでいたのだ。
相手は、大学のトートバッグを肩にかけた二十歳前後の青年だった。亜沙美より十五歳は若く、まだ少年のような無邪気さを残した顔立ちをしている。
「薄鉢さん! 前回教えてもらった認識論の解釈、教授に話したら『非常に筋が良い』って褒められたんです! 次はどの論文を読んだらいいですか!?」
青年がノートを広げ、屈屈のない眩しい笑顔で亜沙美にぐいぐいと顔を近づける。
「まあ、素晴らしい吸収力ですね。では、次はこちらの構造主義の解説書をおすすめします。あなたの柔軟な頭脳なら、すぐに核心を掴めるでしょう」
亜沙美は優しく目を細め、どこか愛おしそうに青年のノートにペンを走らせていた。
高瀬の胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。
(……十五歳も若い。あのストレートな情熱、まっすぐな瞳……まさか亜沙美さんは、年下の母性本能をくすぐるタイプに心を許しているのか……!?)
高瀬は自分の落ち着いた、悪く言えば「地味な職人スタイル」に猛烈な焦りを覚え、握りしめた本の角にぎゅっと力を込めた。
そして同じ日の閉店間際、今度は大神が洗礼を受けることになった。
息を切らしてドアを開けた大神の目に飛び込んできたのは、カウンター越しに落ち着いた雰囲気で言葉を交わす、亜沙美と一人の男性の姿だった。
男性は四十五歳を超えたあたりの、白髪交じりの紳士だった。亜沙美より十五歳以上は年上だろう。上質なコートを羽織り、深く渋い声を響かせていた。
「薄鉢さん、例の幕末の史料だがね……ふふ、君の言う通りだったよ。裏の意図を読み解くと実に味わい深い」
「ええ、あの時代のコンテクストを考慮すれば自ずと答えは出ます。さすがですね、深い洞察力です」
亜沙美の口元には、普段の硬質なロジック展開の時には見せない、どこかリラックスした信頼の笑みが浮かんでいた。
大神のスマートな佇まいが、ガラガラと崩れ去った。
(……十五以上は年上か……! あの包容力、長年培われた大人の余裕……! 僕のロジックなんて、あの人の前ではただの青臭い背伸びに見えているんじゃないか……!?)
「夜の駆け込み」で距離を縮めている気になっていた大神は、自分の浅はかさに血の気が引く思いだった。
しかし、当の薄鉢亜沙美の脳内では、極めて厳密な「分類」が行われているだけだった。
(ふむ……二十歳の彼は『抽象概念の吸収が早い、極めて将来有望な若き学徒』。こちらの紳士は『歴史的コンテクストに造詣が深い、重厚な知識の宝庫』……)
亜沙美はノートに売上データを書き込みながら、心の中で深く頷いていた。
(上下十五歳もの年齢差のある客層と、これほど質の高い知的交流ができるとは。宵月堂の客層の分厚さには、改めて感服する)
亜沙美の知的好奇心が満たされていく裏で、同世代の男ふたり(高瀬・大神)は、自分たちにはない「若さ」と「大人の包容力」という巨大な影に、密かに激しく悶絶していたのだった。
つづく




