第29話「最初の便は、満点ではない」
合った服の数を数えたあとで、届かなかった日の数を数えた。
零時を過ぎて、また夫の身体で目を覚ました。控室で、夫の左肩がまだ少し冷えると張ること、妻の目はもう軽いことを申し送った。昨夜十時に、続けると二人で決めてあった。
書斎の卓に、紙の束が二つ届いていた。
一つは、受取所の係から。昨日の試験の、二つの地区の様式だった。もう一つは、商会連合から。荷馬車の御者が書いた、回った順路と時刻の記録。
クラリッサは、夫の大きな指で、受取所の束を先にめくった。
寸法の目安の欄に、丸がついていた。小、中、大。見本の上着を羽織らせて、合ったものに丸をつける。二日前に決めたやり方が、ちゃんと使われていた。白い欄は、ほとんどなかった。
その下の、合わなかった、の欄。二件だけ、書き込みがあった。中で丸をつけたが、袖が少し長かった子が一人。大で丸をつけたが、肩が落ちる子が一人。どちらも、修繕でどうにかなる程度だと、係の字で添えてある。
ほとんど、合っていた。
胸の奥から、温かいものがこみ上げてきた。最初の冬、目の前の子に合う服がなくて、夜中に袖を詰めていた。あの頃の自分に、この紙を見せてやりたいと思った。
次の頁をめくった。
届かなかった、の欄。そこには、もっと多くの書き込みがあった。戸口まで届けるはずだった家のうち、数軒。届いたのは、今朝。一日遅れ、と係の字で書いてある。
クラリッサは、いい方の数字だけを、先に別の紙に書き写そうとしていた。合った数。丸のついた数。報告の一行目に置けば、きっと見栄えがいい。
ペンを持つ手を、止めた。
「合ったことと、遅れたことを、同じ紙に書きます」
誰に言うともなく、夫の低い声で呟いた。
喜びに、すぐ影が差した。けれど、影を見ないふりをして書いた報告は、あの日見た帳簿と同じになる。載っていることと、起きたことが、違ってしまう。
クラリッサは、届かなかった欄の余白を、もう一度読んだ。係の走り書きが、小さく添えてあった。
*
――荷馬車が受取所に着いたのが昼過ぎ。荷を下ろせず、翌朝に下ろした。
走り書きの意味が、すぐには分からなかった。荷馬車は来ていた。荷も積んでいた。それなのに、下ろせなかった。
クラリッサは、商会連合の御者の記録を開いた。
荷馬車は、朝に倉庫を出ていた。先に、市場の地区の戸口を回っている。そのあと、遠回りして、倉庫近くの地区の受取所へ。着いたのは、昼の鐘の少しあと。
オズワルドを呼んで、受取所と商会連合の契約の写しを持ってきてもらった。
家令は、古い綴りの頁をめくり、ある一行を指で示した。
「受取所での荷卸しは、午前の一刻のみ」
「午前の一刻だけ」
「はい。何年も前に、荷卸しの人手を朝にまとめるために、そう決めたものでございます。いつもの便は、この時刻に合わせて倉庫を出ております。ですから、今まで困ることはございませんでした」
クラリッサは、契約の一行と、御者の記録の時刻を見比べた。
いつもの便は、倉庫から受取所へまっすぐ向かう。だから、午前のうちに着く。けれど昨日の試験の便は、戸口を回ってから来た。そのぶん、時刻がずれた。受取所に着いたときには、荷卸しの人手はもう帰っていた。
荷は、その日のうちに下ろせなかった。翌朝、いつもの時刻に下ろされ、その日のうちに配られた。
誰も、怠けてはいなかった。御者は決められた順に回った。受取所の係は決められた時刻に人手を集めた。どちらも、渡された決まりのとおりに動いていた。
「遅れたのは、人ではなく、時刻の決まりでした」
オズワルドが、困ったように契約の頁を見下ろした。
「古い決まりを、誰も見直してこなかったのでございますね」
クラリッサは、また同じところに来た、と思った。倉庫の二箱も、代筆の受領証も、そうだった。誰かを責めたくなるたびに、たどり着くのは、紙と紙のあいだの隙間だった。
扉が叩かれ、マルタが入ってきた。手に、封書を一通持っている。
「奥様宛てでございます。イネス様から」
*
宛名は、クラリッサ・エルヴェイン様、となっていた。
夫の大きな手で、自分宛ての封を切った。三日前の夜に書いた、帰り荷の相談への返事だった。
イネスの字は、きびきびとしていた。挨拶もそこそこに、本題に入っている。
遠い村々では、冬の前に刈った羊毛を、町の倉庫へ運びたい家が多い。けれど、自分たちで荷馬車を出すほどの量はない。もし配給の荷馬車が、帰りにその羊毛を積んでくれるなら、運び賃の一部を、羊毛を出す家の側で払える。
その先に、もう一つ書いてあった。
積み込みの時刻を、村の側で決められれば、荷馬車が村を出る時刻も決まる。村を出る時刻が決まれば、町の受取所に着く時刻も、前もって分かる。受取所の荷卸しの時刻と、合わせることもできる。
そして、手紙の終わり近くに、短い一文があった。
――空の荷馬車ほど、高くつくものはありません。
クラリッサは、その一文に、思わず小さく笑った。ギルベルトが帳簿を指で示しながら言ったことを、イネスは一行で言っていた。
手紙を読み終えて、クラリッサは自分の手を見た。夫の、大きくて骨ばった手。この手で、自分宛ての手紙を読んでいる。
奥様へ、ではなかった。伯爵様によろしく、でもなかった。クラリッサ・エルヴェイン様、と書かれ、帰り荷と時刻のことが、仕事の話として書かれていた。
返事を書きたかった。けれど、今日は夫の身体だった。この手で書いても字は自分のものだが、外の人に宛てる仕事の手紙は、自分の身体の日に書くと決めていた。
「返事は、明日にします」
クラリッサは手紙を畳み、報告書の紙を引き寄せた。
*
報告書の項目を、三つに分けた。
一つ目。合ったもの。二つの地区で、見本の上着に丸をつけた子どもの数と、そのうちほとんどがそのまま着られたこと。
二つ目。合わなかったもの。袖が長かった子と、肩が落ちる子。修繕で直す見込み。
三つ目。届くのが遅れたもの。戸口配達の数軒が一日遅れたこと。理由は、受取所の荷卸しが午前の一刻のみという古い契約と、試験の便の順路が合わなかったため。荷は翌朝に下ろされ、その日に配られた。
その下に、改善の案を書いた。
荷卸しの時刻を、見直すこと。イネスから、帰り荷の羊毛と、積み込みの時刻を合わせる案が届いていること。
どちらにも、検討中、と書き添えた。決まったことのようには書かなかった。ギルベルトとも、受取所とも、まだ何も話していない。
一つ目だけを書けば、きれいな報告になった。次の便も頼みやすくなったかもしれない。けれど、三つ目を書かなければ、次の便もまた昼過ぎに着いて、また誰かが一日待つことになる。
「間に合わなかったことも、報告に書きます」
書き終えて、ペンを置いた。満点ではない報告だった。それでも、出すべきものだという気がした。
扉が開き、灰色の普段着のローレンスが入ってきた。妻の身体で、報告書を覗きこむ。一行ずつ、細い指で追っていく。三つ目の項目で、少し指が止まった。それから、最後まで読んだ。
ローレンスは、報告書の一番下の、空いた欄を指した。
「署名は、誰の名にする」




