第38話「帰りの馬車に、何を積む?」
羊毛の束を見たことはあっても、それが荷馬車の上でどう濡れるのかは、考えたこともなかった。
午後、マルタが封書を一通持ってきた。宛名は、クラリッサ・エルヴェイン様。差出人は、イネスだった。
昨日、自分の身体で出した問いへの返事にしては、早かった。イネスは羊毛の買い付けで、この冬はリュネの近くに来ているのだと、封書の最初に書いてあった。手紙なら、その日のうちに行き来できる。
クラリッサは、夫の書斎の卓で封を切った。夫の大きな指で、細かな字の便箋を広げる。
最初の一枚は、問いへの答えだった。試験は商業文書の翻訳と、商談の聞き取り。短い仕事は、およそひと月。報酬は仕事ごと。住まいは、商会が紹介できる下宿がいくつかある。日付は、書いていなかった。
――お越しになれる日が決まりましたら、商会の方で試験の日を合わせると申しております。
二枚目は、帰りの荷のことだった。
遠い村で、帰りの荷馬車に積めそうなものは二つ、とイネスは書いていた。
一つは、羊毛。冬の前に刈って、まだ町へ出せずに村に置いてあるもの。王都では、冬を越すための値段がつく。町の織り元も欲しがる。ホルストの工房のようなところなら、喜んで引き取るだろう、とまで書いてあった。
もう一つは、薬草。夏のうちに村の女たちが山で摘み、軒下で干したもの。熱や咳に効く。王都の薬屋に、決まった買い手がいる。
――北の羊毛は、王都では冬を越すための値段がつきます。
クラリッサは、その一行を何度か読んだ。
ギルベルトの紙で、帰り道は空だった。空の荷馬車ほど高くつくものはない、とイネスは前の手紙で書いた。その空の荷台に、積めるものが、名前を持って現れた。羊毛。薬草。
行き詰まっていた道に、ようやく品の名前がついた。
便箋をめくると、その下に、もう少し小さな字で、何行も注意が書いてあった。
*
――羊毛は、濡れると値が落ちます。雪の道を運ぶなら、荷台に覆いが要ります。油を引いた布か、革のものを。
――薬草は、湿気を嫌います。それから、匂いの強い荷と一緒にすると、匂いが移って売れなくなります。塩漬けの肉や、油の樽のそばには置けません。
――どちらも、重い荷の下に入れると潰れます。積む順番が大事です。
クラリッサは、手を止めた。
午前に直したばかりの試算を、引き寄せた。帰りの荷があれば、一往復の費用の一部が取り戻せる。そこまでは分かった。けれど、羊毛を濡らさずに運ぶには、覆いが要る。覆いは、一年の費用だろうか、一度ごとの費用だろうか。積む順番を考える手間も、誰かの時間を使う。
積めば下がる。そう思っていた計算に、条件がいくつもついてきた。
「帰りに積めるものがあるなら、道の値段も変わります」
クラリッサは、夫の低い声で、自分に言い聞かせるように言った。
「でも、何でも積めるわけではないんですね」
試算の紙に、新しい行を足した。覆いの費用。積み方の手間。どちらにも、確認が要る、と印をつける。
解決策だと思ったものが、条件つきの仮説に変わった。それでも、何もなかった帰り道に、試せるものが一つできた。
ふと、昨日の午後、テオが補給隊の記録で指したことを思い出した。軍の荷馬車も、帰りはほとんど空で戻ってきている。
クラリッサは、呼び鈴を鳴らした。
*
テオは、地図の筒を抱えてやってきた。妻の身体のローレンスも、少し遅れて書斎に入ってきた。
クラリッサは、イネスの手紙の注意書きを見せた。
「軍の荷馬車の帰りに、羊毛や薬草を積むことは、できますか」
テオは、手紙をじっくり読んだ。それから、補給隊の記録を開いた。
「載せられるものと、載せてはいけないものがございます」
テオは、行きの積荷の欄を指した。
「行きには、油の樽や、火を扱う道具も積んでおります。その荷台を帰りに使うなら、匂いが残っているかもしれません。薬草には向かないでしょう。それから、軍の荷のそばに、外の荷を置けない場合もございます。何が入っているか、外の者に知られてはいけない荷もありますので」
「では、羊毛なら」
「荷台を選べば、載せられるかもしれません。ですが」
テオは、少し言いにくそうにローレンスを見た。
ローレンスが、代わりに言った。
「空いていることと、載せてよいことは、別の話だ」
前にも、似たことを聞いた。夫の身体で書斎にいた日、テオが言った。空いているからといって、民間の荷を勝手に載せることはできない。何かあったとき、責任がどちらにあるのか決まっていないから。
「軍の帰り便を使う話は、責任の決まりを作ってからにしよう」
ローレンスは、静かに付け加えた。
「荷が濡れたとき、誰が払うのか。軍の荷に何かあったとき、誰の責任になるのか。それが決まらないうちは、載せられない」
クラリッサは、頷いた。少しだけ、悔しかった。空いている荷台が、目の前にあるのに。けれど、悔しさより、まだ越えてはいけない線があると分かったことの方が、大事な気がした。
「今は、軍の便の話ではありません」
自分で、そう確かめた。
「商会連合の試験の便で、帰りの荷を試すのが先です」
テオが、ほっとしたように頷いた。
*
テオが下がると、クラリッサは新しい紙を一枚取った。
試験の便の案を書く。
遠い村を、一か所だけ。配給の荷を届け、帰りに羊毛を積む。羊毛には、覆いを用意する。積む順番は、イネスの手紙のとおりに。
荷卸しの時刻は、村で羊毛を積みこむ時刻に合わせる。そうすれば、町の受取所に着く時刻も、前もって分かる。
書きながら、クラリッサは、前の試験の便で遅れた原因を思い出した。受取所の荷卸しは、午前の一刻のみ。古い契約の、その一行。
商会連合との契約の写しを引き寄せた。夫の大きな指で、条項を一つずつたどっていく。荷卸しの時刻。荷の種類。帰りの荷の扱い。
ぶつかるところに、印をつけた。
荷卸しの時刻の条項。帰りに積んでよい荷の種類を決めた条項。運び賃の払い方の条項。三か所。
「明日、自分の口で説明します」
クラリッサは、案を書き終えて言った。
明日は、自分の身体に戻る日だった。ギルベルトに直接会い、この案を見せる。今日のうちに、夫の身体で会うことはしない。それは、二人で決めたことだった。
その夜、面会の申し入れだけは、早く伝えておきたかった。けれど、外の人に宛てる手紙は、自分の身体の日に書くと決めている。クラリッサは、家令に頼むことにした。
オズワルドを呼び、口で伝えた。明日、試験の便の案についてお話ししたい。お時間をいただけないか。内容は、日取りの依頼だけ。案の中身も、何かの約束も、書かない。
オズワルドは、自分の名で短い書付を書き、使いに持たせた。
返事は、夕食のあとに届いた。ギルベルトの、几帳面な字だった。
――明日の午前、伺います。ただし、ご承知おきいただきたいことがございます。既存の契約の条項を変えるには、商会連合の同意が要ります。私一人の判断では、決められません。




