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離婚寸前の辺境伯夫妻は、なぜか毎晩入れ替わる  作者: 南野遥
第3部 守ることと、決めること

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第44話「君の考えを、聞かせてほしい」

 

二つの荷馬車が、同じ時刻に、同じ人手を必要としていた。そして、自分の身体は一つしかなかった。


昼食のあと、ローレンスは書斎の机に、時刻表を二枚並べた。


向かいに立つテオの顔には、薄い隈が濃く出ていた。


「北の拠点へ出す補給便は、明日の朝、倉庫を出る予定です。積み込みには、兵が八人要ります。ところが、交代要員の一人が、昨夜から熱を出しておりまして」


「医師には」


「エダ先生が診ておられます。今日明日は動かせません。残る者で足りるかどうか、数えましたが、七人が限りです」


一人足りない。補給便は遅らせられなかった。拠点の薪と食料は、予備を削らずに回している。到着が一日ずれれば、その予備に手をつけることになる。


テオが下がると、入れ違いに、倉庫の管理役から知らせが届いた。


――明日の朝は、試験の便の荷積みにも人手が要ります。羊毛を覆う布の用意と、行きの荷の積み方で、倉庫の者が四人は要るとのことです。


ローレンスは、二枚の時刻表を見比べた。


補給便は、朝の第一の鐘のあと、倉庫の北の端で。試験便は、同じ鐘のあと、南の端で。どちらも、朝の一刻に集中していた。


自分の頭の中に、いつもの考えが、すぐに浮かんだ。


自分が出ればいい。


朝、倉庫の北の端で補給便の積み込みを見て、足りない一人の分は、自分が指示して埋める。それから、南の端へ回り、試験便の出発を見届ける。領主が現場に立てば、人は動く。これまでも、そうしてきた。


ローレンスは、椅子から立ち上がり、壁の外套に手を伸ばした。


その視界の端に、机の向こうの端が入った。


  *


クラリッサが、そこにいた。


午前に整理した必要量の一覧の続きで、書斎に来ていたのだった。机の端に、イネスから届いた練習の写しと帳面を広げている。一昨日の夜のように、互いの書類は覗かない約束で、黙って自分の仕事をしていた。


けれど、ローレンスの動きが目に入ったのだろう。クラリッサは顔を上げていた。


「どうなさったのですか」


ローレンスは、手を外套にかけたまま、話した。テオの兵が七人しかいないこと。倉庫の人手が重なること。


「朝は、倉庫で補給便を見る。そのあと、試験便の出発に回る」


自分の口から出た言葉は、いつもどおり、迷いがなかった。


クラリッサは、ペンを置いた。


「それは、無理です」


静かな声だった。


「二つの荷積みは、同じ時刻です。それに、倉庫の北の端と南の端は、建物の端と端でしょう。あなたが北に立てば、南は見られません。南に立てば、北が見られません。両方に出ようとすれば、どちらも半分になります」


ローレンスは、何か言い返そうとした。言い返す理由を探した。


「それに」


クラリッサは、続けた。


「明日は、交換の日です」


ローレンスは、動きを止めた。


忘れていた。零時を過ぎれば、自分の身体にいるのは妻で、妻の身体に入るのは自分だ。昨夜、十時に確かめたばかりだった。明日の朝、自分が出ていくつもりでいた身体の中に、自分はいない。


「明日、あなたの身体に立つのは、私です」


クラリッサは言った。


「私は、荷積みの指揮はできません。兵の動かし方も、知りません。倉庫の事務部屋の窓から、書き留めるだけです」


ローレンスは、外套から手を離した。


自分が出ればいい、という考えそのものが、足元から崩れた。出る身体が、明日はないのだった。


外套を椅子の背に戻し、ゆっくりと座り直した。


  *


しばらく、書斎は静かだった。


暖炉の薪が、小さく崩れた。ローレンスは、二枚の時刻表を見下ろしていた。


自分が出られないなら、どうするのか。その先を、すぐに思いつけなかった。いつもなら、ここで考えが止まることはなかった。止まる前に、自分が動いていた。


動けない今、考えが止まった。止まった先に、一つだけ、思いつくことがあった。


ローレンスは、顔を上げた。


「君の案を聞きたい」


クラリッサが、瞬きをした。


「決めるのは、私だ。それは変わらない。だが、今のままでは、私には決められない」


言いながら、喉の奥に、小さな抵抗があった。決められないと口にすることは、責任を押しつけることのように思えた。妻に頼んで、もしうまくいかなかったら、妻のせいになる。そう思ってしまう自分がいた。


けれど、それは、昨日までの考えだった。


決めるのは自分だ。結果の責任も、自分が負う。そのうえで、判断の材料を、借りる。それは、責任を手放すことではなかった。


クラリッサは、少し驚いた顔のまま、帳面を閉じ、机の真ん中へ寄ってきた。


「補給便の方は、テオさんに、倉庫の兵の配置を任せる権限を渡せますか」


クラリッサは、時刻表を指で押さえながら言った。


「兵が七人しかいないなら、七人でどう積むかは、テオさんが一番よく分かっているはずです。あなたが北の端に立たなくても、テオさんが決めていい、と書付で渡せば足ります」


「渡せる。合言葉で確かめて、書付にする」


「試験便の方は、倉庫の管理役の方と、受取所の係の方、市場生まれの若い係の方に任せます。三人とも、荷の積み方も、届け先も、分かっています」


クラリッサは、羊毛の覆いの用意の欄を指した。


「そのうえで、試験便の出発を、半刻遅らせます」


ローレンスは、顔を上げた。


「羊毛を積む村の側の時刻は、まだ余裕があります。半刻ずらしても、帰りの積み込みには間に合います。それで、倉庫の人手が、補給便の積み込みと重ならなくなります」


「受取所の荷卸しは」


「この便に限って、午後にも人手を置く約束でした。半刻遅れても、午後のうちに下ろせます」


一つずつ、筋が通っていた。ローレンスは、時刻表の上で、二つの便の印が、少しずつ離れていくのを見た。


自分は、自分の身体を二つに割ることばかり考えていた。妻は、時刻の方を、少しずらしていた。


ローレンスは、一点だけ確かめた。


「補給便には、遅れは出ないか」


「出ません。ずらすのは、試験便の方だけです」


ローレンスは、頷いた。


「その案を採る」


  *


ローレンスは、呼び鈴を鳴らし、テオを呼んだ。


戻ってきたテオに、妻の前で、合言葉を交わした。テオが応える。確かめ終えて、ローレンスは、紙を一枚取った。


「明日の補給便の積み込みについて、倉庫での兵の配置を、お前に任せる」


テオが、一瞬、目を見開いた。


「七人でどう積むかは、お前の判断で決めろ。書付に、私の名で書く。倉庫の端に私が立つことはしない」


「承知しました」


ローレンスは、自分の手で書いた。倉庫における明日の兵の配置は、副官テオ・ランセルの判断による。領主ローレンス・エルヴェイン。それから、日付と署名。


次に、倉庫の管理役宛てに、もう一枚書いた。試験便の出発を、半刻遅らせること。荷積みは、管理役と受取所の係と、市場生まれの若い係の三人で行うこと。


二枚の書付に、封をした。


「明日は、交換の日だ」


ローレンスは、クラリッサに向き直った。


「君は、私の身体で、窓から記録を取るだけにしてくれ。私は、君の身体で、口を出さない」


「はい」


「約束する」


声に出して言うと、自分の中の何かが、少し落ち着いた。


任せた先で、何かが起きるかもしれなかった。兵が一人足りない。羊毛の覆いが間に合わない。それは、起きれば自分の責任だった。


「決めたのは私だ」


ローレンスは、テオに言った。


「何かあれば、私が責任を持つ。だから、やり方は、任せる」


テオは、書付を受け取り、深く頷いた。


扉の外へ出ていく足音が、昨夜までより、少し軽く聞こえた。


ローレンスは、封をした二枚目の書付を、使いに渡した。それから、時刻表の二枚を、一枚ずつ畳んだ。


窓の外では、夕方の日が、倉庫のある方角の屋根を照らしていた。あの屋根の下で、明日の朝、二つの荷馬車が、半刻ずつずれて、動き出す。


自分は、その場に立たない。それが、不思議と、怖くなかった。


試験の便は、明日の朝、二人の新しい分担で出ていく。

 

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